第9話「セメセメ×ウケウケ」

 放課後の学校は、どこか閑散かんさんとして物寂しい。

 運動部の掛け声も、目の前を通り過ぎて遠くへ響いていく。

 こういう空気は、御神苗優輝オミナエユウキには初夏を感じさせた。

 梅雨入り前の、東北の晩春ばんしゅんさわやかだ。

 そして、そんな中を文化部の部室棟へ向けて、優輝は歩いている。目の前には、日番谷ヒツガヤ・シイナ・ラインスタインと雨宮千咲アマミヤチサキが並んでいた。


「シイナ、なに聴いてんの?」

「あ、これ? アニソンだけど」

「なに? 最近のやつ?」

「ううん、マジスカーZゼットっていうショーワのロボットアニメ。ボクね、ドイツにいた頃から蛟粋郎ミズチイキローさんが大好きで。日本だとすぐにショップでCDが手に入るから嬉しいっ!」

「お、おう。どれ……何事も挑戦だーっ!」

「いいよ? はい、これ」


 並んで歩く二人は、密着に近い距離で肩と肩が触れ合う。

 シイナは耳にしたイヤホンを片方外して、躊躇ちゅうちょなく千咲に渡した。左右に分岐したコードの長さは、男女を経た仲には近くて短すぎる距離だ。

 だが、二人に気にした様子はない。


「ああ、これかあ。昔、朝の再放送でやってたやつじゃん? 腕とか脚とか飛んでくロボットアニメでしょ」

「ロケットパンチだよぉ……って、再放送? 朝に?」

「そ、朝六時から古いアニメやってて……って、シイナ?」

「なにそれ……ボク、聞いてないよぉ。日本、しゅごい……天国だねっ! ね、優輝!」


 振り返ったシイナが無邪気に笑う。

 その眩しい笑顔に、自然と優輝も頬がほころんだ。

 三人は今、柏木朔也カシワギサクヤと合流すべく漫研まんけん――漫画研究同好会――に顔を出すためだ。実は優輝は、ちょっと、ほんのちょっぴり……漫研が苦手だ。趣味や特技に貴賎きせんはないと思うし、漫画は優輝も好きだ。

 漫研には、苦手な人がいるのだ。

 嫌ではない、嫌いではない……しかし、苦手なものは苦手なのだ。

 そんなことを考えていると、ツツツと歩調を落としたシイナが横に並ぶ。

 頭半分ほど小さなシイナはゆるい笑みで優輝を見上げてきた。


「優輝は知ってる? マジスカーZ! あとはね、ゲッツーロボに、コンバートVブイ

「ロボットアニメはあんまし見ないかな……あ、でも今、ほら前に言ってた……エウロパヘヴンを見てるよ」

「面白いよね、望郷悲恋ぼうきょうひれんエウロパヘヴン! ……あっ、これ。優輝も聴く?」


 ついつい差し出されるまま、自然とイヤホンを片方受け取ってしまった。

 千咲と違って背が高いから、自然とイヤホンを共有するためシイナが身を寄せてくる。この距離感は、腕を組むような近さだ。そして残念ながら、どちらかというとシイナが優輝の腕に抱きついてくる形になる。

 よこしまな考えを頭のなかから振り払い、イヤホンから流れる曲に聴き入る。

 見上げてくるシイナの顔が近くて、勇ましい主題歌より自分の鼓動ドキドキの方が鼓膜を勢い良く震わせた。

 そんな時、先を歩いていた千咲が漫研の部室の扉を開く。

 瞬間、聴き慣れた朔也の声が、別の男子の声と一緒に耳に入ってきた。


「お前はメインヒロインのエウロパ好きで、僕は敵側ヒロインのアルエ好きだ! そこになんの違いもありゃしねぇだろうが!」

「違うのだ!!」


 開幕からしてなんの話だろうか?

 あの朔也が声を荒げてるのも珍しいが、それに「違うのだ!!」と真っ向から答える熱さも珍しい。激突する二人の姿は、優輝たち三人を見て振り返る。

 そして……その奥で、漫研の部長が立ち上がった。

 優輝の苦手な人、それはこの学園でも有数の美少女、憧れのマドンナである。


「あら、御神苗さん。いらっしゃい。ふふ、珍しいんですね」

「ど、どうも……森満モリミツ先輩」


 満面の笑顔のメガネ美人は、森満こづり。

 この学園でナンバーワンの人気を誇る三年生の女子だ。才色兼備さいしょくけんび、柔らかな物腰に優しい笑顔、そして一部のマニアの間でささやかれる恐るべき毒舌……真偽の方は定かではないが、優輝にとってはある意味では身近な人間である。

 優輝を取り巻く女子たちの多くは、二つの派閥にわかれる。

 親衛隊隊長だった千咲とのカップリングを喜ぶ者たち。

 そして、その数を遥かに凌駕りょうがする、こづりとのカップリングこそが正義と叫ぶ者たちだ。

 勿論、どちらに転んでも男役は優輝である。


「まあ……そちらの可愛らしい方は」

「あ、うちのクラスの転校生です。シイナ、えっと……まあ、漫研の部長の森満こづり先輩」

「はじめましてっ、日番谷・シイナ・ラインスタインです。よろしくお願いします」

「あらあら、ふふ。こちらこそ、よろしくお願いしますね」


 で、朔也はと言えば……腕組み呆れ顔で見守る千咲の前で、同学年の男子と盛り上がっていた。


「グフフ、一本寺亥助イッポンジイスケ氏……たしかにアルエはかわいですが、それは並び立つエウロパの存在があるからこそ!」

「わかってないな、朔也っ! エウロパを愛してやれるファンは多い! だが、アルエは……彼女は、僕が愛して支えないと! ……ああ、想像するだけで、ぼかぁ、ぼかぁもぉ」

