第一章1 一緒に屋上にいて、友達に噂とかされると、恥ずかしいし…。

 翌日、俺はエンドール村へ出勤した。

 自宅の近くにある自動販売機にカードをかざすだけでいい。

 カードに魔方陣が内臓されていて、座標も全てデータ管理されているそうだ。

 改札を抜けて電車に乗るような感覚で、自動販売機から村へ跳ぶんだ。


 エンドール村の井戸に入ると、そこにはまるで宇宙戦艦の通路のような真っ白い無機質な正方形の廊下が広がっていた。

 少し進んだところにある、会議室。

 あくまで、あの村は仕事場であり、居住区ではない。

 だからトイレもないし、村人は誰も仕事もせず、ただウロウロしているだけ。

 真の村は、『ホーム』なんだ。


 さて、今いる会議室は、白い壁に囲まれた、プレイヤー様の世界にある会議室となんら変わらない場所だろうと思う。

 長くて、角が丸い長方形テーブル。キャスターが付いていてずっしりと座れる椅子。

 ホワイトボードに、テレビ。各個人用のPDA。紙コップとペットボトルの烏龍茶。

 空いている適当な席に着いた。

 挨拶もそこそこに―― 


「私の目に間違いはなかった! マナトには才能がある!」


 と力説するのは、村長役をやっていた黒髪の少女、フィルスさんだった。

 艶のある、綺麗な黒髪。腰辺りまでの長さで、広がるのがイヤなのか、先の方をリボンで結んでいる。

 端整な顔立ちで、可愛い。が、ゲームの業界では可愛くない女の子を探す方が難しい。

 それでも、このキラキラと輝いて見える感覚。

 ――彼女は、『主人公』になれる素質を持っている。……いいなぁ。

 この『輝き』が、俺に最も足りないモノだ。

 暑がりなのだろうか。チャイナドレスをセパレートにしたような服装で、お腹を出している。 


「普通でしたけどね」


 イアモニの向こうで指示をくれていたマルクくんは声通りの見た目だった。一見すると少女のように見える少年で、背が小さくて手足も細い、俗に言う草食系って感じだ。メガネがよく似合っている。

 まだ学生なのか、白い学ランを着ていた。

 セーラー服でも着て本でも持たせれば、無口で幼いメガネっ娘キャラとして出せるだろう。


「全然面白くない普通のイベントだった死ね」


 だったしね。のしねの部分がなんかイントネーションおかしい少女がルピア。

 あの、罵声ばっかりの生意気な少女だ。

 PDAを弄りながら今はオレンジジュースをストローで飲んでいる。

 会議室でオレンジジュースってのも、どこか生意気だ。

 目が大きくて、口や鼻が小さい、というとまるで猫のようだ。まあ、着の身着のままな性格からして、猫みたいという表現は正しいだろう。


「普通普通って言いますけどね。あのときは他にやりようなかったんじゃないです?」


 俺は自分が悪いことをしたとは思っていない。

 確かに、全然面白くないイベントだったかもしれないけどさ。


「ほら、見なさいよ」


 ルピアがPDAを投げつけるように渡してきた。

 俺たちゲームの世界の人間だって、インターネットは活用する。

 ワールドワイドウェブどころか、異世界にまで電波は飛ぶ。

 歴史や流行り、言葉遣いは常に注意をしなければならない。

 パロディネタやあるあるネタ。三国志とか戦国武将の設定などなど、知っておかないといけないことが多々あるのだ。

『ホーム』がプレイヤー様のいる世界と同じ世界観を持っているのも、プレイヤー様の気持ちや文化を知るため。俺たちは『ホーム』で生まれたときからずっと、プレイヤー様の世界の文化に触れながら生きていくんだ。


 全てはプレイヤー様のために。


 この思いは、生まれた時から死ぬまで、誰一人欠けること無く変わらない信念。

 すいーっと机を滑ってやってきた画面を見る。

 そこに羅列していたのは、まあこれでもかってぐらいの酷評だった。


『クソゲー。主人公の声が棒読み過ぎる』

『クソゲー。ゲームバランスがおかしい。一度も使わない魔法多すぎ』

『クソゲー。レベルを上げて物理で殴るだけのゲーム』


 ……まあ、大概のゲームで同じようなことを言われるので、もう酷評にも慣れてしまった。


「別に、この村のことは書いてないように見受けられますが?」


「あ、マナトくん」


 こほん、とフィルスさんが話の合間に割り込んできた。


「はい?」


「君、村長になったんだから敬語とかいいよ」


「え! でも新人ですよ俺!」


「気楽に行こうよ。ね?」


 なんて……なんって素晴らしいお方なんだ! 父さん! 俺この村でやっていけそうな気がするよ! フィルスさんのおかげで! 美人のおかげで!


