十八

 こういう関係をちまたでは何と呼ぶのだろうか。

 二日続けてのセックス。私は急いでシャワーを浴び陽光溢れる自室へ戻ると、ドアにもたれたまま床にしゃがみ込んだ。

 思い出すと興奮でまた胸がドキドキする。

 今はお昼、午前十一時五十分。

 さっきまで鼓歌のアトリエにいたのだ。


 あんな野性的なセックスは生まれて初めてだった。

 その時すでに、私は全身が性感帯のように敏感になっていた。自分の身体じゃないみたいに。快感が欲しくて我慢出来なくて、でもうまく言葉に言い表せない子供のようにさらに私は泣きじゃくる。

 彼はずるい。私の身体がどうなるか知ってて、そう導いたのだ。私の反応の限界を見極め、愛撫で誘導していった。

 私はまるで濡れた瞳を持つ異国の迷子のようだ。

 帰り道をなくし、心細くて言葉も理解出来なくて、どこへ向かえばいいのかわからない。彼に従うしか道がないみたいに、最後すがるように果てた。


 だからまだ、私の瞳は泣きはらしたまま赤い。

 愛されてると思いたくて、でも自信がなくて反省点ばかりが頭に浮かぶ。付き合ってもいないのに、身体を任せる軽い女の子って思われてるかもしれない。

 でも最初のキスは知り合って三回目のデートでとか、セックスは三ヶ月目じゃなきゃとか、六ヶ月目の記念の温泉旅行でとか。そういった三の倍数じゃないと愛を確認出来ないシステムはよくわからなかった。

 タイムスリップしたように現実に戻ると、自室でしゃがみ込む私が全身鏡に映っていた。ふしだらに濡れた髪をたらした私が、何か言いたそうにじっとこちらを見ていた。



 気持ちを新たにするには、四季が移り変わるのもひとつの助けになる。

 初秋の季節。今年の九月は、八月と地続きみたいでうだる暑さだったけれど。

 途中歩いてだこみたいになるのは嫌だったので、私はバスとタクシーを使って大船のカルチャースクールまで行った。

 店長との打ち合わせは夕方の四時だった。

 人見知りの私は、電話とメールでしかやり取りしてない方と対面するのは結構な緊張が伴う。でも仕事にありつけないと生きていけないし、手配して下さった川緑先生にも申し訳ない。ここで泣き言なんて言ってられない、頑張らなきゃ。


 受付で私を出迎えてくれた宮前みやまえ店長は、五十代前半の笑顔の朗らかな女性だった。母性の固まりのような雰囲気は想像していた通り。

 接客のプロフェッショナルらしく、親密な動作で一気に距離を縮めてくれる。でも流石の眼差しというか、私を判断しようとする瞳の奥は抜け目ない感じがした。

 その時――。


「……果耶? え、嘘。果耶だよね!?」

 えっ?

 私は突然受付カウンターの中から聞こえたその声の主、若い女性スタッフに目をやる。

「あっ、もしかして……菜々美なの?」

 店長と同じ制服を着た、受付側にいる女性スタッフの懐かしい顔に私は驚く。それはお互い同じ気持ち、久しぶりの嬉しい再会だったから。

「店長! 実はこちらの小笹果耶先生と私、中学時代の同級生なんですよー」

 丸顔とくせっ毛が特徴の秋田菜々美あきたななみが興奮気味に言い、私の手を取った。そして、相変わらずの人懐こい仕草で笑った。


「マナー講座の先生が果耶だったなんてー。すごいね。川緑先生のお弟子さんとしか聞いてなかったからびっくりしちゃった!」

「そうなの。……実は、母のあとを継いでマナー講師をやっていこうって思って……こちらに講師登録させて頂いたの」

 私は「母の跡……」のところで少しだけ瞳を伏せる。

「有名なお母様はお元気? 美人のお母様のこと、よく覚えてるよ」

 菜々美は屈託なく言う。母の跡を継いでという言葉に反応がなかった。まさか、亡くなったとは思っていないからだろう。

 私は菜々美の知らないまま、どうかこのまま、母の死がすっぽりと消えてしまったらどんなにいいだろうと一瞬のうちに思ったりした。

「母は今年の初めに亡くなったの……」

 菜々美の笑顔が消える前に私は店長に向き直り、草のお辞儀をする。店長は優しく微笑み、奥の教室へ私を促した。


 無機質な教室には似合いの、会議室で見かけるテーブルがいくつも置いてあった。

「どうぞ、小笹先生。こちらへお座り下さい。履歴書はお持ちになってますか? ありがとうございます。早速ですが、……秋の講座案内のチラシが二週間後に出ます。案内の内容につきましては川緑先生とすでに打ち合わせ致しましたので、今日はその後の体験会について小笹先生と内容を詰めたいと思っていますが。……それでよろしいでしょうか」

「はい」

 私はお行儀良く、すました笑顔で小さく頷いた。


「小笹先生のマナー教室は、こちらのお部屋で月二回・隔週土曜日、午後二時から一時間半のお授業を予定しております。……予定というのは開講したらという意味です。生徒さんが集まって開講というのがカルチャースクールの前提ですから。今回の無料体験会で生徒募集を行ってそれで生徒さんが集まれば講座開講出来ますが、生徒さんが入会しなければ開講することは出来ません。……その場合は、スペシャル講座や次回の案内でまた募集を行おうとは思っています。ですがそれはやむを得ずの案ですので、ぜひ今回の開講を致しましょう! 先生、何名からの開講になさいますか?」


 先程から何度も先生と呼ばれるのが、耳にくすぐったい。

 何名から開講……。考えてもいなかった。誰も入会しなければ教室は開講出来ない。確かにそうだ。

 そうなると、私の働き口はなくなる。もちろんお給料もなし。最小は何名でもいいけれど、でも、出来るなら母のお教室のように定員一杯、キャンセル待ちになるほど埋まらせたかった。


「普通は何名くらいからですか」

 私がちょっと心細げな声で聞く。

「そうですね……。決まりはありませんが、無料体験会にだけ参加するような方も実際にはいます。カルチャースクールの授業料は三ヶ月前納制で頂くシステムなので、それに躊躇される方もいるんです。なかなか生徒さんが集まらない講座もありますよ。なので、私からは出来れば一人二人でも開講して頂き、徐々に生徒さんを増す方向でと考えているんです」


 なるほど、そうか。生徒が入会するのは、思ったより難しそうだ。

「わかりました。……では、二人からでもいいですか?」

 一名でも私は問題ないのだが、何となくマンツーマンだと生徒さんに気まずい思いをさせる気がした。

「承知しました……もちろん、よろしいですよ。それでは、カルチャースクールの規定、授業料や先生にお支払いする掛け率などの説明を致しますね」

 店長は何度も口にしたであろうよどみのない説明で、私に分かりやすく様々な仕組みを教えてくれた。


 私が貰えるお給料(授業料からの取り分)は四十パーセントだそうだ。他のスクールは三十パーセントのところもあるという。これでは早急に何カ所か開講させて、生徒さんを増やさなければパートタイムのお給料くらいにしかならない。交通費も出ないし。

 実際、店長も最初は宣伝費のように思ってほしいと言った。カルチャースクールで講師をしているという肩書き。そして、スクールから発信してもらえる広告。

 私はスクールの講師以外は、川緑先生のアシスタントのお仕事がある。でもそれだけではたりない。どうにかして生徒を増やさなければ。

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