第8話 ここから始まる


 夕夜が入院となった二日目の朝に、宗谷が再び病室を訪れていた。

 昨日と違い、碎王やグレヴリー、ジルの姿はなかったものの。代わりに現れたのは――。

「えっ? ひっ! ひゃー!」

 接触を避けたい夕夜が避ける間もなく、いつぞやのスチームパンク風青年が夕夜のベッドへと突進、飛び込んで来ていた。

「おはよう! 僕もお見舞いに来たんだよー?」

 容赦なく頬を頬ですりすりと擦られる、大型犬による過剰なスキンシップを受けたかの夕夜の表情が引き攣る。

「んあっ? うへぇ?」

「君ってば、どんくさいんだって?」

 いきなりの交流も激しい彼は、夕夜の右手を見入る。

「んーっと、骨折具合は――おうふ。九十八パーセント? まだ全然治ってないじゃーん?」

 当然だ。薬指に至っては折ったばかりだ。

 ――何だ、この人。初対面に近いのに、随分とパーソナルスペースが狭すぎやしないだろうか。

「ちょっと、フィーニー」

 遅れてやって来た宗谷が、フィーニーの襟首を掴んで引き離す。

「夕夜君は怪我人なんだから」

「やだ。僕も夕夜と遊ぶ!」

「彼は怪我してるの。体調も良くなくて入院してるの。遊ばないし、騒がしくしないで?」

 宗谷に嗜まれてようやく、フィーニーはむっと口を尖らせながらも大人しくなった。

「ごめんね、夕夜君。びっくりしたでしょう? フィーニーは普段ずっと上にいる事が多くて。人とスキンシップする機会が少ないから」

「僕さ、お見舞い? ってヤツしたことなかったから。面白そうだと思ってついて来たんだー?」

 にぱっと笑った笑顔に夕夜も釣られる。――あぁ、そうですか。テンションが高いというか、何というか。一風変わった人過ぎる。

「僕、フィーニー」

 自身の安全圏テリトリーを確保できた夕夜が、ここでようやく落ち着きを取り戻した。


「……あ、天城、夕夜です」

「あまぎゆーや? 長いね。夕夜でいい?」

 フィーニーは了承を得る事もなく遠慮もなしに、夕夜のベッドサイドに腰を浮かせて乗り上げた。そしてそのまま、夕夜の両頬に陶器のように白く艶やかな両手を添えて。「んーまっ」と額に口づけを落とすのだった。

