第10話 残影の衝撃


「わぁああああっ!」

 手にしていた傘など放り出し、滑って縺れた足で踏鞴を踏みながら逃げた、その直後。夕夜が一目散に駆け出した、公園トイレのあった場所は。上空から飛来した物体により押し潰されていた。

「わっ!」

 着地の風圧にも背を押され、焦る気持ちも逸った自分で自分の踵を当ててつんのめり。濡れた舗装道路へ勢いもよく、べしゃりとヘッドスライディングしてしまう。

「ぐえっ」と潰れた声が漏れても、すぐ後ろで巨体が蠢く慟哭も重なり掻き消えてしまう。――何でいつも、こうなるんだ。逃げないと。夕夜の思考はパンク寸前であった。


 洋上より洋艦を乗り捨て、ピックスにてナンシーを追いかけて来ていた碎王が、宙を浮遊走行する車体の上で告げている。

「宗! 避難状況は?」

 雨風をもろに受けながら見下げた視界には、余暇を楽しむ為の公共施設や遊技場に桟橋、ヨットハーバーなども併設された人工の島と、島を唯一で結ぶ大きな橋がある。

『――警報は間に合いませんでした。人工島には数名が取り残されているとの情報が』

「全員、聞こえたな?」

 碎王は、ぐっしょりと濡れて水滴を垂らす髪を手櫛で掻き上げた。

「俺がこいつを抑えてる間に、民間人を避難させろ」

 まずは人命が最優先である作戦が執行される。

 グレヴリーとジル、そしてオーガは滑走しているピックスより飛び降りて、人工島へ着地すると同時に駆け出した。

 碎王は一人、ピックスの天井板で仁王立ちのまま。深海より急浮上したのちに、この地へ一息でジャンプしたナンシーを見下ろす。

「これ以上、好きにはさせん」

 二度と飛べないように、へし折るのみ――。そして碎王も「アンディも避難を手伝ってやってくれ」と言うと同時に、天井板を駆けて飛んだ。

 巨漢に見合わず身軽に飛んで滑空する間に、一気加勢の勢いもつけて振り上げた拳へ込めたのは。虚をつく一撃必中の渾身のみ。


 目には見えない圧力の壁が、碎王を見上げていたナンシーに襲い掛かった。反撃の大鉈を振るう機会さえ与えない重く、圧をかけた透明な空気の層を壁にして、巨体を斜め上から殴打する。

 まずはその強烈な一発目で、頭頂部の開口部より真っ赤な溶岩に似た体液をぼたぼたと溢している頭部に打撃を与え。衝撃で頭を凭れたところで更に、上からの圧力を加えるべく追撃の足枷が、重く過重に圧し掛かる。

 碎王はピックスを飛び降りてからたったの一撃一蹴で、全長百メートル余りの溶岩石に似た飛来外来種ナンシーを圧倒していた。

「頼むから。ここでじっとしていてくれるか?」

 ナンシーは、深海で潜水したのちに急浮上して飛んだ矢先の着地面で。立っていられないほどの反重力の壁と地の間に挟まれて、身動きが取れなくなってしまう。

「フォックス。今のうちにアイアンウォールで囲い込め」

 周囲三キロにも満たない人工島の上空を旋回していた一機の大型戦闘機らしき飛行物体は、黄金色したぜんまい仕掛けの管や複雑な配線をカラカラと変形させて。その機械類で凝り固まった心臓部より、片目にゴーグルを装着しているフィーニーが「喜んで」なる顔を出す。これより兄のフィーインと分離して、二点を基点にした半円を描きながら鋼の壁を形成するのみ。

 碎王は、透明な重力圧の壁を巨大に絨毯に見立てたその下で、打ち震えているナンシーを蔑む。

「人の言葉を話せるのなら、何故にこの地球へやって来たのかも語って欲しいものだがな」

 ナンシーは滾る溶岩に似た体液をぐつぐつと沸騰させながら、碎王を睨み上げた。遥々宇宙を旅したものが、たかだか百九十センチにも満たないちっぽけな人間如きに、踏みつけられようとは何たる屈辱――。ナンシーは食いしばる口の端から、溶岩流に似た涎をどろどろと溢しながら「ピュロンピュロロン」と呼号した。

 もはや我慢の限界だったか。溶岩石と真っ赤な流動体を核としたナンシーは、地団駄を踏んでぐぐもる内心に力を集結させて。重く抑えつけていた透明の壁を文字通り、その身を粉にした力で押しのけていた。


「碎王?」

 避難誘導を手伝うピックスから下車した宗谷が心配の声を上げても。通信で返って来る声に淀みはない。

『――何てことない。そっちはどうだ?』

 宗谷は人工の島と陸地を結ぶ唯一の橋のたもとに立っていた。確かに、あのくらいの反撃程度では碎王はびくともしないか――なる安堵感を、今さらながらに実感もして。

「最後の避難者をピックスが運んで行きましたが、これで全部とは言い切れません。今、フォックススロットが島を熱感知スキャンで――」

 逃げ遅れがいないかの、最終チェックをしているところだと告げる口が、開いたままで止まり。次に出た言葉は。

「……夕夜?」

 間違いない。宗谷の目は、確かに橋へ向かってよろよろと駆けて来ている彼の姿を捉えていた。と同時に。

「碎王!」

 逼迫した叫びを上げたグレヴリーと、「ゴッズ下がれ!」の怒号も聞こえた。「まずい!」と危機感を露わにしたオーガも島の中。上空を、鉄壁の防御壁形成にて旋回飛行しているフィーニーからも、「内圧急激上昇! 弾けるよ!」なる警告が発せられた。

