風を切る桜のように
前夜
ぽかんと口を開けたままの僕に、メイドは主人を案内するように中へと促す。
「どうぞ中へ。ここにあるものは、全て旦那さまの物ですよ」
恐る恐る中に入り、見知らぬ家に連れて来られた猫のように警戒しながら周囲を見回す。
石造りの壁や床はごつごつとして荒っぽい。豪華なお城というより、ロビン・フットやジャンヌ・ダルクといった映画に出てきそうな中世の城だ。
小さなランプと窓から差し込む光があるだけでそれほど明るくはない。二階へ続く階段と横部屋の扉が一つあるだけの小さな空間で、城というよりは城塞と言った方がしっくりくる。
手作りしたかのような雑な木製テーブルと椅子があるだけで他には何もない。
そしてテーブルの向こうに髭を蓄えた執事風の老人が一人控えている。
いやー、突然これが僕の物だって言われても。
でも、中の物全部って事は……、とメイドを見る。
「申し遅れました。わたくし『うみねこ』と申します」
「ウミネコ?」
それって確かあのメイド喫茶の名前じゃ……。
あの煤けた感じはない。身綺麗で表情も明るい。でも確かに……、あの子だ。
こんなに可愛かったのか。
「このお城が? 僕の?」
「はい!」
「このテーブルも?」
「はい!」
恐る恐る老人を指差し、
「この執事さんも?」
「はい!」
更に控えめにメイドを指差し、
「き、き、き、……君も?」
「はい!」
躊躇なく答える。
何の冗談だ? そんなわけはない、そのうち「いいえ」と言うはずだ。
本物のメイドさんって確か身の回りの世話をしてくれるんだよな。
「何させてもいいわけ? 君に」
「もちろんです。わたくしは、旦那さまのものですから」
「何しても、……いいの?」
「はい!」
その後に思いつく「いいえ」と答えられそうな質問はさすがにできなかった。
「お金、取られるのかな?」
きっとそうだ。後で莫大な請求をされるに違いない。
「いいえ。ただ、旦那さまにはお仕事がございます」
やっぱりか。タダのはずはないと思った。でも、仕事って何だ?
「何を、すればいいの?」
ウミネコは執事の方へ促す。
「私は執事のチェコフです。以後、お見知り置きを」
と言って深々と頭を下げる。
正直これは「いらない」と思ったが、そういうわけにもいかないのだろう。
チェコフは顔を上げると丸めた紙を差し出した。
書状?
いかにもそういう感じの紙だ。羊皮紙と言うんだろうか。本物は初めて見た。
手に取り、留めてある紐をほどく。
何が書いてあるのか、とドキドキしながら広げると、読めるのはいくつかの単語だけだった。他は文字というより模様にしか見えない。
一つは僕のよく知る単語、『堤恭助』。僕の名前だ。
もう一つは『うみねこ』。このメイド娘の名前だよな。
もう一つは『ボンジョレ・ヌーボ』? これは分からない。なんか聞いた事ある気がするけど。
「これは?」
何も分からないので聞いてみる。
「決闘状です」
固まってしまった僕の腕をチェコフが掴み、
「ささ、これから対戦相手と顔合わせをしなくてはなりません。どうぞこちらへ」
「ちょちょちょちょっと! 待ってよ。僕は決闘なんて」
「旦那さまぁ。さっきなんでもすると仰ったじゃありませんか」
眉を下げて悲しそうな顔をするウミネコを横目に外へと連れ出される。このじいさん、なんて力だ。
城の外には小屋が出来ていた。さっきまでは何もなかったのに? どういう事だ?