「はあ……でもマルクくんは?」


 申し訳ない気持ちで、同じく敬語を使っているマルクくんをちらりと見る。


「あ、ボクは敬語キャラで推していこうと思ってるんで大丈夫です! 今更どう話せばいいかわかんないですし。キャラ被るんでボクからもタメ語でお願いしたいです」


「キャラ付けでやってんだ。じゃあ、お言葉に甘えようかね」


「そんなクソみたいなことより! ちゃんと全部読んだのっ?」


 怒鳴り声で、本題に強引に戻された。


「まあ、ざっとだけど。――良かったじゃないか。むしろこの村ぐらいだぞ。あのゲームで何にも文句言われてないの」


「また、よ!」


「また?」


「また、この村のこと、なんっっっっっにも感想がなかったのよ!」


 ルピアは悔しそうに地団駄を踏む。

 こいつは、何を怒ってるんだろう。


「ボクたちの村、一度も話題にならないんですよね」


 ……そっか。そういうことだったのか。

 何故、黒板消しなんていうトラップを仕掛けたのか。

 長すぎる階段。プレイヤー様の世界にあるであろう出光の看板を掲げてみたのか。

 タンスにアイテムではなく下着を仕込んだのか。

 それらは全て、プレイヤー様のお記憶に残るため。

 批評でもいい。愚痴でも何でもいい。

 命を賭した仕事を、無視されることが一番悔しい。

 だから、あんなことをしてまで記憶に残りたかった。

 好きの反対は嫌いではなく無関心。そういう考えが、彼女たちにもあったのだろう。


「こいつが! 普っ通~のイベントなんかやったからよ!」


 俺のせいかよ。……まあ、俺のせいか。


「でも――その普通で全然面白くない発想こそ、私たちに足りなかったものなのよ」


 黒髪の少女、フィルスさんが一番俺を高く評価してくれている。

 足を組んで、腕を組んでうんうんと頷いていた。

 腕を組むと、その豊満なおっぱいが強調され、ついつい目が行ってしまうな。


「プレイヤー様の行動を見事に言い当てるところとか、ボク尊敬しちゃうなー」


 マルクくんはとてもいい子。

 机に突っ伏して、にこにこと笑顔を見せていた。


「あたしでも分かるし」


 ルピアはむすっとした表情でストローを咥え、頬杖をついたまま俺の方には見向きもしなかった。

 ルピアだけがどうも俺を嫌っているように思えるが、仕方が無い。

 最初から全員に好かれるとは、思ってないさ。


「もしかして、メインパーティの経験とかあるの!」


 目を輝かせて、フィルスさんがぐいっと顔を寄せてくる。

 その輝くような瞳に、俺はどぎまぎしてしまった。

 なんだろう。ルピアと可愛らしさでは同じぐらいなのに、どうしてこうフィルスさんは輝いて見えるんだ?

