第28話「エアポート・ディスティニー」

 秋の訪れを感じるには、まだまだ残暑が厳しい九月末。

 からりと晴れた日曜日の午後、御実苗優輝オミナエユウキは空港に来ていた。いつもの町からバスで小一時間、郊外に広がる空港の周囲は閑散かんさんとしている。

 まだまだ開発途上な土地には、大型の石油タンク等が並んでいた。


「うわ、時間ギリギリ……もう少し余裕を持って来ればよかったな」


 スマートフォンの時計を確認すれば、すでにもう待ってる便の着陸は近い。ターミナルビルは、片田舎かたいなかの空港とは思えないくらい混雑していた。

 秋の行楽というよりは、スーツ姿のビジネスマンが多い。

 今日はこれから、外国に出張に行っている母親が帰ってくるのだ。


「あ、あれ? なんか……飛行機、遅れてる?」


 待合室では、パタパタと音を立ててアナログの掲示板が到着時刻を塗り替えている。

 どうやらまだ、母の御実苗輝オミナエアキラが乗ってる飛行機は到着していないらしい。

 先週から輝は、ヨーロッパへと出張している。確か、国際刑事警察機構ICPOの本部があるフランスのパリに行って、最後にドイツに寄ってくるはずだ。成田空港で国内便に乗り換えて、今の時間にはもう再会できてる予定である。

 だが、妙だ。

 ターミナルビルに不思議な緊張感が満ちている。

 警備員達が大勢で、ゲートの向こうへ走ってゆくのも見えた。

 ざわめきの中で大人達は、不安げにささやきを交わしている。


「おいおい、今の御時世ごじせいにハイジャックかよ……」

「こんな小さな国内線、襲ってなんになるんだ!?」

「もう片付いたとか言ってたけど、到着はやっぱ遅れるんだな」

怪我人けがにんが出たらしいぜ。ったく、他の便にも影響出まくりだよ」


 まさか、母の乗っている飛行機でハイジャック!?

 一瞬で優輝は、戦慄せんりつに凍りついた。

 急いでサービスカウンターまで行って、大人達が押し合いへし合いしている中へ飛び込む。もみくちゃにされながらも、なんとか空港職員の声を耳に拾うことができた。


「お客様、ご安心ください! ハイジャック犯は既に、偶然同乗していた警察官によって現行犯逮捕されております! 落ち着いて到着をお待ち下さい! どうか落ち着いて!」


 女性の職員が、声を限りに叫んでいた。

 しかし、パニック寸前の周囲は収まる気配がない。

 なんとか人混みの中を進んで、優輝は最前列へと躍り出た。


「あのっ! 母が乗ってるんです……その警察官って」

「ええと、あなたは?」

「警察官の母が、その便に」

「まあ……ごめんなさい、まだ詳しいことが全然わかってないの」


 困った顔で、女性職員は眉根まゆねをひそめる。

 確かに、今も飛行機は空の上だし、地上の優輝達は黙って待つしかない。そして、みだりに取り乱せば混乱は広がる一方である。

 お礼を言って、優輝は混雑するサービスカウンター前を去った。

 情報が欲しいが、スマートフォンをいじっても知っている以上のニュースはまだ流れてこない。焦れる気持ちで到着ロビーの近くに戻ると、見知った姿が時刻表を見上げていた。


「あ、あれっ? ……シイナ?」


 長い緑色の髪を、ツインテールに結った女の子。

 どうみても女の子にしか見えない、女装したシイナがそこにはいた。今日は少しおめかししていて、上品なワンピース姿の白がまぶしい。まるで本当に、いいとこの御嬢様おじょうさまみたいだ。

 優輝の声に振り向いたシイナは、ぱああっと笑顔になった。

 そして、次の瞬間……大きな瞳からボロボロと涙をこぼし出す。


「優輝……ふええっ、優輝ーっ!」

「わわっ、どしたの? 大丈夫?」

「うん……あのね、んと……」

「まさか、シイナもハイジャックに誰か巻き込まれたの?」


 優輝の平らな胸の上で、シイナは泣きながらうなずいた。

 安心させるように背をさすりながら、空いてる椅子いすを探してシイナを座らせた。当然だが、周囲からは心配する視線が少し痛い。

 どう見ても、シイナが家族を心配する健気けなげな少女だ。

 そして優輝は、そんな彼女の彼氏か兄か……どうも、男だと思われてる気がする。

 優輝は普段からそうであるように、今日も適当にTティーシャツとジーンズで出てきてしまった。ここ最近はスカートをはくこともあるが、それはシイナとのデートの時だけだった。


「ほら、ハンカチ。涙をいて。大丈夫だから、ね?」

「うん……パパが、あの飛行機に乗ってるの」

「あ、そっか。確かドイツにいるんだよね」

「珍しく休みが取れそうだから、日本に来るって……ボクに会いに来てくれるって」

「大丈夫だよ、シイナ。ね、元気出して」


 ちょっと周囲の目が気になったが、シイナの手を握った。

 少し体温の高いシイナの手は、とても柔らかくて温かい。


「シイナ、大丈夫……同じ飛行機にね、私の母さんも乗ってるんだ」

「えっ!? 優輝のママも?」

「うん……なんか、さっきハイジャック犯は警察官に機内で逮捕されたって言ってた。多分、母さんだと思う。ホントね、人を心配させることしかしない人なんだ、うちの母さん」


