第20話 黎明の彼方


「フィーニー! くそっ!」

 オーガは通信で碎王を呼んだ。

「――やっこさん、怒りで我を忘れて暴走しちまったぞ!」

 武装集団の群れを率いてきた首領を、まだアニーだと認めたくなかったオーガはそう告げながら、自失茫然としている夕夜の肩を掴む。宗谷は愕然としている夕夜に、何と声を掛けて良いのか判断にあぐねているのか、悲壮に立っているだけだ。

「夕! いいか、よく聞け!」

 その背では、二十五メートル級の金属体が、雷撃で防御と攻撃を成す青年を追いかけ回し、暴れ狂っている。

「あいつの言うことなど、今は信じなくていい!」

「……でもっ」

「あいつは普通じゃない! あいつのほうこそ、存在してちゃいけないんだ!」

 夕夜の瞳から目がポロリと一筋、頬を伝った。もしも、あの者が言う通り、自身に宿った力が宗谷に由来するのなら。飛来外来種を引き寄せているのなら――、両親は。

「いいか、夕! 俺たちは、お前に隠し事をしようとも、嘘を吐こうなどとも。これっぽっちも思ってないからな!」

 言いつける男の瞳は真摯でしかない。どちらが真っ当で真実を語っているのか、この場で判断出来兼ねる。

「オーガ……」

 その言葉を信じたい。信じようとする間に、一陣の稲妻スパークが茶々を入れた。

「あうっ!」

 放電の電離作用により、夕夜の足首に付けられていたバングルがパキリと外れた。それにより、夕夜が持つ静電気の制御が解放されるにも等しい。


「はははっ!」

 フィーニーとの交戦も、まるで鬼ごっこを楽しむかのアニーは。さも愉快そうな笑みを浮かべながら、軽快に稜線上へ降り立った。

「そうら。今に来るよ? あのひずみから、お前を目指して――」

 飛来外来種がやってくる。

「見ものだね? お前の絶望した顔を見てから、殺すのも悪くな――」

 軽やかな身のこなし同様、快活にのたまっていた口上は。コンコルドに似た飛行形体で飛来したフィーニーが、着地寸前の一瞬にして人型へと変貌した鋼鉄の手により、掴み上げたことで途絶えた。

「ぐっ!」

 この馬鹿力め、と睨み上げるアニーを握り潰さんが勢いのフィーニーは。さも恐ろしげな気迫で鬼の如くの顔を寄せた。

「死ぬのはお前だ! 人間でも獣でもないくせに!」

 その声は生身の人間である時とは違い、電子音が混じる異音で聞こえる。

「あああっ!」

 悶えたアニーは自由の効かない両腕に力を込めて、フィーニーの頭部へ一撃の落雷を見舞った。

 なれど、フィーニーは何ひとつダメージを受けずにほくそ笑み。「もう慣れた。そんなの、痛くも痒くもないよ――」捻り潰す手に力を込めた。

「ぐんんっ!」

 目の前で人が、潰されようとしているものを直視できなかった夕夜が悲痛を叫ぶ。

「フィーニーやめて! お願い!」

「異形如きに!」

 振り解く為の力を両腕に込めたアニーに発雷の兆候が現れ。そこかしこの大気がパチパチと鳴っている。

「砕けろ!」

 三者三様の力が交わったそこに、久しく開放された磁気と磁場を大いに揺るがす、静電気の摩擦が摩擦を呼んでいた。


 夕夜の周囲を取り巻く上層と下層の電位差が、みるみる内に拡大してゆく。

 オーガたちのうぶ毛もぞわわと逆立ち、パチパチと弾ける静電気の電離を全身で感じ取れた。――こいつはヤバい!

「デカいのが落ちるぞ!」

「いけない! 夕、力を使っちゃ駄目!」

 また体へ負担をかけて、どこかが傷ついてしまうとの心配を寄せた宗谷も叫んだ。その瞬間。

「――なっ!」

 稜線上にあった全ての人も、機体も。岩も砂さえもが、ふわりと宙へ浮かんでいた。

 それぞれがりきむ力さえ無効化されて、フィーニーの手の中から解放された男も宙に浮く。そこで頑なに力行しているのは、夕夜の潜在能力のみ。

「っつ!」

 宇宙にいる訳でもないのに、夕夜のいる辺り一帯だけが無重力状態と化していた。

「んえ?」

 夕夜自身も、それを自分で起こしている現象だとは思えず狼狽えている。

 しかし、目の前に浮いて漂った懐中時計のが耳に届くと。制御しなければと直感した本能で我に返った。――いけない! 右手が本当に砕けてしまう!

