第3話「ジョソウ、ジョソウ、ジョソウ」

 御神苗優輝オミナエユウキの長い長い午前中が終わった。

 まだ教科書を持っていなかった日番谷ヒツガヤ・シイナ・ラインスタインは、先生に言われるままに机をくっつけてきた。一冊の教科書を挟んではにかむ、その可憐な笑顔にやられっぱなしだ。

 午前中の授業が終わった段階で、優輝は気疲れに崩れ落ちる。

 つい、意識してしまうからだ。

 だらしなく机に突っ伏して、隣を見やる。

 シイナは大勢のクラスメイトに囲まれていた。


「……ポニーテイルも、いいよねえ」


 思わず口に出てしまった。

 昨日のツインテールもいいが、腰まで伸びる総髪そうはつもイイ。つやめく翡翠ひすいのような髪は、一日を折り返した陽光が差し込む教室で光を波立たせていた。

 流暢りゅうちょうな日本語で、シイナは級友たちの話に丁寧に答えている。

 ぐでんと伸びたまま、それをぼんやりと優輝は眺めていた。

 そんな時、頭上から声が降ってくる。


「優輝様、お疲れですか? ふふ、優輝様でもそんなだらしないとこ、ありますのね」


 顔をあげると、クラスメイトの一人が笑顔で見下ろしていた。

 ウェーブのかかったセミロングの髪は紅茶色で、ヘアバンドで前髪を抑えている。広い広いおでこはピカピカで、穏やかな笑みと共に理知的な印象を与えていた。


「や、やあ、千咲チサキ。イメージが台無しだろ? 私だって疲れることがあるんだ」

「いいえ、ちっとも。ぐったりしてる優輝様も素敵ですわ」


 この少女の名は、雨宮千咲アマミヤチサキ

 クラスメイトで、優輝の第一の友人を自称する変わっただ。その印象は、お嬢様……さる大企業のご令嬢だから、リアルお嬢様である。噂では優輝の親衛隊の隊長を務めているとか。

 ちょっとやり過ぎだと思うけど、悪気がないだけに無碍むげにもできない。

 そして、千咲は優輝にとっては数少ない同性の友達なのだ。


「優輝様、今日も下級生の子たちから贈り物がこんなに……調理実習、クッキーだったみたいですの。皆さん、本当に熱心ですわね」

「あ、ありがたく頂戴するよ……なんか、凄い量だね」

「ほら、まだ教室をのぞいてますわ。かわいい子猫ちゃんたち……みんな、優輝様が大好きでしてよ」

「……は、はは、そう……はぁ」


 抱える程に大量のクッキーの包を手に、教室の入口を振り返る。

 こっそり覗き込んでる下級生たちが、サッと顔を隠した。

 芸能人でもあるまいしと、苦笑しか出てこない。

 それは、千咲にとっても同じことが言えた。


「ねえ、千咲……いいかげんその、優輝様っていうのやめない? 私、普通の友達の方が嬉しいんだけど」

「いけませんわ、優輝様」

「いけません、かあ……」

「ええ、いけませんの」


 笑いを引きつらせて、再び隣の席へと優輝は視線を逃がす。

 質問攻めにあっているシイナは、嫌な顔ひとつせずほがらかに笑っていた。

 だが、そんな彼の正直で素直な言葉が、周囲を凍らせた。


「えっと、趣味? だよね。ボクの趣味はなんだあ」


 ミーハーなクラスメイトの全員が、目を点にして固まった。

 すぐに優輝の中で、昨日のかわいい美少女が浮かび上がる。

 そして、男子の制服を着てても、今のシイナが女装を口にすればシャレにならない。おいおい勘弁しろよと笑えない、そういうレベルの説得力がある。

 女装という単語がまだ、周囲で黙ってしまった者たちには通じてないようだった。

 千咲も「あら」と頬に手を当て考え込んでいる。

 気付けば優輝は、慌てて助け舟を出していた。


「あ、ああ、だよねっ! 草むしり! シイナちゃん、じゃない、シイナ君はほら、花が好きなんだよ、ね? ねっ!」

「あれ、優輝……なんで知ってるの? ボク、うん……お花も大好きだよ。で、一番の趣味は女装なの。他には――」

ね、助走をつけて! ホップ! ステップ! ジャーンプ! って……運動も得意なんだよね、うんうん」

「そうかなあ、ボクすっごくどんくさいから。ふふ、体育は苦手、かなあ」


 ドイツで暮らしていた帰国子女きこくしじょだからと、だんだん周囲が勝手に納得してゆく。不自由な日本語を頑張って使っているんだと、誰もが顔を合わせて頷いていた。

 優輝は薄い胸を撫で下ろして、妙な汗に凍えてしまう。

 やはり、昨日の出会いと今朝の再会は本当だった。

 あの美少女は、女装したシイナだったのだ。

 だが、そのことを隠すでもなく、シイナはニコニコしている。


「あとはホクね、日本のアニメや漫画が好き。ゲームもすっごく好きだよ? 頑張って日本語覚えたんだあ。ドイツだと、なかなかグッズも衣装も手にはいらないけど」


 周囲の何人かは「おおー」「いいねいいね」「どんなの見るの?」と空気を変えてくれた。優輝もやれやれと一安心。千咲がいぶかしげに首をかしげているが、シイナは相変わらずぽややんと喋っている。

