第33話「オータム・オートメーション」

 あの日から、一週間が経っていた。

 優輝ユウキとシイナの関係は少し変わった。

 ほんの些細ささいな、そして決定的な変化を互いに受け入れていた。

 共に親の幸せを願うからこそ、兄と妹になるためにけじめを付ける必要があったのだ。シイナは勿論もちろん、優輝も真っ先に親のことを想うし、心から祝福したい。

 だから、これ以上は互いに好きになってはいけないと感じた。

 それでも、胸の奥に沈めて消すには、まだまだ気持ちはくすぶっていた。

 そんな優輝に浴びせられる、言葉。


御神苗オミナエさんっ! お、俺……好きです! 付き合ってください!」


 ここは放課後の校舎裏で、木々が生い茂るちょっとした雑木林だ。手入れは行き届いているが、学園の敷地内を囲むフェンスまでは、鬱蒼うっそうとした樹木が並んでいる。

 下駄箱げたばこへのラブレターという、古典的な手段で優輝は呼び出されたのだ。

 その相手は、初めて会うけど噂には聞いてた、女子に人気の剣道部主将だ。

 真剣なその眼差しに、思わず優輝は怯む。

 誠実に応えたいのに、その好意を断る理由を失っていたから。


「えっと、うん……ありがとう。でも、ゴメン。私、付き合えない。ゴメンね」


 本当に、申し訳なかった。

 なんだか少し、自分が恥ずかしい。

 あんなことがなかったら、もっとスッキリと断れたはずだ。もうすでに、心に決めた人がいるからと、胸を張って言えた。真っ平らな胸に、収まりきれないほどの想いを抱いて言えた筈なのだ。

 だが、今はもうわからない。

 突然な恋の終わりは、優輝を不安な秋へと孤立させていたのだった。

 剣道少年の男子は、一瞬黙ったあとでほがらかに笑った。


「そ、そっかー! いや、いいんだ。突然スマン! でもさ、最近の御神苗さんって……そ、その、かわいいし……綺麗、だしさ」

「えっ……?」

「そ、そう! そういうさ、切ない顔をするようになったって、みんな噂してて」


 どうりで最近、女子ばかりか男子からも視線を感じる訳だ。

 そんなに変わったのかなと、腕組み首をひねる。

 だが、さっぱりとした性格なのか、目の前の男子は気を悪くした様子もなく「じゃ!」と去ってゆく。

 男子って、そういうとこ強いな……そう思った。

 けど、校舎の影に彼の背中が去ると、少し騒がしい声が聴こえた。


「なっ……主将っ! 泣かないで下さいよ! ね? ねっ?」

「こういう時は、ラーメンっすよ! ラーメンいきましょ!」

「全校生徒の王子様が一点、高嶺たかねの花かあ……いやあ、夏は女を変えるねえ」

「いや、そんなことより主将がガチ泣きして……え? なんでマネージャーも!?」

「なにこれ、どういう修羅場!? とりま、ラーメン! ラーメンが全てを救うと信じて!」


 徐々に、その声が遠ざかってゆく。

 なんだか、ますます優輝はいたたまれなくなった。

 でも、罪悪感を感じることは自惚うぬぼれだし、失礼だとも想う。本当に自分もいっぱいいっぱいで、今はこれが精一杯なのだ。


「泣く程の……こと、だよね。恋だもの」


 なんだかどっと疲れた気がして、小さく溜息ためいきこぼれてしまう。

 そして、改めて思い知らされた。

 恋って、凄い。

 まるで、胸の中に燃える超新星が生まれたみたいだ。そしてそれは、異なる宇宙との接触でまばゆく輝き、星々の海を照らす。まかりまちがえば、負の感情を無限に吸い込むブラックホールにもなってしまうかもしれない。

 まさか、自分が恋に悩む女の子になるとは思っていなかった。

 そしてもう、悩む前に結論は出し終えた筈だった。


「……さて! 元気出さないとね。シイナとも、自然に、自然に。よしっ!」


 気を取り直して、優輝はピシャピシャと頬を叩く。

 今から教室に戻れば、シイナたちが待っててくれる筈だ。今日も一緒に帰るし、寄り道だってするかもしれない。季節は秋、スポーツから芸術、食欲発散まで推奨してくれる実りの季節なのだ。

