前夜

 小屋の前で足が止まる。

 ウミネコのためにできる最善は、戦って倒し、力として吸収してあげる事だとチェコフは言った。

 負けてあげて彼女の力になってあげろ、なんて言えるはずはないのだから、それはそうだろう。

 だが、足が進まない。この中にウミネコがいるのか。どんな顔をして会えばいい? 彼女は僕を倒す覚悟を決めているのか?

 それとも、僕のために力となって消える事を選んだのだろうか。彼女の性格から言えば十分にあり得る。そうだとするとそれは僕のせいだ。

「彼女を取り戻すんじゃないんですか?」

 そうだ。躊躇しても始まらない。男だろ!

「…………ねえ。やっぱりまず謝った方がいいと思う?」

「知りませんよ」


 小屋に入ると、ウミネコはいた。

 席に着き、じっと前を見たまま動かない。

「ウミネコ!」

 椅子に座り、ウミネコを見る。

「お、怒ってるの? ごめんよ。僕が悪かった」

 だがウミネコは前を見たまま動かない。

 僕を見ているというより何も目に入っていない感じだ。

 横にいるメイドが書状を流すように渡す。

 メイド!?

 そこにいたのは男。若い、少年と言っていいくらいの男の子だ。黒い西洋の貴族のような衣装を身に纏い、綺麗な顔立ちにツンツンに固めた髪。執事バーの化身を思わせる。

 自分とは人種どころか種族が違う色男だ。

「な、なんだお前。お前がウミネコを?」

 彼女を奪った男のように食ってかかってしまったが、我ながら見苦しいと思う。

「ウミネコー、結局イケメンが良いわけ? 僕のために命を捨てるって言ってくれたのは、嘘だったの?」

 ウミネコの手に触れようと身を乗り出した僕を、アルカが肩に手を置いて制する。

「ふっ」

「あ、お前! 笑ったな! メイドが口出しちゃいけないんだぞ!」

 だが相手は涼しい顔で僕の言葉を流し、

「では、参りましょうか。お嬢さま」

 と言うとウミネコの手を取って出て行った。

 ハンカチを持っていたなら噛んで悔しがっていただろう。僕はただ見送るしかなかった。



「くそぅ。あいつは、あいつだけは許さない」

 乱暴に夕食を掻き込む。メイドは一様にやれやれと言いたげだ。

「メイドのせいじゃないにゃん」

「そうですよ! ご主人さまが悪いんでしょ?」

「ウミネコさんがかわいそうで……」

 とカスミは大袈裟に涙を拭う。

 むう~と叱られた子供のような顔でアルカのドリンク『ロコ・ココア』を飲む。

 ミルクコーヒーのような濃厚な甘さとコク。それでいて優しい口当たり。

 アルカのドリンクで少し落ち着いた。

「ウミネコを取り戻す方法は無いのかな?」

 もう何度目だ? という質問にも皆同じように首を振る。

「考えても仕方ありません。こうやって悩ませる事こそ敵の狙い。どうか、今日はもうお休みくださいませ」

 チェコフの言う事は正しいのだろう。

 それでも、僕は考えずにはいられない。

「ご主人様……」

 アルカに手を引かれ、小屋に戻される犬ようにアルカの部屋に入る。





 壁にかけられたヌンチャクを眺める。メイドの持つ武器は性能のヒントになるんだ。

「これは『フレイル』ですよ。変則的な攻撃が得意で威力もある。まあ、ヌンチャクと同じものですけどね」

 僕の考えている事に気付いたかのようにアルカが答える。

「アルカの機体って……」

「性能については話せませんよ」

 そうだったね、と下を向く。

 虹色の光沢のある大きな機体だったな、翼にライトみたいなのが並んでて……と形から想像を巡らせていると目の前にリボンの掛かった盆を出される。夜のスイーツか。

「ご主人様に余計な事を考えさせず、ゆっくりと休ませる事も私の役目ですから」

「……でも」

「私は勝ちでも負けでも消えないからどっちでもいいんですよ。でも私ウミネコさんはキライです。あっちには行きたくありません」

 アルカ流の説得なんだろう。僕は素直にリボンをほどく。

 中から出てきたのは、ティラミス。アルカの肌の色のように焼けて、クリームのように柔らかいチーズはほんのりピンク。

 指で触れると柔らかい。少し力を入れると崩れてしまいそうだ。傷つけないように気をつけながら弾力を楽しむ。

「正直、あなたはすぐに負けると思ってました」

「そ、そうなの? 見直してくれたのかな」

「見直してません」

 あ、そう。

「あなたが今生きているのは、執事の腕がいいからですよ」

「執事って、チェコフさん?」

「決闘は、先延ばしにする事も出来るんです。でもそれは、取り残される事を意味する。有利に戦いを進める為にはいかに早くカードを組むかにかかっています。あなたがこんな事をしている間にも、裏でカードの組み合いに奮戦していたんですよ」

 そうだったんだ。このメイドだらけのパラダイスには、いらないんじゃないかとか思ってごめんね。

「執事がいないか腕が悪ければ、ただ決まった戦いを消化するだけですからね」

 ティラミスを口に含む。柔らかくてすぐに溶け、チョコレートのコクのある苦みが口の中に広がり、やがて甘さがやってくる。

 濃くて、キツイ甘さ。まるで辛いと錯覚するほどの強い甘さ。少しむせてしまう。

 支配される、服従させられる喜びを与えてくるような甘美さに気を失うように眠りについた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る