チェコフは腕を掴んだまま、ずかずかと小屋へ向かう。
「バ、バリアないよね!」
さっきの痛みを思い出して身じろぎする。
「ご心配なく、テリトリーから出ない限りは安全ですよ」
小屋のドアが自動的に開く。
「さっ、どうぞ」
と中へ促す。この老人は入らないのか。
「参りましょう。旦那さま」
とウミネコが後ろに付いた。近い、近すぎる。膨らんだ胸が腕に当たる。
そうだ、確かに僕はこの子のために何でもすると言ったのだ。
決闘と言っても、何かのゲームだろう。そんな深く考える必要は無い。
足を踏み入れるまで中の様子は分からなかったのに、小屋に入った途端に中の様子が眼前に広がる。一体どういう空間なんだろう。
「遅いぞ。あんまり待たせんなよ」
小屋の真ん中に据えられたテーブルに足を乗せている男が荒っぽい声をあげる。
「佐原さん!?」
男の顔は見覚えがある。短く刈り込んだ髪を金髪に染めた作業着の男。バイト先であるサッシ屋の先輩、佐原誠だ。
「旦那さま。席へ」
と、ウミネコに言われるままにテーブルに着く。
「な、何やってんですか? こんなとこで」
佐原も自分と同じようにこの世界に来たのだろうか。
「ああん? 何言ってんだお前。これから何が始まんのか、分かってないんじゃないのか?」
え? と思った所で佐原の後ろにもメイドがいる事に気が付いた。
セミロングの髪の先端に少しパーマがかかっている。かけたというより天然だろうか。
体が小さくて、まつ毛が濃いパッチリした目の可愛いメイドだ。
赤いリボン、黄色い生地に大きなポケットの付いた変わったメイド服を着ている。
その小さなメイドが前に出した手には、短剣が握られている。
横にいるウミネコが同じように出した手には、……斧!?
木を切る斧というより、バトルアックスだ。両刃で装飾が美しい、中央にはダイヤのような宝石がはめ込まれている。
決闘と言ってたけど、まさかこれを使って戦えとか? 佐原と!?
動揺していると佐原がテーブルに足を乗せたまま書状を投げてよこす。
「何やってんだ。早くよこせよ」
「え? あ」
これの事だろうか。と持っていた書状を差し出す。
乱暴にひったくった佐原は、それを一瞥するとテーブルに置き、サラサラと何やら書き込んだ。
ウミネコが横からペンを出し、ここにわたくしの名前を、と言って書状を指す。
言われるままに「うみねこ」と書いた。
佐原はサインした書状を投げ返し、そのまま手を差し出している。
「なんだぁ、お前初めてか? ははっ、こりゃ勝ったも同然だな」
と言って大声で笑い出した。
ウミネコが僕のサインした書状を返す。
要するに互いに持ってきた書状にメイドの名前を書き入れたという事だ。佐原が投げ返した書状を見ると「
相手のメイドの名前か。
……という事は、この「ボンジョレ・ヌーボ」って……、この佐原の顔をした男の名前?
さすがに、この男は佐原本人ではないのだろうと思い始める。一体ここは何なんだ。
「さあて、帰って飯食って寝るか。こりゃ、何もする必要ないな」
と佐原モドキは奥の扉からさっさと出て行く。
「わたくし達も帰りましょう」
とウミネコ。どうやら今戦うわけではないようだが、これからどうなるのだろう。
「あの、今のは?」
「決闘前の顔合わせです。明日、旦那さまは今の人と騎馬に乗って戦ってもらいます」
「き、騎馬!? いや、僕は馬なんか乗った事ないよ!」
「ご心配なく、相手もあんな事言ってましたけど、あれも初戦ですよ。ちゃちな心理戦ですね」
「い、いや。そういう問題じゃなく」
と言っている内に城に着く。目の前だから直ぐだ。
「お帰りなさいませ、旦那様。食事の用意が出来ていますよ」
さっきの執事、チェコフがテーブルに料理を並べている。
……これは、本当にうまそうだ。
フランス料理のように皿の真ん中にポツンと品が置いてある。質素ながら色合いが鮮やかだ。
「あんたが作ったの?」
「はい、でもこのカクテルは、彼女のスペシャル『海辺の恋』ですよ」
