第37話「チャイニーズ・キッチン・イン・ザ・ジャパン」

 お泊りセットを作るのに、少し時間がかかった。

 以前の優輝ユウキなら、最低限の着替えとかをバッグに詰め込んで終わりだったのに。でも、パジャマパーティというからには寝間着ねまきが必要だろうし、最近はちゃんと小さなポーチに化粧品も完備している。勿論もちろん、標準的な女子高生としては最低限のものだが。


「でも、一泊するだけでも結構な荷物になるんだよねえ」


 そんな訳で、朔也サクヤの住むマンションにやってきた。

 オートロックを通してもらって、エレベーターを使って部屋へと向かう。

 十人は楽に乗れそうなエレベーターには、壁に鏡がかかってて……ついつい、見れば髪型などが気になる。相変わらずショート過ぎるショートボブなのだが、前髪を気にする素振りくらいはしてみせる優輝だった。

 そして、朔也の部屋のドアをノックする。


「おお、優輝氏! ささ、中に……丁度ちょうど、夕食の準備が整いつつありますゆえ」

「こんばんは、朔也。えっと、もうみんな揃ってるのかな?」

「優輝氏で最後ですぞ、デュフフフ」

「しっかし、平日にお泊りなんてさあ」

「なに、来年の今頃は受験で遊んでいられん、そういう訳でござるよニンニン」


 朔也の軽妙なヲタ芸トークも慣れっこだ。

 そして、玄関でくつを脱げば、いい匂いがキッチンから漂ってくる。肉とあぶらとが弾けてあぶられる、胃袋を刺激する香りだ。

 ダイニングキッチンへ直行すると、そこでは炎の料理人が腕を振るっていた。


青椒肉絲チンジャオロース、いっちょあがりアル! さあ、どんどんいくネ!」

「あれ、リャンホア?」

おうっ! ワタシ、中国四千年の食文化を披露中ネ!」

「へえ、凄い……さまになってる」

謝謝シェシェ!」


 そう、うわさの中華な転校生、リャンホアがキッチンに立っていた。

 エプロン姿も堂に入ったもので、大きな中華鍋で次々と食材を踊らせてゆく。炎の中から漂う匂いが、たまらなくいい。そしてテーブルには、すでに何品もの料理が湯気をくゆらしていた。


「優輝、お疲れ様っ。こっちこっち、隣に座って」

「あっ、うん……えっと、シイナ? お、お兄ちゃん?」


 シイナも来ていて、今日はラフに上下揃いのスエットを着ている。

 こういう、男女を問わぬタイプの部屋着を着られると、ますますシイナの性別が行方不明である。そして、本人はそのことをあまり気にしていない。

 彼のノーマルは女装で、男らしさやりも自分らしさが優先なのだ。

 そして、それを優輝たち友人は受け入れて付き合ってるのだった。


「みんなに一応話してたら、優輝から聞いたって。ゴメンね、ボクから話しておかなきゃいけないことだったのに。両親のこと」

「ううん、いいんだ。それに、形は違ってもこれからは一緒、かっ、かか……家族、だし」

「うんっ。パパもきっと、優輝のママを幸せにしてくれると思うよ。ボクが保証するよ!」


 シイナの方も、もう割り切れてるみたいだった。

 これでいいんだと思って、優輝も彼の隣に座る。

 奥の部屋からバタバタと千咲チサキが出てきて、五人での夕食となった。


「んじゃま、ジュースだけど乾杯いっとく? おーしっ、朔也! 乾杯の音頭だー!」

「かしこまり! ではでは、千咲氏の推挙で小生しょうせいが軽く挨拶をば」


 なんだかいつものノリで、酷く安心感がある。

 そして、それが安堵感でもあることに優輝は今になって気付いた。


(ああ、そっか……私が怖かったのって、もう一つ。もう一つだけ、あったんだ)


