第36話「レッツ、パジャマパーティー!」

 学校での日々は、帰宅したさっきまでずっと普段と変わらなかった。

 けど、決定的に違ってしまった。

 それでよかったと、今は頭でしか理解できない。心では、気持ちではまだそう感じられないのだ。

 でも、優輝ユウキにはいい友達がいた。

 そして、これからいい兄になるシイナがいてくれた。

 多分、大丈夫だと思う。

 そう思えるだけで、今は十分だ。


「さて、まずは洗濯物からやろう!」


 着替えもそこそこに、優輝は団地の小さな脱衣所で洗濯機に向かう。

 家事は基本、ほぼ全てを優輝がやっている。

 母のアキラは、バリバリの警察キャリア組として忙しいのだ。ただでさえ珍しい女性の警察官僚で、その上に物凄い美人だ。娘の優輝が言うのもなんだが、母は綺麗だと思う。

 しかも、文武両道で男社会にも笑顔で切り込むスーパーレディだ。

 家でだけ、娘の前でだけはだらしない……優輝の前でしか気が抜けない人。

 そんな母が今、ようやく自分のための恋を始めたところである。


「今日は確か、遅くなるって……よし、あとで電話してみよう」


 夕食は外で食べてくるだろうから、お風呂の準備をしておこう。

 優輝はテキパキと洗濯をセットし、洗濯物を入れてるかごをチェックする。

 優輝の住んでる団地は、とにかく部屋が小さくて狭い。

 警察関係者が住む官舎なのだが、制服組のトップクラスが暮らすような場所じゃない。でも、輝は母一人子一人だからと気にしなかった。

 勿論もちろん、優輝も不満はない。


「私の分は、冷蔵庫の余り物で作るとして……あっ、そうだ。缶ビールを冷やしておかなきゃ」


 洗濯物は、ネットを使ったりと気を使う。

 自分の下着は今でも、色気もへったくれもないスポーツタイプのものだ。優輝は着心地や動きやすさを重視するので、どうしても色やデザインが二の次になる。

 昔はそもそも、誰にも見られない場所にどうしてオシャレが必要かわからなかった。

 今はなんとなくわかるし、見えないところにこそ力を入れるのがオシャレだ。

 シイナがそう言ってたのを思い出す。


「さて、次はお風呂の掃除を……ん?」


 掃除機が微動に回り出すと、スマートフォンが鳴った。

 着信を見ると、友人の名前が浮かんでいる。

 すぐに通話に応じると、妙に作った神妙な声が脱衣所に響いた。


『……私だ』

「ああ、朔也サクヤ? どしたの」

『今日の君の任務だが、南米に飛んでもらう。麻薬カクテル同士の抗争に介入し、組織を壊滅してくれたまえ。なお、このテープは自動的に――』

「えっと……インディ・ジョーンズだっけ?」

『デュフフフフフ、スパイ大作戦でござるよ』


 まったく、これだからオタクって奴は。

 でも、周囲がキモいだなんた言うけど、朔也は好人物ナイスガイである。せればイケメンなのだが、それを全く気にしてないところも面白い。自分の好きな趣味の分野以外には、全く興味を示さない……かと思いきや、さり気なく人を気遣きづかうことができる少年である。

