第12話 夢を見ていた
一夜が明けても当然、世間はナンシー騒動で騒擾している。報道ヘリや対飛来外来種の後始末に追われる各関係各所の輸送ヘリなどが、ひっきりなしに上空を飛び交っている病院の中で、夕夜は重たい瞼を上げていた。
個室のベッドサイドに据えられた丸椅子へ腰かけているのはフィーガの宗谷と、圧迫感すらある大きな体を壁際に寄せて腕を組んでいる碎王と。もう一人、主治医となった整形外科医が、夕夜の胸板に聴診器を当てて鼓動を確認している。
「うん。鼓動も正常、心拍にも問題ないね」
はだけさせた病衣を整え、聴診器を首にかけてから眼鏡のブリッジを上げ直した医師は夕夜に告げた。
「今日、これから一回目の手術をするよ。大丈夫、私が責任を持って執刀するし、必ず治してみせるからね?」
優しく述べられても、ぼんやり頭の夕夜には何のことかの理解が遠く追いついていない。
「……一回目?」
宗谷が、ベッドで横になっている夕夜の左腕をやんわりと撫でては、静かに知らせた。
「右手、粉砕骨折してるの」
夕夜はゆっくりと告げられるものに、ただ耳を傾けていた。そう言えば、そんな話もされたような気もするけれど。昨夜は酷く疲れもしていて、朦朧とし続ける意識の中で、医師に語られた記憶も途切れ途切れであった。
「第一指から、第三中手骨の至るところに、ひびが入っていてね。基節を粉砕骨折している箇所もある」
右手の全指が重傷を負っており、複数回に渡って手術をする必要もあるとも言われた。
「君はまだ子供で、骨も成長期だ。一番大事な時でもある。ましてや利き手だし、一刻も早い完治を目指して治療するけれど。生涯、何らかの不自由や、後遺症に悩まされることも覚悟して欲しい」
リハビリ期間を含めると、全治は半年から一年以上だと宣告されて。夕夜の気がますます遠くなる。手術など受けたことがない。そも、そんな大袈裟な事態になるとは思ってもみなかった。それに――。
「あの……、学校は?」
医師は苦渋の表情を浮かべた。
「当面、絶対安静だよ。少なくとも二、三週間は入院なる。今ここでちゃんと治療しないと、利き手の右手機能を失うに等しいからね。治療に専念すべきなんだ」
次に夕夜が音を上げて気に掛けたのは、また別の観点からだ。
「……入院とか、手術の治療費って、どのくらい掛かりますか?」
実に現実的な子だとの印象を受けた医師は、宗谷と碎王に視線を振った。すると碎王は腕組みを解き、ベッドサイドへと歩み寄った。
「君の、糊口を凌ぐ事情は知っている。学校の事も、治療費の事も全て、今後は俺たちにまかせてくれないか?」
そう口火を切ってから碎王は続けた。
「知り合ってから間もない、まだよく素性も分からない人間に。こんな事を言い出されて、困惑するのは当然だろうが――」
それでも関わり合ってしまった。
「まずは礼を言わせてくれ。俺たちは三度も、君に救われた」
ありがとうな――。碎王は深々と頭も下げた。
「俺や、仲間たちの危機を救ってくれた。君は、命の恩人だ」
夕夜にそのつもりがなくとも。一縷の自覚があったにせよの偶然だとしても。起こり得た事実は変わらない。
「ぼく、が……?」
「今は色々、不安でいっぱいだろう? 何が起きているのか。どうしてこんな事になってしまったのか。混乱するのも当然だと思うし。普通はそうなる。それでいい。それは、俺たちも同じだ。だから――」
手術室へと赴く廊下の天井を、夕夜は夢を見ているような虚ろな感覚で眺めていた。
碎王が「俺たちに手伝わせてくれないか?」と言った、その言葉を反芻している。どこの誰とも知れない人の言い分に、今は従うしかない腹も括った。自分ではどうすることもできない大怪我を負ってしまっては、そうするしか術がない、八方塞がりでどこへ行けるというのか。向かう先はもう一つしかない。
「――誤解して欲しくないのは、俺たちがお前を寡聞にして、過渡期な君を掌握しようとしているのではなくて。頼ってくれたら、嬉しいんだ」
そうとまで言い切られてしまっては、善悪なども超越して頼るしかなくなってしまう。
碎王はこうも言った。
「あの力を使う度に、君が体のどこかを犠牲にするのを。俺は、黙認することもできない」
