第17話 戦士の休日 - 光の亀裂 -
生い茂る緑の木々の根も深い、山肌の黒くも茶色くもある土や小石も崩しながら、夕夜とフィーニーは急斜面を滑落していた。
「いったたたた……」
「夕、怪我は?」
斜面の途中でようやく止まった、二人の後を追いかけてきた土砂や小石は、まだ崖下の下へと、ころころ転がり落ちて行っている。
「う、ん。平気……」
「嘘言わないで。僕に隠し事なんか通用しないよ?」
夕夜を庇ったフィーニーが、両足を踏ん張らせて落下の勢いを殺したこともあり。縺れ合った二人は、もといた地点から五十メートルほど落ちたところで止まっていた。
『――フィーニー? 夕は?』
急こう配な斜面の上から、宗谷が通信で呼びかけている。途中を隔てる草木が邪魔をして、互いの頭が見えるか見えないかの急な角度だ。
「右手は悪化してないよ? 治ってもないけど。落下による全身打撲度がニパーセントと、額に三ミリの裂傷あり」
『――フィーニーは?』
「僕は……」
何てことない、と言いかけた口が止まった。夕夜へのダメージを最小限度に抑えるべく、少々無理な体勢での防御姿勢を図った所為か。踏ん張った足が山肌にめり込んでいて、木の根などが絡まり抜けなくなっていた。
「特に問題ないよ? 掘り出すか、絡まってるのを切断するなりしてもらえれば。とりあえず夕を上げてやって? あぁ、でも――」
落下の道筋を捉えたフィーニーの目は、もろい山肌の斜面強度に問題有りとした算定を出していた。
「宗谷。下手に下りてこないほうがいいよ? 迂回しないと崩れちゃいそう」
そうと告げられた宗谷は、即座に応援を要請していた。
『――ガーイズ?』
渓流で釣りを楽しんでいた面々の耳に、宗谷の声が通信装置を介して届いた。
「どうした?」
『――夕とフィーニーが滑落しちゃって』
「滑落だあぁ!?」
それだけで釣り組の顔色は一変していた。やはりやっちまったか、なる面持ちを携えたのはグレヴリーだ。
「全く! あんだけ気を付けろって言ったのにな!」
すぐさま釣り竿などは放り出し、渓流から引き上げる。
「何が必要だ?」
『――牽引ロープとワイヤー。吊り上げ補助用にシーツも。あとは切断機具、と救急箱に水とタオル』
車へと走ったオーガやアンディ、コテージに向かったグレヴリーとジルが手早く指示されるものをそれぞれ手に取ってゆく。
「どの辺りだ?」
碎王が訊ねると、救助を待つフィーニーが自ら居場所を示す救難信号弾を空へ向けて発射していた。
木々の間からポン、ポンと。色のついた発光が音を上げて弾けるものを、全員がコテージ前より視認する。
「すぐ行く。――フィーイン、船頭してくれ」
正確な位置をマークしたフィーインの後を、男たちはぞろぞろと連なりながら駆け出して行く。
「全く。退屈しねぇな」
ワイヤーを担いだオーガも呟き、山の中へと入っていった。
「宗ーっ?」
「こっちです!」
手を挙げた宗谷のもとへ、直ぐに碎王たちが集って来る。
「どこだ?」
「この真下なんですけど」
誘われるがままに、オーガたちも急こう配を見下ろした。
「結構落ちたな?」
「しかもここ、急に山肌がもろくなってて」
「確かに。迂闊に下りていったら、二人の上に更に土砂が被っちまうな」
「左右に分かれて、迂回しながら下りてもらえません?」
宗谷が告げる脇で、早速グレヴリーとオーガが降下の準備に入っていた。
「夕の怪我、悪化してないだろうな? 先生にどやされんぞ?」
「今のところは。ただ、額をぶつけたらしくて、脳震盪の可能性もあるから。グレヴリー、なるべくそっと上げてもらえる?」
「そりゃもう。うちの大事な王子様だかんな。まかせろ」
碎王は、切断機具と共に下りようとしているオーガとは別に、フィーインにも指示を出した。
「下手に振動を与えたくないんでな。一先ずオーガと一緒に下りて状態、確認してくれ」
寡黙な兄は、ただ頷くだけで了承していた。
ジルとアンディは、滑落場所より左右に分かれたそれぞれの地点で降下牽引場所を確保している。
「よし。いつでもいいぞ?」