 そこで目には見えない上から下へ、下から上へと昇り降りくる電子雪崩が合わさり。本来ならいかづちの稲妻を飛ばすものを。咄嗟に、放電の電荷に幾分の抑制が効いた所為か、落雷ではなく。摩擦は、暁の来光なる雷光となって稜線上を照らし、その場で閃光していた。


 雷音は轟かなかった。

 山の頂上を、黎明の如くに照らした煌々たる音なき雷迅に反応した碎王たちは。近くの宙で滞空していたピックスをコテージ脇へ呼び寄せ、急がせていた。

「必要な物だけ乗せたら、すぐに離脱しよう」

 アンディを筆頭に飛び移った一行を乗せたピックスが。月にも勝りし粛々と、夜空に昇った太陽にも等しく。徐々にその光る力を失ってゆく場所へと急行して行く。


 眩き白光が消えたあとは、直ぐに地球の通常重力へと戻り、浮かんだものは地に引き寄せられていた。

「どわっ!」

 持ち上がった地点より、一気に落とされた体の腰を打ったオーガが呻く。

「ぐっ!」

「逃さないよ!」

 フィーニーは足場とした山の急斜面に、踵からせり出た反動傾斜アンカーを打ち込み、両腕を平行にして電磁投射砲を放った。その数、一発、二発、三発、四発。暗闇の中でも神々しく弾けた虹色のプラズマ筋は、着弾点に大穴を開け、爆炎の土煙をたゆませる。

 照準を合わせ直し、隙をついて逃走を図った獲物目掛けて、五発、六発、七発、八発。連続発射を終えた機体の後方へ、バスンと抜けた高温の圧縮空気も噴射する。

「オーガ!」

 苦痛で顔を歪めていたオーガが、地に落ちた物を取りに行ったその足で。夕夜も無理矢理に引っ張り込んだ後に続いた宗谷もまとめて、稜線上に寄せた車両へ乗車させる。

「フィーニー! 深追いするな!」

 かの者の姿を探しているフィーニーの邪面が、ぐっと奥歯を噛んで悔しがる。

「んんっ! あぁ憎たらしい!」

 闇に紛れてしまった暴徒を追おうとした機体も、離脱してゆくピックスの後を追い、空の彼方へと飛び去って行った。


 思いも寄らない来訪を受けて、騒々しくも離脱したピックスの中は静まり返っていた。

 一先ず、海軍基地へ戻ろうとしたものの。下手な迷惑はかけられないとして、洋上の上空一万メートルを走行している。

 碎王がフィーガの事務総長に事の顛末を伝え、事後処理を依頼している間も。夕夜はサロン車の片隅で、膝を抱えて丸くなっていた。

 涙は出ていない。けれど、何から訊ねて良いのかの思考もぐちゃぐちゃになっていた。

 誰かが、沈黙を破らねばと思うものが交錯する中で。宗谷が、夕夜の前に膝をついて口火を切った。

「……ごめんね。夕――。ううん。ごめん、なんて言葉じゃ、済まないよね?」

 優しく声をかけられても、夕夜の顔は上がらない。その頭と額がズキズキと痛み、酷く重かった。

「――もしかしたら。そうなんじゃないかって、気づいたのは。夕が、星を見上げてる時だったの……」

「……どうして」

 膝を抱えて組んでいる腕の中に顔を埋めたまま、夕夜はぼそぼそと呟いている。

「それまでは、海咲さんも……、知らなかった?」

「うん。どうして夕に、静電気の蓄積が起こるのか。雷撃の力があるのか。ずっと考えてた」

 けれどまさか。それが己たちの問題に直結しているとは至らなかったと宗谷は述べた。

「……どこで、気がついたの?」

「夕が。星を見てる時に、淡く光ってたでしょう?」

 それともう一つ、と言いかけるものを。顔を上げた夕夜が阻んだ。

「え? 僕、光って……た?」

 泣き腫らして真っ赤にした目と困惑の表情が見つめ合い、二人のやり取りを黙って見守っていたグレヴリーが口を挟んだ。

「おう。光ってたぞ? 蛍みたいにさ、ほわーって」

 ほんのりと赤づいた顔色の夕夜は、乗車してすぐにスペアのバングルを手足に嵌めた、その手を眺めた。

「何で? 何で。僕、光ってたの?」

 自覚なき現象に夕夜の不安が余計に募る。

「ねぇ、海咲さん? それもこれも、みんな。僕の力が、海咲さんの所為だとしても。本当に、意味のあるものなら――」

 真実が知りたい。夕夜は切に、願い出ていた。


「――それなら、まず。あいつの正体からだな?」

 碎王は、サロン車の窓辺で一人、窓枠に手をついて外を眺めているオーガに視線を向けた。

 飛行機体モードを解除したフィーインと、平常心を取り戻したフィーニーも集った。

「旧知の仲のようだったね? あれ、どういう訳あり?」

 ピックスを自動運転にしたアンディが、サロン車へとやって来るのも見計らい。オーガは出揃った面々を顧みた。

「……くそ長い、昔の話だ。その割には陳腐だぞ?」

 そうと前置きをしたオーガは、フィーニーが電磁投射砲を発射したその一発目に。偶然にも、かの男を掠めて落ちた物を拾っていた。

 その手に握っていたのは、相手が首から下げていた認識票だ。

「このタグは、確かにあいつのもんだ。間違いない」

 それで確信の覚悟もできたオーガは、ふーっと長い息を吐き。まじまじと銀色の刻印を眺めては、懐かしそうに呟いた。

「五年前に、あいつは……。アニーは、死んだんだ」

 頼みがある、ともオーガは言った。

「――アフリカの黒点に、向かってくれないか?」

 碎王はいきなり何を、との表情を呈するも。決して無意味なことではないとする意図を図り、アンディへ視線を送った。


 これより一方通行の旅が始まるなど、この時。夕夜は知る由もなかった。

 

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