第35話「リブート・デイズ」

 あれだけ泣いたのに、家に帰宅してから優輝ユウキはまた泣いた。

 母のアキラは仕事で不在だったが、風呂場のバスタブで泣いた。

 それで、なんとなく踏ん切りがついた気がする。

 今日は気が乗らなかったけど、いつもの制服にそでを通して学校へ向かう。すっかり秋の風が冷たい朝は、道行く誰もが足早に見えた。

 だが、不意に背中にドン! と、ぬくもりが覆いかぶさってきた。


「優輝、おっはよー!」


 振り返れば、千咲チサキは今日も朝から元気いっぱいだった。

 彼女はニシシと笑いながら、優輝の背から降りる。

 となりに並べば、頭半分ほど千咲は小さい。これぞ女の子のウェルバランスという、圧倒的にかわいいスタイリングに溜息ためいきこぼれる。

 けど、優輝も笑顔で挨拶を交わした。


「おはよ、千咲」

「おうてばよ! ……ん、優輝? ちょっと、酷い顔だにゃー」

「いや、そう?」

「うん、女子トイレ15分コースだよ。なんか、目元もれぼったいし」


 早速さっそく千咲は、学校指定のかばんからポーチを取り出した。

 小物入れというには、結構な大きさである。

 それなりに重いらしいそれは、開けると瓶がガチャガチャと鳴った。


「ファンデでしょ、ついでだからリップもさ、これがオススメ。で、こないだ試供品でもらったのが……これこれ! 試してみたいから、あとでやらせて!」

「千咲さあ、一応学校の校則では」

「あ、化粧品が云々ってやつ? フッフッフ、この千咲ちゃんには抜かりナシ!」


 不意にダッシュで、千咲が優輝の前に回り込む。

 そうして振り向くと、彼女はたゆんと形良い胸を揺らして大見得おおみえを切った。


「これは私の、一種のサプリメント! 女の子はかわいくないと死んじゃうの。だから、言ってみればお薬みたいなもんだぞ?」

「うわっ……よくまあ、次から次と口が回るなあ」

「フッフッフ、めよたたえよ! それにさー、ほら……一応彼氏の前じゃ常にかわいくないと。そう思うですやん? デヘヘヘヘ」


 その緩みきった顔、恐らく彼氏には……千咲と付き合ってる朔也には見せられないだろう。そうも思うが、逆に普通に見せてる気もした。

 昔は猫かぶりで、常に『優輝の一番の親友の御嬢様おじょうさま』を演じていた千咲。

 今はその猫を脱ぎ捨てたが、以前と違って名実ともに親友だ。

 だから、逆にありがたい。

 強烈な失恋体験をまだ引きずってる優輝に、千咲は変な気遣きづかいや遠慮をしないのだ。それは、優輝がそういったれ物を触るような扱いを好まないから。

 それを知ってるから、盛大にのろけておどけて、そして笑わせてくれる。


「あとさー、町中でタダでもらったやつ、気になるじゃん? 使いたくなるのですよ」

「……千咲、さ。一応、社長令嬢だよね」

「牛丼チェーン店のな! わはは」

「前から思ってるけど、結構抜け目ないっていうか、倹約家けんやくかっていうか」

「私、札束より小銭に目がいっちゃうタイプだし? それに、さ」


 千咲はでっかいポーチを鞄にしまいながら、笑った。

 とても朗らかな、以前の飾って演じた姿では見られなかった笑顔だ。


「優輝にも綺麗でいてほしいし、もっと女の子してほしいし。試供品はまあ、二人で使うとして……そろそろ優輝にも、マイ化粧品ポーチ持ってほしいし?」

「私は……うん、でも、そうかな」

「そうだよー? とりま、放課後ちょっと見に行こうよ!」


 多分、優輝が男の子だったら、千咲に恋していたかもしれない。

 見た目も言動も男の子みたいだけど、でも、優輝は女の子だ。

 確かに恋する乙女だった。

 誰よりも乙女チックな、未来の兄に恋をした。

 二人の恋が一つの愛になって、そして別れた。

 お互いの存在と同等か、それ以上に大切な家族のためにだ。


「ところで、さ。千咲……その」

「ん? どしたー?」

「君の彼氏君かれしくんは、朔也サクヤは……さっきからなにしてるのかな」


 苦笑しつつ、優輝は背後を指差す。

 そこには、距離を置いてスマホのカメラを向ける友人の姿があった。

 何故か朝から、感涙にむせび泣きながら朔也がシャッターを切っている。


「えっと……おはよ、朔也」

「おはようですぞ、優輝氏ユウキうじ。キマシ! キマシですぞお! 小生しょうせい百合ゆりの間に立ち入るような無粋ぶすいさは持ち合わせておりませぬゆえ……このままどうか、空気と思って」

「えっと、よくわかんないけど、こっちに来てよ。一緒に学校いこ?」


 千咲も「はい集合ー!」と笑うので、恰幅かっぷくのいい身体で朔也が駆け寄ってくる。

 百合というのは確か、女性同士の恋愛を指すスラングだった気がする。

 千咲は確かに可愛いし、今でも『何故なぜ、あのキモオタと』となげく男子は多い。優輝もだが、千咲も学校内では目立つ美少女だからだ。

 でも、二人に燃えるような恋があって、今もそれが炭火のように温かい。

 現実には、千咲が脂肪を燃やして頑張ったのだが。


「時に優輝殿、小生またまた新作ギャルゲーを予約しましてな……見てくだされ、この珠玉しゅぎょくのデモムービーを」

「どれどれー? うーむ、お耽美たんび……」

「優輝殿の推しは恐らく、この子とこの子、そしてこの子」

「こっちの三編みつあみの子もかわいいよ。窓辺の文学少女って感じ」

「フホホッ! 流石はお目が高い」


 優輝は意外と、こういうオタク趣味に抵抗がない。

 自分が女性らしさに欠けるからか、きらびやかな女の子には憧れてしまう。こういうゲームやアニメの女の子の、万分の一でいいから女性らしさ、かわいげがほしいと思ったこともある。