その時、宗谷が何とも言えない表情を浮かべていたのが気になったものの。夕夜は、これから受ける一回目の手術に緊張感を孕ませた。
手術室前まで付き添ってくれている宗谷は、夕夜の左手を取りながら呟く。
「大丈夫。あの人、懐も深くて太っ腹だから、安心してね?」
執刀医も横から口を挟む。
「私も。腕が良いって評判だからね? 心配ないよ?」
夕夜は、もうどうにでもなれと放棄しかけた投げやりを、口の端に携えて静かに微笑する。
「終わるまで、ここで待ってるから」
宗谷の優しい握り手が離れた。――何て温かい人なのだろう。その意識は、全身麻酔をかけられたことによってすぐに落ちていた。
宗谷は数時間以上にも及んだ術後の、回復室でも夕夜に付き添い、何かと世話を焼いてくれていた。
翌日も個室へと移動した夕夜の見舞いに早くから訪れ、同伴者は彼の相棒、碎王だ。
「――眠れたか?」
開口一番にそう訊ねられた夕夜は、角度をつけられたベッド上でゆるゆると首を横に振った。
「痛みで、寝れなかったのか?」
それもある。以前より痛み止めの効果があるはずなのに、それを凌駕する疼きや不安が体中に蓄積されていて納まりも悪い。自身の今後の行く末に、一抹の不安を抱く感情もそわそわしていて落ち着かない。
「病院は、苦手で……」
ようやくそれだけの文言を呟き、夕夜は深い息を肩できる。
「俺も注射は今でも嫌いだ」
不屈な目を器用にぴくりと動かした碎王を見た夕夜は、この人たちであれば頼れるのかもと思いつつもまだ、本心を晒せない優柔で揺さぶられていた。
右手の事や力の事で、今後も含めて悩みは尽きない。
大きな紙袋を持参していた宗谷が丸椅子に腰かけては、中からみずみずしい林檎と果物ナイフを取り出した。
「実は、同僚も同じ病棟に入院してるの。だから毎日お見舞いに来れるし。必要なものとかあったら、遠慮なく言ってね? どんなに小さなことでも、些細な事でも、何でも」
華麗な手さばきで林檎は皮を剥かれ、ほんの一口大にされた欠片にフルーツピックを刺して差し出す。
左手でそれを受け取った夕夜が、おずおずと林檎を口に運ぶ。すると甘い果汁が口の中いっぱいに広がり、耳の下のリンパ節もきゅっと締まって良い刺激を受けていた。生きている――と感じる。
「……美味しい、です。でも……毎日来るの、大変じゃないんですか?」
「うんん?」
宗谷は相手に安堵感しか与えない、ゆったりとした微笑みで返した。
「フィーガの駐留先がね、すぐ近くなの。歩いて来れる距離」
ナンシーの後片付け問題がこじれている理由など敢えて伏した宗谷は、剥いた林檎の四分の一を碎王にも手渡し。碎王はほんの数口でそれを平らげてしまう。
そんな姿を見惚れていた夕夜は思う。そこに居るだけで存在感があり、恰幅も良く逞しくて格好のいい人――。僕もあんな風に、どこから見てもヒーローのような男になりたい。反する自分はどうだ。薄っぺらくこじんまりで、か細く何とも頼りない。過剰な静電気を有する以外の自慢は体力の無さくらいで。それも一つの特技だと言われても、今はちっとも笑えない。
「――そうだ。転校先の学校関係者らとも話、つけといたからな」
「話って……?」
碎王は口元を、宗谷に差し出されたペーパーティッシュで拭いながら告げた。
「当分、通えないだろ? それの説明とか。今後の事とか色々な」
「……そう、ですか。色々、すみません。……ありがとうございます」
夕夜がちょこんとだけ頭を下げると、碎王は改まった。
「よしてくれ。お前が謝ることは何もない」
「でも……」
沢山の人に迷惑をかけ、とんでもない事をしでかした身を切る思いと、慙愧の念が押し寄せる。
それを察した碎王は、ベッドサイドへ腰かけた。
「いいか、夕夜。お前は決して、間違ったことはしてないからな? それだけは言っとくぞ」
雷撃を発生させて公共施設を破壊したことは単なる余波で、誤りはなかった。橋はまた架け直せると碎王が述べるものに対して、夕夜は疑心暗鬼で見上げる。
「でも、僕……」
言葉は続かず、涙が溢れた。まさか、あんな事になるとは思わず。偶然が重なった他意なき事故で済んだからまだ良かった。もしもあの場に誰か人でもいたのなら――。いいや、いた。夕夜の目が丸々と見開く。
「前の……」
学校では犠牲者と負傷者が出た。今を思えば、あれも――。
