第7話 接触衝動
メアリー飛来騒動から一日が経っていた。
一夜明けた世間は今も騒々しく、騒がしいものが苦手な夕夜はテレビもつけず、入院を余儀なくされた病室でじっと、出されたまま手付かずの朝食を眺めていた。腹は減っているけれど、食べられない理由が別にある悩みとなって先行している。
そこへ到来を告げるノック音を経て、フィーガの宗谷が顔を出した。
「おはよう。……眠れた?」
そう告げながら、宗谷はベッドサイドの丸椅子に腰を下ろす。
「……いえ、あんまり……」
「そうみたいね」
宗谷は、夕夜の眼の下に薄っすらと表れている睡眠不足の隈も見逃さない。
「指、痛む?」
夕夜は薬指も骨折していた。これで小指に続いて二本目、立て続けの負傷となった。
「あ、いえ……。そうじゃなくて、あ。それも、あるんですけど……」
夕夜はぽつぽつと、眠れなかった経緯を語った。
夜中も体温や血圧を測りに来る看護師――に患者の眠りを妨げる意志はなくとも、気配に敏感であり、触れられる事で静電気が発生してしまい、どうしても目が覚めてしまう事で熟睡に至らなかった。
実のところはもう一つ、口に出して言うには恥ずかしいような件は枕の下に隠し置く。
「そっか……。痛み止めもあまり効かないみたいだし。眠れない件も含めて先生に一度、相談してみよう?」
薬の効果は人それぞれであるのだからと宗谷が述べ終えたところで、病室に次なる訪問者が現れた。
時は午前九時前。
「よぉーす! 邪魔するぜ?」
夕夜は疲れ切った表情のまま、来訪者の姿を認めた。――あれは、いつかのあの人だ。
グレヴリーは夕夜に向けて手を挙げての挨拶をしてすぐに、宗谷へと呟く。
「アイアンウォールの撤収、後始末も完了したんでフォックスは上に戻った」
「ありがとう」
応じた宗谷は、夕夜に向き合う。
「僕たちの役目は終わったから、そろそろ引き上げるんだけど」
どうしてだか、栄養失調気味でもある君の事が気になって――。宗谷は優しく夕夜に告げて。グレヴリーも用意されている朝食が手付かずであることに気が付く。
「なんだよ飯、食わねぇのか? しっかり食わねぇと元気も出ねえぜ?」
ベッド枠に手を置いたグレヴリーがお節介を焼き、サイドを回ってスプーンに手を出そうものなら。夕夜はびくりと跳ねて接触行動そのものを嫌がった。
「……なんだよ? どうした?」
「あ、の。ご、めんなさい。僕、静電気が凄くて……」
前回も今回も、骨折箇所を固定するシーネを取り付ける医者や、包帯を巻いてくれた看護師たちすら接触する度に苦労を余儀なくされた。
「静電気?」
何の事かとグレヴリーは宗谷と視線を合わせ、宗谷は小刻みに首を横に振った。ところが好奇心旺盛なグレヴリーは、それくらいが何だと夕夜の腕に試しの手を伸ばした。
「あ。駄目!」
「おおうっ! いぃって!」
バチと弾かれた静電気の洗礼を受けた手を振り払う。
「凄ぇなお前……」
触れられた夕夜にもその反動が返ってきていて涙目になっているものを、宗谷はしかと見届けていた。
「――その過敏な静電気、いつからなの?」
宗谷は、夕夜が銀スプーン類やプラスチック製では碌に食事も取れない事を確認してから、仲間に向けて、別な素材での食器類を早急に用意して持って来るように指示をしていた。どの道、引き上げる面々とは近くで合流する手筈だったのだから、使える者は何でも使うが宗谷流である。
それから二十分と経たない内に、買い出しを要求されたフォックスを除くフィーガの面々が、狭い病室の中に出揃う場面と相成った。
「一年くらい前から、です。最近まではこんなに、酷くなかったんですけど……」
このところ酷過ぎてと落ち込む夕夜を、屈強な戦士たちは不思議そうな目で見つめた。
「でもよ、宗谷は触っても平気なんだろ?」
「そうみたい」
「なぁジル、お前ちょっと触れてみろよ? すんげーの、静電気」
面白がったグレヴリーを宗谷は制した。
「やめて。触られたこの子にも痛みが反復するんだから」
「……悪い」
グレヴリーが一歩と下がったところで宗谷は言った。
「多分、僕が大丈夫なら。碎王とアンディも触れて平気だと思う」
「あ?」
「どうして?」
「とにかく、やってみてくださいよ」
試しに二人が、最初は恐る恐るでそっと触れて、やがて大きく触っても夕夜との間に静電気は発生しなかった。
