十六夜

「えー、嘘ぉ。美佳って、実は相当な切れ者だったの!? 意外とやるわね。しかも、果耶が襲われた動画に使ったスマホ、実はオーナーのものだったなんて。マジウケる。オーナー、かわいそー!」


 貴子、笑いすぎ。

 お風呂上がりの私たちはシェアハウスのリビングにいた。貴子が三本目の缶ビールを手にして爆笑してる。ほら、口元にポテチのくずが付いてるよ。

 確かに貴子の言うとおり、美佳がとっさに盗撮という機転を働かせてくれたから、渋谷を追い詰めることが出来た。まさか、スペイン料理屋のオーナーの携帯を借りてやってたとは思わなかったけどね。

 もしかして、渋谷に壊されることまで見越した決断だったのだろうか。

 これだから裏表のある女は怖い……よね。みんなも見た目に惑わされないで。良くも悪くも、おとなしくて善良なだけの人間なんていないんだから。


 私は今日あった鎌倉での武勇伝を、貴子と鼓歌に話して聞かせているところだった。普段、未亜と夜を過ごす鼓歌が珍しく下のリビングで一緒だ。今週末、未亜は横浜の祖母の家へお泊まりに行ってるらしい。

 私は喋りながらテンションが上がってきた。


「うん、美佳もね。真相の断片に気付いてはいたのよ。ただ、それはバラバラの破片ピースで、ワインボトルの中身を入れ替えてるとまでは行き着いてなかった。だから実状を自分の目で確認したかったのと、決めてがほしくて私をお店に誘ったって訳。二人とも大してワインなんて飲めないのに、美佳がボトルで注文したのをおかしいってすぐに気付かなきゃいけなかったんだよね。あとでオーナーに確認したら、渋谷が出勤してる日だけ味がおかしいってクレームがあったって言うじゃない。美佳がボトルワインを頼んだのは無意識だったけど、きっとどこかでその話を聞いてて頭の隅にあったんだわ」


 私はペットボトルの紅茶を一口飲む。

「……渋谷は結局あの後すぐ、警察で全て自供したの。小心者の小ずるいチンピラ。私たちみたいなワインを知らないお客様にね、高級ワインの空ボトルに安いワインを入れ替えて、高級ワイン代金を着服でしょ。少額ずつだけどレジ売上金の横領。それらをバイトの女の子に手伝わせてたって。どうみても、渋谷は一匹狼タイプの犯罪者じゃないのよ。そんなのすぐにわかる。ああいう卑劣な男は、自分の言うことを聞く女の子を利用するから。それが辞めていったバイトの子の真相だったの。ちょっと可愛くて、世間知らずの女の子を見ると見境なく誘って……今までにバイトの子をふたり、中絶させてたらしいわ。……最低な男。ああ、だけど私、ギリギリセーフだった! やばい。今考えると、本当に殺されてたかも。ゾッとしちゃう。だって美佳は、私が勝手に渋谷を屋上に呼び出したことは知らなかったんだもん……だから計画が狂って、私を助けるのが少し遅れたのね」


 手振りを交えてひとり熱っぽく、私はちゃんと理解出来てるのか怪しいほろ酔いのふたりに説明した。

「軽はずみなことはもうやめるんだよ、果耶ちゃん」

 鼓歌が少し低い声で私に釘を刺す。

「ひとつ聞いていい? 果耶ちゃんたち二人はワイン飲めないんだよね。それなのに、高級ワインボトルに入ってた安ワインにどうやって気付いたの? 果耶ちゃんの推理を聞いてるとさ、ちょっと気になるんだよ。……まだ言ってないことあるよね?」

 さすが鼓歌、お酒が入っていても貴子と違って鋭い。

 私は少し照れながら鼓歌に向かって言った。


「はい……。実は私、プロトコールマナーっていう資格も持ってるんです。プロトコールマナーっていうのは、世界標準のマナーのことなの。その中でワインの講座も受講してて。……私、ワインは飲めないんですけど、ワインボトルのエチケット(ラベル)はんです。だから、私たちが頼んだワインの産地や品種、年代の特徴、風味などワインを知らないなりに、実はいろんなことをして注文してました。ワインボトルの形ひとつにしても、一目見るだけで産地や特徴がわかったりする。お酒が飲めなくても、視覚だけで頭の中ではイメージ出来るんです。そう、あのワインの色味はルビー色。味はベリー系でフルーティ、軽い飲み心地……のはずだったんです。それなのに……カシスの重たい味がした。ワインボトルってすごく雄弁なんですよ。だからワインを注がれて飲んだとき、味が想像と違い過ぎてありえないって思ったの」

「さすが」鼓歌は面白がるように笑顔になった。そして、貴子が身を乗り出す。


「へえ、そういうことだったんだ。なるほどね……それにしても、マナー講師って意外とワイルドな仕事なのね。プロトコなんちゃらもかっこいいけどさ、そんなことしてると身体がいくつあっても足りないわよ。全く、気をつけなさいね。……あ、ねぇねぇ、やっぱり渋谷を誘う時は……あの方法使ったの?」

