第10話「ドンナカンジ?コンナカンジ!」

 友人たちと下校し、御神苗優輝オミナエユウキは一人の時間を過ごしていた。

 今日は母は、仕事で家には戻らない。

 昨日の残り物で適当に夕食を済ませ、洗濯をしながら予習復習。そうしてアパートで一人で過ごしていると、携帯電話がメールを受信した。

 メールはあの、日番谷ヒツガヤ・シイナ・ラインスタインだ。

 助けて欲しいという曖昧な内容に首を捻りつつ、彼女がいるという柏木朔也カシワギサクヤのマンションを訪れることになったのだった。


「おお、これはこれは優輝氏……お疲れ様ですぞ、グフフフフ!」

「や、さっきぶり。ああそう、これありがとう」

「おお! エウロパヘヴン! どうでしたかな、燃え萌えでござろう」

「面白かったよ。ロボットアニメだけど、敵と戦ってばっかりじゃないんだね。……私、そんなにエウロパに似てなかったと思うけどなあ」

「いやいや! いやいやいや! ベリーショートのエウロパに激似げきにでござるよ」


 出迎えてくれた朔也にDVDを返しつつ、ふと玄関に並ぶ靴を見る。かわいいサンダルはシイナのもので、その隣のオッサン丸出しなサンダルは……多分、雨宮千咲アマミヤチサキだ。そして、部屋へと入るとそれが正解だったとわかる。

 テーブルに勉強道具を広げるシイナと、その隣の千咲が顔を上げた。


「おーっす、優輝! ごめーん、アタシと朔也とでシイナの特訓してたんだけど」

「こっ、こんばんは、優輝。その……ごめんね、こんな時間に」

「え、あ、いや……別に、大丈夫だよ?」


 ちょっと、大丈夫ではない。

 平気ではいられないのだ。

 テーブルに座るシイナの、その見目麗みめうるわしい姿ときたらもう。

 どうみても完璧な美少女で、思わず優輝はドキリとした。昔から女性らしさや女の子らしさとは無縁なせいか、かわいいものに弱い優輝だった。

 シイナは若草色のワンピースを着ていて、なだらかな肩があらわになっている。最近は梅雨入つゆいり前で温かいから、自然と彼女の……否、彼の露出度も高いものになっていた。ツインテールに結った髪は、左右に小さなリボンが揺れている。

