第2話 ブラックアウト


「――聞こえる? ねぇ!」

 キーンと尖った耳鳴りが頭の中でわんわんと響いていた。騒々しいのは夕夜を取り巻く周囲の状況も、さほど変わらず混沌で満ちているようだ。

「君、わかる?」

 ぼんやりとしたまま、焦点の定まらない仰向けの夕夜に誰かが覆い被さって呼びかけている。

 青く高い空に向かって、地上から灰色も混じる黒煙が濛々と湧き上がり、風にも乗って流れていく光景を背景にした青年が夕夜の顔を心配そうに覗き込んでいた。

「すぐにお医者さんに診てもらおうね」

 微笑みながら優しく語り掛けてくれている好青年は、穏やかな口調で夕夜に話しかけていた。とても綺麗な人だと夕夜は思う。なれど立て続けに起こった事態そのものを、まだ思考も体もその全てを受け入れられていない。

「あ……、の?」

 ようやく痺れが残る体の不調も押して、言葉を発しようとした。けれど、トランシーバーらしき通信装置を片手に持っている青年は「無理をしなくて良い」と優しく手を添えてくれている。

「もう大丈夫。片付いたから安心して?」

 ――そうか。終わったのか。ならば自身は生き延びたのだと実感できても、爆発と雷撃の余波を受けた夕夜の体は動かなかった。

 大勢の人が我先に悲嘆や怒号を飛ばし。近くて遠いところからも鳴りやまないサイレンが段階的に轟く上空を飛び交うヘリコプター音も煩い。ピンと張った緊張感をひしひしと感じているのに、体は重くて酷くだるい。右手の小指にぴきりと走った鋭い痛みで苦痛も滲む。

 夕夜に寄り添っている青年は手にしている通信機に口元を寄せた。

「シーラトゥーより移動指揮所。至急、ブラックホークを現場へ。負傷している民間人、未成年らしき少年を一名、病院まで移送する」

 すると直ちに了解、向かわせるとする即答が通信を介してなされていた。


 夕夜は未だ混乱で混線している記憶を辿った。「あの、僕……一人じゃ――」なかった。そう言いかけた時に。じゃりと土埃や瓦礫を踏み込む頑丈な編み上げブーツが、横たう視界の端に見えた。

 全身を黒い武装服で覆っているその男は、すらりと整った屈強な容姿で小首を傾げている。

「生きてるか、坊主?」

 その声に聴き覚えがあった。最初に聞いたのは「くそったれ」なる汚い言葉だったはずだ。

 短く刈り上げた頭髪で、顎にはちょび髭を蓄えたこちらも好青年の部類に入るだろう男は、夕夜の傍で膝をった。

「逃げ損ねちまったんだろうが、心配ない。もう大丈夫だからな?」

 そう言って夕夜の頭を撫でかけたその手は、ぺちりと跳ねのけられてしまう。

「グレヴリー。この子、脳震盪の可能性があるんだから。気易く触らないで」

 男は両手を上げて降参の態度を示した。

「おおっと、こりゃ失礼」

 おどけた態度のまま立ち上がる。

「んじゃ俺は、ジルと合流してリマの後片付けに参加してくる。宗谷、お前は?」

「僕は――、この子に付き添って病院まで行ってくるから。碎王にもそう伝えて?」

「了解」

 そうしてグレヴリーが颯爽と身を翻し、騒動の中心となった瓦礫の山へ向かって行くその背を。ぼんやりと眺めていた夕夜は酷い眠気に襲われ、意識を手放していた。


 次に気が付いた時には病院のベッドで横たわり、白い天井を眺めていた。他には白いシーツ、白いカーテン越しに忙しなく走り回っている病院スタッフの姿が見える。

 広い治療室の天井に吊り下げられているテレビモニターの音声は、夕夜が横になっているベッドまでは届いてこない。けれど、中継ヘリが映し出して惨状を伝えている映像ははっきりと見て取れた。

 テレビ画面に流れているテロップでは、今年に入って地球へとやってきた飛来外来種の十二番目に数えられた、通称リマはフィーガが完全撃破して脅威は去ったと報道されている。

 跡形もなくぺしゃんこに潰された校舎の一部に、大きくのしかかりながら朽ち果てているもの。その原型がどのような形であったのか、今となっては判別がつかないほど弾けてぐしゃぐしゃになっている巨大な肉片――あれがリマか。敷地の一部を大きく陥没もさせた窪地に突き刺さっている破片のような、三本の巨大な骨らしきものは一体何であろうか。不気味としか言いようがない。

 夕夜はつい先ほどまで自分があの現場近くに居合わせた戦慄が甦り、今さらの身震いで慄く。静電気体質を必要以上に怖がられて避けられたりもしたけれど。それなりに友達はいた。先生や他の生徒たちの安否を思うと胸が痛む。

「ん……」

 憂いながらベッドの上に上半身を起こした夕夜は、違和感を覚えた右手を眺めた。小指全体から手のひらを経て手首に至るまで巻かれた分厚い包帯が目に入った。動かそうにも小指に沿って堅いプレートが添えられている為に、全く動かなかった。鈍く走っている痛みの原因はこれの所為か。

