第2話 砂漠放浪テンイシャ
「意味が分からん……」
思わず呟く。こんな状況に陥ってもなお、そんな言葉しか出てこない自分の語彙力の無さに悲しさを感じるが、今はそんなこと眼前の砂漠に存在する一粒の砂のごとく些末で些細な問題だ。
暑い、暑い。とにかく気温が高い、しかし照りつける太陽が猛烈過ぎてすでに日焼けをしたかのように肌が痛い。カリカリになるまで皮を焼いたチキンステーキの心地だ。厚着とまではできなかったが、リュックサックの中に入れておいたタオルを頭に巻き、肌の露出を避ける。見た目は昔の小作人のようである。
テレビで見るような砂漠の人々が高温の中なぜあんなに布を体に巻き付けるのか、不本意ながら身にしみて分かってしまう。そんな経験したくもなかったのに。
そして、テレビかゲームの影響で知っていた情報で「砂漠の夜はクソ寒い」というものがある。俺の格好が初夏を見越したモノである時点で、夜になる前に何かしらの方法で砂漠を抜け出せないと俺は死ぬか、死ぬほどの苦しみを味わうということだ。
だから俺は当てもなく歩き出した。立ち尽くし、己の死を受け入れずに行動した自分をほめてほしい。
照りつける太陽の下、地面から立ち上る熱気、疲れ、乾き、焦燥、混乱……。様々な感情が頭の中でぐるぐると回るが、いちいち細かいことを考えている余裕など無いためただ足を動かす。
リュックサックの中にはスマホ、イヤホンの他に定期券、3264円の入った財布(人工革)、飲みかけのペットボトルの水、ノート、筆記用具……のみだ。水以外は砂漠で持っていても糞ほどの役にも立たないが、貧乏性のため捨てることもできず持っている。そしてもしかしたら、来たときと同じ様に突然帰れるのではないかという一縷の望みも持っていた。
歩く、ただひたすら歩く、歩く。一度でも水に口をつけてしまうとなし崩しに我慢できずに飲んでしまいそうだから、限界まで我慢し、飲むときは舐めるか唇を湿らす程度にしておく。
数時間、いや数十分? いや、そもそもまだ歩き始めたばかり? でも、さっき水を舐めたのは二度目だからそれなりの時間が経っているか?
歩いても歩いても変わらない砂漠の風景は方向感覚だけではなく、時間感覚すらも曖昧にする。無為な行動をする事ほど疲労は貯まる。疲労が貯まれば何も考えられなくなる。何も考えられないまま、「喉が乾いた」という本能的な欲求しか感じない。歩き続ける自分の足も、モーターで自動で動いているものをただ眺めているような心地になる。
ここはいったい何処なのか。そんな疑問は考えられなかった。広大な砂漠は異世界でも元の世界でも関係なく、生と死の合間の場所であるということには変わりはなかった。
一体自分が何を目指し、何のために歩き続けているのか、何も分からない。ただ漠然と生きるために歩いているのかもしれない。いや、そもそもこんなに苦しむまで生きる必要はあるのか? あの時、電車を降りたときに俺はもしかしたら死んで、ここは賽の河原なのかもしれない。
「あつ……」
気づけば、歩いていたと思った自分の体は倒れ込んでいた。一瞬意識を失い、ただ「熱い」と感じたのは肌の一部が砂に触れていたからだった。
あれ?
俺、なんで倒れてるんだろう。歩かなきゃいけなかったはずなのに……、いやそもそもなんで歩いてたんだっけ? わかんねぇ。でもここまで歩いてなんにもならなかったんだ、諦めてもいい頃かもしれない。この砂漠にやってきた時点で自分は死んでいたんだ、歩いていたのはただすでに存在しない「生」を夢想してもがいていただけで、最初からそんなものは無かったんだ。
死を覚悟したとか、そんなことじゃない。もうどうにもならないと諦めた。諦めると不思議と気持ちが楽になった。
ジリジリという熱の音をそのとき聞いた気がした。
「おい、生きてるか?」
そんな声が聞こえたのは、俺が諦めてから体感的には間もない時間だったと思う。言葉の意味さえ朦朧とした頭では理解できないまま、ただ「声」に反応するためゆっくりと手を熱い地面に突き、顔を頑張って持ち上げた。視界の焦点もあわず、声が聞こえた方向に顔を向けることしかできなかった。
逆光で顔は見えない。だが、「何か」に乗った人間がこちらを見下げる影、そして差し伸べられた手だけが分かった。その手を取ろうと、体を動かそうと頭が働くよりも前に、まるで糸で吊るされたかのようにゆっくりと自分の腕が持ち上がった。
その手が誰かに手を取られ、持ち上げられる。勢いよく引っ張られ腕の付け根が痛い。
助かったなんて感じられなかったが、これで砂漠から出られるのだと、これ以上死を感じなくてはいいのだと、やっと解放されたのだと、俺はこのとき思っていた。
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