六 

 最後のデザートは小ぶりのマカロンやミルフィーユが、海に浮かぶ島のようにぽつんぽつんと皿に置かれていた。

今、私は弥生子先生の優しいお言葉を胸に納め、心もお腹も幸福で満たされている。

「あの、先生。……お渡しするのが、遅くなってしまってごめんなさい」

 私は右手側に置いた風呂敷包みをさらりとほどく。両手を菓子折りの左右対角線上に置きくるりと回転させ、先生側に正面を向けた。

「先生が以前お好きだとおっしゃっていた真結美堂まゆみどうさんの和菓子です。こちらは季節のお品だそうで、お口に合うとよろしいのですが……」


 熨斗には、私の好きな言葉『心ばかり』。

 この文字は本当に便利だ。初めてお目にかかる方、久しぶりの方、お気遣いを頂いた時、お世話になった方……。ちょっとした贈り物をしたい場合、『寸志』代わりにほとんど使える。

 しかも、『松の葉』より上品なのに堅苦しくない。

 弥生子先生は頬を染め、「結構なお品を頂戴致します」と丁寧に受け取った。

「果耶さん、覚えていて下さったのね。こちらのお菓子、主人も大好きですのよ。有り難く頂きますね。……そと熨斗のし川緑流かわみどりりゅうのものは、いつもお熨斗はこう致します」

 先生が微笑む。


 ああ、無意識だった。母が熨斗を付ける場合は必ずそうしていたのだ。包装した化粧箱の外側に、目に見えるように熨斗をかける。

 熨斗には内熨斗・外熨斗とあり、包装紙の内側にかけて熨斗を隠す仕方、外側にかけ一目見てわかるようにする仕方がある。

 どちらが正解なんてないし、最近百貨店などで頼むと何も聞かれず内熨斗にされることも多い。

 どーだ!と言わんばかりに熨斗がかかっているより、包装紙に隠れている方が謙虚な印象を受けるのかもしれないし、そちらがいい場合ももちろんある。

 流派によって教え方も違うが、川緑流ではなるべく外熨斗を推奨していた。弥生子先生曰く「お熨斗は気持ちを表す言葉」なので、お渡しする際、相手にわかりやすくしたほうが親切ではないかとの判断だった。


 弥生子先生は菓子折を少し掲げ受け取ると、エルメスのケリーと思われるベージュの蓋付きバッグから、爽やかなあいと水色の風呂敷を取り出す。そして、膝横の空いてるスペースで手早く上品な隠し包みにした。

「果耶さん、私などは普段から風呂敷を持ち合わせておりますが、お友達などに外でお渡しする場合は紙袋に入れて持たれたほうがよろしいかもしれませんね。袋をお持ちでない方ですと、帰り道お困りになるでしょうから。もちろん、家へお持ちする場合はこちらで結構ですよ」

 先生が涼しい顔でおっしゃった。ああ、もう私ったら!

 歩いて行ける距離だからと自分の風呂敷包みを優先するあまり、相手を不便にしてしまうところだった。 

 

「先生、そうでした。ごめんなさい」

「あら、そんな。謝るほどのことではありませんのよ。お気になさらずに。では、そろそろ参りましょうか。梶原も待っておりますし。……あ、今日は私がご馳走させて頂きます。美味しいお品も頂きましたしね」

 先生がまたチャーミングな笑顔を私に向けた。だがランチとはいえ、こんなコースのフレンチをご馳走になるわけにはいかない。

「先生、あの、……いけません。私もお支払いしたいです」

「いえいえ。ここは私の顔を立てると思って」

「あの、そんなわけには」

 しかし支払い段階になって、私が私が……という小芝居ほど端から見ていて恥ずかしいものはない。先生のお言葉を有り難く頂いて、ここはご馳走になろう。


「では、……あの、ご馳走になります。ありがとうございます。本当に美味しく頂きました」

 私の言葉に満足そうな先生は、心から嬉しそうに優しく言った。

「先程暑い中、果耶さんが風呂敷包みを持って歩いてくるのが見えた時、何かこう……胸をうつものがありました。鏡子さんのお嬢さんは、りっぱに丁寧に生きていらっしゃると。私は果耶さんの人生において、少しでもお力になれたらと思っていますよ。それは鏡子さんのお弟子さんたちも皆、同じ気持ち。これから同じ舞台でご活躍出来ますよう、私はちゃんと見守らせて頂きます」

「弥生子先生……」

 私はふいに泣き出しそうになった。母のお弟子さんたちは今も時々、折に触れお手紙をくれたりしている。それらはどれも慈しみに満ちた、心のこもった手紙だった。


「弥生子先生。私、母のようには務まらないと思います。でも、先生のもとでこれからもお勉強させて頂きたいと思います。どうか、よろしくお願い致します」

 少しの恥ずかしさもあり、ぺこりと子供じみたお辞儀になってしまった。

「このような日が来ることを、私はずっと待っておりましたよ」と言うと、先生は一呼吸開け、身体に馴染んだぎょうのお辞儀を返した。

 私は改めて息を呑む。

 心に刺さる言葉。空気が静まるほどの美しいお辞儀だった。

「はい、先生」

 今はその一言が精いっぱいの私であった。

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