 昔から優輝は、自分を特別扱いしてこない朔也とは気が合った。

 ただ、優輝自身に女子力も乙女心も皆無だったので、そういう仲にはならなかったのだ。


「で、どしたの? なんかあった?」

『そうそう、実はですな……今夜、もしよければ小生しょうせいの部屋に遊びに来ませぬか?』

「えー、平日に? いいけど、あんまし夜ふかしすると明日の学校が」

『そこはそれ、泊まって我が家から通学すれば無問題モーマンタイ

「あっ、そういう……って、こら。そもそもさー、朔也。君、彼女持ちの発言とは思えないんだけど」


 でも、つい笑ってしまう。

 実はこの柏木朔也カシワギサクヤという少年、ギャルゲもエロゲもなんでもござれだが、不思議と下心がない。千咲チサキが心を許したのも、うなずける話だ。

 思えば、長らく優輝が女としての自分を意識しなかったのは、朔也にも原因がある。

 全校生徒の憧れの王子様、こういう扱いの日々は嫌ではないが……疲れる。

 かといって、女の子らしい普通の生活というのも、ピンとこない。

 だから、ただの友達以上でも未満でもない、朔也との付き合いは酷く安心するのだ。

 そう思っていると、不意に電話の声が変わった。


『おーっす、優輝。おいでよ、パジャマパーティー! あ、因みに男子二名は別の部屋で寝るから大丈夫』

「あ、千咲。そっか、千咲も一緒か」

『全ヒロイン攻略ハーレムルートとか抜かすしさー、朔也』

「ああ、わかる。男のロマン? だっけ?」

『そうそう、それ』

「でも、男子二名って……ああ、そっか」


 シイナだ。

 シイナは来るだろうか……今日も一日、クラスの中では普通に過ごした。お互い、自分の気持ちと決別したし、その別れを共有した。一緒にシイナは泣いてくれた。

 それは朔也や千咲も一緒だし、また友達四人組に戻ったと思えばいい。

 変に意識して避けるより、シイナのためにも一緒にワイワイやりたい。

 それに、自分のためでもあると優輝は思った。

 切り替えていかないと、ちゃんと兄と妹になれない気がするから。


「母さんに電話してみるけど、じゃあ、一応出席の方向で」

『あいよーっ! ……多分、シイナも喜ぶよ。なんか、普段通りにしてても、気にしてるみたいだったから』

「……うん」

『でもさー、優輝が兄でシイナが妹ならわかるけど、逆なんだってー? アタシびっくりじゃんかよー、もー!』

「そうそう、そうなの。私が妹で、シイナがお兄ちゃん」


 小さくて可愛くて、硝子細工ガラスざいくの乙女みたいなお兄ちゃん。

 シイナもきっと、ちゃんと一区切りつけて明日へと向かえる。未来とだって向き合える。だからまた、みんなでなんでもなかったように青春してればいいのだ。

 来年は受験だし、もうすぐ寒い冬も来る。

 でも、いつでも今は楽しく過ごしたいものだ。


『あとさ、なんか新顔ちゃん……ほら、朝のコンビニで』

「あー、リャンホア?」

『そうそう、なんか天然っぽい留学生の子。でもありゃー、そうとう計算高いと見たね』

「いやいや、千咲が言わないでよ。ねこ被らせたら世界一じゃない」

『そうでもあるけどー? それだけに、結構敏感なのよさ。ま、でも……訳ありかもだし、一人で外国の学校に通うのってさあ、結構疲れたり寂しかったりするから』


 確かにそれはあるかもしれない。

 中国はお隣の国だけど、意外と近くて遠い国でもある。

 初めて会った時こそ、優輝とリャンホアは奇妙な関係になってしまったが、彼女が悪い人間じゃないことは重々承知である。

 あんなスットコな少女が、悪いことをできるはずがない。

 多分、シイナが誘ったんだと優輝は察した。

 シイナには、ああいう人を放っておけない優しさがある。


「ま、いいよ。じゃあ、制服で行って、部屋着で過ごして……また明日、制服で直接学校行こうかな」

『アタシはそうする予定! ニシシ、彼氏の部屋から直接同伴登校だじぇ!』

「そういえば千咲、なにか朔也に彼女らしいことしてあげた?」

『それな! ……ま、まだ、ちょっと……意外とこれが難しくてさ』


 弾んだ千咲の声が、不意に乙女の湿度をまとって濡れる。

 ラジカルでパワフルな彼女だって、恋心は繊細なのだと改めて知った。


『そ、そのことも、ちょっと……優輝に相談したくて』

「えー、そういう乙女な質問を、コイバナを私に?」

『優輝だってもう、女の子じゃん。すっごく女の子だし……ア、アタシの、親友じゃんかよー』

「あ、うん。そうだね、親友同士だ。よし、なんでも相談に乗るよっ」


 もう、シイナと顔を合わせても気まずくならない。

 自分から避けたりしたら、せっかく新しい関係性を誓ったシイナに失礼だ。

 それに、友達に女の子として頼られるのって、ちょっと意外な嬉しさがあった。


「じゃあ、一応参加ってことにしといてね。私、母さんに電話してみるけど」

『あーい、ありがとぉ! ……そいや優輝のお母さんって』

「うん、シイナのお父さんと最近いい感じ。でも、今日はこれは仕事かな」

『バリバリのキャリアウーマンだもんねえ』

「そうそう、逆にシイナのお父さんが主夫しゅふとして家庭に入るのもアリだよね」

『そっちの方がしっくりくるやつな!』


 それから二言三言ふたことみこと話して、優輝は通話を終わらせた。

 すぐに母に電話しようと思って、ちょっと考えてメールにする。

 この瞬間も母は、輝は働いている。

 日本の悪事をなくすため、悪党から人を守るため。

 なにより、自分と優輝の生活のために働いてくれている。


「さて、返事を待つ間に……って、もう来た!?」


 物凄い早さで、母から返信が来た。

 しかも、なにをどうやったかの長文である。

 ちょっと、ありえない。

 けど、優輝は思い出す。

 自分の母親、御神苗輝オミナエアキラは……ありえないレベルのスーパーレディなのだ。


「えっと、なになに……基本的におっけぇ! 遊んでおいでー! かあ……」


 基本的に御神苗家が放任主義なのは、知ってる。

 それが、母から娘への全幅の信頼を示していることも、理解していた。母は家を空けてばかりだけど、ちゃんと自分を見てくれている。そして、信じてくれている。

 勿論、優輝がやらかしたことは何度かあって、こっぴどくしかられた。

 男子と喧嘩して、ガキ大将を泣かせたりしたこともあった。

 母は、悪いことや駄目なことを言って聞かせ、叱ってくれた。


「あれ、追伸って……ふむふむ、そうなんだ。まあ、真夜中は出歩かないから大丈夫かなあ。でも、でも、ちょっと確かに物騒だね」


 優輝は受け取ったメールの内容を心に刻んだ。

 以前から母の輝は、別件で事件を追っている。それは無差別な通り魔事件で、最近は優輝の済む団地の近所にまでおよんでいるらしい。

 この時は思いもしなかった。

 自分とシイナを中心にした小さな世界が……さらに外側を取り巻く大きな世界と繋がっていることを。そして、そのどちらにも干渉してくる悪意があるということを。

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