「僕の、せい?」
「違う。あれは天災だ。飛来外来種が引き起こすものは所詮、人間の力ではどうにもならない、不可抗力なんだよ」
夕夜の眼から、ばたばたと溢れる落涙が止まらなくなった。
「でもっ、……んっ」
「夕夜、俺を見ろ」
碎王は、俯き嗚咽を始めようものを上向かせる。
「もう一度言うぞ? 学校が崩壊したのは、お前の所為じゃない」
碎王は断言していた。
「だから一人で背負い込むな。もしも後悔の念があるのなら、後から幾らでも挽回すりゃあいい」
夕夜はすぼめた肩を震わせながら押し黙り、ぎゅっと瞑った目とへの字に結んだ口元で「んっ」とだけ頷き。頬を伝う涙筋を宗谷が優しく拭った。
「訊いてもいい?」
優しく、静かに問いかける。
「雷撃の力に気づいたのは、いつだったの?」
夕夜は、ナンシーの後くらいからだった語り出した。
「それまで、単に静電気が酷いだけだと思ってて。でも、あの後、もしかしたら、そういう事も出来るんじゃないかとは思ったけど――」
まさか。本当に落雷を誘発させられるとは夢にも思わず。
「そこに落ちちゃえばいいのにって、咄嗟に思ったら」
本当に落ちた。しかも膨大なエネルギーの発散となって、橋まで落ちたとは後の報道ニュースで知った。
碎王が、ふうっと大きく息を吐く。
「夕夜」
深く思慮した眼差しで見つめる。
「まだ完全に、力をコントロールしている訳じゃあ、ないんだな?」
こくりと頷くものを、宗谷も憂慮の眼で眺めている。
「今回の件で、お前が一番解ったとは思うが――その力は。しっかり、ちゃんとコントロールできるようにならなきゃ、お前自身も辛いだろう?」
寂として声なしの頭が垂れ下がってゆく。
「お前が、静電気体質なのも含めて、しっかり克服していきたいと思うのなら。俺たちは幾らでも手を貸すし、フォローもする」
むしろ、フィーガでなければそれは不可能だともされ。夕夜はのっそりと顔を上げた。
「僕……、この力、克服したいです……」
言われているように、コントロールが可能になれば。誰かや何かを傷つけることなく、役に立てるのではないかとする羨望も沸々と湧いてくる。怖い思いも、痛い思いも。逃げ惑う事も、悩む事も、もう沢山だ。
碎王は夕夜の頭をぐりぐりと撫でてから口を開いた。
「んなら、改めて。後の事は、俺に一任してくれるか?」
夕夜は何度も大きく頷いた。この人たちと一緒なら、きっともう大丈夫だと信じる。
碎王は「ん、分かった。じゃあ――また明日な」と言いながら個室を後にし、宗谷はジルを見舞った後でまた戻ると告げて。夕夜は泣きはらした眼で病室の天井を見つめていた。
今時点が現実だと思っても、どこか夢を見ているような、ふわふわとした感じに囚われてならない。
もしかしたら、ずっと夢を見ていたのかも知れないとすら思えた。大変な目に合ったけれど、優しくて頼れる人たちと知り合えた。不安が完全に拭えた訳でもないけれど。このままずっと、甘えても良いと許された夢を見ていたいと願った眠気に襲われ、眠りについた。今夜は少し、眠れそうだ。
病室を出た通路の分かれ道で、宗谷は碎王を呼び止めていた。
「俺に一任……って。僕にも、分けてくれないんですか?」
足を止めた碎王が振り返る。
「お前。いちいち俺に了承、取ってたのかよ?」
いいえ、とおどけた片眉が器用に上がり、碎王はパンツの縁に鎖で繋ぐ懐中時計を取り出した。
「――残り時間が少なくなってるんじゃないかと思って、肝を冷やしたぞ?」
握られた時計を見るなり、中を見ずとも視線を逸らした宗谷はそっけなく告げる。
「そんな暇、なかったですよ」
手短に答えた宗谷は話題を変えた。
「今のところ、現場の磁場は正常値に戻りつつあります。この病院と周囲にも特に異常はありません」
「そう願うよ――」最悪は脱したと思いたい。「何にせよ、引き続き監視を頼む。連戦は流石にきつい」
宗谷は、ジルの病室へと向かう方向へ進路をとった。
「嵐の前の静けさ、好きだったんじゃないんですか?」
「正直、今はしんどいな。俺も歳をとったか」
「貴方らしくもない」
宗谷の背を見送った碎王は、意味深な表情を灯し、一人廊下で佇んだ。
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