 そんなシイナが、涙目で大きな瞳をうるませてきた。


「優輝、ボクね……ボク……

「漢字? ああ、明日の国語の小テスト?」

「うん……読めるんだけど、書けないの」


 つきっきりで教えてた様子の千咲が、かいつまんで手短に話してくれた。

 シイナはドイツ暮らしが長く、漢字が苦手なのだ。

 日本語の喋りが達者なように、読むのは問題がない。以前から日本の漫画やアニメに親しんでいた関係で、読むだけならほぼ完璧なのだ。

 問題は、書けない。

 そういえばと優輝は思い出す。

 シイナとはよくメールで話すが、それはスマートフォンを介してのことだ。ひらがなを打てば予測変換を出してくれる携帯は、とても便利である。

 しかし、漢字の書き取りテストはそうはいかないのだ。

 へなへなとテーブルに突っ伏すシイナの頭を撫でながら、千咲が笑う。

 因みに千咲は相変わらず、すげえ部屋着へやぎ丸出しなジャージだった。


「シイナさ、変な漢字は書けるんだけどね。陰陽いんようとか天地人てんちじんとか、邪眼じゃがんとか堕天使だてんしとか」

「ほかにも書けるよ、ほら! 魑魅魍魎ちみもうりょうでしょ、跳梁跋扈ちょうりょうばっこでしょ、百花繚乱ひゃっかりょうらん酒池肉林しゅちにくりん

「はいはい、シイナ。使わんから。日常じゃほぼ使わんから」

「むー、千咲厳しい。あとはね、抱擁ほうようでしょ、同衾どうきんでしょ、愛撫あいぶ肉芽にくめ強張こわばり」

「はは、ムッツリさんめー! こいつこいつっ!」

「ひあっ、千咲ぃ、くすぐったいよ! あはは!」


 少しあきれてしまったが、シイナにとっては死活問題だ。

 そして、明日は国語の小テストがある。漢字の書き取りがビッシリと五十問、赤点を取ると居残り勉強が待っているのだ。

 シイナにとっては、まさにこれこそ朔也いわく『無理ゲー』だそうである。

 どれどれと、優輝は千咲とは逆側の隣に腰を降ろす。


「シイナ、落ち着いて。私が、私たちがついてるから。まず、出題範囲の漢字だけど、ゆっくりでいいから書き出してみようか。教科書を見ながら、真似まねして書いてみて」

「う、うん」


 シイナはたどたどしい様子で、一生懸命漢字を書き出した。出題範囲にある漢字は、ざっと二百前後……それをシイナが書く度に、優輝も別の紙にその文字を書いてゆく。

 シイナと違って、優輝が書き出す漢字には並びに一つの法則性があった。


「えと、これで全部だと思う! うわあ、多いなあ……覚えられるかな、ボク」

「ほら、シイナ。私の書いたのを見て。同じ数だけど、こうして並べると」

「えっと、んー……あ、わかった!」

「ね? 漢字は多くの場合、

「合体! ボクの好きなやつだね、合体。ふむふむー!」


 千咲も朔也から飲み物を受け取りつつ、のぞき込んでくる。


「ああ、なるほどね。シイナ、これなら覚えられんじゃん?」

「うんっ、千咲。えっと、ヘンとツクリ、カンムリとか、そういう部品単位にわけられない漢字は、二十個くらいだね。あとは全部、上下合体か左右合体かあ」

「そ、だから左右上下にわけられるものだけ、重点的に覚えようか。見ててね……ほら」


 優輝は同じ木編きへんの漢字を一通りシイナに見せる。


「木偏の漢字はね、シイナ。読んで字の如く、植物や樹木に関する漢字が多い。これは、草冠くさかんむりのものもそうだね」

「おおー、そうなんだ!」

「こっちはうめ、そして椿つばきさくら

「うんっ! うんうん! そっかあ、分解して右側の違いを覚えればいいんだねっ」


 そんな話をしていたら、スマホでアイドルのリズムゲームをやっていた朔也が笑う。彼は巨体をゆすりつつ「そういえば」と笑った。


「そういえば、シイナ氏。シイナ氏の名前も確か、木偏の漢字ですぞ?」

「あ……う、うん」

「ええと確か……」

「い、いいよ! ボク、いつもカタカナで書いてるし。あんましね、よく覚えてないんだ。覚えられないの。だから……そ、それよりテストに出る漢字だよぉ!」

「そうですな、グフフ! どれ、小生はちとパソコンで小テスト対策用の小テストを作ってしんぜよう……奇問難問きもんなんもん、山ほど盛り込んでやりますぞ~!」


 優輝はその時、意外な表情を見た。

 いつもにこやかで、見目麗しいシイナ。その顔が一瞬、わずか一瞬の刹那せつな、感情を失った。それはまるで、精緻せいちなビスクドールのように美しいまま……可憐な美を盛り込まれた人形のように固くなってしまったのだ。

 しかし、彼はすぐにいつもの愛らしい女装少年の笑顔を取り戻す。

 先程のはなんだったのかと、優輝は驚いた。


「朔也、どれどれー? アタシも手伝ったげる。あー、ダメ! ダメダメ! そゆ漢字覚えても使えないから! もーっ」

「日本男児たるもの、これが書けなくてはいけませんぞ? 熱血、魂、信頼、必中! あとは、大和! 武蔵! 陸奥! 島風!」

「そんな漢字、テストに出ないって。むしろ……こっちっしょ」

「ちょ、まっ! 千咲氏! ノクターンとかレクイエムとか、漢字じゃないですぞ!」

「えー、夜想曲ノクターン鎮魂歌レクイエムじゃん?」


 なんだか楽しそうだが、二人共シイナのために頑張ってくれてる。

 なにより、そんな周囲の期待に答えようと、シイナが一生懸命だ。そんな彼を見守り、優輝は隣で頬杖をつく。真剣な横顔は、やっぱり小さな女の子にしか見えない。

 ふと視線を下げれば、自分と同じ真っ平らな胸が見えた。

 直視を避けつつ、鎖骨のあたりをつい見てしまう。

 なんだか妙な色気があって、隣にいるとドギマギしてしまった。

 だが、そんなよこしまなことを考えてしまう優輝に、漢字を書き出し続けながらシイナが言葉を向けてくる。ノートを真剣に見詰めて手を動かしつつ、彼は嬉しそうだった。


「なんか、優輝って……」

「ん? どしたのシイナ」

「うん、優輝ってね。あの、怒らないでね……お姉ちゃんみたい」

「ふふ、そう? 同い年だよ?」

「そうなんだけどね、なんか……こういうの、家族みたいで好きだなあ」

「そ、そっか。えと……うん、私も……その、好き、だよ」

「うんっ!」


 その後も少し休憩を挟んで、深夜の勉強会は続けられた。

 夜も更けて十時頃になって、解散となったが……シイナなりに頑張ったので、優輝は心の底から応援しようと思う。だが、ふと気になることがあった。

 シイナは確か、日本人とドイツ人のハーフだ。

 父親がドイツ人だったと思うが、シイナというのは日本語っぽい名前だと思う。日番谷というのは多分、母方の姓なのだろう。

 なにはともあれ、明日の健闘を祈って優輝も家路いえじについた。

 途中まで送ってやったシイナは、分かれ道の十字路で何度も振り返っては、優輝に手を振ってくれたのだった。

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