灰被りのメイド

プロローグ

「行ってらっしゃいませ! ご主人様」


 メイドの黄色い声に送られながら店を出る。

 今日オープンしたばかりのメイド喫茶だ。ハッキリ言って大した事のない店だった。

 確かにメイドは可愛いが、今はどこに行ってもあのくらいのメイドはいる。それに他の店から流れて来た子も多くて見た顔もちらほら、全然真新しい感じはしない。

 ただのメイド喫茶ではありきたり過ぎて、チャイナ風や和風、はたまた男装執事などバリエーションも出尽くした今、原点回帰と銘打った古風なメイド喫茶と聞いて来たのだが何の事はない、何の特徴もないただのメイド喫茶だ。

 店内の巨大スクリーンには映画が流れていて、確かに金はかけてある。

「しっかし、なんで西部劇なんだろうね」

 あれで古風を演出したつもりなんだろうか、と店主の趣味を疑っていると携帯の着信音が鳴る。

「はい、つつみですが」

 自分のメイド道に浸っていたので何も考えずに電話に出てしまった。

『おい、恭助きょうすけ! 今どこにいるんだよ』

 やべ! 佐原先輩だ……。今日はバイトサボってメイド喫茶に来たんだった。

「いや~、おはようございます佐原さん。実は朝から腹痛が酷くて、ちょうど今連絡しようと思ってた所だったんですよ」

『ほう、じゃあ今メイド喫茶から出て来たのはお前じゃあないんだな?』

「ええっ!!」

 っと驚いて周りを見回す。

『あ! お前やっぱり今日オープンの店に行ってやがったな!』

「しまった!」

 サッシ屋のバイトは店舗のシャッターやら窓枠やらを設置するのが主な業務。この辺りで仕事をしている可能性もゼロではないため一瞬騙されてしまった。

「ああ~、すいません。誰か来たみたいです。また後で連絡します」

『てめっ! 近藤さんに言うぞっ!』

 と何やら喚き立てる声を無視して電話を切る。

 特に意味もなく走り出す。

「わっ!」

 また携帯が鳴り出す。さっきの先輩だ。

 慌てながらも携帯の電源を切る。

 今はこうするしかないが、後はどうしよう……近藤さん、班長に報告すると言っていた。明日からはキツイ仕事を回されそうだ。いっそこのまま辞めてしまおうか。でも今週の稼ぎは全部メイド喫茶で使ってしまったし……。新しいバイトを探して収入を得るまでメイドなしで生きられるのだろうか。

 と考えながら裏路地に逃げ込む。誰かに見られているはずはないのだが、ついコソコソしてしまう。

 壁に手をつき息を切らせる。うろうろしているとそのうちバイト仲間に見られるかもしれない。今日はもう家に帰ろうか。しかし、今帰っても小うるさい妹がいるだけだ。

 息が整った所で辺りを見る。


 随分と見慣れない所まで来た。古い廃オフィスが建ち並ぶ一角のようだ。人っ子一人いない。来た道を戻るより少し散歩がてら歩いてみるか、と歩き出すと潰れた小さな店が見えた。

 廃ビルの中に混ざっているが大きなウィンドウ、ボロボロになる前はお洒落であっただろうドア。間違いなく喫茶店だった店舗だ。

 立て看板にチョークで書かれた文字はかすれていて、かろうじて「メイド喫茶うみねこ」と読める。

 しかし、こんな所にメイド喫茶があったんだ。随分前に潰れたようだが、こんな所にあるという事はかなり初期の店なんだろう。

 今はメイド喫茶なら開店すればそれなりに当たる。中期以降にこんな外れに店舗を構えるはずはない。

 潰れたのはいつだろう? まだ開いている内に入ってみたかったな。僕とした事が、完全にノーチェックだった。

 悔やみながら店を見回しているとドアにかけられた札には「OPEN」と書かれていた。

 思わずくすっと笑ってしまう。

 いやいや、開店してるはずないだろう。そのままほったらかしとは……。もっとも、それを見て入る客もいないだろうから問題ないんだろうけど。

 大きな窓も煤けていて中は見えない。しかし中で何かが動いている気配がある。


 僕はちょっとした悪戯心でドアを開けた。

 やはり鍵はかかっておらず、ドアは暫くぶりに開けられたような軋んだ音を立てて開いた。


「ほらね。OPENの札をかけっぱなしじゃ、こうやって人が入ってきても文句は言えないよ」

 と怒ってくるおじさんかおばさんを戒めてやるつもりだったのだが、中にいたのは店と同じくらいに煤けたメイドだった。

 ばさばさのセミロングの髪にほこりを被ったカチューシャ。

 ボロボロであちこち繕った跡のあるメイド服。煙突から出てきたばかりのように顔や手は汚れていた。

 片付けの最中だったのか、手に古びたスピーカーの様な物を持ったまま、入ってきた僕を見て驚いている。


「え? ……、あ。……お、お帰りなさいませ。旦那さま」


 とかすれた声で言う。


 メイドはかなり驚いているようだがそれは僕も同じだ。口を開けたまま固まってしまった。

 まさか本当に、営業しているの?