ウミネコを見るとウインクしている。
「じゃあ、頂こうかな」
丁度お腹も減っていた。逃げるにしてもまずは腹ごしらえだ。
その間にどうやってバリアを突破するか考えよう。
だが料理を口にするとそんな事は考えられなかった。
肉っ気はなく全部果物や野菜のようだ。小さいながら実が詰まっていると言うかエネルギッシュな感じがする。
うまい。夢中になって平らげてしまった。食後にカクテルを頂く。
ウミネコのスペシャルドリンクだと言っていたな。薄くピンクがかった柑橘系、ピンクグレープフルーツだろうか。それをベースにソルティドッグのように塩がグラスに塗ってあるが、ノンアルコールのようだ。
人心地ついていると、
「旦那さま。明日に備えて今日はもうお休みくださいまし」
そうだ。明日決闘とか言っていたな。
「ねぇ。決闘って、どうしてもやらないといけないの?」
一応交渉の余地がないのか聞いてみる。
「だ、旦那さま!? どうしてそんな事を仰るんですか?」
と、わなわなと出した手にはさっきの斧が握られている。
「い、いやいや。一応、聞いてみただけだから! そうならいいんだよ。大丈夫! やるやる」
椅子から立ち上がり手を振って取り繕うと、ウミネコはホッとしたように胸をなでおろす。
「もうっ、旦那さまったらぁ。ビックリさせないでくださいましっ」
と言って斧の柄で鳩尾を突く。
声も出ない……。
「もう……、今度そんな冗談を仰られたらぁ」
斧を持った手を胸にもじもじしながら俯き、ウインクした顔を上げ、
「コロしちゃうぞっ」
てへっという可愛いそぶりで恐ろしい事を言う。
涙目になりながら周りを見る。
いかん、逃げなくては本当に殺される。
扉は当然施錠されているだろう。窓は……高い、小さい。二階はまだ行ってないな。まずは二階を調べるか。
「旦那さま、早くお休みくださいまし。今夜はこのウミネコがお伴致しますわ」
周囲を窺う動きがピタッと止まる。
「一緒に寝てくれるの?」
「はい!」
「じゃあ……、休もっかなー」
城内に一つだけあった扉の先がウミネコの部屋だったようだ。
広間と違い、白い壁の普通の部屋だ。外から城を見た形と間取りが合わない。四次元になっているのではなかろうか。
中は綺麗に片付けてある。ウミネコの見た目とは裏腹に大人っぽく落ち着いた感じのする部屋だ。
「旦那さま。夜のスイーツをお召し上がりになりますか?」
「スイーツ? いや、いいよ。もうお腹いっぱいだし」
「そうですか……」
心なししょんぼりしている。悪い事したのかな。
「今日は色々あって大変でしたから、お疲れですもんね。じゃあベッドに入りましょうか」
と言って壁に斧を掛ける。
こうして見ると豪華なインテリアという感じだ。ベッドから手の届く位置にあるのが気になるが。
ウミネコが添い寝をする形でベッドに入る。
確かにひどく疲れていたようだ。あっという間に睡魔が襲ってくる。
薄くなっていく意識の中でウミネコの声が聞こえた。
「わたくし、旦那さまが来てくださって、とってもうれしかったんですよ」
ウミネコが僕の頭を抱くように撫でる。
「もう、消えてしまう所だったのに」
あのお店の事かな。そう言えば、お店の名前も「うみねこ」だったな。
「ウミネコは、あの店の店員だったの?」
「いいえ。店員さんはただのアルバイトですよ。わたくしは、お店そのものなんです。旦那さまに奉仕したい想いそのもの」
アルバイトは、そうだろうけど。でも、そのものって? と考える事も出来ないくらい眠くなった。
それを察してか、ウミネコはもう話しかける事はせず、子守歌のように歌い始めた。
その唄は、感謝の意を表す唄。
今生きている事を、存在している事を、頑張れている事を感謝する唄。優しいけれど、バラードのようにちょっぴり悲しいメロディ。
僕はそれを聞きながら、堪らなくなって……、涙を流しながら眠りに就いた。
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