 でも、そんな優輝が恋した少年は、誰よりもかわいい男の娘オトコノコだった。


「朔也さあ、リアルでこんなにかわいい彼女ができたのに、まだゲームで恋愛すんの?」

「ご安心めされよ、千咲氏。このゲームはバトルパートは二人同時プレイが可能ですゆえ

「私、テトリスとかボンバーマンとかしかできないって。あとあれ、なんつったっけ?」

「……もう、千咲氏とは桃鉄ももてつはしないでござる。この守銭奴しゅせんどは、容赦なく小生を借金地獄に叩き落とす鬼でござるうううう!」


 仲良きことは美しきかな。

 そんな二人を見てると、優輝も気持ちの整理が進む。

 元に戻っただけで、むしろこれから素敵な兄ができるのだ。頼りなく見えても、真っ直ぐで一途で、とても優しいお兄さんである。

 だから、ある意味では優輝の望みはかなった。

 いつか、この人と家族になりたい……その想いは、口にする前に形を変えて実現したのである。

 そう思っていると、先を歩く朔也が脚を止めた。


「およ? あれはシイナ氏……ははあ、今日は週刊少年ジャンプの日、火曜日!」


 通学路の途中にあるコンビニから、シイナが出てきた。

 男子の制服を着てても、その姿は嫌に目立つ。

 そして、目にした誰もが嫌な思いどころか、ついついほおを緩めてしまうだろう。

 長い長い翡翠色ジェイドグリーンの髪を、生徒指導の先生に言われて三編みにしている。以前はポニーテイルのようにしてたが『男子生徒の劣情をもよおす』とかいう、訳のわからない言いがかりで今にいたっているのだ。

 そのシイナは、こちらに気付いて、そして一瞬身を固くした。

 それを見た優輝も、つい全身が強ばる。

 でも、互いに瞳でうなずけば、もうわだかまりも未練もなかった。


「おはよ、優輝!」

「おはよう、シイナ」

「あっ、ねね、酷い顔だよ? かわいいのに台無し!」

「……みんなそれを言うんだよね」

「えっとね、僕のお化粧セットがあるから、男子トイレ15分コースでなんとか」

「私は男子トイレには入れないって。ふふ、でも、ありがと」


 大丈夫。

 平気た。

 問題ない。

 お互い今日から、ただの同級生でもいける。そうなっても、ちゃんと相手を大事にできる。そしていつか、兄妹になりたい。どっちかというと、姉弟だと思うけど。

 優輝はその決意を新たにし、同じ想いをシイナから感じた。

 だが、意外な人物がシイナに続いてコンビニから出てくる。


「アイヤー! ジャパニーズ・コンビニ、凄いアル……なんでも売ってるアルヨ!」

「あっ、紹介するね? さっき、ここで友達になったリー・リャンホアさん」

「はじめましてアル! ……じゃなかたアル。初対面じゃないアル、会ったことあるアル!」

「なんか、電子決済しようとしたら中国のやつがまだ使えないらしくて……現金も持ってなかったみたいだから、ボクが一時的に立て替えてあげたんだあ」

「感謝アルヨ! 感謝の言葉以外ないアル!」


 いやだから、あるのかないのかはっきりしてほしいな。

 あと、時代も平成から令和になったのに、昭和な中国人キャラもどうかと思う。

 でも、リャンホアがトンチキなことを口走るので、思わず優輝は駆け寄ってしまった。自分と同じぐらい長身の彼女の、その口を手で抑えて黙らせる。


「昨日、ハタシアイしてた人アル……むぐっ!? むぐぐ」

「果し合いじゃないってば、もう! あれは告白されただけで……あっ」


 そう、昨日の放課後、優輝は男子に告白された。

 そして、それを断ったのだ。

 まだ、他の男子と付き合う気にはなれない。あの時はまだ、泣いてなかったから。ちゃんと泣かないから、いつまでたっても現実を受け入れられなかったのだ。

 リャンホアは、そんな現場にたまたま居合わせたのだった。

 二人を交互に見て、シイナが首を傾げる。


「果し合い? えっ、それって……優輝!」

「は、はいっ! ……いや、違うの、えっと、なんて言っていいか」


 奇妙な誤解が生まれてしまって、慌てて優輝は脳裏に言葉を選び始める。

 だが、言い訳を考えるより先に、ぐっとシイナが身を寄せてきた。


「果し合い! 優輝、怪我はないよね? 大丈夫だよねっ? 心配だよ……あ、それと……それはそれとして、勝った? やっつけちゃった? 優輝、スポーツ万能だし身体能力高いから!」

「えっと……いや、まあ……お帰り願って、相手は仲間たちになぐさめられながら去ってったよ」

「やっぱり! 凄い! でも、あんまり危ないことしないでね。ボク、心配だよぉ」


 ちょっと語弊ごへいがあるが、どうにか優輝はごまかすことができたようだ。

 そして、わかる……知っている。

 これから先、こういうことも言い合える仲になると。シイナにもいつか、恋人が出来て、結婚するかもしれない。それは自分も同じだ。

 互いにもう、その未来を共有するパートナーにはなれない。

 それでも兄と妹という家族になって、支え合えればいい。

 今はただ、そう思い込むことに決めた優輝だった。

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