十四

 やっと先程の美人スタッフがランチプレートを運んできた。

 わぁ、お洒落な盛り付け。こちらは目にも鮮やか、写真を撮りたくなるプレートだ。美佳はすでにピンク色のスマホで写真を撮っている。

 私たちは目を合わせ、心からの笑顔を見せた。トマトの煮込み料理は、味が染みてて美味しそう。色彩豊かな食材を豊富に使っているのが、女性には嬉しい。おうちご飯だとこうはいかないから。特に一人分だと。


「お腹空いたぁ、早速頂きましょ」

 私はワイングラスのステムを指先で持ち上げ、赤ワインの色に見とれる。グラスを反時計回りに回し香りを嗅いだ。(反時計回りに回すと、万が一ワインを飛ばしても自分にかかって相手には迷惑をかけないので)

 お互い慣れない仕草に照れ笑いを浮かべる。美佳と私のこれからに乾杯。グラスを目の高さに掲げ、軽く会釈をした。

「果耶さん、どう。美味しい? さすが高級ワインって感じする?」

 渋谷に聞こえるように、瞳を輝かせながら美佳が言った。

 芳醇な濃い色の赤ワインは香ばしく濃厚に主張した。ビターな後味は大人っぽく、私たちの気分まで紅潮させる。

 私はもう一度香りを吸い込み、ワインボトルのエチケット(ラベル)に視線を向ける。その時、美佳がまわりを見渡し私に小声で話し掛けた。

「果耶さん、あのね。このお店で最近起こったトラブルのことなんだけど……」

 ナイフとフォークを置き、真剣な表情で私に説明を始めた。


「大体のことは、ここのオーナーと仲のいい母から聞いたの。何だか気持ち悪い小さなトラブルが頻繁に起きているんですって。ただトラブル自体は大したことじゃないし、従業員を疑いたくないから仕方なくオーナーはスルーしてきたみたいだけど……」

 美佳の右手は、くうもてあそぶ。

「小さなトラブルって例えばどんなの?」

 私だけずっとモグモグしながら喋る。お上品ではないけれど、お腹ペコペコなんだもん。あ、このオムレツ、上質なベーコンが入ってて美味しいわぁ。

「あ、うん。例えば、……少額だけど、レジのお金が合わない日が続いたり。バイトの若い女の子が立て続けに理由も言わず、突然辞めてしまったり。あとは確か、お料理だか飲み物だか忘れたんだけど、味がおかしい……っていうクレームがあったそうなの」


「……へぇ、そうなんだ」

 トラブルに大小のランクを付けてはいけない。昔、母に言われた言葉だったと思う。私がまず覚えた違和感はそれだった。時にクレームやバイトの退職をよくあることとして片付けていると、初期の問題を見逃してしまう。……問題? いや、それはまだ可能性に過ぎないけど。

 私はワインをもう一口飲む。重たいカシスの香り。……何故。うーん、でも、やっぱり……。

 ほら、違和感に対する答えのヒントはすでに出ている。私は頼られているんだから躊躇ためらっている暇はない。


「美佳さん、ごめんなさい……お手洗いに行ってきてもいいかな?」

 静かに立ち上がり、私は膝に置いてあったナプキンをイスに置いた。

 今、私の頭の中はグルグルと止めどなく思考を繰り返していた。違和感の元。そして、幾つものとりとめのない問題。些細な問題?

 いくつかの点と点を結ぶ。イケメン過ぎるソムリエ、なで肩のワインボトル、濃厚で渋みのある赤ワイン、カシスの香り、女性スタッフの冷たい眼差し……。

 そして導きだされた線。線の先にあるものは何だろう。

 歩き出す私に従業員たちの視線が刺さった。男の視線と女の視線。美人スタッフの不安げで無気力な瞳……。

 そう考えると全てが揺らいで見えた。すでに最初から、不純なほころびは見え隠れしていたのだ。でも、一体なぜ?

 振り返ると、美佳が心配そうに私を見ていた。彷徨さまよう思考の狭間、私は美佳へ一瞬微笑んだ。


 レジ奥にある『TOILET』と書かれた文字の角を曲がるまで、堂々とゆっくりと店内を歩く。待機なのか暇そうにしてるスタッフが数名、私の目線を避けた。着飾った小太りのミセスが特別大きな笑い声を出す。きっと渋谷と話が出来て上機嫌なのだ。

 その笑い声はひどく耳障りだった。違和感、耳障り……私は身体に感じる不穏に耳を傾ける。ミセスたちのテーブルで給仕をしていた渋谷が、私に気づき視線を合わせる。うなずくと軽く口元に笑みを浮かべた。

 私は化粧室へ入るとすぐ鏡を覗き込み、ポケットに入っていた口紅を塗り直す。気持ちを強くするために。

 お化粧直しは、心の強制リセットと勇気をくれるパワーがある。そして大きく深呼吸し、ゆっくりとドアを開けた。フロアへ出るとそこに渋谷が立っていた。

 別に驚きはしない。

 なぜなら、私が彼を誘ったのだから。そう、私が目配せで種を蒔いたのだ。


「ぜひ、また来て下さいね……なるべく早めに」

 渋谷は唇の端に下心を覗かせていた。それだけ言うと、素早く私に名刺を渡しフロアへと戻っていく。名刺の裏には手書きで電話番号が書いてあった。

「果耶さん、顔色悪いみたい。……大丈夫?」

 テーブルに戻ると、早速美佳が私に声を掛けてくる。

 私がトイレへ立ってから、食べ進めてはいないようだった。その気遣いが美佳らしい。美佳の女らしい性格は、知れば知るほど親近感を増していく。ごめんね。私は頼ってくれる美佳を憂う。

 しかし後悔しないためには、美佳の気持ちより優先させるものがあった。

「うん、大丈夫。ありがとう。……ねぇ。このお店のビルって、確か屋上にカフェがあったよね? 寄ってもいいかな……あのね、美佳さん。……本当にトラブルの真相が知りたい? 私、たぶん、わかってしまったんだけど」

「えっ」美佳は口をぽかんと開けたまま、私を凝視した。



 食事とデザートを終えると、そそくさと私たちは店を後にした。ワインが結構高額だったこともあり、美佳に全負担をかけるのはさすがに気が引けた。しかし何度割り勘を申し出ても、美佳は頑として聞き入れてくれなかった。

「……本当に美味しかったです。美佳さん、ありがとう。お言葉に甘えて……お食事とワイン、ご馳走様でした」

 私は両手を揃えお辞儀をしながら、美佳に言う。美佳は私のお礼など耳に入ってこない様子、戸惑いの表情だった。

「こちらこそ、果耶さんとご一緒出来て楽しかった。それで、あの……トラブルの真相って一体」


「美佳さん、さっきも言ったでしょ。後で必ずお話します。だから、先に用事を済ませてきて、お願い。このビルの屋上で待ってるから……後で会いましょう。ね?」

 帰りに真結美堂に寄りたいという美佳をこれ幸いと促すと、私は傾いた陽射しの中、目を細め見送った。

 そして、意を決して握りしめていた携帯の画面をタップする。さすがに緊張で指先が震える。相手は待っていたかのようにすぐに出た。

「……あの、渋谷さんですか。先程は失礼致しました。はい、私、小笹果耶といいます。ええ、はい。……もうすぐ休憩ですか。わかりました。あの……では、十分後にここの屋上まで来て頂きたいんです。お話ししたいことがあって……はい、ぜひ。待っています」

 私は店の壁に沿う、外とは対照的な薄暗い通路をゆっくりと進む。突き当たりまで行き、屋上へ通じるエレベーターのボタンを押した。

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