16話 ゴブ林からの脱出

「どーすんだよこれ……」

「えへへ、どうしようね」


 俺達は今、四方を壁に囲まれている。白一色で一辺は10メートルほど、足元は森の大地そのままで、上方も空が見通せる開放的な造りとなっている。今日はいい天気だ。

 陽気が気持ちいい。このまま陽を浴びながら地面に寝転がって昼寝でもしたい気分だ。不快な騒音さえなければの話だがな。


 無計画にゴブ林に突っ込んだアルナは案の定、すぐに攻撃が回らなくなり、四方に壁を生成して難を凌いだ。

 いや、今の状態を凌いだとは言えないか。今も外側に溢れたゴブリン共が壁に向かって攻撃を続けているんだろう。石を叩くような音が途切れることなく響き続けている。壁には窓一つないので正確な外の様子は伺えないけど。


「こんなことなら透明な壁を作ればよかったなの」

「いや、そういう問題でもないけど…」


 立ち往生してるとはいえ、ひとまずは安全地帯にいて一息つけてるわけだ。もし壁が透明だったら、こちらを睨んで壁を叩き続けるゴブリンを視界いっぱいに見続けなければならなかったわけだ。安全だとわかっていても心が休まらなかっただろう。


 アルナは壁に手を当てて攻撃を続けてる、らしい。壁の外側に槍を生成してゴブリンを倒していると言っていた。


「あーもう疲れたのぉ~」


 壁から手を離したアルナは大の字で倒れ込むなり大きな腹の虫を鳴かせた。


「お腹も空いたし、あたし朝から何も食べてないんの。もう帰りたいのーー!…………あっ」


 アルナは何かに気付いたように上体を勢い良く起こす。


「帰ればいいの」


 なぜそれに気づかなかったんだろうといった顔で、手を合わせるように叩く仕草を見せる。


「帰る?」

「そ、お腹が空いたなら、一旦帰ればいいの」

「いやおまえ、帰るったって」


 森の奥地で、壁を隔てた向こうはゴブリンの海。今いる白壁の閉鎖空間は言わば陸の孤島だ。進む事も退くこともままならないから今の状況に陥っているわけで、帰るったって……、もしかしてテレポートとか帰還魔法があるのか?

 そうだ、ここはファンタジー溢れる異世界でアルナは召喚術士…いや、錬金術士って言ってたっけ?よくわからんけどそういうやつだ。街まで帰る魔法があったって何も驚くことじゃない。


「ヘータロー、こっちにくるの」

「おう」


 俺を呼び寄せたアルナは俺に手を差し出す。少し顔を赤らめてどこかもじもじした様子だ。


「あ、あのね。しっかり握ってて欲しいの」

「手を?いいけど」


 俺は言われるがままにガッチリと手を握る。アルナはもう一方の手を地面につける。いつも術を使う時に見せるポーズだ。するとアルナを中心に1メートル程の魔法陣が浮かび上がる。

 

「シュート:ウォール」


 アルナが呪文を唱えた瞬間、首が千切れ飛んでしまうかと思うくらい強烈な衝撃に全身を潰された。

 痛みやダメージはないが、思考が追いつかず、青に染まった視界が回る。


「ヘータロー、こっちに捕まって。」


 アルナの声に気付き、繋がれた手を見て思考を取り戻す。強風が身体を襲う。身体が壁に押し付けられる。強い重力に潰されているみたいだ。

 混乱の中で自分の状況を理解するのに少し時間がかかった。今自分は空に向かって飛んでいる。自分と言うか、おそらく空に向かって飛んでいる壁に乗っている状態なんだろう。

 アルナは自分達が乗っている壁に手をかざし、それで生まれた魔法陣からは50センチほどの棒が飛び出ている。

 これに掴まれってことか。

 アルナは棒の先端を覆うようにしっかりと手をあてている。

 俺はアルナの手より少し下を握りしめた。

 下を見渡すと、これまで進んできた森が見えた。未だにさっきまで自分達が立て籠もっていた壁を殴っているゴブリンと、一部にはこちらに気付いてを睨んでいるゴブリンもいた。

 それと、そこからは少し違う方向。ゴブリンが少ない方にいる妙な集団が目に留まった。それは走って速度でゴブリンが密集している方へと向かっている。

 気になって目を凝らすと、先頭を走っているのは白髪で褐色の少女。その後ろを追いかけるようにゴブリンの集団が土煙を上げていた。


 なんでこんなところにミケが?ていうかあんなにゴブリンを引き連れて、進行先もゴブリンの海。マズいんじゃないか?