それは夕夜にとっても随分と驚くべき結果であった。触れても平気な者がいるだなんて、これまで会った事がなく。考えたこともなかったのだから。悩みの種が一つ、ぽろりと落ちて割れた気がする。
「ってか、何でだよ?」
不満を露わにしたグレヴリーに宗谷は述べる。
「ジルとオーガは駄目だと思うから、触れないでね?」
よって、初めましての挨拶兼握手は厳禁なる流れとなり、自己紹介は簡潔に済ませられた。
「何だよ。何の違いがあるってぇーんだよ?」
「まぁ、人によるからじゃない? 静電気を貯めやすい人とか、放電しやすい人とか、それぞれでしょう?」
宗谷は夕夜に向き直る。
「それが怖くて、人や物との接触をずっと避けてたの?」
落ち込む頭が小さく頷いた。人や物との共存社会で、それを望んでも難しいことは本人が一番よく分かっているのだろう。
「ご両親は?」
この事を知っているのかと訊ねれば。夕夜は虚ろな眼差しで語った。
「一年前の、ヤンキー襲来で……」
災害孤児となった。幸い、両親が残した学資保険や遺産により学校には通えていて、一応の生活基盤も築けている。昨今、夕夜のような飛来外来種による災害孤児が多くなり、その待遇についての国会審議は現在も、法案整備と議論の真っ只中で宙ぶらりん状態である。
「ごめん」
辛い事を思い出させてしまった宗谷の添い手が夕夜の背を撫で、碎王は腕を組んで記憶を辿った。
「あれか。あいつもまた妙な特性持ってたよな?」
昨年、日本としては一年振り二度目となる外来種の襲撃を受けた。
電線を好み、幾つもの発電所が襲われ被害は広範囲に及び、相応の被害者も多く出た事案となり。それにより日本も本腰を上げてフィーガへの信用を厚くし、活動に信頼も寄せる協力を惜しまなくなった機転ともなった。
「もう僕、この静電気で誰も傷つけたくなくて……」
ドジな自分が生き残り、折角生き延びたのに――。夕夜の目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
壁際で腕を組み、話を静かに聞いていたグレヴリーがベッドサイドに進み出た。
「何言ってんだよ? それも充分、お前の凄い特技だと思いな?」
「……え?」
涙で頬を濡らす顔がグレヴリーを見つめる。
「お前さんが。痩せっぽっちでドジなのも一つの個性で、一つの才能なんだよ」
「才、能?」
こんなものが、と夕夜の眉間にしわが寄る。
「あぁそうだ。誰にだって一つはあるもんだ。例えそれが特殊で、周りから変人異人扱いされようともな」
それがどのようなものであろうとも、ちっとも変ではないとも言う。その特技を生かした集まりで、フィーガも成り立っているのだから。
「少なくとも。俺にはそんな芸当、到底できやしねぇ」
夕夜は視線を落として負傷の手を眺め、グレヴリーは言い切った。
「お前さんにしか出来ねぇことがあるんなら。いつか、必ずそれが役に立つ時が来るんだよ。誇れる時もな」
何の根拠があって、彼がそう告げているのか分からずとも。嘘偽りなく励ましてくれているのだと夕夜は気づけて、笑みが綻ぶ。――誇り、だなんて考えたこともなかった。
「……ありがとう」
グレヴリーは「こちらこそ」と言って小指を指した。
「すまなかったな。小指の骨折、俺の所為だったんだろ? もう少し、優しくタックルしてやりゃあ良かったなぁ?」
「え? あぁ……」
夕夜は涙を拭った。
「いいんです。僕、結構普段からドジするから。多分、自分から転んだ時に、折れたんだと思う」
そしてグレヴリーを見つめた。
「ごめんなさい。あの時のお礼、まだ言ってなくて……」
助けてくれて、ありがとう。
おどおどと怯えていた少年が、僅かながらに一歩を踏み出そうとするその言葉が、病室の中を温かくしていた。
そして夕夜は心の中で思った。もしやこの静電気の力は、本当に何かの役に立つものなのかも知れないと。
もしかしたら、その内。プラズマ放電を発生させて雷を落とせるようになったりして――。そうなると楽しいだろうな。彼らフィーガのように世の為、誰とも知れない人の為に役立てられるのならば、何と凄くて格好良いことだろうかと。
そう考えると、先の不安など打ち消す動悸がわくわくしてきて。肩の力が抜ける思いであった。
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