八 

 

 ──バターン!


「お前、今、うちの菓子を万引きしただろっ」

 老舗の和菓子店にいきなりの怒号が響き渡った。カウンターに並んでいた私も驚いて振り返る。

 髪の長い制服姿の女子高生がスクールバッグを抱え、床にうずくまっている。

 大声の主は中央の展示コーナーにいた恰幅かっぷくのいい、赤ら顔した中年の大男。白衣のような服からして、普段は奥にいる和菓子職人の一人のようだ。


 その男は女子高生に対し、なおも罵倒を続けようと息巻いている。

「おい、そのカバンを見せてみろ。その中にうちの菓子が入っているのはわかってるんだ! お前がいつもここの菓子コーナーをうろついて、万引きしようと狙ってたのをこっちは知ってたんだぞ。おらっ……貸せ。そのカバンをこっちによこせ」

 職人の大男が、細い腕で抱きしめている女子高生の茶色いバッグを剥ぎ取ろうとしていた。

「い、やっ。やめて。わたし……なにも取って、ませ、ん」

 女子高生はバッグを守ろうと身を固くし抵抗する。長い黒髪を乱し、恐怖に怯えた青白い顔を上げた。 


 その時、ふいに子どもの頃に読んだ童話を思い出した。

 凍てつく真冬の吹雪の中、枯れた木々の皮を母親のバンビが子どもに与えてる。手足も細く、弱々しい身体。頼るもののいない、飢えた心細い姿。

 なぜか一瞬、怯えたバンビとこの不憫な女子高生が重なって見えたのだ。

 無意識だったと思う、私の身体は動いていた。自分では制御出来ない衝動に私はあらがえなかった。


「お待ち下さい!」

 レジに並ぶ列から飛び出し、私は女子高生のもとへ駆け寄る。震えてるか弱いバンビを護るようにして、私は両手で覆った。

「なんだ一体! 誰だ、関係ないだろっ」

「やめてください! この方は怖がってるじゃないですか!」

「なにっ」

 怒り心頭に達した大男が私を見定めた。

 震えてカチカチ言い出しそうな奥歯を無理矢理噛みしめる。男に強めの視線を向けたものの、私が怖がっているのは一目瞭然だ。

 そこへ店の奥から責任者と思われる男性と、警備員が二人慌てて駆け寄ってきた。


「どうしたんですか! 西田さん、何かあったんですか!?」

 警備員が女子高生に目線を滑らせながら、男性に声を掛ける。

 私は彼女を起こして立たせ、しわの寄ったプリーツスカートの汚れをはたいた。細い身体は緊張で固まっており、バッグはまだ胸にきつく抱えたまま……。


「この女がうちの菓子を万引きしたんですよ。カバンの中に入ってるはずなんで、取り上げて見て貰えませんかね」

 職人の男が鬼の首でも取ったような陰険な口調のまま、女子高生を見て言った。横にいる彼女はさらにバッグを抱きしめる。何が何でも取られたくないように。

 警備員の男性が一人、女子高生に近寄った。彼女は唇を噛み、後ずさる。

「わたし……取ってません。でも……この中は見せたく、ありません」


「西田さんもお願いですから、ちょっと落ち着いて下さいよ。店の中では大声出さないで。奥へ移動しましょうか。あなたは高校生? ああ、万引きですかぁ……カバンの中身は見せたくないって? いや、あなたのことを信じないわけじゃないですが、うちのスタッフが断言してるとなるとね。見せたくないじゃ済まないんですよ。あなた、納得いく説明出来るかな?」


