第13話 夢を見させて


 病室のドアをノックする音がしてすぐに、黒基調に金色のブレード装飾を施した衣服も特徴的な男が顔を覗かせていた。中へ入室して行く姿をじっと見つめられる、血走る眼があるとも知らずに。

「やあ。調子はどうかな?」

 ベッドで横たわっていた夕夜は、もそもそと上半身を起こした。目元で陰る隈を薄っすらと滲ませながらも笑顔を見せる。

「アンディさん。こんにちは」

「アンディでいいよ。ほら、これ。ご所望の物、持って来た」

 掲げられた紙袋の中を覗くと、希望していた漫画本が入っていた。

「ありがとう、ございます。これ、読みたかったんです」

 夕夜が入院してから三日が経っていた。宗谷はあれから毎日欠かさず世話焼きに通い詰め。碎王やオーガも時間が許す限りで様子を窺いに来てくれている。

「さっき。グレヴリーも来てくれて……。ジルのお見舞いのついでだって言ってたけど……」

 アンディは夕夜の言わんとする旨を理解していた。

「彼、解りやすいだろ?」

「うん。そわそわしてた」

 一日に一回は相棒の顔を見ないと安心して眠れない、とはグレヴリー以外で定説になっていることを、本人だけが認めていない。

「ジルもね、今朝来てくれたんだ? することなくて暇だーって。凄いよね、もう自由に歩き回ってるんだよ? 僕なんかまだ、痛みでふらふらなのに……」

「彼らは元々軍人だし。鍛え方も、基礎体力も違うだろうから。回復力を比べちゃいけないよ」

 怪我を負いながらも、気にかけてくれている人たちがいると思うだけでも、夕夜の心は警戒心も含めて随分と解けていた。

「あ。そうだ、アンディ。僕、まだお礼、言ってなくて……」

 改まった夕夜に、アンディは丸椅子を引き寄せながら腰かける。

「お礼?」

「うん。怪我した僕を、この病院まで運んでくれたんでしょう? ありがとう」

 アンディは、「あぁ」と頷いてから腰を据え直す。

「ジルも一緒だったし。本来、俺は輸送とか補助とか。そういった裏方要員だから、当然の役目だよ」

 二人が命に関わる怪我でなくて何よりだったと、アンディは控えめに微笑んだ。


「手の調子はどう? すぐに二回目の手術をするって?」

 五指から手首までを丸ごと厚手の医療用カバーで覆われている右手は、その形、恰好だけでも重傷度を物語っている。

「うん……。骨と骨が変にくっつく前に、砕けた破片? とかも、ちゃんと取り除かないといけないって……何だか。今回は一回目より大変だって言われて……」

 話を聞くだけでも大変そうだと察したアンディは、暗くなりかけた話題を変えた。

「二代目の調子はどうかな?」

 夕夜も気を取り直し、新たな接触静電気対策バングルに視線を向ける。

「凄くいいよ? 前の……、折角作って貰ったばっかりなのに、壊しちゃって――ごめんなさい」

「いいんだ。形ある物は、どんなものでもいつか必ず、壊れるものだ」

 項垂れた夕夜は申し訳なさげに顔を上げた。

「でも、これのおかげで。先生たちも静電気を気にせずに、安心して手術もできたって、海咲みさきさんが言ってた」

「宗谷が?」

 アンディは宗谷の名が出た事に驚いた。

 仕事の局面では時に厳しい判断を冷徹に下す彼は、普段は誰にでも優しい気持ちの良い好青年だ。夕夜の懐へするりと入り込み、短期間のうちに名を呼ばせるまでの仲となったのも頷ける。

