第34話「センチメンタル・クライ」

 秋はどこか、全ての景色がすすけて見える。

 豊穣ほうじょうなる実りの秋、黄金の秋……それも今、優輝ユウキには色あせて見えた。

 そして、どことなく人恋しい。

 それをはっきり感じることが最近、多くなった気がする。


「優輝、今日は肉まんな気分? それともアンニュイにあんまん?」


 コンビニの外のベンチで車道をぼんやりながめてると、湯気がいい匂いを運んできた。

 視界を遮るのは、中華饅頭ちゅうかまんじゅうを手にした千咲チサキだった。彼女はニシシと満面の笑みで笑うと、もう片方の手に持った袋を突き出す。


「チーズカレーまんも、ピザまんもあるよ? 食欲の秋だもんね!」

「あ、ありがと……じゃあ、肉まん」

「うむ、特別におごってしんぜよー!」


 千咲は眩しい笑顔をさらに輝かせ、隣に座った。

 熱々の中華饅頭を渡され、そのぬくもりを両手の間で行き来させる。そうしていると、先程学校で出会った謎の美少女が思い出された。

 あれはどう見ても、大陸の人間だ。

 日本人が思い描く、古式ゆかしいチャイナさんである。

 ようするに、外国の人が持つ忍者やさむらいのイメージが、どこかずれているように……日本でも、創作物に登場する中国人たちは奇妙なキャラクターが多い。


「そういえばさ、千咲。さっき、変な子に会ったよ」

「なにそれ、鏡でも見たー?」

「なにそれ、どゆ意味さ。そうじゃなくて、転校生? みたいなんだけど、ちょっとおかしいの。えっとね」


 先程の、リャンホアと名乗った少女のことを話す。

 それは、優輝がよく知る中国人とは少し違って、でもとても身近に感じた。それは、恋人のシイナが……恋人だったシイナが語る、アニメやゲームに登場するキャラクターとしての印象そのものだったから。

 そのことを話したら、千咲は大きく何度もうなずいた。


ふぉれわはるそれわかる! ふぁいつもさーあいつもさー、『ひゅうごくひんならウンヌンファンヌンちゅうごくじんならウンヌンカンヌン』て」

「千咲、食べるかしゃべるかにしようね。もぉ、かわいい顔が凄い残念なことになってるよ」

「ぷあっ、うめぇ! やっぱ下校時の買い食い最高ォ! で、なんだっけ? そゆの確か、テンプレって言うんだよねー。テンプレ通りのチャイナさんだった訳だ」

「そう、それそれ」


 リャンホアのことを聞きかじって、千咲は変な人だと断じた。

 多分、あってると思う。

 優輝もそう思うからだ。

 だが、自分のことをたなに上げてそんなこと言えない。個性的だと思えば、リャンホアとだっていい友達になれるかもしれないからだ。それくらいには、優輝はどこか普通じゃない、普通じゃなかった自分を今は認められている。

