十三

「美佳ちゃん、こんにちは。いらっしゃい――」

 えっ、うそ、マジで……ヤバい。

 ……とても、何というか、とてもとてもかっこいい黒いシャツの男性が、スローモーションでこちらに向かって歩いて来ている。眩しいほど、華麗に微笑んで。

「渋谷さん、こんにちは。……お久しぶりです」

 その男性と美佳を交互に見ながら、私は口をぽかんと開けていたかもしれない。ええ、恥ずかしながら。


 かっこいい&イケメンと呼ばれる男性の定義には雰囲気も含まれる。それは目に見えるものではないが男の人の場合、年齢関係なくかなり重要とも言われている。

 実際、ある年の『が選ぶ、好きな男性のタイプ』ランキングでは、雰囲気が堂々の一位だった。

 もちろんルックスやお金は二位・三位の殿堂入りだけど、それは今は置いといて。(ちなみに『が選ぶ、好きな女性のタイプ』ランキング一位は、常にルックス!)


 いや、女性にはきっと雰囲気が見えるのだ。

 だから屈強なプロレスラーや海中に漂うワカメにさえ、愛らしい感じを発見すると本体を無視して可愛いなんて言ったりする。

 男の人が『は当てにならない』というのがこれ。

 その点、男が可愛いと言う時はそのまんま。必ず自分が見たままの好みだから。雰囲気などという輪郭だけの曖昧なものを彼らは信じない。

 前置きが長くなったが、女性から見るとそれくらい重要な部分を占める雰囲気。そして目の前に現れた男性は、雰囲気だけでなく見た目も最高だった。


 シュッとしたクールな眼差し、引き締まった顎から耳にかけての凜々しいフェイスライン。今期の流行を加味しつつ、独自性を壊さぬ似合いのヘアスタイル。アッシュブラウンのカラーリングも肌の透明感を引き立てている。

 口角の上がった若干薄い上唇が甘いマスクの要因だと気づいたのは、私に向けられた笑顔を見た時だった。大人の色気、落ち着いた物腰、知的な喋り方――。

 久しぶりの感覚だ。一瞬で恋に落ちた……とまでは言わないが、大変目の保養になったくらいは言っておこう。

「美佳ちゃん、来てくれてありがとう。着物姿も新鮮でいいね。綺麗だよ」

 笑顔の際はわざと目を細めるのが癖らしい。何ともキュートじゃないの。美佳に向けられた笑顔に軽く嫉妬を覚えながら、私は緊張し下を向いた。

 

「渋谷さん、こちら、お友達なんです。小笹果耶さん。あの……果耶さんのお母様は、以前よくテレビにも出られてた有名な方なんですよ」

 美佳は私を紹介するのに母の存在を出した。胸がチクリとする。イケメンのソムリエに、少しでも注目されたかったのかもしれない。

 それは生前からよくあったことだ。母の存在は未だに大きい。それくらい、私にとって母は手に負えない有名文化人だった。

 渋谷は私をじっと見つめ、何も言わず優しく頷いた。

「あの、今日はワインを頼んでもいいですか? 渋谷さんのおすすめが……いいんですけど」

 美佳が、私と渋谷の視線の隙間からおずおずとオーダーの相談をする。着物の萌黄色が頬の紅潮に映えた。渋谷に会うために、今日は着物を着てきたのだと直感でわかる。女の友情に男が絡むといろいろとややこしくなる。意地悪な考えを浮かべた自分が嫌だった。


「美佳ちゃん、ワイン飲めるの? 大丈夫? 別に無理しなくてもいいからね。それとも、……果耶さんが飲めるのかな?」

 彼の視線がふいに私に落ちた。そう言えば私は、緊張すると昔から思ってもないことを口走ってしまうんだった。

「あ、あの、普段は飲まないんですけど……今日は、ちょっとだけ……飲んでみよう、かなぁ?」

 私はおかしなジェスチャーを交えながら、たぶん引きつり気味に笑って言った。美佳が嬉しそうに晴れやかな笑顔を向ける。

「果耶さん、ありがとう。……渋谷さん、私たち、ワイン初心者なんです。でも滅多に頂かないので、今日は奮発しちゃいます。ぜひ、お勧めのワインをお願いします」

 

 渋谷は丁寧に私たちの好みや料理に合うワインを説明してくれた。

 まあ、基本飲めないので、ポリフェノールが身体にいいという理由だけで赤ワインに決めた。そして自分たちの舌は信用できないので、渋谷にテイスティングをお願いする。

 美佳はかなり奮発してワインを選んだ。私とCAさんとでは、金銭感覚が違うのかもしれない。それとも渋谷のお勧めに従いたかったのか。

 イケメン・ソムリエはにっこり私たちへ笑いかけると、ワインリストと共に下がっていった。


「……渋谷さん、かっこいいでしょ?」

 うっとりとした表情の美佳が小声で言う。

「美佳さん、渋谷さんのことお友達って言ってたけど……本当は、好きなんじゃない?」

 私も内緒話をするように返した。美佳はいきなり頬を赤く染め、わかりやすく照れる。

「そ、そんなんじゃないの……。でも、お近づきになれたら……ちょっと、嬉しいかなって」

「うん、応援するね」

 私は声量を元に戻し、はっきりと言う。友達の恋の邪魔なんてしない。美佳は照れながらも嬉しそうに微笑んだ。


「そう言えば、このお店でトラブルが発生してるんだよね? ……そんな感じはしないけど」

 店内を見渡す私。

 ブラウンの木目の壁に合わせた落ち着いた内装。カジュアルなイメージを残しつつ、スペインバルとは一線を引く高級感があった。

 渋谷の影響か女性客が目立つ。若い女性たちもいるが、いかにも裕福そうなマダムたちもちらほらと。 

 私は本棚に並ぶ、忘れられた小難しい小説の背表紙を眺めるような目つきで座っていた。(要は見てるようで、何も見ていない)

 こんな場所でどんな事件があるというの? 日本の治安は今のところ悪くないはず。私に探偵役を頼んできた当の本人・美佳は、渋谷のことを考えているのかさっきからうわの空の表情だし。

 そんなことをぼんやり思ってると、赤ワイン用のワイングラスやカトラリーがテーブルに並べられた。

 

 ああ、お腹空いた。

 タイミング良く、黒シャツの渋谷がすっとした姿勢でワインを持ってくる。美佳の瞳にわかりやすく生気が宿った。

「お待たせ致しました。……こちらがフランス・ブルゴーニュ産、ピノ・ノワール ○○○○○○○でございます」

 慣れた手つきでテイスティングを行った後、渋谷はなだらかな形状のワインボトルから赤ワインをグラスに注いでいく。私たちはワイングラスに注がれるボルドーレッドの美しい液体に、うっとりと視線を向けた。

 言葉はいらない。上質な時間に必要なものは全て揃っていた。

 熟成されたワインが静かに時を刻んだ価値。もしくは繊細なピアニストのような、渋谷の細く長い指を私はずっと見ていた。

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