 茫然と立つ僕を、一瞬目が見えないのかと思うほどのどこを見ているのか分からない動作で席に促す。瞳にも光がない。

 店の中は、一応開店している風だ。荷物も積み上げられてないし、椅子やテーブルは普通に並べられている。

 これがこの店の趣向だと言うのなら、ある意味斬新だ。


 メイドが引いてくれた椅子には埃が積もっている。

「あ、……ごめんなさいね。今……綺麗にしますから」

 と言って真っ黒なボロ布で椅子を拭き始める。

「あ、いや。……いいよ。余計に汚れる」

 恐る恐る椅子に座り、テーブルの上をしゅうとめのように指でなぞる。

 指に埃は付くが、なぞった跡はさほど綺麗にならない。そもそもテーブルがボロボロだ。


 趣向ではなく、本当にオンボロのようだ。


 厨房スペースらしい場所からカチャカチャと音が聞こえるが、水道や電気が来ているようには見えない。何が出てくるのだろうか……。


「ごめんなさい……、今は……コーヒーしかないんです」

 と皿に乗ったティーカップを持ってメイドが危なっかしい足取りで戻ってきた。


 ここでコケて、熱いコーヒーを浴びせられそうな気がして避ける態勢を取ってしまったが、そんなベタな事にはならずカップはテーブルに乗る。


 何かの灰汁ではないだろうか、とカップを覗き込むが、僅かに立ち上る湯気から感じたのはコーヒーの香り。

「……いい香りだ」

 素直に驚いて感想を漏らす。


「実は……今日で、お店はお終いなんですよ。それが……最後のコーヒーです」


 え? そうなんだ。僕が最後の客か。

 そう言われると感慨深いものがある。メイド喫茶マニアとしてこんな名誉な事はない。

 少々埃っぽくても、ここは頂くのが礼儀だろう。


「じゃあ」

 とカップを手に取り、まずは香りを楽しむ。

 本当にいい香りだ。湯気から感じる熱は熱すぎず、丁度いい飲みやすさを思わせる。

 そっと口を付ける。一瞬埃っぽいのかと思ったがそれはほんのりした苦み、その後に緩やかな甘さが口の中に広がる。コクのある苦みが次に来る甘さを引き立てる。

 それでいてミルクのクリーミーな舌触り。


「本当に、……旨い」


 別に僕はコーヒー通というわけではない。

 それでもこのコーヒーはいいものだと思う。

 メイドは僅かに照れたような顔をする。

「このお店は、かなり昔からあるんですけど……、今はすっかり寂れてしまって……」


「こんなコーヒーを出す店がなくなってしまうなんて、もったいないな。でも、君ならどこへ行っても大丈夫なんじゃない?」


「私は……、ここからは出られないんです」


 なんだろう。義理か、愛着でもあるんだろうか。

 別の店に行けば、そこの味があるんだろうから同じとはいかないのかもしれない。この店だからこそ出せる味という事なんだろう。律義な子なんだな。


「もっと早く知っていればなぁ。何か僕にできる事はある?」


「え? でも……」

 とメイドは驚いた顔をするが、

「うん、やっぱりもったいない。僕にできる事があるなら、なんでもするよ」

 と言うと、煤けた顔はゆっくりと笑顔になり、目の端には少し涙が見える。

 汚れてはいるが結構可愛い。

 僕にできる事なんて何もない。ただ、こう言っておけばこの子と仲良くなれるのではないかという下心に過ぎない。


「あれ?」


 ぐらっと視界が回る。何が起きたのかも分からないまま、テーブルに頭を打ち付けるよりも早く意識を失った。



 気が付くと地面に伏せていた。

 顔に押しつけられているのは芝生だろうか。その割には土の匂いも草の匂いもしない。人工芝にしては柔らかい。

 上体を起こすと、目の前には……。


「城?」


 西洋の城のような、石を積み上げて造ったような建物がある。

 と言ってもかなり小さい。普通の一軒家くらいのサイズのお城だ。


 後ろを見るとそこは見渡す限りの草原。本当にただの草原、草以外何もない。


「一体ここは?」


 少なくとも僕の知る限り地平線の見える場所は日本にはない。

 そうか、簡単な話だ。これは夢だ。

 さっきメイド喫茶でコーヒーを飲んで、倒れたんだ。まだ僕は意識を失っているんだな。今頃救急車で運ばれているのだろうか。

 と草原に向かって一歩踏み出すとバチッと壁に阻まれた。

「痛ってぇ!!」


 なんだ今のは。なんか……電磁シールドで弾かれたみたいに、一瞬赤い半透明の壁が見えた。

 そんな事より……、まだ手が痺れている。


 この痛み……。

 夢ではない?


 どこに壁があるのか分からないので恐る恐る後ずさる。


 背後にある城の扉がぎいっと開いた。

 驚いて振り返った僕の目に映ったのは……、


「お帰りなさいませ。旦那さまっ!」


 満面の笑みで元気よく声を発しているのは、煤けていないけれど、さっきまで一緒にいたメイド、その子だ。

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