第5話「コンビニエンスストア」

 中途半端な時間にラーメンを食べたが、御神苗優輝オミナエユウキは困らない。

 もともと家は親一人子一人の母子家庭で、夕食は一人で不定期な時間が多かった。だから、おやつを兼ねた少し早い夕食が友人たちと一緒だったから、楽しかった。

 だが、まだまだ育ち盛りな十六歳の肉体が、空腹を深夜に訴える。

 そのくせ、胸にはまったく栄養が回ってこないのが少し恨めしかった。

 だから彼女は今、夜道をコンビニに向かって歩いていた。


「……本当は、夜食を食べると太るらしいんだよね。なんかの本で読んだ。それと……女の子は少し肉付きがいい方が、男子受けする。ガリガリ卒業しなきゃ」


 春とはいえ夜道はまだ肌寒く、部屋着にコートを引っ掛けてきて正解だった。

 二人暮らしのアパートから一番近いコンビニまで、歩いて五分。大通りに出れば車の行き来もまばらで、時間は既に十時近い。

 肩で風切り、颯爽さっそうと優輝は歩く。

 その脳裏に、先程の母とのやり取りが思い出された。




 母は女手一つで優輝を育ててくれた。

 そんな母の影響があっての自分だと、思わなくもない。

 優輝の母は、言うなれば女傑じょけつだ。

 女だてらに警察幹部で、全国区の有名な女性警察官だった。ポスターにも何度もなったし、凛々りりしいその姿は事件があるたびにワイドショーに呼ばれている。忙しくて家にはほとんどいないが、宝塚たからづか男役おとこやくが演じてるような美人婦警が、安アパートに娘と二人暮らしとは誰も思うまい。

 その母、御神苗輝オミナエアキラとは夕方に家で会った。


『お帰りなさい、母さん。……大丈夫?』

『ダメ、もうダメ……死ぬ。忙しくて死ぬ、忙死いそがしぬ!』

『着替えるよね? あと、お風呂』

『お願い……一時間後にまた出なきゃいけないの。優輝、ご飯は?』

『ん、友達と外で済ませちゃった』


 みんなの憧れ、警視庁のマドンナとさえ言われた輝は、優輝に似ていた。

 それは逆で、優輝が輝に似て育ったのだ。

 血を分けた親子であることを無言で語る、端正な顔立ち。

 そして、男勝りな輝譲りの、さっぱりとした性格。

 そんな優輝が見る輝は、いつも家ではだらしなく玄関で崩れ落ちる女だった。このあと風呂に入って急いで着替えて、まだ仕事に出かけるのだ。最近、隣町で立て続けに殺人事件があったから、彼女はマスコミ対応に追われてる。

 でも、優輝はいつも母が好きだった。

 自分にだけは、なにも取り繕わずだらしない姿を見せてくれる。


『なに食べたの、優輝。あたしはまた、仕出し弁当だった……もーやだ、揚げ物いやだ! お刺し身食べたい、お寿司とか。んで、冷えたビール』

『はいはい。お風呂、沸かしてあるよ』

『ありがと、優輝。いつも悪いわねえ、ゲホゲホー、ゲホホー』

『それは言わない約束よ、おっかさん……って、棒読みなんだけど、母さん』

『疲れてんのよ、くっそー! 今日も本部長に……再婚相手を紹介されそうになったー! もーやだー! あのハゲ、お見合い強要罪で懲役三万年! 絶対やだ』


 ずるずると身を起こして、愚痴ぐちりながら母が廊下に衣服を脱いでは捨てる。それを後ろから拾って歩きつつ、狭いアパートで優輝は風呂場へと母を見送った。

 素っ裸になった母も、やはりというか、全くもって起伏に乏しい身体をしている。

 自分と同じで、細身で肋骨ろっこつが薄っすら浮き出ている、痩せ過ぎとさえ言える身体だ。

 半ば押し込むようにして母を風呂場に詰め込み、着替えの用意をする。

 湯気の中に反響する声は、まだアレコレ叫んでいた。

 苦笑が浮かぶが、そんな母が好きで、勇気は密かに尊敬していた。


『優輝ー! あたし、あれ食べたい……島豆腐しまどうふプリン。あのガチプルに固いプリン、食べたーい!』

『あとで買っておくよ。今は……えっと、冷蔵庫にゼリーがあるよ。蜜柑みかんのやつ』

『やたっ! 十五分で出るから、冷凍庫に入れといて! チンチンに冷やしといて!』

『……オッサンだよ、母さん。昭和の人みたいだってば』

『どーせオッサンですよー、三十路みそじなかばを過ぎればオッサンまっしぐらですよ! ぐへへ、優輝ちゃーん? こないだの子、どうだった? 初デート、うまくいったー?』