手早く引き上げ準備も整えていた。
頭上で救助の算段が整えられている間。フィーニーと夕夜はぽつぽつと会話を交わしていた。
「……ごめんなさい。僕がドジったばっかりに……」
夕夜は痛いのと申し訳ないのとで半泣き、半落ち込み状態であった。
「夕の所為じゃないってば! 踏んだところの土が、たまたま脆くてよろけたの!」
「フィーニー。僕を庇った所為で、足が……」
「嵌ってるだけ。それ以外は何ともないよ? それより、夕のほうが心配」
「う……」
転がり落ちた際に打ち付けた全身も鈍く痛い。けれど、小石がぶつかって小さなたんこぶになっている額の傷もじんじん痛む。
「宗谷に。ちゃんと痛いって言うんだよ?」
素直に甘えられることを、誰よりも望んでいるのを。夕夜も身に染みてよく知り得ている。隠せばきっと、宗谷は悲しむ。
「うん……」
土砂の上で夕夜を胸に抱くフィーニーは、「あーあ!」と嘆いた。
「これじゃグレヴリーの事、今後からかえないじゃん!」
夕夜はどうして、なる表情を灯し。フィーニーは、傍にいて庇いもしたのに。結局、夕夜が大なり小なり怪我を負ってしまった悔しさで悶えた。
そこへ噂を聞きつけたグレヴリーが颯爽と、風の如くに舞い降りて来る。
「救助隊、ただいま参上!」
急斜面で横になっている二人を見下ろし、気障ったくウィンクも一つ披露する。
「すぐ上げてやっから、心配すんな?」
言葉通り夕夜は、グレヴリーの背に背負われる形で救出されていった。
両足が嵌り、身動きの取れなくなっていたフィーニーも、フィーインとオーガによって助け出され。こちらは落下場所よりひとっ飛びの荒技空中移動にて難なく上がってくるのだった。
それを横目にしたグレヴリーは、急こう配で笑った膝に手をつきながら呟く。
「反則だろ……」
終わったものは、仕方がない。
「――え? 夕、病院行かないの?」
一足先にコテージへ戻っていた一行と合流したフィーニーは、むすくれている夕夜とソファーで対話している碎王の姿を、キッチンから眺めていた。
「そうなの。打ち身やたんこぶは大事ないって言って、きかなくて」
宗谷は集めた山菜を洗いながら溜息を吐く。苦労してやって来たキャンプからの離脱案に、夕夜は大いに不満らしい。
「何なら僕がひとっ飛びで連れてくのに……」
「飛ぶのは駄目。アンディも、ピックス持って来ようかって言ってくれてるんだけど。それはそれで、折角の休暇がーって」
フィーニーは再度、夕夜の全身を観察して損傷具合を確かめた。
「まぁ、脳震盪の可能性もないし。滑落によるダメージも特に緊急性はないけど」
「本人がね。どうしても皆で、満天の星を見たいんだって」
「星?」
キャンプ話が持ち上がった際に、普段。都会では見られない素晴らしき星空が眺められるだろうとの話を受けて。夕夜は何よりそれを楽しみにしていた。
「どうしても。それを見るまでは山を下りないって。交渉中」
「ふーん?」
そうまでして星が見たいのかと、フィーニーは碎王と向かい合う夕夜を見つめた。星など何時でも、どこでも見られるだろうに。しかし、その夕夜が見たいと言い張るのなら。見せてやりたいと思う親心も充満していた。
そんな騒動と夕食を終え、陽もとっぷりと暮れた午後九時近くに。風呂上がりの夕夜は額にメディカルテープを貼った髪も濡らしたまま、バルコニーで寛ぐ面々のもとへと向かった。
「アンディ」
「どうした?」
「うん。バングルがね?」
左手首を差し出した夕夜に、アンディは落下によって不具合でも生じたのかと心配を寄せた。
「調子悪い?」
「ううん? 細かい土か何かが隙間に入り込んだみたいで。お風呂に入ったら取れるかなって思ったんだけど。まだじゃりじゃりしてて……」
「あぁ。いいよ。ほら、ここに座って――」
左手のバングルを外した。もう一つ、右足首につけているものだけでも、接触静電気はある程度で制御されている。
「待ってて」
腰かけていた場所を交代しながら、アンディは愛用の工作機具を取りに行った。