「君か。最近、うちの商品を度々万引きしてるっていうやつは。名前を言いなさい!」

 警備員たちが寄ってたかって女子高生を追い詰める。


 彼女はうつむき黙った。頑固なまでにその場から動かない。取り囲む大人たちに、未熟なかたくなを見せるだけで。

「……なめてんじゃねえぞ。カバンをこっちによこせ!」

「西田さん、ちょっと……!」

 責任者が止めるのも聞かず、しびれを切らした職人気質の男が女子高生のバッグを取り上げようとした。


「やめてっ」

 バッグは押し問答の末、宙を舞った。店内のお客たちの視線が痛い。

 その視線や失笑には意地悪なものも多いだろう。必死に抵抗する彼女をけがす理不尽な視線が、私は居たたまれなかった。

 うつむく彼女の頬をつたい涙が落ちた。悲痛な想い、彼女の踏みにじられた誇りの涙を私はどうしても見逃せなかった。

「――おやめ下さい!」


「そのバッグに触るのは私が許しません」

 自分が思うより堂々とした声に気付く。

 ぽかんとした顔でこちらを見る男たちを、私は静かに見据えた。

「さっきから何言ってんだ、……部外者のくせに」

 菓子職人の品格のない発言。

 床に落ちた古ぼけたスクールバッグを私は拾い、埃をゆっくりと指で払って彼女へ渡した。


「このバッグの中に、そちらの男性がおっしゃっていた菓子箱は絶対に入っておりません」

「いやいや、何でそう言えるんだ?」

「お前もグルなんじゃないか」

「誰だよ、一体……」

 興味本位の心ない言葉が私に突き刺さる。

 でもこの程度は想定内だ。私は目線を自分の手のひらに落としてから、声に力を込めて言った。


「あなたが先程おっしゃっていたお菓子は、こちらの波あられのことですよね? そして、菓子箱はこの一番大きなサイズのもの。お間違えはございませんか」

 私は箱を指差しながら、西田という男を見つめる。

 彼は大きく頷いた。


「そうですか。だとしたら、とてもおかしなことになります。本当に不思議。なぜなら……入らないからです。こちらの商品、このバッグの中には」

「いや、そんなことないだろ! カバンの中が空なら、この箱ぐらいギリギリ入るはずだ」

 私の発言に、職人の男がさらに顔を赤くしてまくし立てた。


「ええ、ぱっとは入りそうですよね。こちらの化粧箱は紺色の包装紙で、実際よりもコンパクトに見えますし。……ですが無理なんです。残念ながら」

 波あられの商品を掲げ、私はまわりを見渡した。


「見てください。こちらの菓子箱の大きさは……縦 三二センチ、横 四十センチ、幅 八センチ。対して、こちらのバッグは縦 二六センチ、横 四五センチ、幅 十五センチ。……はい、もうおわかりですよね? いいですか。単純なサイズの問題です。物理的に。バッグのファスナーが閉まらないということです。万引きは彼女には不可能です」

 

 店内が一瞬、静まり返った。

 誰もがぽかんとした表情の中、初めに口を開いたのは責任者と思われる白髪交じりのネクタイをした男性だった。

「……えっと、お客様。今の話はちょっと……どういうことですかね。よくわかりませんが、なぜそこまで正確な数字を言い切れるんでしょう?」


 誰もが私を見つめる。私は自分の指に視線を落とした。

「それは……実際、測ったからです」

 自分を鼓舞するように視線を上げ、私は続ける。

「たぶん癖みたいなものです。私も先程、波あられの商品コーナーで箱のサイズを悩んでいました。その時に測ったんです。……この手で」

「えっ?」

 意味がわからないといった大の大人を前に、私は自分の両手の指を広げてみせる。


「左右……すべての指の長さ、指の関節、それから親指と人差し指などの先端を繋げた長さ、肘まで長さ、左右の腕の長さ、肩幅、歩幅。……私はそれらを完全に、正確に把握しております。そして子どもの頃から自分を物差しにして、長さを測るのが癖でした。もちろん、そちらのスクールバッグも先ほど手にした時に測っておりました」


 店内がざわつき始めた。

「なんだ、はったりかましやがって!」

 口の悪い菓子職人が血管を浮かし大声を上げた。今にも野良犬のように飛びかかって来そうだ。私は怖くなり思わず顔を背ける。

 正直な言葉だったとしても、信じてもらえなければ意味がない。この後のことは考えていなかった。

 そして、私にはもう切り札に使えるカードがなかった。

 


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