 俺は可愛らしい顔立ちと、桃のような甘い女の子の香りから顔を背ける。

 ずっと見ていると、まるで風呂にでも浸かってるような気分になる。

 のぼせちゃう。俺、彼女にのぼせちゃう。


「いやいや、ないない。この業界でまだ三年目のぺーぺーだしな」


「あ、三年目だったらボクたちの先輩にあたるじゃないですか。経験則の差かー」


 マルクくんが納得したように頷いた。


「三年もやってて、メインパーティには選ばれてないの?」


「俺なんかがメインパーティに選ばれるわけないさ」


「なんで?」


フィルスさんはきょとんとした顔で聞き返した。


「なんでって……ねえ? ……メインパーティなんて、最低でも剣術能力検定で一級以上は持ってないと」


「え? 私持ってるけど?」


 フィルスさんはきょとんとした表情のまま答えた。

 俺は唖然とした。

 剣術能力検定。この仕事では誰もが取る必須検定の一つだが、その一級は相当難しい。

 三級までなら、受講者の七〇%が受かる。それは、剣術の基礎的なことだから。

 だが、そこから先は、全て達人の域である。

 準二級は合格率が二〇%まで下がり、二級は九%、準一級は一%未満。そして、一級は――数えるほどしかいない。だからこそ、価値がある。


「ちなみに、マナトさんは何級なんですか?」


 マルクくんに聞かれて、俺は躊躇った。

 あれを言われる可能性があったから。だが、隠すと余計バカにされると考え――小声で答える。


「………………三級」


「普通っ!」


「全然面白くないわね」


 ここぞとばかりにルピアがこっちを向いた。その顔は、にやりといたずらっ子のような微笑みだ。


「やっぱり言うぅ? それ~」


 俺は準二級を受けたことがある。だが、スライムを剣でかち上げて高く浮かせ、それを空中で一六回斬る――という実技で落ちた。

 まず、スライムを剣でかち上げ――の時点で無理だった。剣でスライムを攻撃すれば、切れてしまう。剣で切らずに浮かせる技能。どうやっても、俺には出来なかった。


「そういうマルクくんは何級なのさ」


「………………三級」


 マルクくんは恥ずかしげに小さく言う。


「はい普通ー。ルピアは?」


「………………七級」

 ルピアはぷいっとそっぽ向きながら答えた。


「全然面白くないって言いたかったのに、思わず笑っちまったじゃねえかよ。よく七級でバカにしてやがったな」


 七級と言えば、初めて剣を握った奴でも受かるレベルだ。


「や、野蛮なことは嫌いなのっ!」


 こっちに向き直して、いーっと白い歯を見せる。

 ……ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、その古くさい仕草に『可愛い』と思ってしまった。

 落ち着け俺。こいつは人を陥れるのが大好きなドレッドノート級のサディスト。

 野蛮なことは大好きに違いない。騙されるなっ! 可愛い顔に騙されるな! 俺とは、相容れない人間なはずだ!


「ま、まあ最近の傾向だと、剣を武器にする主人公が多すぎるから、剣術検定より他の、斧術検定とか槍術検定とかの方が――」


 俺はいつの間にか、ルピアをフォローするような台詞を吐いていた。

 だが、別にルピアをフォローしたんじゃない。

 うん、ただ、同じ村で働く者としてだな。


「あ、私どっちも一級持ってるけど」


 フィルスさんの言葉に、俺は目を見開いて二度見した。

 剣術検定一級は、剣聖キャラとか剣の師匠キャラにもなれる。それだけで、一生食べていけるだろう。

 それほどもまでに、一級は重い。我々の世界の検定に、段位はないからな。

 にも拘わらず、他の検定も受けたのか。そして、受かった? 一級を?


「え! じゃ、じゃあ弓術とか棒術とか」


「っていうかバトルマスター持ってるけど」


 ………………俺は最早、頭を抱えてテーブルに突っ伏した。

 バトルマスターの称号を得るには、五種類以上の武術系検定を二級以上取らなければならない。

 で、さっきの言い様だと、フィルスさんはそれら全部一級なんじゃなかろうか。

 そんなの……聞いたこともない。

 自分の才能の無さが嫌になる。俺が『主人公顔』でないとしても、バトルマスターだったらメインパーティに選ばれることもあったろうに。


「いやいやいやいや。最近は魔法も使えないといけないようなのも多いから、炎術なり氷術なり、何かしら一つでも魔法も使えないと――」


「あ、私宮廷魔導師持ってるよ」


 俺は銃で撃たれたような衝撃に、椅子の背もたれに身体を預け、両の腕をだらんと弛緩させたまま天井を仰いだ。

 魔法使い系の検定は、五種の属性術三級以上で魔導師。まあこれは俺も持ってるのだが、さらにそれらを二級で大魔導師。大魔導師の内、二つ以上の魔法を同時に発動させ、さらにそれらを合体、合成させて新たな術を生み出せるのが――宮廷魔導師。

 バトルマスター持ってて宮廷魔導師を持ってる?

