第17話「タイドプール・ハートアタック」

 なぎさを歩けば、二人。

 波の音とカモメの鳴き声、そしてけた砂を踏む足音。

 優輝ユウキは今、シイナと一緒に砂浜を散歩していた。

 先程から心臓がバクバクなりっぱなしである。

 パーカーを着込んで隠した薄い胸を、自分の手で抑えてしまう。そうでもしないと、前を歩くシイナに聞こえてしまいそうだから。だが、改めて触る自分の胸は、真っ平らでまるで膨らみや弾力、柔らかさを感じない。

 どこまでもフラットな自分のバストに絶望してると、シイナが笑顔で振り返る。


「ねね、優輝っ! あっち、岩場になってる。ちょっと行ってみようよ」

「あ、うん」

「凄いね。海なんてボク、久しぶりかも。父さんと母さんが一緒の時以来かなあ」


 そういえば、優輝はシイナの家族のことをなにも知らない。

 ただ、親は事情があるらしくシイナとは別々の暮らしで、お金だけを与える生活が続いているらしい。優輝とて複雑な家庭事情なので、込み入ったことは聞かない。

 だが、何かが自分の中で点と点を結ぼうとする。

 線と線とで浮かび上がるのは、どんな形なのだろうか。


「シイナ、足元に気をつけて」

「うんっ! 大丈夫だよ、ほら。優輝もおいでよ、ハイ!」


 ピョコンと岩場に飛び乗ったシイナが、振り返って手を伸べてくる。

 海風が静かに、シイナの下半身を隠すパレオを揺らしていた。

 シイナはこう見えても、紳士なのだ。女の子にしか見えないけど男の娘オトコノコで、やっぱりちゃんとした男の子……凄くかわいくて気遣きづかいもできる、優しい男子なのだった。

 思わず固まってしまった優輝に「ん?」とシイナが微笑ほほえみかけてくる。

 背後ではすでに、ビーチのうわついた有線放送や歓声が遠い。


「え、えと、ありがと」

「どういたしまして!」


 シイナの小さな白い手に、手を重ねる。

 そのまま引っ張り上げられ、一緒に並んで立つ。

 やっぱり、シイナの方がぐんと背が低い。

 それでも、優輝は女の子扱いしてくれた瞬間に胸が高鳴った。先程から爆発寸前でオーバーヒートな心臓は、さらにニトロを打ち込まれたように悲鳴を張り上げる。

 際限なく加速してゆく不思議なときめきが、優輝の中でフルスロットルで駆け抜ける。人生のポールポジション、その先は多分スペシャルステージだ。

 気付けば顔が熱くて、火照ほてる頬が赤くなっていることが恥ずかしい。

 だが、なんとか平常心でいると――


「手、つないでても……いっ、いいよね? 足場が悪いから。危ないから」


 シイナは少し恥ずかしそうに笑って、そのまま優輝をエスコートしてくれる。

 それで優輝は、まだシイナの手を握っている自分に気付いた。

 とたんに恥ずかしくなったが、同時に不思議な感情が持ち上がる。

 その気持に素直に、おずおずと優輝はシイナを見下ろした。


「う、うん……じゃあ、お願い」

「ほら、優輝っ! 引き潮なんだね……あっちにほら、大きな潮溜しおだまりができてる」

「ほ、ほんとだね! 綺麗だね! お魚がいるね! まるで海に来たみたいだね!」

「優輝? ……ふふ、変なの。まるで海って、まるでもなにも海そのものだよぉ」


 シイナは笑った。

 つられて優輝も笑った。

 そうして二人は、岩場の影にできた大きな大きな潮溜まりを並んで覗き込む。小さな魚が沢山泳いでて、かに海星ひとでも見ることができた。皆、潮が引いた時にこのくぼみに取り残されたのだ。