「――気が付いた? 良かった……」

 白いカーテンが引かれる音と同時に、宗谷と呼ばれていた男が安堵しながら姿を現していた。


「僕はフィーガの宗谷」

 宇宙空間より遥々この水の惑星へと飛来しては、地球の生態系を脅かす外来種を駆除する緊急対応に特化した特殊戦略部隊SFGA、通称フィーガはここ数年で国際的地位も確立した結果、報道などでもその名を聞かない日はない。夕夜は、目下地球丸ごと防衛中である連合部隊の自己紹介を夢見心地で聞いていた。

 改めて、初めましてと朗らかに告げられている挨拶も爽やかだ。黒いチノパンに白いYシャツ姿というラフな恰好の宗谷は、ベッドの端に腰かけながら訊ねた。

「きみ、自分の名前――、言える?」

「あぁ……えっと。天城、夕夜……です」

 宗谷は手に持ってきていたウェットティッシュで、夕夜の顔にうっすらと残っている汚れを拭う。

「歳は?」

「十六、です」

「あの学校の生徒?」

「……はい」

 そう答えた時、またどこかへの転校を余儀なくされるかも知れない心配も募った。

「ここがどこだか分かる?」

「えと……、どこかの、病院?」

「正解」

 宗谷はにっこりと微笑みながら、脳震盪の症状がごく軽いもので済んだ事に関して「良かった」と言った。

「最前線の戦況に巻き込まれたの、覚えてる?」

「……いえ。あんまり……」

 リマが飛来する光景に驚き、背後からやってきた風圧で飛ばされ。転がった先で二度目の風圧に押された。眩い閃光で目がくらみ。三度目の衝撃は確か、覆いかぶさってくれた例の――、グレヴリーなる快活な若者によって事なきを得た。そのどれもが瞬間的なもので、はっきりとは覚えていない。

「小指は――」宗谷は夕夜の右手に視線を定めた。「中手骨を骨折してるから、全治一ヶ月くらいかな」

 その他の体には異常は認められず、特に入院の必要もないとの説明を受けるものも。夕夜は上の空であった。本当にこれからどうなるのであろうか。学校は、勉強は。日常は――。


「――宗」

 二人のベッドに大柄な男性がのしのしと近づいて来ていた。頼もしき顔つきをくいっと捻り、宗谷だけを呼び寄せていたので宗谷は、「ごめん。ちょっと待っててね」と言い残して男のもとへと歩んで行った。

「碎王。現場はもういいんですか?」

「放出の算段が整った。サーティーンの準備を頼む」

「早いですね?」

 病院スタッフの邪魔にならないよう壁際を選んだ碎王は、腕を組みながら肩を竦めて見せる。

「思いのほか燃焼が速くて、楽に事が進んだ」

「厄介な固形系でなくて助かりましたね?」

「あぁ。被害は大きかったが、短期決戦で済んだ事に関しては、政府から早速労われた」

 そんな――何が労いだと宗谷は天井を仰ぎ、手で顔を拭う。犠牲者と負傷者が大勢出てしまった。悲しみに暮れている者も多いというのに。人類という大きなカテゴリーの存続に比べれば、そう捉えざるを得ないのも実情ではあるけれど。だからと言って、少数が犠牲になっても良いという道理はない。

 碎王は続けて述べる。

「勿論、こっちだって本意じゃない。作戦通りに事は進んでた」

「当然です。着地誘導にも問題はありませんでした」

「解ってる。あんな街のど真ん中にリマを着地させるなんて――」

 碎王は自ら切り出しておいて首を横に振った。

「とにかく。放出が最優先だ。コントロールを頼む」

 宗谷は訝しげに碎王を見つめた。

「今回ばかりは謎が多すぎます。僕たちの仕事は、ただのミス如きで済まされるようなものじゃないんですから」

「確かに。リマが自爆に至った要因と原因もまだ判明していないが、結果がこうなった以上、進めるしかないだろう?」

「それはそうですけど……。あれ、自爆と言うより明らかに落雷でしたよ? どこにも積乱雲なんてなかったのに――」


 夕夜は、ベッドの上で二人が交わす会話を虚ろな目と耳で聞いていた。

 そう言えば先ほど。宗谷がウェットティッシュ越しで肌に直接触れた時もそうだった。倒れていた時も、触れられたのに静電気が起きなかった。

 どうしてだろう。夕夜は包帯のないほうの手を眺めた。間違いなく素手である。なれど、常に指先を支配していたピリピリと疼く感覚がなくなっているではないか。

 もしや、非日常を体験したことでまさか治ったのか――。夕夜は途端に嬉しくなって口元に笑みを浮かべた。

 静電気がなくなっている。それは何より喜ばしいもの。早速、何かに触ってみようと嬉々として意気込み、手近にあった心拍や脈を計るベッドサイドモニタへ試す手を伸ばした。

 するとバチンっと大きな火花と音を立てて火の粉を散らした医療機器が、自らの破片を撒き散らしながらショートしてしまった。

「いっ――、った!」

 触れた本人にも感電の反動が返ってきてしまい、その身が飛び跳ねるほどの衝撃であった。

「何?」

「どうした!?」

 話し込んでいた宗谷と碎王も、揃って振り向く即座の反応を示した時、既に遅し。

「あ……」

「停電?」

「ん? 落ちた、のか?」

 有り余る過剰な逆流電を受けたコードを伝って、院内に張り巡らされている送電が瞬く間に麻痺してしまい、一瞬にして病院中の総電力が消失していた。

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