 そんなの、ジョブチェンジ系のRPGでもメインを張れるじゃないか。

 こんな廃れた村の村長が、そんな逸材だなんて……


「フィルスさんさあ」


「ん? 別に呼び捨てでいいよ。もう仲間なんだから」


 しかも気さくっ! 出会い頭から思ってたけど、精神がノーガードすぎる。

 あまりのイケメンや、こういう『強さ』を持った人間は、『余裕』を持っている。

 だから、本当に強い奴、カッコイイ奴ってのは、その強さを鼻に掛けたりはしない。

 寛大で、客観的。そして人の悪口なんかも言わない。

 フィルスさん――フィルスには、そんな『本物のデカさ』を感じていた。


「じゃあフィルスさあ」


「なあに?」


 笑顔はヤバイ。輝きが当社比八〇%増しだっ! 


「メインパーティのオーディション、受けてみたら?」


「………………私がぁ?」


「あーそうね。もう村長でもないんだし、あたしらに気ぃ遣わなくてもいいんだよ?」


 ルピアが初めて俺に賛同してくれた。

 そうか。フィルスはずっとここの長をやっていたから、自分の夢を追えなかったのかも。

 村からメインパーティに選ばれる人間を輩出するなんて、誇らしいことではあるが、村長がメインパーティなんかに参加したら、この村のイベントはどうする?

 両方をやるなんて、無理だ。


「私なんかより、ルピアが受ければいいんじゃない?」


「えぇ! あ、あたしが受けたら、この村大変でしょ? いいよあたしは」


 といいつつ、満更でもないような感じの照れ笑い。


「ルピア……も……もしかして……なんかすごいの持ってるの?」


 フィルスの言葉に、俺は顔が引きつっていた。人はコミュニティに入ると、「こいつには負けたくない」という相手が出来る。

 俺にとって、それがルピアだった。

 メインパーティに選ばれる人間に必要な資質は、オールマイティよりエキスパート。

 まさか、ルピアも何かのエキスパートなのだろうか?


「公認召喚士」


 ぼそりとマルクくんが呟いた。

 マジか。俺は愕然として、机に突っ伏した。

 公認召喚士。それがいなくては、村システムは稼働しない。

 プレイヤー様に経験値をお稼ぎ頂き、定住先に選ばれるよう、ステータスを調整したモンスターを生み出すのが、召喚士の仕事。

 公認召喚士とは、『ボス』を召喚することが出来る人間だ。

 なるほど、だからこんなちっぽけな村で『ドラゴン退治』なんてイベントが出来たのか。

 普通の召喚士だと、弱いモンスターしか出せない。つまり、ゲーム序盤の村ばかりに選ばれる。

 まあ、序盤の方がプレイヤー様の御記憶に残るかもしれないが、武器などで安いモノしか売り出せず、結果として村は予算不足に陥ってしまい、『ゲーム序盤の村』として定着してしまうのだ。

 そういう村はとても多いため、よほど上手くやらないと選ばれることすらない。

 だが、『ボス』を生み出せる公認召喚士が居れば、序盤、中盤、終盤。どのタイミングでも選ばれる可能性があり、その腕次第では、メインパーティにすら入ることが出来る。


「ルピアは公認召喚士の中でも――神クラスを召喚出来るのよ」


 フィルスは自分のことのように自慢気に言った。


「それってつまり――」


「そう。ラスボス作れるのよ」


 フィルスの言葉に、俺はついに頭を抱えた。

 負けたーっ! 完っ全っに負けたーっ!