 だが、そんな母親が少し誇らしい。

 優輝は幼い頃に父を亡くした。

 その後はずっと、母が女手一つで育ててくれた。バリバリの警察官僚、キャリア組として出世街道まっしぐら。そして、忙しい中で優輝を時に厳しく、時に優しく面倒見てくれたのである。

 今では立場が逆転して、仕事以外は疲れてダメダメな母を、優輝が支えている。

 二人三脚、御実苗家はいつも笑いが耐えない母子家庭だ。


「そっか……ぐすん、ごめんね。ごめん、優輝」

「謝らなくてもいいよ、シイナ。だって、自分の親が心配なのって、悪いことじゃないもの」

「でも、優輝だって心配なのに……ボク、自分のパパのことばっかりで。不安になったら、なんか心細くて。優輝を見たら、なんか……涙が」

「誰だって怖いよ。でも安心して。私の母さん、強いから」


 そっと肩を抱いて、ポンポンと安心させるように叩く。

 不思議と優輝は、先程までの言葉にできぬ恐怖を忘れていた。シイナが心配でほっとけないから、母親のことを心配する暇がなくなったのだ。そして同時に、心配しなくてもいいよと言われた気がした。

 それくらい、母との絆は強いのだろう。

 シイナに言い聞かせたように、母の輝は強い女性だ。

 強過ぎて既に女傑めいてて、どうやら男運には恵まれないらしいが。


「あ、ほら……シイナ、飛行機が降りてくるって。着陸態勢に入ったみたい」

「ホントだ……パパ、大丈夫かな。優輝のママも、無事だといいね」

「うん」


 時刻を表示する掲示板が、またパタパタと数字を入れ替えてゆく。

 予定時間を過ぎているが、どうやら無事に着陸してくるらしい。

 周囲でも安堵あんどの溜息が連鎖して、それを後押しするように空港職員の声が響く。


「ただいまから着陸いたします! 尚、乗客に怪我人はおりません。どうかご安心を。落ち着いてこのまま、到着をお待ち下さい!」


 そこからの時間は、長いようで短かった。

 ただ、シイナに身を寄せ、支えつつ支えられていた。

 気付けば、握ったシイナの手が握り返してくれていた。

 優輝は不安の中で、いつもより強くシイナの存在を感じる。ああ、……そう思うと、不思議と心強い。守ってあげたいタイプで、とても綺麗な少年。女装が趣味で、ディープなオタクで、そして優しくて大切な人。

 優輝は、そんなシイナを安心させることで、自分も落ち着きを保っていられた。

 そして、乗客達がちらほらと降りてきた。

 駆けつけていたマスコミが、フラッシュをいてシャッター音を響かせる。疲れた様子の乗客に向かって、無数のマイクが差し出されていた。


「……パパ、いない」

「母さんもだ。あ、でもほら、母さんは警察関係者だから、最後まで現場に残ってなにかあるのかも」

「パパは……ううん、無事だよね? ボク、もっと信じてしっかりしなきゃ」

「そうだね、シイナ。でも、無理しなくていいんだよ? 私がついてる」

「うんっ」


 周囲から歓声があがったのは、そんな時だった。

 まるでお通夜つやのような到着ロビーのゲート前で、続いて響くのは……拍手。

 場の空気を塗り替える不思議なできごとが、祝福に満ちて不穏な空気を払拭ふっしょくしていった。その原因が遠目に見えて、思わず優輝は立ち上がった。

 それは、シイナが飛び跳ねるように椅子を蹴った瞬間と同時だった。


「かっ、母さん!?」

「パパッ!」


 二人の声に、長身の男性が振り返った。

 線の細い感じの、とても優しそうな顔をした青年だ。青年と言えるほどに若々しいが、その顔を以前に優輝は見たことがある。そう、シイナの部屋の写真立てに映っていた人だ。女性かと見紛みまが容貌ようぼうの、その人はシイナの父親だった。

 そして、彼の両腕の中に……まるでおとぎ話の御姫様おひめさまのように抱かれた女性がいる。

 それは、

 何故なぜかシイナの父は、優輝の母を抱き上げ出てきたのだ。


「やあ、シイナ。元気そうだね! そっちの彼はお友達かい?」

「あ、あの……ええと、すみません。もう大丈夫ですので……ろしていただいても」

「ああ、失礼。勇敢な女性だ、僕は感心してしまいましたよ。素晴らしい」

「最後の最後で、腰が抜けちゃって……お恥ずかしい限りです」

「ですが、貴女は乗客のために身をていして戦ってくれた。本当にありがとう」


 話が読めないような、ありありと情景が浮かぶような。

 駆け寄った優輝とシイナの前で、大勢の拍手や口笛を浴びながら……その男は輝を下ろした。少しよろけた彼女を支えて、さり気なく腰に手を回している。

 なんでもないように女性に接する、自然な所作しょさがとても不思議な雰囲気の紳士だった。

 そして、言い寄る男のスキンシップを、常に拒絶してきた輝が、今日はおとなしい。

 二人の出会いが自分達にどう影響してゆくのか……まだ、シイナは勿論、優輝も想像だにできない中、運命が動き始めるのだった。

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