「わーっ!」

 突然の出来事に夕夜は固まった。額とはいえ、男からキスを贈られるなど生まれてこのかた初めてのこと。

 病室内にある唯一の丸椅子を取り返して腰かけた宗谷は、やれやれなる苦笑を漏らしている。

「フィーニー?」

 ここで夕夜も気づいた。――静電気が起きなかった。この人も、と言うよりも。

「あの……。フィーニーさんって人間、なんですか?」

 思わず素直に訊ねてしまった。だって、見た目は十代後半から二十代前半の成人であろうに。その中身はぜんまい仕掛けの――あれは到底、人とは思えなかった。

 左目に大層なゴーグルを装着しているフィーニーは、にこりと笑って夕夜の肩を抱く。

「僕? 百パーセント人間だよ? 元は、だけど」

「え。も、元は……?」

 やはりこの人も普通ではないのか、と思ったところに。

「盛り上がってるところ、邪魔しても――いいかな?」

 昨日も訪れてくれていたアンディが来訪していた。


 フィーニーはアンディに目もくれず、赤面している夕夜の顔を至近距離で覗き込む。

「どうしたの、夕夜。顔真っ赤だよ? 体温は――三十六点五度、熱はないみたいだけど?」

「フィーニー。人のバイタル、勝手に覗かないの」

 宗谷が呆れ、左手で顔を覆う夕夜はしどろもどろで答える。

「だって、いいい、きなりひひひ、額にちゅーとか……っ!」

 思い出しただけでも恥ずかしい。

「何で? ただの挨拶でしょう? 心拍早いね。脈拍と鼓動も上昇。どうしたの?」

 小首を傾げたフィーニーへ、宗谷が口を挟んだ。

「日本ではそういう風習、あまりないから。そうしたハグとかも、慣れてないから加減してあげて?」

 ならばフィーニーは、そうした風習のある国の育ちなのであろう。告げられた本人が、真っ先に夕夜へと確認していた。

「だったら、夕夜はどういう時にハグとかキスするの?」

「え?」

 フィーニーが密着している所為で視線しか泳がせることしかできない思考の中で、考えた。改めて口に出すのも恥ずかしいけれど、フィーニーはじっと夕夜の発言を待っているのだから、言わずには終われないと覚悟を決める。

「えと……ききき、キスはその、恋人とか、親しい人同士でするもの、だと思うし? ハグは、友達とか、気心の知れた知り合いとかでするもの、かな?」

 言い終えてから、夕夜も疑問を呈した。

「だって、フィーニーも。こうやって親しくしたりするの、普段は友達とかにするんでしょう?」

 するとフィーニーは、こてんと小首を反対側に傾げた。

「僕? 友達なんていないよ?」

「……え?」

 会話が噛み合わずに、夕夜は宗谷やアンディに視線を向けた。ならばフィーニーは、彼らを何と思っているのだろうか。それを張本人も即座に察した。

「あぁ。だって、あれは同士みたいなものだし?」

「同士……。仲間、とかじゃなくて?」

「うん。そうだね、チーム。うん、確かに時々、仲間とも言うかも。でも友達じゃない」

 きっぱりと言い切っていた。

 病室の中に沈黙が訪れ、宗谷が口火を切る。

「夕夜君は、お友達、いないの?」

 それを訊ねるには酷な質問だと解っていながらの、問いかけであった。


「……友達、って呼べるほど親しい人は、いないかな?」

 友人、知人もいたけれど。自ら接触を避けるようにしてからは猶更、人との関係は薄くなっていっていた。

「じゃあ友達になろう!」

 フィーニーが突如の申し出でいた。

「え?」

 何を言い出すのかの、眉間にしわを寄せた夕夜が取り繕う間にも、フィーニーは先を進める。

「僕、もう夕夜にハグもキスもしちゃったし? これで友達!」

「わっ、ぐっ!?」

 密着させていた体を抱き寄せ、更に熱烈なハグを施した。

「さ。これで僕らは友達になったよ? 僕も友達が出来たの初めてだから。夕夜が友達、第一号!」

 さも楽しげに嬉々として訊ねる。

「で? 友達になったら何するの? 僕、どんな事をすればいい? 何でも言って?」

 夕夜は半眼になって思った。おもちゃを投げて遊んで欲しい子犬の目をしたこの人は、至極面倒臭い人ではないだろうかと。

 しかし最初は怖くて、末恐ろしい人かとも思ったけれど。どこか憎めず、面白い人だとも思い。若干引き攣った笑顔を綻ばせた。

「……とりあえず、普通から?」


「――そろそろ。俺の用件もいいかな?」

 ここまでずっと黙って見届けていたアンディが進み出た。

「実は、これを作ってみたんだ」

 すらりと整った長身の、逞しい手の中に二つのバングル――ブレスレットが握られていた。

「昨日の今日で、急ごしらえしたものだから。見た目は勘弁して欲しい――」それに。「俺は医者でも科学者でもないから。君の静電気発生のメカニズムとか、難しい事は解明できなくても」