 だが、確かにルピアが抜ける訳にはいかない。召喚士がいない村なんて、モンスターなしのイベントしか出来ないんだから。

 まあ、俺も一応やれないこともないが。――三級だし。


「なんでそんな優秀な人材がこんなところに」


「こんなところって失礼な」


 フィルスが初めてむっとした表情を見せた。


「あ、ごめん」


 そうだよな。これほどの人材が、こんなちっぽけな村で村長をやってたんだから、当然この村に思い入れがあるはず。

 バトルマスタークラスのフィルスだったら、帝国とか王国にいてもおかしくはない。

 それでも、小さな村にとどまっているのなら――何か理由でもあるんだろう。


「謝ったなら許す!」


「ところで、他の村人は?」


「この村には、私たちしかいないよ?」


「………………え! たった三人で村を運営してたの! それはキツいだろー」


 俺は驚いた。

 テレビ番組で考えてみよう。

 一つの企画をするのに、プロデューサー、アシスタントプロデューサー、ディレクター、アシスタントディレクター、構成作家、照明、カメラ、カメラアシスタント、音声、小道具、大道具、スタイリスト、メイク、演者――

 まあ、ざっと並べたが、実際はもっと人がいるだろう。企画を一つやるだけでも、マンパワーがなければ話にならない。

 俺たちの仕事も、同じだ。

 三人なんて、デジカメ持って旅番組をするよりキツい。


「いや、だから求人募集出したんじゃない」


「なるほど。そりゃそうだ」


 きょとんとしたフィルスの言葉が、すっと腑に落ちた。


「人がいないから、フィルスはオーディションは受けなかったんですよ」


「なるほど。そりゃそうだ」


 マルクくんの説明に、俺は同じ言葉を吐いた。


「そんで、あんたが来たことで、安心してフィルスはメインパーティのオーディションを受けられるってわけね」


「オーディション……か……緊張……しちゃうんだよねー」


 少し恥ずかしそうにフィルスは言う。


「もしかして、あの村長のよく分からない台詞回しは台本じゃ無く緊張のせい?」


「まあ、うん」


 さらに恥ずかしそうにフィルスは言った。

 フィルスにはこういう一面もあるのか。ますますメインパーティ向きだな。

 完璧すぎて弱点がない人間は、それはそれで選ばれないモノだから。


「……オーディション、受けたことはあるの?」


「一度もないねー」


「あたしもないなー」


「うん、まあルピアはこの際いいや。フィルスだけで」


「はあっ? なんであたしを除外するのよ!」


「だって、ねえ」


 俺はじっとある一点を見つめる。


「な、何よ……」


 ルピアはぎゅっと体を抱いて狼狽えた。がるるるると威嚇するオオカミのような目で。


「あ、そうか! ルピアには絶対的に足りないモノがっ!」


 マルクくんは気がついたようだ。

 フィルスは一人、きょとんとした表情で俺とルピアを交互に見ていた。まるでテニスの試合を鑑賞しているように。


「そう、ルピアには、胸がないっ!」


 ぐっと俺は拳を握る。


「あるわボケっ!」


 ばん、とルピアは机を強く叩いた。


「え! どこに!」


 俺とマルクくんは必死に探した。カバンの中も、机の下も、壁に掛かっている時計の裏も。


「……あんたら……戒名考えとけよ」


 殺される! 戒名て! 殺す気だこの子!