 潮が満ちれば、再び海が繋がりどこにでもいける。

 それがわかっていても今、どこにもいけない現実。

 岩に囲まれた小さな海が、まるで自分の心のようだと優輝は思った。

 肩が触れ合うような距離で、シイナが小さくつぶやいたのはそんな時だった。


「ほら見て、優輝。小さいお魚さんがいる。あそこ、黄色と黒のシマシマの子」

「ホントだ。……かわいいね」

「うん。早く、潮が満ちるといいね……じゃないと、この暑さで干上がっちゃうし。それに――」

「シイナ?」

「みんなと違うのって、大変だから。ほら、周りの魚と色が違う。大きな大きな海の中では気にならないけど……こうして切り取られた場所では、独りぼっちだから」


 そう言ってシイナは、寂しげに笑った。

 優輝はどうしていいかわからなくて、繋いでいた手を強く握る。

 シイナの手は、しっかりと握り返してくれた。

 そうしてしばらく、二人は異彩を放つ小さな魚を見ていた。


「ボク、なんだか変なこと言っちゃった。ゴメンね、優輝」

「ううん、なんかわかるよ。そういうのってでも、シイナだけじゃないから」

「うん……あっ! そうだ! 優輝……なんでパーカー着てるの!?」

「へっ? あ、いや、これは――」

「スタイルいいから、競泳水着って凄く似合うよ! ワンピースってね、優輝。意外と身体に自身ある人じゃないと着れないんだよ? もぉー、それ脱ごうよぉー」


 突然、照れ隠しなのかシイナが甘えた声で笑った。

 思わず優輝は、混乱しながらも頭の中に言い訳を並べる。それをそのまま音読するように言えば、シイナはやっぱり「むー」と上目使いに見詰めてくるのだ。


「つまり、優輝は胸がぺったんこだから……恥ずかしいの?」

「うん……あんまし平らだから、ブラもスポーツタイプばっかりだし。それに」

「それに?」

「昔……付き合おうって言ってくれた人が、いた、けど……一緒に歩いてると、他の人の胸をチラチラ見て……男友達には、あいつの胸はえぐれてるからなー、なんて言ってて。ははは」

「ははは、じゃなーいっ! 駄目だよ、優輝っ! その人、わかってない!」


 シイナは本気で怒り出した。

 優輝は、何故こんなことをシイナに話してしまったのか不思議だ。あの朔也サクヤにも話したことはない……あまりにも恥ずかしくて、当時は軽く死にそうになったのだ。今でも頑張って牛乳を飲んでるが、身長だけがモデル並に伸びただけだった。

 でも、シイナに話したら少し楽になった。

 そして、引きずってはいけないとも感じた。

 きっと、ここで話せたのは……海に捨ててけばいいと思えたからかもしれない。


「そ、そういうシイナだって……パレオ、外さないの? 泳ぐ時は取るものだけど」

「へっ? あ、あの、うん……これは、そのぉ……見苦しい、かな? なんてー、エヘヘ」

「や、やっぱり、えっと……シイナは男の娘で、でも男の子だから、その、チ、チチ、チン」

「そ、そうだよぉ! もぉ、優輝のイジワルッ! ふふ、そうなんだぁ。ボク、ちゃーんと男の子なの。それはでも、優輝がかわいい女の子なのと一緒」


 さらりと衝撃的なことを言われた。

 そして、シイナも耳まで真っ赤になって言葉を続ける。

 うつむいてしまったが、彼はずっと優輝の手を握り続けていた。その手が熱くて、柔らかくて、自然とどちらからともなく指と指を絡め合う。

 これって恋人繋こいびとつなぎってやつだよね? と思った時にはもう……二人の手と手は、完全に互いの中へ相手の手を握り合っていた。


「ボクね、ん……やっぱ女の子は、そゆこと口にしちゃ駄目なの! ボクも今は女の子の気持ちだから、ね? その、男の子のアソコは……えっと、仮にとするじゃない?」

「イチゴ……イチゴね、イチゴ。つまり、オチンt」

「だから、言っちゃ駄目なの! ……外では、駄目だよぉ。でね、女装する時はボク、いつも……イチゴはちゃんとこう、しまってるの。またの後ろ側に、うゆゆ~、ピタッ! て」

「うゆゆ……ピタッ……つまり、えっと」

「そうして、薄手のラインがでないサポーターがあって、それを付けてから下着をはくの。そうするとね、イチゴがふっくらしないの。……でも、今日はね……ちょっと違うんだあ」