 接触による放電衝撃を、これで軽減することを可能にする装置を作ることは出来る。

 アンディはそう言って、夕夜の左手首と右足首に、二センチ幅の浅葱鼠したバングルを取り付けてやった。

「今もこうして、体がベッドに接着しているし。歩いたりしている時も、体のどこかが、床か何かに接触していれば。そこから静電気が逃げる仕組みになっている。――オーガ」

 ここでアンディは、廊下で待っていた相棒を呼び寄せた。

 彼は、夕夜との接触で静電気が発生してしまうタイプだと思われていて、まだ触れていない御仁である。

「大丈夫。触れても平気だよ」

 とは言われても、やはり弾ける一瞬の衝撃が怖く。夕夜は尻込む。

「ん、でも……」

 これまでに幾つもの静電気防止用グッズを試してきた。そのどれもに、期待したほどの効果で応じてくれたものはない。

「夕夜君」

 宗谷は優しく述べた。

「アンディの技術は凄いから。絶対、大丈夫。信じて?」

 そしてオーガも自ら進んで歩み寄る。

「実験台にされるのはいい気分じゃないいが。――改めて、俺はアロウズのオーガだ。よろしくな?」

 一度は右手で。あっと気づいて左に差し直された手を、夕夜はしばらく眺めていた。握りたいのに、握れなかったもの。それが今、目の前にある。


 がっしりと男らしい手に、おずおずと、たどたどしく左手が伸びた。

 意を決し、目を瞑って触れた――衝撃は、何も起きなかった。

「……っ」

 夕夜はぺちぺちとオーガの手を何度も触った。けれど摩擦の静電気は発生せずに、暗い表情は一変して喜びの笑みを爆発させた。

「凄い! 起きない、です! 静電気、起きませんでした!」

 とびきりの笑顔が溢れたことで、病室の雰囲気もがらりと変わった。

「良かった」

「良かったな!」

「やったね、夕夜!」

 オーガに頭を撫でられ、フィーニーより頬擦りを受ける中で。夕夜は静かに微笑みを携えているアンディを仰ぎ見る。

「あ、ありがとうございます!」

 どんな賛辞を送っても足りない夕夜の眼に涙も滲む。

「ありが、とう……んっ、ございまずっ!」

 こんなに嬉しいことはない。長い間、誰にも何にも頼れなかった辛い悩みの一つが晴れて。緊張やら、堅く結ばれたまま解けなかった紐の塊が、ほろほろと解けてゆく感じが止まらない嗚咽となった。


「根本の解決策にはならなくても、こういった物は作れるから」

 何かあれば、いつでも相談してくれとアンディは言った。そして。

「こうして悩みを相談できる相手が出来て、心配ごとも大丈夫だと思えば。少しは気分も楽じゃないか?」

 夕夜は涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を曝け出しながら、「うん。うん」と頷く。

「ありっ、がとっ。アンッディ、ぼくっ、嬉しっ」

 しゃくりあげるもので言葉も声にならない。それでも夕夜は、がっしりとして逞しいアンディの腰にしがみついて縋った。そして何度も何度も、ありがとうなる礼を繰り返した。

 その光景を、病室の入り口近くから覗く目があることなど誰も気づかず。フィーニーだけが、「アンディずるい! 僕が一番の友達になったのに! 僕もぎゅーする!」と騒ぎ立て、夕夜越しに自分も抱き付く三重巻きを作り上げ。再び宗谷に首根っこを引っ張られる騒動は、和やかな内に終息していった。


 まさか。こんな結末を迎えるなんて――。

 夕夜はフィーニーたちが騒々しくも病室を後にして、一人になった時間を満喫している。

 何度も何度もアンディが授けてくれたバングルを触り、様々な物にも触れた。

 触れる喜び。静電気が起きない歓喜で心も体も踊る。あぁ何と素晴らしき、この世界!

 昨日の午後に学校の教員が病室へやって来て、夕夜が移れそうな寮付きの学校は神奈川になると言われたものも。どうだっていい。

 不気味な手紙のことも、退院して場所も環境も変わればきっと、関係なくなるだろう。

 何もかもが些細なことだったのだ。

 全てが上向いた開放感で、夕夜は希望で満ちていた。

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