「シュート:ランス」

「おい、アルナ。あれって―」


 声をかけた瞬間、捕まっていた柄が、壁から猛烈な速度で発射された。

 急な加速に腕がもげるかと思った。毎度ながらこういう事はやる前に一言言って欲しい。


「え?何か言った?」


 風圧の邪魔を押しのけるように大きな声でアルナが返事をした。

 アルナはこの勢いで街に戻るつもりなんだろう。

 そうなるとまたここに戻ってくるのに相当な時間がかかってしまう。

 俺は槍から手を離していた。

 離れ際、俺の呼びかけでこちらに振り向いていたアルナの表情は驚きに変わっていたのが見えた。

 これがミケの為の行動だとわかれば、アルナはまたヘソを曲げるだろうな。

 だけど迷っている暇はない。


「うああああああああああああああああああ!!!」


 俺は叫んだ。

 グングンと迫る大地。湧き上がる恐怖心が全身の感覚を鈍らせる。

 大丈夫だよな…大丈夫なんだろうな。

 アルナの召喚で手に入れた丈夫さを信じるしかない。地面はもう目の前だ。

 内臓の浮遊感を押し殺して、全身に力を入れて歯を食いしばる。

 体勢は悪くない。両足、それに両手もついて着地。しかしそれでも落下の勢いは全く殺せず、顔面を地面に叩きつけた。


「ぶあっはぁぁ!…」


 思わず漏れる唸り。地面から顔を引っこ抜いて濡れた犬のように首を振った。

 大丈夫だ、問題ない。ノーダメージだ。

 俺はさらに唸りと溜息をひとつずつはいて、気持ちを切り替える。

 図らずも着地点は走ってきたミケのすぐ後ろ。俺の落下で相当数のゴブリンが吹き飛んだようだ。


「へ、ヘータロー!?どっから降ってきたんスか」

「話は後だ、今はとにかく走れ!」


 追ってくるゴブリンの在庫は潤沢だ。

 俺はアルナが選んだのと同じ道を先導する。上り道が終わって下りに入る手前、脇の茂みに逸れて僅かな記憶と勘だけで一度進んだ道をなぞる。

 少しすると、希望の場所に出ることができた。この先の森を見通せる場所、先細って小高い崖になっているためゴブリンもあまり流れてこない。

 追いかけてきていたゴブリンも撒けたようだ。少し落ち着ける場所について、息を切らしたミケは尻を着いて息を整えようとしている。


「ミケ、お前なんでこんなところに。村で待ってたんじゃないのか?」

「ヘータロー達を待つのが最善ならそれでもいいかと思ったんスけど、状況が変わったッス」

「変わった?」

「村にワーウルフが向かって来てるッス」

「ワーウルフ?」

「そうッス。たぶんゴブリン達に巣を追われて、村まで流れてきたんス。今は防衛線で持ちこたえてるけど、すぐに結界を張らないと、これでゴブリンまできたら流石にもたないッス」

「結界か。今朝もそんなこと言ってたな。それが、その、儀式ってやつなのか?」

「そうッス。サンカラでは代々、村の長が依り代となって結界を張るッス。長が亡くなれば結界は消える。それを貼り直すのが長として認められる為の儀式ッス」

「依り代って…生贄とか人柱ってことか?」

「にゃはは。そんな重いもんじゃないッス。特別本人にはなんの影響もないッス」

「そうか」


 それを聞いてちょっと安心した。誰かを生贄にするという事を想像して嫌悪感を覚えた。それが自分の知り合った人物だとしたらなおさらだ。

 召喚術なんかがありふれた世界だ。人の命を生贄になんて話も当たり前にあるのかもしれない。この世界じゃ普通の事なのかもしれない。

 『郷に入れば郷に従え』をモットーにしようと考えてはいたけど、誰かの犠牲でその他大勢が幸せになる事は真の幸福ではないような、悪いことのように思えてしまう。

 理想論の正義か、厨二病か、素晴らしきジャパニメーション教育による弊害か。

 例え生贄がやむを得ないとしても不要ならそれに越したことはない、犠牲を惜しまれる。世界観は違っても価値観はそうであって欲しいと思った。


「心配してくれたんスか?」

「あぁ、もちろん」

「えっ、あっ…そうッスか……。あ、ありがとうッス。あ!先を急がないと!」

「とは言っても……」

「そうッスね。これはひどいッス」


 眼前にはゴブリンの海が広がっている。こうも希望のない景色だと『無謀と勇気は違う』とか、そういう話も沸かない。


「俺たちもさっき下まで降りたんだが、進めなかったんだ」

「そうなんスか。でもなんとか祠までたどりつかないと、すぐではないとはいえ、村の守りも限界が来るッス」


 どうすればいいか、考え込んでいたミケの耳が何かの音を拾ってピクリと跳ねた。

 ミケは崖際に構えて額に手を添え、遠くに目をやる。


「どうした?」

「ツキが回ってきたかもしれないッス」


 ミケは一筋の汗をたらしながら、口元を緩めた。

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