「うん。僕も、強度が前のよりも強くなったのに、重さ自体は軽くなったでしょう? 全然つけてる感じがしなくて、本当につけてないみたいで。凄く嬉しい!」

「そうか……。良かった」

 アンディは心から喜んで見せた。

「こうして役に立って、満足してもらえてこそ。エンジニアは作り甲斐もある」

「アンディは凄いんだって。何でも作れるって、海咲さんが言ってた!」

 にこにこと破顔する、夕夜の尊敬の眼差しに見つめられたアンディは、その眩しさに負けて素直に照れた。

「よしてくれ。俺にだって作れないものや、苦手なものはごまんとあるんだ」

「そうなの? 例えば?」

「そうだな……」

 アンディは長い足を組み替える。

「料理はど下手というか、包丁も握れない」

 夕夜は、そんな風には全く見えない「へえぇ」を溢した。

「むしろ料理は、宗谷が得意だ」

 林檎の皮を剥いた手さばきを思い出した夕夜は深く頷く。

「あぁ……確かに。海咲さん、何でも出来そう!」

「あぁ。宗谷こそ何でも屋だから。どんな事でもそつなくこなす、正真正銘のプロだよ、彼は。――それは?」

 アンディは夕夜が左手に持っている物に気を止めた。

「これ。海咲さんが貸してくれたの」


 随分と年季の入った、鎖付きの懐中時計だった。夕夜が親指で蓋を開けて頭のネジを回すと、耳に心地よく馴染むオルゴールの音が流れた。

 優しく弾む温かなメロディーが病室の中に響き、二人は穏やかな旋律にしばし聴き入っていた。

「僕が、麻酔から覚めそうな時に。海咲さんがこれを見てて……」

 普通の時計とは違い、時針も分針もない、秒針だけの少し変わった時計は。十七秒目で止まったままだのに。宗谷はそれをずっと眺めていたと夕夜は告げた。

「すごく優しくて。初めて聴いたはずなのに、とっても懐かしい音色だって言ったら――」

 宗谷は微笑みながら、子守歌だと教えてくれた。

「手と手を繋ぎ、家へ帰ろうっていう歌詞のね」

 そして、その懐中時計を夕夜の手に授けた。

「良かったら、少し預かってて?」

「え? でも……大事な物じゃ?」それに。「――僕が持ってて、壊しちゃったら……」

 宗谷は、懐中時計に握らせた手を上から包み込んだ。

「いいの。これもう、半分壊れてるようなものだし――。夕の、安心材料になるなら。夕がしばらく持っててくれたほうが、嬉しいから」

 少し寂しげだけれど、希望にも捉えられなくもない不思議な旋律に魅了された夕夜は。その後、何度も何度も繰り返し響く音色へ耳を傾け。その音階のお蔭で、また一段とざわめく心の波を落ち着かせていた。


「――そうか」

 そんな他愛もない会話を積み重ねたことで、夕夜の気持ちがより一層解れたのか。疑問の一つをアンディに訊ねてみることにした。

「――あの、訊いてもいい?」

「何だい?」

 夕夜はもじもじと言い出す。

「飛行機が飛ぶ原理は、何となく解るんだけど……。あの漆黒の列車、ピックスはどうやって空を飛んでるの?」

 現代に生きる普通の人間であれば普通に思う疑問に対して、アンディは角度を変えて答えていた。

「質問に質問で返すのは大人げないとは思う、が。夕夜の、その静電気はどこからくるんだ?」

 訊ね返された夕夜は、照れくさそうにはにかむ。もしや、聞いてはいけなかったのかの瞬きを数回繰り返すうちに、アンディのほうから語り出した。

「――俺は。小さい頃から、機械いじりが得意でね」

 いつか、船や車が空を自由に飛べたなら――なる、夢を抱いていたと述べた。


「実は、ピックスを設計したのは俺じゃないんだ」

 設計主は夢を実現する前に亡くなったと続く。

「そいつだけじゃない。街ごと、俺の故郷は。地図からその名前も――消えた」

 ある日に突然、遥か宇宙の彼方からやってきた外来種によって黒点に変わった。

「たった一つ。俺の手元に残ったのは、製造途中のピックスだけだった」

 まさか、そんな経緯があろうとは夢にも思わなかった夕夜が呟く。

「ごめんなさい……」

 辛い事を思い出させてしまったと落ち込む者に、アンディはにこやかなる添え手を出した。

「いいんだ。不思議と、あのピックスと一緒にいると。悪夢を見なくてね」

「悪夢?」

 夕夜には、それがどれほどのものであるかの想像もつかなかった。なれど、それを見ずに済むのなら、きっと自分も縋るのだろうとだけは思えた。

「ん。ピックス――の名の由来は、幻影という意味のファントムのPと、エクスプレスのEXでピックス。きっとあいつは、夢の列車という意味でもそう呼んでいたんだろうけど……」

 その完成を見届けることも叶わなかった彼の。ピックスがあり続ける限り、ずっと良い夢を見続けられるのではないかとも思い。大切に飛ばし続けたいとアンディは告げた。

「……確かに。列車が空を飛んだら、沢山物も運べるし。空中で車両を繋げたり、切り離したり。便利だね?」

 夕夜が凄く良いねと言うものに、アンディも笑みで返す。

「気に入った?」

「うん!」

 誰かの、何かの役に立てているだけで平静を保っていたアンディは、夕夜の笑みに癒されていた。

 

「今夜は眠れそう?」

 二回目の手術に向けて、体調を整えておかなければならない夕夜の不眠性を、医師もフィーガの面々も気にかけてくれているものを、本人もずっと気にしていた。

「う……、ん」

 そしてようやく。この人たちになら、眠れない理由を明かしても良いのかと思い、切り出した。

「あの、ね? 実は――」

 話の概要を聴いたアンディは、すぐに宗谷へ連絡を入れたのだった。

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