「は?」

 ちょっと貴子ったら、鼓歌さんがいるでしょ。やめてよぉ。

「ね、使ったんでしょ? いいじゃん、いいじゃん。教えてくれたってー」

 ねー、マジでやめてってば。

「え、いや、あの、使ったと言えば……使ったかもだけど」

「あの方法って何?」


 ホントにもう。

 ビールでいい気分になった貴子が変なことを言い出した。

「鼓歌くん、いい? 果耶が短時間で、渋谷をどのようにしてその気にさせたかってこと。ただの目配せで誘惑したんじゃないわよ、もちろん。……女が男誘うにもコツがあるの。それをすれば、百発百中! そんで、この貴子さんがその秘伝の術を果耶に教えてたのー」

「へー、何それ。すごいじゃん。興味あるなぁ、どうやったの?」

 やだ、もう。百発百中とか、大げさなんだから。そんなパーフェクトな術なんてないし! しかも教えてもらったの、高校生の時だよ。

「貴ちゃん。恥ずかしいからやめてよ。鼓歌さんも適当に聞き流してね。そんな大したことじゃないですから」

「大したことあるじゃんよ。それで渋谷をおびき出せたんでしょ?」

 もう。

「……まあね」

 赤ら顔の貴子が面倒なので、そういうことにしとく。


「鼓歌さんあのね、……何て言うか。実は、男の人と喋る時にね……、あることをするの。……んーと、ね」

 鼓歌がしどろもどろの私を見つめ、首を傾げる。……はぁ。

「男の人と目を合わせたり、喋ったりする時に……あの、……その人とね……エッチ、してるとこ、想像するの」

「えっ?」

 恥ずかしいなぁ、もう。もう。


 絶対今、私の顔もお酒飲んでるみたいに赤くなってると思う。

 おませな貴子に教わったこの秘伝の術は、確かに時々お世話になった。今だから言えるが、例えば意中の男性と天気の話をしてたって頭の中でふたりのセックスを想像しながらだと、だんだん彼が私にメロメロになっていくのがわかる。

 男の人の下心が垣間見えるのと一緒だ。

 男女関係なく言葉を使わずとも、エロティックな思考ははるかにまわりに浸透していく危険な代物。

 身体から雰囲気から瞳から、それはとめどなく溢れ出す。口に出さずとも、きっと淫靡な心象イメージは伝わっていく。


「……すげー技だな」

 口の端を歪ませて、鼓歌が苦笑しながら言った。ほら、絶対引かれてるよ。貴ちゃん!

「もう、だからやだって言ったのに……」

 私が口を尖らかせて言う。でも無駄だった。貴子は軽く口を開けて、すでに寝落ちしてたから。その時、お酒の入った鼓歌が私に聞こえるだけの小声で言った。

 これから試してみようか――

 本当にそう言ったのか、私の空耳だったのか……鼓歌の真意はつかめない。聞き返すことも出来ない。

 最後の一口を飲み終えた鼓歌は、貴子をソファに寝かせタオルケットを掛けた。

 そして電気を消すと、何も言わず私の手を握り二階へと歩き出す。

 彼の後ろをおとなしくついて行きながら、私はやっと空耳ではなかったんだと悟った。



 鼓歌のアトリエは、中世ヨーロッパのクローゼットのようだ。おごそかな歴史と淫らな少女の秘密が入り混じってるみたい。酷く美しい白と黒のレースが、至るところに蔓延はびこっている。

 間接照明に切り換えた彼は、私を柔らかな革の二人掛けソファに座らせた。

「想像して……。待ってて」

 鼓歌はそう言うと隣の部屋に消えた。先程の恥ずかしさを思い出す。

 私は不思議の国の少女のようにこれから起こるであろう不安で、おどおどした視線を部屋の空間へ向けた。どこを見ても、鼓歌のイマジネーションを感じる。その溢れる才能が、時間と私の理性を麻痺させていった。

「おまたせ」

 顔を向けると、鼓歌は綺麗な小箱を私に手渡した。

「プレゼントだよ、あげる」


 小箱を開けると、ピンクの薄紙に包まれた黒いレースのリボンが入っていた。鼓歌の作品に違いない。

「素敵。……鼓歌さんの作ったリボン? 頂いてもいいの?」

 鼓歌が間接照明の隣で微笑む。

 ボビンレースで丁寧に織られたリボンは、壊れ物のように繊細で優雅だ。アンティーク・ジュエリーのようなおもむきさえ感じられる。

「付けてあげる」

 鼓歌は黒いリボンを手に取り、ちょうど喉のあざになっている部分を隠れるように結んでくれた。髪をシニヨンにまとめて黒のタンクトップを着ていた私は、レースのチョーカーを付けたことでレッスン中のバレリーナを連想させた。


「可愛いね。果耶ちゃん、すごく似合うよ」

「どうもありがとう……」

 綺麗なリボンを結んでもらい、外見を褒められたことで私は嬉しくなりはにかんだ。

 やがて時は満ちる。鼓歌が私の目線まで屈み、私の唇に優しく触れた。柔らかくてあたたかい。

 最初はソフトに、そしてだんだんと荒ぶるとめどないキス。私は彼の情熱に圧倒され夢中になっていく。徐々に激しくなるキスに、頭の中が真っ白になった。

 ふいに確信に満ちた声で、鼓歌が静かに言った。

「服を脱いで。……首飾りがもっと映えるから」

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