iii.憧憬

35.少女憧憬

余剰なく

適切な

肌の面積

須恵器の質感 新品の

小さな肩を

振って景色を

塗り替えながら

少女は

駆けてくる


小さな肩

愛らしい腕

すばらしい光沢の

ガラスに包まれた坍縮星ひとみ

まなざす世界はこのさき

何度となく書き直される

俺の郷里に生まれた彼女の

体で生きるとき

郷里という言葉は脱落した


山間を繋ぐ橋を

少女と渡る

故郷に住んでいたあの頃には

なかった橋から

見下ろせば屈曲した

道路を自転車で行く

高校生の俺が見える

それを 飛び越していくが

少女の体で生きてみるとき

そんな俺はありはしない

彼女にとって

そのはじめから俺はここに

こうしている俺だった

雨に洗われた森がまた色吹き返す

深緑ででもあるように

辛いことはみな流れ

新しい風が ありえた傷を

眼に刻印しなおしていく


少女 ふしぎな肉体

俺が同じ年頃を生きていたとき

なかった肉体

少女 十歳を生きている

いま二十歳とならんで


「立派な若い衆になって」声がして

たちまち私は成人の体来歴ある者へ回帰する

こちらへ微笑む老女

老女に微笑みを返す

老女の顔に

おぼえはないが

あちらは俺を知っているとみえ

俺をみて言う

立派になって と

すっかり大人になって と


振り返ると少女は

はるか はるか はるかの

喪神するほどに遮断された地点にいて

あどけない表情をしていた

電車の窓の刹那に現れじき消える

野花のはるかさで


俺の体は来歴に

こんなに汚れてしまった

寄る年波に抗えず余った表皮 古傷もあり

大きな手 目線の高さ

私の望みなど意に介さず成人した

分不相応な体が

少女と並ぶと悲しみの

深い夜が呼び込まれる

降るほどに

澄みきった闇を刺し通してくる

星明かりを掴もうとして

いつまでも空想の手を伸ばしていた

掴むことははじめから

失われていると知ってなお

いつまでも いつまでも 狂おしく

伸ばしつづけないではいられなかった


少女が駆けていく

いましがた俺と話していた少女は

もう別の興味をおこして駆けていく

みるみる遠くなる少女までの距離

何にも代えがたくさびしく美しい距離

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