その間、手持無沙汰になった夕夜は、ふと半オープンなバルコニーから見えた夜空に視線を定めた。
「……わぁあああっ!」
立ち上がり、吸い寄せられるようにしてバルコニーの先端へと歩んだ。
「凄い、綺麗!」
空一面に漆黒を舞台とした無数の星がひしめき合い、瞬いていた。そこに幾億とも、幾兆とも知れない煌めく星々がそれぞれに主張し合いながらも、模様を描き。流れ、キラキラと輝いている様に夕夜は見惚れた。
そんな様子を眺めていたオーガが気を利かせて、部屋の明かりを消してやった。
「室内を暗くすると、もっとよく見えるぞ?」
「ありがとう!」
急に暗くなったことに、大人たちは困惑しながらも意図を知れば温かく見守り。夕夜は目を輝かせながら見入っていた。
「僕、こんなに星を見たの、初めて!」
キラキラ光る、まさしく満天の星空だった。
コテージの外に停めている車へ工具箱を取りに行っていたアンディの足が止まった。バルコニーへとつながる階段を、懐中電灯で照らしながら昇ったその途中で。
夕夜に続いて風呂から上がってきていた宗谷も、「夕? 髪の毛、ちゃんと乾かさないと――」なる声を上げている途中で止まった。
ソファーで寛いでいたグレヴリーとジルも。キッチンで一杯やっていた碎王も。フィーインとフィーニーも、暗闇の中に浮かんできた儚い光に目を奪われていた、その目を横に振る。――何かいる。
渓流の対岸に生える大木の傍より、じっとコテージの様子を窺っている者の目にも淡い光が映り込み。ぐっと固く握った拳を震わせている。
「夕……」
張本人は、自身の全身がほんのりと発光を帯びて光っていることに気づいていない。
「ねぇ、オーガ?」
それどころか、夕夜は最も手近なオーガに振り返って訊ねた。
「あの星の、どれかから。外来種がやって来るのかな?」
オーガは手摺りに近寄り、「どうかな」と首を捻った。近くへ寄っても、夕夜がほのかに光っている原因は目に見えない。
「まだ解明されてないが。多分、そうなんだろうな?」
地球外生命体の有無にも決着はついていない。
闇夜に紛れてコテージを取り囲み、暗がりで暗躍していた複数の群れに指示を出していた指が「行け」との通達もしていた。
宗谷は、部屋の最奥でタオルを持ったまま茫然としていた。――もしや、あの子は。
そんな思考を感じ取ったのか、碎王は宗谷にそっと近づく。
「お前。力、使ったか?」
「……何です急に。使っていませんよ?」
急激に胸の鼓動が速なり息苦しさを覚えるも。顔を歪めるほどではなかった宗谷は、平常を装い答えていた。
碎王は、風呂場から漏れる明かりを頼りに、パンツポケットより取り出した懐中時計を開けて見せると。滅多なことでは驚かない宗谷の目が見開いた。
「そんな!?」
十七秒目を指していたはずの秒針が、一秒と時を縮めた十六秒目を指し示していた。
「どうして……」
宗谷は、はっと気づいてバルコニーで歓談している夕夜の背を眺めた。
暗がりの中で確かに光っている夕夜の姿は、道を間違え、家への帰り道を見失った者を導く灯台のよう。
「まさか……」
外来種の出現と、夕夜に宿った類い稀なる因果の点と点を線で結んだ。
「あの子の力……、僕の所為?」
証拠などない。けれど、疑心と確信なる原因の一旦を担っている自覚もある。
碎王は、開いていた時計の蓋をパチンと閉めた。
「その時が。近いのかもな――」
碎王はそれだけを告げ、部屋の明かりを点けに行った。
「ほら、夕? 眺めるのは髪、乾かしてからにしろ。風邪ひくぞ?」
「はーい!」
明るく返事をした夕夜とは対照的に。タオルを握りしめた宗谷の表情が、動揺と沈痛で満ちていた、その時に。バヅンと一発、落雷に似た光のスパークが弾けていた。
「わああっ!」
「夕!」
「伏せろ!」
コテージは一瞬にして全ての電気が消える停電となり。
「何だお前ら!」
木目のバルコニーへ亀裂を入れた、名もなき訪問者の襲撃を受けるのだった。
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