 もうすでに、隣のシイナとは密着に近い距離だ。

 潮風が揺らすシイナの翠緑色エメラルドの髪が、サラサラととても綺麗である。


「優輝と一緒だから……今日はそれ、ナシなの」

「えっ? な、なんで?」

「……ボクも男の子だから……考えてみて? イチゴが突然元気になっちゃったら……折り畳んでサポーターで押さえつけてるのに、元気になったら」

「……痛い、のかな。え、それって、どういう――」

「水着の優輝といたらっ! ボク、イチゴが元気になっちゃうかもしれないのっ! ……は、恥ずかしいよぉ、優輝……でも、そうなの」


 そう言ってシイナは手を離した。

 そして、もじもじしつつもパレオをほどく。

 すらりと綺麗な細い足、そして……明らかに見てわかる膨らみが股間にあった。女性用水着の布面積が、そこだけ内側から盛り上がっている。

 ささやかな、しかし、確かな隆起りゅうき

 そこには確かに、シイナの言うイチゴが存在していた。

 だが、シイナは優輝にだけ見せてくれた。

 それを受けて優輝は、全く忌避きひの感情を感じないし、気持ち悪くもない。ただ、漠然ばくぜんとだが男子の肉体構造を思い出し、イチゴが元気になった時にサポーターで押さえつけられてる痛みを想像してみた。

 いわゆる月に一度の女子痛じょしつうと、どっちが痛いかな?

 そんな呑気のんきなことを考えてしまう。


「シイナ、その……見苦しく、ないよ。こういう言い方……その、男の子には嫌かもしれないけど、えっと……かわいい。凄く、すっごく! かわいいよ!」

「優輝……」

「わ、私もじゃあ、ぬ、ぬぬっ、脱ごうかな! パーカーとか着てても熱がこもっちゃうから! は、はははは!」


 優輝もパーカーを脱いでみた。

 間近で見上げるシイナの熱視線が、何故か肌を泡立てる。

 そして、相変わらず女性らしさのかけらもない自分の胸を見渡した。

 たっぷたぷに豊かで、身長差的にシイナの顔が埋もれるくらいの高さに実ってれば、それは凄くよかった。理想だ、夢だ。

 しかし、そうではない。

 ある意味、水の抵抗が全くない理想的な競泳選手の肉体とも言えた。

 だが、シイナはあわてて数歩後ずさった。


「ゆ、優輝っ! あの!」

「……ん、ゴメン。やっぱり、なんていうか……男の子的にはガッカリだよね、残念だよね」

「違うの! 違……っ! んんっ!」

「シイナ?」

「ゴメン! ちょっとゴメン、こっち見ちゃ駄目!」


 シイナは突然……股間を押さえて背を向けた。

 それで驚き、優輝も背を向け返す。

 突然のことで優輝も頭がパニックだったが、はっきりしてることが一つだけ。

 優輝の水着姿を見たら、シイナのイチゴが……きっと、そう。

 そのことを最初から意識してたのだ。

 だからシイナは、普段と違ってサポーターを……


「優輝、えとね……ボクのイチゴが」

「だめーっ! 駄目だよシイナ! 言わないで! イチゴの話はやめてね、ホントもぉ……私も頭が真っ白だよ、うう」

「ゴメン、ボクのイチゴ」

「駄目だってば、シイナ!」

「じゃ、えと、別の話」

「う、うん! 違う話しよ、ちょっと待って! やっぱパーカー着るね! 少しあっち行ってようか? 私、こういうの初めてで……シイナ?」


 その時シイナは、肩越しに振り返って目をうるませた。


「別の話、ね……別の話なんだけど……優輝」

「う、うんっ」

「ボク、優輝のこと、好き」

「うん! ……へ?」

御神苗優輝オミナエユウっていう、とても綺麗で優しい女の子が、好き……恋してる。愛しちゃうこと、許してほしいの」


 衝撃の告白に、優輝は固まってしまった。

 だが、驚きよりも大きな感情がある。

 潮騒しおさいの空気を震わす、素直なありのままの言葉が唇からこぼれ出た。


「私と一緒、だね。好き同士だね……シイナ。うん……私も、好き」

「ボク、変な子だよ? 女装好きで、オタクで」

「私もほら、男子みたいでひょろりと背ばかり高くて、でも」

「うん……ボクも、でも」


 ――好きなんだ。

 その言葉が行き交う中で、自然と笑顔が熱くなる。

 夏の暑ささえ忘れる身体の火照りを、潮風が優しくでて吹き抜けていった。

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