 ちらりと隣のシイナを見下ろす。

 彼は逆隣のリャンホアに、なにかと話しかけては世話を焼いている。なんだか、本当に頼れるお兄ちゃんに……見えないこともないような、そうでもないような。

 でも、少し緊張気味のリャンホアとは話が弾んでいるようだ。


「アイヤ、しかし参ったアルヨ。日本のゲーマー、とても強いアル。積んだ功夫クンフーの桁が違うアルネ」

「そんなことないよぉ、ボクもドイツじゃそこそこだったけど、日本に来て最初は自信喪失したもの」

「今度は是非ぜひ、ゲームセンターで対戦したいネ! ワタシ、ここにリベンジの誓いを立てるアル!」

勿論もちろんっ! いつでもお相手するよっ」


 他にも、ガードキャンセルがどうとか、2Fフレームの差がどうとか、小難しい話に花が咲いている。

 そんな二人を見ていると、なんだかとても微笑ほほえましい。

 そして、朔也がオッホン! とわざとらしく咳払せきばらいをする。


「シイナ氏もリャンホア氏も、私語はそこまでですぞ……今です、千咲氏っ!」

「ほいきたっ! そーれっ! おめでとうー!」


 突然、乾杯の挨拶もそこそこに快音が鳴り響く。

 千咲と朔也は、隠していたクラッカーを景気よく鳴らした。

 色とりどりのテープが宙を舞い、キラキラと花吹雪のように銀紙が降り注ぐ。

 きょとんとしてしまった優輝だったが、次の一言に思わず笑みがこぼれた。


「リー・リャンホアさん、ようこそ日本へ! これからもよろしくねっ、リャンホア!」

「なにを隠そう実は、今日はリャンホア氏の歓迎会でして……デュフフフフ!」


 リャンホア本人は、目を丸くして固まっていた。

 何度もまばたきをして、長いまつげを湿しめらせる。

 そして唐突に、彼女のほおを光の筋が伝った。


「およよ? リャンホア氏……その、迷惑でござったか?」

「ご、ごめーん、はしゃぎ過ぎてた? 驚いちゃったよね」


 あわあわと千咲も朔也も、どうしたものかと慌て出す。

 だが、涙をぬぐってリャンホアは笑顔を見せてくれた。


「えっと、うん、ビックリしちゃって……凄く、嬉しい。故郷じゃやりたいこと、一つもできないから。だから、ずっと日本に来たくて……でも、一人は心細くて」

「リャンホア氏! キャラが! キャラが崩壊してますぞ!」

「……しまった! アル! そ、そうネ、とても嬉しいネー!」

「意地でもそのキャラで通すつもりでござるか。その意気や、よし!」


 でも、リャンホアはわざわざ席を立つと、パシン! と胸の前でてのひらと拳を合わせた。そして、深々とお辞儀をしてから微笑む。


「日本の友人に熱烈感謝アルヨ……来てそうそう、良い朋友ぽんように恵まれたアル。劇的大感謝ネー!」


 そう、改めて優輝は気付かされた。

 シイナとの恋の終わりは、大切な友達を傷付けてしまうかもしれない。心のどこかでそれを恐れていた。

 それにもし、優輝とシイナの話がこじれて、まかり間違って禁断の愛に走ってしまったら? 二人共正気ではいられないだろうし、不健全な中で傷付きあってしまうだろう。

 同時に、朔也や千咲に秘密を作ってしまうことになる。

 それを避けて、多少はギクシャクしたが、シイナも優輝も今まで通りだ。

 そして、いつも通りの友人たちはこんなにも温かく優しい。


「ところで、さ……朔也」

「ん? 優輝氏、どうかされましたかな?」

「君ね……歓迎会でもてなす主賓しゅひんに、夕ご飯を作らせてたのかい?」

「……さー! 料理が冷めてしまいますぞ! 早速いただこうではありませんかね」

「あ、ごまかした! ちょっと、朔也!」

「はーい、かんぱーい! シイナ氏、乾杯! 千咲氏も、リャンホア氏も、ついでに優輝氏も乾杯!」


 私はついでか、と笑ってグラスを歌わせる。

 こういう友人関係を、優輝は自分で思っている以上に大事にしていたのだ。そして、失うことを恐れていた。結果的に、失って知る前に思い知らされた。

 みんなのことが大好きなんだと。

 以前は、学園中の女子から王子様として扱われていた優輝。

 人気はあったが、友達は朔也だけだった。

 千咲でさえ、清楚で可憐なお嬢様の仮面で接してきたのである。

 でも、今は友達がいて、本当に高校生活が満喫できている優輝だった。


「ん、おいしっ! なにこれ、ちょっとリャンホア! 超うめー! 語彙力ごいりょくが死ぬ!」

「千咲、慌てなくても大丈夫ネ! ワタシ、実家は中華料理屋やてます。父の教えで五歳から中華鍋振るってるアルヨ」

流石さすが、本場仕込は違うねえ。あーっ、こりゃビールが欲しくなんぜー! ニハハ!」


 おいおい千咲さんや、ただのおっさんになってるよ……などと思いつつ、皆が烏龍茶ウーロンちゃやジュース等だ。でも、どの料理も美味おいしくてはしがついつい進んでしまう。

 もしも大人になったら、こうして友達とはお酒を飲んだり、一緒に外食したりするんだろうか。ふと優輝は、そんなことを思った。そうして自分も、母のように大人の女性になって……仕事や家庭を持って、社会人になるんだろうか。

 そんなことを考えていたら、つけっぱなしのテレビから不穏なニュースが流れてくる。


『え、先程の事件の続報です。どうやら今回の通り魔事件は連続性のあるもので、以前にも同じ地区で多数の犯行が行われていたようですね』

『いやあ、怖いですね。このあたりは学校も多いですし。早く事件が解決してほしいものです』

『連続殺傷事件というには、頻度もあまり高くはないですが……間を開けて、忘れた頃に犯行に及んでいる。被害者が重傷を負うケースも少なくないですからね、こういう事件は』


 以前からちらほら耳に入ってきているが、この街も最近は物騒だ。

 ひょっとしたら、最近母のアキラが忙しいのもこの事件のせいかもしれない。

 思わず優輝は、箸を止めてテレビを凝視してしまった。

 その横顔が不安だったのか、そっとシイナが手に手を重ねてくる。


「優輝? ……ひょっとして、ママの仕事が気になる?」

「あっ、ううん、大丈夫。大丈夫、だけど……あとでメールしておく。ちゃんと朔也のとこにいて、シイナと一緒だって」

「うん、そうだね。ボクもあとでパパに電話しようっと」

「……ありがと、シイナお兄ちゃん」

「あっ! みんな、見た? 聴いたよね? 今、初めてまともに優輝がボクのことお兄ちゃんって。しかも、疑問形じゃなかったし!」


 こらこら、そういうところだぞ、お兄ちゃん……でも、シイナは心底嬉しそうに満面の笑みだ。そして、そのなごやかな空気のまま夕食の時間がゆっくり流れてゆく。

 明日も学校だということを忘れそうなくらい、楽しい一夜がこうして始まるのだった。

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