『記録更新』

『ありゃ。ま、気にしない気にしない! 男なんかね、仕事の合間に見繕うくらいでいいのよ。やりたいことやんなー? あー、極楽! しみるー! このまま寝たーい!』


 母は学生時代、初恋の末に優輝を産んでくれた。

 正義の警察官を目指す母のため、父は学業のかたわら赤ん坊の優輝を母と育てた。

 父は早くに亡くなったので、思い出は全くない。

 気がついた時には仏壇の人で、飾られた笑顔の写真しか知らないのだ。

 だが、母を見てると父の人柄が知れて、やっぱり感謝してしまう。

 そんな母の口癖が『男なんか』である。


『男なんか、か……シイナや朔也サクヤはいい奴だけどな。……シイナ、男なんだよね』


 だが、冷蔵庫を開けつつ呟く優輝は、想像してみても全く現実感がない。学校の制服でズボンをはいてても、日番谷ヒツガヤ・シイナ・ラインスタインという少年に異性を感じない。

 感じないのに、想えてしまう気がして、自然と頬が火照ほてる。

 そして、優輝が思い出せばいつでも、頭の中のシイナは可憐な少女なのだった。

 その後、風呂からあがった母は優輝と話しながら、冷えた蜜柑ゼリーを食べて着替え、再び出ていった。優輝も明日の予習をして、軽く本を読んでいたのだ。

 腹の虫が少し騒がしくなってきたのは、そんな夜だったのである。




 行き交うヘッドライトとテールライトは、長い間隔で通り過ぎてゆく。

 歩道を歩けばすぐに、明るい一角が近付いてきた。

 闇夜の中に浮かぶコンビニの光は、いつも暖かく見える。だからつい、店内を回れば買い過ぎてしまい、食べ過ぎに繋がるのだが……十代の少女にとって、甘味料もサンドイッチも魅力的で、ポテトチップスの類などは麻薬にさえ思える。

 そんな誘惑で率先して堕落すべく、優輝はコンビニのドアを開いた。


「らっしゃっせー」


 けだるげな店員の声を聞きつつ、客足の落ち着いた店内に入る。

 客はまばらで、数人しかいない。

 まずは買い物かごを手に取り、これはいけないと内心思う。かごを持つから買い過ぎてしまうのだが、だめだなあハハハと思いつつそれを腕に通して肘にかけた。

 そうして歩き始めた瞬間……優輝の耳を威勢のよい女の子の声が貫いた。


「ちょっと待ちなさいよ、おっさん! アンタ、盗撮したでしょ! 今、この子のスカートの中、携帯で写してた!」


 突然、物騒な言葉が響く。

 そして……その声は、優輝にはどこかで聞き覚えがあった。

 なにごとと店員が首を伸ばす方向へと、棚を回り込む。

 コンビニの奥を見やれば、スイーツ売り場の前で男が動揺も顕だ。身なりはちゃんとしているが、表情は明らかに常軌を逸している。そして、そんな男の手首を掴んでいる少女は……優輝のよく知る人物だったのだ。

 だが、それがすぐにはわからない。

 気付けない……それくらい、普段とは雰囲気も容姿も違っていたから。

 そしてなにより……少女の後でうつむく姿に思わず声をあげてしまう。


「君は、シイナッ! どうしたの、シイナ」


 涙目で顔をあげたのは、シイナだ。

 ツインテールにしたみどりの髪に、タートルネックのセーター……そして、綺麗なフリルのついたスカート。彼女は……もはや彼女としか形容できないシイナは、優輝を見てますます目をうるませる。


「あっ、優輝……あの、ボク」


 思わず駆け寄る優輝の前で、男が逃げようとする。

 その腕にしがみつくようにして、先程の少女は再び叫んだ。


「おうこら、逃げんな! 女の敵! アンタねえ、いいおっさんがなにしてくれんの……この子に謝りなさいよ! 写真消して、謝れ!」


 やはり、知ってる声だ。

 そして、見知らぬとしか言えないが、知り合いだ。

 そんな少女は男を引き止めつつ、店員を探して周囲を見渡す。その目が優輝と合った瞬間……彼女は大きく見開いた瞳を丸くした。

 それは、優輝も同じだった。

 辛うじて、そのを見て名前が喉奥から零れ出た。


「あ、あれ……千咲チサキ? だよね? 雨宮アマミヤ千咲チサキ

「あっ、優輝! ……様。えと、これは」


 地味なジャージに、つっかけのサンダル姿。そして、やはり彼女もまだ寒さを感じているのか、ドテラを着込んで腹巻きをしている。そんな格好の少女は、間違いなく同級生にして友人、並み居る全校女子を代表する優輝のファン……親衛隊の隊長とうそぶく雨宮千咲なのだった。

 深夜のコンビニで、優輝は美少女のシイナと再会し、別人の千咲と初遭遇した。

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