 自分がくよくよしてると、未来のお兄ちゃんが辛くなる。

 とってもかわいい人だから、その人の妹だってきっと悪くない。

 そう思って歩き出した、その時だった。


「アイヤー! 今のがジャパニーズ・ハタシアイ……アニメで見た通りアルネ!」


 不意に頭上から、声が降ってきた。

 とても陽気な、ともすれば脳天気な響きだった。

 思わず周囲を見渡すと、突然目の前に少女が舞い降りる。どうやら木の上から、華麗に着地を決めたらしい。ひと目で見て、身体能力の高さを感じた。

 同じ学校の制服を来た、とても目を引く美貌の少女だ。

 黒い髪を頭の左右でお団子に結んで、白い肌には切れ長の目が涼やかだ。

 立ち上がった少女は、優輝と同じ細身の長身で近寄ってくる。


「えっと、君は」

「ワタシ、本日ここ、転校してきたアルヨ」

「……えっと、その、ちょっといい? 無理して、ない?」

「なっ……別に普通ですー! てか、ちゃんと勉強してきたもの! 日本では大陸の人間は、こういう喋りがチャームポイントになるのよ!」

「ア、ハイ」


 少女は一瞬、シマッタ! という顔をした。

 それでも、端正な顔を笑顔で飾ってキャラを押し通してくる。


「そゆ訳アル、これからよろしくネ。ワタシ、リー・リャンホアいいます」

「は、はあ……よ、よろしく、リャンホアさん」

「む? むむっ! ……アナタ、ちょと、アナタは!」


 握手を求められたので応じようとしたら、突然ガシリ! と両肩を掴まれた。

 目の前に、とてつもない美人の顔が真剣さを滲ませている。

 突然リャンホアは、目の色を買えて優輝に迫ってきた。


「よく見れば……ムムム!」

「ムムム、って、あの」

「アナタ名前なに言いますか?」

「あ、えと……優輝。御神苗優輝だけど」

「アイヤ、優輝! 好きアル! これ運命的出会いアルヨロシ!」

「は? ……はああああああ!?」


 これは、あれだ。

 シイナが好きな漫画とかアニメのパターン、いわゆる『落ち物ヒロイン』とかってやつだ。実際、木の上から飛び降りてきたから、大体合ってる。

 だが、意味不明だ。

 そもそも、今の優輝に必要なのは、白馬の王子様ではないのか?

 どうして、80年代アニメの胡散臭うさんくさいコテコテなカンフーキャラみたいなのが出てきちゃったのだろうか。だが、リャンホアの目は真剣そのものだ。

 優輝が目を丸くして絶句していると、リャンホアもすぐにはっと離れた。


「す、すまないアル! これその、あれアルヨ! 悪気はないアル! あるわけないアル」

「あるのかないのか……えっと、転校生、なんだよね?」

「応っ! ……って、驚かせてすまないアル。忘れてほしいネ……」

「うん、忘れる。ちょっと、忘れたいかも」

「即答は酷いアルヨ……ゲームならこれ、フラグがバリサン間違いなしアル」

「はは、でも私は女だけど」

「それがいいアル……ま、まあ、忘れてほしいアルヨー!」


 リャンホアは、物凄い健脚で猛ダッシュして消えた。

 いったいなんだったのか……思わず優輝は、目を瞬かせながら言葉を失ってしまった。


「えっと……とりあえず、果し合いじゃないんだけど。ふふ、なんだろ、変な娘」


 謎の転校生、現る。

 これ、間違いなくシイナの好きなやつだ。

 けど、すぐにシイナになんでも結びつけてしまって、思い知らされる。

 まだやっぱり、気持ちが現実に追いついていない。

 そして、永遠に取り残されたままならどうしようと、不安になった。

 いつもの優しい声が、ポンと背中を叩いたのはそんな時だった。


「やっほー? 終わった? 待ちきれなくて来ちゃった、ニシシ」

千咲チサキ……」

「ほれ、かばん

「あ、ありがと」


 親友の千咲が、優輝の鞄を持ってわざわざ来てくれたのだ。

 聞けば、シイナと朔也サクヤは先に帰ったらしい。でも、よかったらまた朔也の部屋に寄り道してゴロゴロしようじぇ! とのことだった。


「あいつさー、変なの。録画してるアニメを、わざわざリアルタイムで見るんだよねえ」

「あー、なんかシイナもそれやってたよ。なにか意味があるのかな?」

「さあ? でも、二人には大事なことなんじゃん? 猛ダッシュで帰ってったよ」

「ごめん、ちょっと待たせちゃった、よね?」

「んーん、べっつにー? さ、帰ろ帰ろ、ついでだからコンビニと朔也んとこに寄って帰ろう」

「う、うん」


 いつでも千咲は、優しい。

 それに最近、以前にもまして魅力的な女の子になったと思う。同性の優輝がそう思うのだから、そうとうのものだ。ネコを被ってた頃より溌剌はつらつとしてて、眩しさみたいなものがある気がした。

 きっと、恋する乙女の輝きなのだ。

 そのことを素直に言ったら、うりうりとひじで小突かれた。


「そういう優輝王子は、どうでしたか? 剣道部の主将はみんなが憧れるナイスガイじゃないですかー! 優良物件だけど、まあ、断るよねー。うんうん」

「ま、まあ、ね」

「……なんか、元気ない? 悩みなら相談乗るけど、話せるまで待つからそのつもりで。あと、なんだか最近……そういう切なげではかない優輝王子の人気が急上昇なんですけどー? あーもうっ、王子様やべーっ!」


 おどけて腕に抱きついてきた千咲が、小さくささやく。

 力になるよ、と優しく笑う。

 だから、優輝も精一杯の笑顔を絞り出すのに苦労した。いつか、どこかのタイミングで話さなければいけない……自分と、シイナのこと。

 だが、文化祭に向けて徐々に活気付く中、激動の日々が近付いてくるのだった。

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