七 

「そう言えば、美佳さんのことはご存じかしら? 八城美佳やしろみかさん」

 お支払いを済ませ、店のオーナーとご挨拶を交わした後、先生が思い出したように言った。

「あ、はい。お母様の八城晴美先生は、母と仲が良かったんです。美佳さんは私と同い年です」

 八城晴美は母と同じく川緑流の礼法教室で学ばれ独立した、先生のお弟子さんだ。美佳と私も交流があり、たまに親子揃って食事をするような仲だった。母が亡くなるまでは。


「美佳さんがね、今度お教室を開講することになったんです。お住まいの近くのカルチャースクールなのよ。普段は国内線の客室乗務員としてしっかりお仕事されてるでしょ。なので、まずはお母様のアシスタントとして月に一度だけなんですけど。それで明後日、私の家に挨拶にいらっしゃるそうなの。もしよろしかったら、果耶さんもご一緒にどうかしら? たぶん今後、助け合うことも出てくるでしょうから、いい機会だと思うのだけど。もちろん、送り迎えはさせて頂きます。ご安心なさって」

 運転手完備とまで言われ、断る理由はなかった。私は二つ返事で了承した。


 美佳は相対的に見て、いい人だった。真面目でおしとやかで。そう、おかっぱのこけしによく似ている。さらにはっきり言えば、母親同士は懇意にしていても私たち子供はそれほどでもないという間柄だった。

 八城家は特別名家という訳ではなさそうだが、客室乗務員という仕事柄や名のあるお嬢様学校を出たとかで、親子共々何となくお高くとまってる気がする。だから、私には少し付き合いづらかった。

 深くは知らないけれど、まあいい人。もちろん悪い人ではないけど。それ以外に言いようがない。


「先生、こちら、梶原さんにお渡し下さい……」

 私は先程、先生にお渡しした真結美堂の和菓子の小箱を取り出す。二回りほど小さいサイズなのだが、こちらも値段はそこそこする。

「あら、果耶さん……。梶原も本当に喜ぶわ。お気遣いに感謝致します。私が変わって、お礼を言わせて頂きますね」

 運転手・梶原さんの手土産は本当に心ばかりのサイズなのだが、明後日もお世話になるとわかり、心の中で「ナイスプレー、私」と拳を握った。

「ねぇ、果耶さん。もしよろしかったら帰り道、また真結美堂さんへお立ち寄り頂くことって出来ますかしら? 明後日、ささやかなお茶会をいたしましょうよ。上生菓子はいつものところに頼みますけど、干菓子もご用意したいわ。鎌倉の真結美堂さんなら、晩夏向きの可愛らしい干菓子がありますでしょ。私、梅雨時期に、紫陽花とカエルの型を見つけましたのよ。うふふ。八城さんたちもお喜びになると思うの」


「……わかりました。そう致します。帰り道ですので、お気になさらないで下さい」

 私は言った。弥生子先生のお茶室は久しぶりだった。

 鵠沼にある大邸宅。

 木々に覆われた奥の敷地に、先生専用のこぢんまりとした茶室があり四季折々の借景が楽しめるしつらえ。しんと静まった空気に触れる、非日常空間。まあ、多少の緊張感はあるが楽しみなのは確かだ。

「明後日、お目にかかりましょうね。では、さようなら」

 朗らかに微笑む先生の背中を見送る。角を曲がると、梶原さんの車が静かに待っているのだろう。

 反対側の歩道へ渡った。この道をまっすぐ行くと真結美堂の店舗がある。お茶会に招かれたなら、お懐紙とお扇子、白い靴下と……。頭の中で言葉を反復。陽光が窓に反射する建物の影をたどって歩いた。


 鎌倉に本店を構える真結美堂は和菓子の世界においては、一目置かれる存在だ。

 老舗と言われる和菓子店の中でも、ここ鎌倉では群を抜いている。京都、金沢、そして鎌倉。和菓子の三大名所……というのは、私が勝手に決めたことだけど。鎌倉で和菓子店を認められれば、きっと胸を張っていい。

 実際、私のまわりで手土産には真結美堂の波サブレと決めている人も多かった。紺色に水色の波をデザインした包装紙と紙袋は、相手の心を揺るがす確固たる影響力を秘めていた。


 木造の蔵をイメージした立派な建物が見えてきた。のれんには『真結美堂』の文字。子供の頃から、母に連れられて来たのを思い出す。実際、母も真結美堂をご贔屓にしており、使いっ走りにされたことも数え切れない。

 私は茶道をきちんと習ったことはないが、日常で客としての心得は学んでいた。母と一緒に、弥生子先生のお茶室にも何度も招かれている。

 四季を感じる心、道を歩き花を愛でる心などは、茶道に少しでも触れた者なら子供でも理解出来るようになる。

 なぜ、学校教育に組み込まないのか不思議に思う。礼儀作法だってそうだ。日本人に生まれ育ったなら、知っていて損はない知識ばかりなのにとこんな私ですら時々思っている。


 干菓子……と。あった、これだ。

 カウンターのガラスケースの中に、可愛らしく様々なモチーフが象られ置かれていた。

 広い店内を見渡す。中央のテーブルに晩夏をイメージした展示飾りで、例の波サブレも並んで置かれていた。さすが看板商品。

 私はガラスケースや店内の試食コーナーに群がる客を避け、波サブレを手に取る。八城家用の手土産に買っていこうか。でもそうすると先生のお宅にも買った方がいいかしら。大きい方の菓子箱? いや、先生宅にはさっき差し上げたばかりだし。

 うーん。悩みながらいくつかの菓子箱を手に取り、サイズの違いを触って確認する。一番小さな小箱(六枚入り)なら二つ買ってもお財布は痛まないかな。一応、買っておこうっと。あとで買えばよかったって後悔しないように。

 紺色の包装紙にくるまれた化粧箱を二つ手に取りレジの列に並んだ。

 そして事件は、その時起こった。

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