 この世には、イケメンにだけ許されることが多々存在する。

 ただしイケメンに限る――と呼ばれる現象だ。

 そして、シイナはイケメンというよりは、かわいくて愛らしいショタっ子だ。

 イケメンとして扱われることに慣れているから、優輝はそう思う。

 シイナがサブカルチャーの趣味を公言しても、誰も嫌な顔はしなかった。

 だが、そうでない人間も残念ながら存在して、それは悲劇だった。


「おおっと、日番谷氏……デュフフ、今期はどのアニメを見てるのですかな? 小生、『魔法少女まほうしょうじょラジカル☆はるか』を中心に全部チェックしてましてなあ。週に40本のアニメを見るのは骨でして、しかしやめられんのですよ」


 なにかを察したように、シイナの周囲から人だかりが後ずさった。

 そんなに嫌な顔をする必要はないのに、と優輝は思う。

 多分、気にする素振りも見せない柏木朔也カシワギサクヤにも原因があるだろう。でも、そのことにも無頓着な彼はまぶしいし、優輝はこざっぱりしてて好きだった。

 シイナはまた、こみ上げる嬉しさに笑顔を花咲かせる。


「ボクもそれ、見てるよ! ドイツはね、二週間遅れなんだ。今、はるかちゃんが魔法のアキレス腱固めで負けちゃったところ」

「おおう、ならばネタバレ厳禁ですな、グフフ……二週間遅れ、逆に考えるんですぞ? 二週間も他の地域より長く、はるかちゃんを楽しめるのですからなあ」

「うんっ! そうだね。ボク、はるかちゃんの衣装も欲しいんだけど、ドイツだと輸送費の関係もあって高いんだ。試着もできないし」

「小生のオススメは自作ですなあ? 自分で作れば愛着バツギュン! その上ローコストで再現度も思うままでござるよ、ニンニン」

「そっかあー、確かに……ボク、ぶきっちょだから大丈夫かなあ」


 話が、弾んでいる。

 会話が噛み合い、なんとも楽しそうだ。

 シイナの意外な一面に改めて驚きつつ、優輝は机に頬杖ついて見守る。朔也を見上げて一生懸命に話すシイナは、黒目がちの大きな瞳をキラキラさせていた。

 思わず頬が緩んでいたのか、千咲の声も柔らかい。


「まあ、優輝様……優しいお顔」

「ん? いや、そんなことないよ。いつも通りだけど……なんか、にやけちゃってた?」

「いつも通りなら、それはやっぱり優しいお顔ですわ」

「そうかなあ」


 だが、オタトークに花を咲かせる二人を見て、千咲の声がかげる。

 それは、優輝が初めて聴く暗くて冷たい声だった。


「チィ……あるがままに喋ってまあ、まったく」

「ん? どしたの、千咲」

「あっ、い、いえっ! なんでもありませんわ、ホホホホ!」


 一瞬だけ通り過ぎた違和感は、優輝が気にして心配する余裕を持たせない。そこにはいつもの千咲の微笑があって、隣からも声が呼んでくる。


「御神苗氏! 小生、放課後にシイナ氏をお誘いしましたぞ? 三人でアニメイトに行ってから、ラーメンを食べるのです……グフフ。小生、御神苗氏におごると約束しましたからなあ」

「えと、優輝……ボクも、いい? 一緒に、遊びに行きたいなって……駄目?」


 上目使うわめづかいにシイナが身を寄せてくる。

 優輝の頭の中に、ゲームの画面みたいに選択肢が浮かんだ。


YESイェス

  OKオッケー


 考えるまでもなかった。

 二つ返事で承諾したら、嬉しそうにシイナが笑顔で頷く。

 千咲も誘ってみたのだが、彼女はやんわりと断った。

 そういえば、優輝は朔也とよく下校中に寄り道をする。そのことで朔也は随分女子に評判が悪いらしいが、気の毒だと言うといつも笑うのだ。

 確か、アニメイトというのは駅前にある大きなアニメグッズのショップだ。

 それがドイツ暮らしの長かったシイナには、初体験の夢の国らしい。

 こうして優輝は朔也と一緒に、シイナに街を案内することになったのだった。

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