「これはいけませんぞ、グフフ……亥助氏がまた妄想力モウソウヂカラでトリップしてしまったようで」


 だが、激論を交わす二人が楽しそうなので、認め合う仲なのだろう。

 多分。

 そう思いたい。

 きっとそうだと言い聞かせる。

 亥助と呼ばれていた少年は、ちょっと意識を遠くの別次元に飛ばしてるが、大丈夫だろう。そうこうしていると朔也は、部室をキョロキョロ見渡すシイナに気付いて声をかける。


「おお、シイナ氏。そこの漫画本ですかな? 丁寧に扱えば読んで差し支えないかと」

「ホ、ホント!? ……これって、あの、有名な……だよねっ!」

「左様。ニョホホ、よろしいかな? 森満氏」


 微笑み「どうぞ」とにこやかなこづり。

 シイナは瞳をキラキラ輝かせて本棚を見上げる。色んな漫画本が並ぶ中で、シイナが興味津々なのは……妙に薄い冊子だ。それを取り出しペラペラとめくって、ポーッと頬を赤らめる。そして、夢中で読み始める。

 気になって、優輝はひょいと上から覗き込んだ。

 そして、絶句。


「シイナ、これ……あ、いや! いいんだけど! けど、その」

「あっ! こ、これはね、えっと……薄い本なの。でも、、優輝!」

「……ごめん、ちょっとよくわかんない」

「多分、これが日本語で言うってのだと思うの! 薄い本が厚くなるって」

「違うと、思う。でも……そゆの、好き?」


 シイナが読んでいた漫画は、ラブストーリーだ。

 そして、ヒロイン不在な中で男性同士が濡れ場を演じている。

 くちづけを交わして、睦言を囁き合う男と男。

 よほど恥ずかしかったのか、シイナは真っ赤になってうつむいてしまった。


「えと、その……ボッ、ボク、こゆの好き! でも、安心して、優輝……ちゃんと普通に、女の子同士も好きだから! 百合ゆりっていうんだよね、日本だと!」

「んー、女性同士が普通科はさておき……普通になるといいよね。で、そうなんだ? まあ……趣味は人それぞれだしね。私も人のこと、言えないんだあ」

「そうなの?」

「うん。こういうナリでも私、少女漫画とか好きだし。……その、ベッタベタの王子様が出てきたりするやつ。あと、学園のアイドル男子グループに主人公がチヤホヤされるやつ」


 自分で口にして、思わず赤面に顔を手で覆う。

 だが、気付けば千咲は勿論、朔也も議論をやめてニヤニヤ見詰めている。こづりなど、イキイキと優輝を見ながらスケッチブックに鉛筆を走らせていた。

 これだから苦手なのだ……こづりは自分との噂がたっても気にしない。

 唯我独尊ゆいがどくそん、我が道をゆくこづりには関係ないのだ。

 麗しの百合カップリングと見られようが、彼女は動じず揺るがない。

 本物の、そして一流の漫画家になる目標だけを見据みすえている。

 しかし、彼女と一緒の少年部員は違うようだ。


「……はっ!? いけない、また妄想ワールドに意識が。ん? そこの君っ! なんだって卒業生たちが残した同人誌を見てるんですよぉ!」

「あっ、ご、ごめんなさい。……凄く、面白かったよ? ボクの国には少ないから、こういうの。やっぱり日本は凄いね」

「ボクの国? まあ、いい……フッフッフ、凄かろう凄かろう!」


 なにか得意げな少年だったが、こづりがぴしゃりと釘を刺す。


「亥助君も、早くその本棚に並べられるくらいの作品、描けるといいわね」

「グハッ! こ、こづり先輩……」

「まあ、部長のわたしの目が黒いうちは、半端な作品は……ボツ、ですからね?」

「ゲペルニッチ! ……くぅ。描こう……朔也、今日の勝負はひとまず預ける。だが、覚えておいてくれ。僕はアルエが好きで、エウロパは……ちょっとは好きだ。だから、お前に任せる……彼女を幸せにしてやってくれ」


 なにを言ってるのか、優輝にはあまりよくわからない。

 だが、朔也は腕組み「承知しましたぞ」と笑っている。

 そして……恥ずかしげに隣では、シイナがそっと同人誌を棚に戻した。彼は優輝の視線に気付くと、バツが悪そうに小さく笑った。


「ボク、変なんだ……普通の男女の恋愛に、全くときめけないの」

「変じゃないよ。私だって少女漫画読んでると周りに変だって言われるよ」

「そんなことないっ! 優輝は女の子だもん。少女漫画、女の子は好きだもん」

「う、うん。……まあ、ジャンプとかサンデー、マガジンも読むけどね」


 こうして優輝たちは四人で、漫研の二人に挨拶してその場を辞した。楽しい下校の時間で、すぐにシイナも元気になる。

 だが、彼は先程濡れた視線で熱心に同人誌を読んでいた。

 男が男と愛し合う、同性愛の漫画だ。

 それは、男と女の普通の恋愛に憧れる優輝には少し刺激的だった。

 そして、周囲が自分に求める恋愛が結果的には同性愛だが……自分が男役でしかないから、なかなかそう思ってもらえない。

 シイナはでも、そういうことを隠さず言ってくれるから、いい友達でいられるとわかるのだ。だが、そんな二人が仲良し四人組の中で……徐々に特別な者同士になりつつある。それが全くわからぬまま、二人は並んで仲間と家路いえじへと急ぐのだった。

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