 誰もがはっとした、その瞬間。ここまで一つの塊であったナンシーの溶岩巨体が、自らを爆発させて噴火させていた。


「ピュロロロローン!」

 堪忍袋の緒を切らせた噴火に伴い、大量の岩石や溶岩弾が辺り一面に落下してくる。真っ赤な火の粉を振り散らし、爆発的憤慨の煙は上空高くにまで立ち昇り。火山雷とも呼ばれる摩擦の雷が更なる摩擦を呼んで不気味に稲光る。

「危ない!」

 マグマの弾丸がヒュンヒュンと襲い来るものを避けていたグレヴリーに、ジルが後ろから体当たりをかます。

「はっ!」

 その途端、グレヴリーが立っていたところへ、より小粒な、高温蒸気も粘土の高い礫が命中していた。

「ジル!?」

 グレヴリーは、二人縺れてごろごろと転がった先で動かなくなったジルに気を取られた。そこで、内側から大爆発したナンシーの、百メートル近かった本体こそ約半分にまで背丈を縮めたものに見下ろされ、怒れし目と目が合い危殆に瀕する。

「――こんのくそったれが!」

 奥歯をぐっと噛んだ歯ぎしりと。

「碎王! 大丈夫か!?」

 抑えつけていた足元をひっくり返され、後方一回転した碎王がオーガに抱き起されるとともに。

「フォーックス!」

 上空に立ち昇った噴煙は仕方なしにせよ、人工島より外の地域に飛び散る被害を最小限度に抑えたかった碎王の思惑と。「駄目!」なる叫びが混同した時も同じく。二度とはお目に掛かれない閃光の雷撃が落ちていた。


 落雷の予兆はあった。雷雲も確かに近かった。予期せぬ火山雷も発生してしまった。なれど、音もなく何本もの稲光が、空から地上へと降りしきり。また地から空へと昇ったものも引き連れた稲妻の筋を、四方八方にまき散らして何度も往復さえして見せた雷は。人工島を真っ二つに穿って斬り裂く、野太いプラズマ波動の荷電滝となって着雷していた。

「はっ!」

 フィーガの面々でさえ、幕電閃光の強さだけで思わず腕で顔を覆い、咄嗟に地に伏せもした強烈な爆雷であった。

 一つの飛行物体より二手に別れ、火山弾の被害を遠くへ及ばせないよう鉄壁構成を急いた形成も展開途中であったフィーインとフィーニーの体にも、雷電は直撃していた。

「がはっ!」

 雷光の残影も棚引くその宙で。二つの機体はそれぞれ一瞬にして飛行機能と思考回路をショートさせてしまい。プルアップ機能も間に合わず、のの字を描いたベイパーコーンの渦を巻き込みながら。海面に対して四十五度の角度で墜落してしまう。

 更にその最後を飾ったのは、耳を劈く凄まじき大爆音と。空振さえ軋ませた荷電雷爆の金切り声だ。光ってから数秒経っても、まだ空響を反復している雷音もやまない。

「橋が!」

 宗谷の驚愕と。

「あぁやばい! 倒れるぞ!」

 オーガたちの叫びも同時であった。

「落ちる!」

「退避ーっ!」

 直径にして六百メートルにも満たない人工島の中心へ向かい、全長五十メートル級の溶岩石の塊が、仰け反りながら倒れ込む。

 宗谷の目には、複数の先駆放電路先ともなった橋へ直撃した主電撃により、分厚いコンクリートが砕け、むき出しになった鉄骨すらもバチブチと焦げ付き、火花を飛ばしてくの字に曲がりながら崩落してゆくさまが映り込む。

 爆雷の余波にて、人工島へ渡された唯一の、全長百五十メートルもの頑丈な橋が。たったの一撃雷により激しく損傷して落下してしまったのだ。

 橋と共にあった街灯も欄干も、最初は行きたくないと踏ん張っていたものの、結局はドミノ崩しの流れに逆らえず、悲痛を啼きながら海の藻屑と消えてゆく。


 ――何てこと! 何たるエネルギーの超放電かと、宗谷は我が目を疑いながらすぐに、大量の煙を吐きながら原型を失った橋より真逆を顧みる。

 ナンシーが怒りの咆哮を上げたその時に、あの子も驚き立ち竦んだ。そして突如の爆発的噴火を目の当たりにして、飛んで来る火山弾を避けるかに掲げた、その手が――。

「夕夜? 夕夜!」

 宗谷は、ドーンと地に崩れ落ちて砕けた地響きには目もくれず、雨に濡れる地にぐったりと倒れ込んだ夕夜に駆け寄った。

 焦げ付く匂いが漂っていたので、まさか落雷の直撃を受けたのかと体中を確かめた。特に火傷の痕などは見受けられなかったものの。左手首と右足首に装着していた、アンディ特性の静電気防止用のバングルが、粉々に砕け散って外れている様に注視する。――まさか。この子が。

 そして夕夜も、遠のく意識の中でぼんやりと自覚していた。――何だ、僕自身が落雷の根源だったんじゃないか。笑える? ううん。全然笑えない。

 だって痛いもの。とてつもなく右手が激しく痛んでいる。――また折れたのかな。そう思う意識を保てず、夕夜はすぐに手放した。

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