 王子様として全校女子から憧れられても、優輝は優輝だ。

 それは、シイナとの仲が元に戻って、今後は兄妹きょうだいになっても同じだろう。


「鏡でも見た、か……まあ、私もたいがい変な子だよね」

「そだねー」

「えー、そこは『そんなことないよ』とか言うんじゃないの? 普通」

「だーって、アタシは普通じゃないのです」


 あぐあぐと千咲はあんまんを平らげ、次にピザまんに手を付け始めた。

 彼女は別に、なにも言わない。問いたださないしさぐってこない。ただ、さっきはっきりと言ってくれた。話してくれるまで待つ、と。

 優輝には、それが今な気がした。

 それが、生真面目きまじめな自分の感じる引け目にも思えたし、誠実でいたいと感じたからだ。親しい仲間はもう、気付いている……優輝とシイナになにかがあったと。


「あ、あのさ、千咲」

「うん? ああ、ピザまん食べたかった? ゴメンゴメン、こっちのカレーまんを……カレー、まんを……うん、半分あげよう。わはは!」

「いや、そうじゃなくて、さ。……あのね、実は」


 優輝は、できるだけ簡潔に、客観的な事実を伝えた。

 優輝の母と、シイナの父のこと。二人の深まる仲が、ようやく両者に春を運びつつあること。そして、そんな二人の子供である優輝とシイナは、心から祝福していること。

 そしてこれから、兄と妹になるかもしれないということ。

 あの、最後のベッドでのことは秘密にしておいた。

 けど、ことのあらましは伝わったと思う。


「そういう訳でさ、なんか……今は恋愛する気になれないんだよね」


 優輝は笑った。

 へらりと笑った。

 もう、笑うしかないよね、と隣に微笑ほほえみかける。

 だが、その表情が一瞬で固まった。


「え、ちょ、ちょっと……千咲?」


 あまりにも唐突、そして突然だった。

 。そのほおを大粒の涙がとめどなく伝う。しゃくりあげる彼女はすでに、学園でも評判の美少女ではなくなっていた。


「だ、だって、優輝……そんなの、ないよ……どうして、笑ってられるのよさ」

「よさ、ってあのねえ。もぉ、ほら。これで涙拭いて? ね、泣かないで」

「やだよぉ、涙止まんない……なんでそう、笑ってられるのよさ! 優輝、ずるいよ……ずるいくらいに優しくて、物分りよすぎ」


 ハンカチを渡そうとしたが、ピザまんを両手で握ったまま千咲は泣き続けた。

 往来に人通りはなく、行き交う車は全てこちらに無関心だ。

 夕焼けが冷たい風を連れてくる時間帯、千咲は声をあげてわんわん泣いた。

 慌てて優輝は、彼女の頬をハンカチで拭ってやる。


「……ごめん、千咲。ちょっと、突然過ぎる話だったよね」

「んーん! だって……優輝が泣かないから、だから……アタシが代わりに泣いたっていいじゃんかよ。なんだよそれ、そんなん……恋人でいられないじゃんね!」


 涙と鼻水でグチャグチャな千咲は、一気に一口でピザまんの残りを食べてしまった。そして、もぎゅもぎゅと咀嚼そしゃくしながらようやくハンカチを受け取る。

 ビーン! と勢いよく鼻をかむと、彼女はぐずりながらも立ち上がった。

 どういう訳か、千咲はコンビニの角、一本の電柱をにらんで叫ぶ。


「もー、出てこいっての! ほら、わかった? 聞いてたでしょ!」


 そして優輝は、再度驚いた。

 なんと、電柱の影から恰幅かっぷくのいい男子生徒が出てきたのである。

 それは、仲間の朔也サクヤだ。

 そう、最近千咲と付き合っている、見た目通りのオタク少年の朔也である。

 彼もまた、はらはらと清い涙に目頭めがしらを抑えていた。


「話は聞かせてもらったでござるよ、ニンニン」

「ちょっと待って、朔也。どこから聞いてたのさ」

「先程の千咲氏の『悩みなら相談乗るけど、話せるまで待つからそのつもりで』のあたりからでして、ぐふぇええええ、なにこれ泣ける! 大号泣不可避だいごうきゅうふかひでござるよ!」

「が、学校から見てたの!? ちょ、ちょっとちょっと」


 流石さすがあきれたが、目の前で千咲がよろよろと立ち上がる。

 待ってましたとばかりに、朔也は全身を大の字に開く。その胸に飛び込んだ千咲は、より一層激しくウオーン! と泣き出した。

 勿論もちろん、そんな彼女を抱き締め朔也も男泣きである。

 ちょっと、ついていけない。

 けど、優輝にはわかっていた。

 二人が、自分のために泣いてくれてるということを。


「ちょっと聞いた? 聞いたよね? えぐっ、うう……優輝とシイナと」

「なんたる鬱脚本うつシナリオ、っていうか悲恋系ひれんけいに弱くてですな、小生。う、うう」

「アンタさ、なんとかしなさいよ。アタシもぅ、悲しくて……なにが悲しいって、優輝が」

「激しく同意、禿同鈴ノ助はげどうすずのすけでござるよ! 家族のために自分を捨てて、少女は恋心を封印した。……そしてそれは、シイナ氏もきっと同じなのですぞ。エモくてとうといですが、こういうのは駄目ですぞおおおおお!」


 言われてはたと気付いた。

 そう、優輝は人知れず傷ついて、諦めて、そして吹っ切ったつもりでいたのだ。

 本当は、そうじゃなかった。

 気持ちなんて、切り替えられない。

 切り捨てることも、切り離すこともできない。

 ずっとまだ、優輝の胸の中でくすぶっているのだ。それを無理に心の手で抑えて、どうにか消そうとしている。そして、火傷に苛まれても手を放せず、燃え尽きようとしているのである。

 そしてそれは、きっとシイナも同じはず

 そんな優輝たちの代わりに、二人の親友が泣いてくれてる。


「千咲、それに朔也……ありがと。うん、そうだね……私、泣いちゃ駄目だって思ってた」


 素直にそう言えたら、自然と視界がにじんでぼやけた。

 まぶたが決壊して、一筋の光が頬を伝う。

 慌ててグイと、手の甲で拭えば……既にもう、涙は留まることをしらなかった。

 そんな優輝に、そっと朔也が寄り添ってくれる。彼は、自分にしがみついてワンワン泣いてる千咲をなだめつつ……そっと、優輝の頭をなでてくれた。


「優輝氏、柏木朔也カシワギサクヤ御神苗優輝オミナエユウキを尊敬しますぞ。敬愛してやまぬ友……しかし、悲しさを選んでまで、優輝氏は守ったのですじゃ、フォッフォッフォ」

「ちょ、ちょっと、笑うか泣くかどっちかにしようよ。あと、なにそのキャラ。……守った、か」

左様さよう。禁断の恋など二次元の世界だけで十分! 優輝氏は、自分の恋より家族全員の幸せを選んだのですぞ」


 大げさな話だと思ったが、素直に優輝は朔也の言葉に聞き入った。

 このままシイナとの関係を続ければ、二人は引き返せなくなる。兄と妹になってからも心を通わせ続ければ、あやまちがさらなる過ちを連鎖させるだろう。

 優輝だって年頃の女の子で、シイナはちゃんと男の子だからだ。

 そして、それが結果的に二人を含む家族全員を不幸にする。

 近親恋愛きょうだいもの不倫ふりんなどは、現実では絶対的な悪徳だからこそ、創作物で花を咲かせる。それを徒花あだばなとわかっているから楽しめるのだ。


「ささ、優輝氏……小生の胸で泣きなされ。そうそう、ウホッ! いやはや、とみに最近優輝氏は乙女らしさがあって、うんうんいいニホイ。そしてこの」

「……なにを、どさくさに、まぎれっ、てええええええ! だらっしゃあああああ!」


 

 明日へとかかる泪橋、完璧なジャーマンスープレックスホールドだった。

 そして起き上がった二人が、エヘヘと泣き笑う。

 自然と優輝も、今度こそ心の中で一区切りつけられそうな気がするのだった。

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