 俺とマルクくんは手を握って震え上がった。

 だが、ここで弱気を見せてはいけない。


「じゃあ聞くけど、ルピアは何カップあんの?」


 俺は鼻をほじりながら聞いた。どうせA、大きく見積もってもA――


「Dカップ」


 ルピアは小さな声と小さな胸で言った。 


「「嘘吐けーっ!」」


 俺とマルクくんの声が重なった。


「こうやればあるもん!」


 ルピアがぐいっと腋に手を入れる。


「寄せ集めじゃねえか! 烏合の乳じゃねえか! このアスリート乳が!」


 さくっ! ダーツよろしく、ボールペンが飛んできて俺の額に突き刺さった。


「誰が長距離ランナーだコラー」


 ぐいっとテーブルに乗り出してくるルピア。

 めらめらと、怒りが炎となってルピアを包んでいた。


「お前じゃコラー。胸が平家のくせにコラー」


 負けてられない。俺はボールペンにやられた額を押さえながら身を乗り出した。


「誰が平らの清盛だコラー。清く盛ってんだよコラー」


 ずずずいっと顔を近づけてくるルピア。


「盛ってる時点で清くねえよコラー。平らの重盛だろコラー。需要ねえんじゃコラー」


 負けじと、何度も頷くように顔を揺らしながら近づいていく。


「あ・る・わ・コラー。SNSに画像アップしたら『いいね!』が沢山付くわコラー」


 額と額がキスをする。ぐりぐりと押しつけては、少し離れてヘッドバット。

 ガンのたれあい。俺もルピアも主張を曲げることはなかった。


「ボ、ボクの中のイエス・キリストがこう言ってます」


 そんな光景をおろおろしながら見ていたマルクくんが慌てて何かを話はじめた。


「ん?」


「右のおっぱいを愛したなら、左のおっぱいも愛しなさいと」


「マルクくん……」何言ってんの? と言いたかった。君の中のキリストってなんだと問い詰めたかった。


「マナトさん。需要のないおっぱいなんて、存在しないんですよ」


 だが、その真剣な眼差しに、俺は何も言えなかった。

 おっぱいには、国境も人種もない。

 ありとあらゆる世界の全ての人間を満足させられるモノ。それがおっぱいである。

 だって、ほ乳類だもの。

 全てのおっぱいを愛しなさい。全てのおっぱいを許しなさい。

 そう、マルクくんは言いたいのだろう。あ、マルクくんの中の人は、か。

 こいつ――俺が思った以上に、デカい漢なのかもしれない。好漢としてなのか、痴漢としてなのかは分からんが。


「喧嘩したら両成敗ね」


 にっこりとフィルスがそう言うと、ルピアは即座に席へ戻った。


「じゃあ、とりあえずフィルス。オーディション受けてみればどうかな? 落ちてなんぼなんだし」


 俺は改めて額から血が出てないか確認しながら、ふうと溜息を吐いて頭を冷やす。ルピアの敵愾心に合わせてヒートアップしてただけだからな。あっちが引いたのにこっちがイライラしてるってのは――大人げない。


「ええー。やっぱり私はちょっとなー」


 フィルスは困ったようにはにかんだ。


「……受けてやる」ぼそり、とルピアが呟いた。

「え?」聞き返したのは、マルクくんだった。


「あたし! メインヒロインオーディション、受けてくるって言ってんの!」


「……いや、今のトレンドでは平家の方々はだな……」


 ルピアは、確かに可愛い。

 顔は可愛いが、胸がなさ過ぎる。

 二〇年前までは、それはそれで需要もあったのだが、最近は巨乳でなければプレイヤー様にお喜び頂けない。


「それ以上からかったら、ストローで食事するような姿にしてやるから」


 怖っ! 何その入院生活みたいなのっ! 両手をどうするのっ! いや、四肢をやる気なのっ!


「まあまあ、やりたいって言ってるんだから受けるぐらい、いいじゃない」


 ルピアの決断を、フィルスが後押しする。

 フィルスは優しいな。良い意味で、八方美人だ。


「もしルピアが受かったら、ブリッジした状態で鼻からカフェオレ飲みながら、すみませんでしたって言ってやるよ」


 俺は「はん」と鼻で笑いながら言った。


「それいい! 今すぐにでも見たい!」


 ルピアが目を輝かせたが、俺には自信があった。

 この仕事を始めて三年間。才能のある者たちがオーディションを落ちる様を、俺は毎日のように見てきた。

 そうそう容易く受かるほど、世界は甘くないんだ。




 次の日、俺は会議室でブリッジをしていた。


「ずびばぜんでごぼ」


 鼻が痛い! 痛すぎて涙が止まらない!

 鼻の穴にカフェオレを流し込まれて、今にも死にそうな思いだった。


「あっははははは! うひーっ!」


 ルピアは笑いすぎて最早叫びのような笑い声を上げ、俺の無様な姿を楽しんでいた。

 罰ゲームも終わり、俺はけほけほとむせながら立ち上がり、マルクくんからティッシュを貰う。

 ちなみに、フィルスは非番である。


「くっそ。まさかホントにオーディションに受かるとは」


 俺は未だに信じられなかった。

 こんな、ただのドSがヒロインになれる訳がない。

 昨日の今日だぞ。たったの一回で受かりやがった。毎日受けても永遠に受からないと思っていたのに。


「ルピアは、トゥーディックで九八五点出したんですよ」


 ブリッジしている俺の耳元で、ぼそりとマルクくんが呟く。

 そういうことは早く言ってよねー。

 トゥーディック『TUDEIC(ツン・デレ・インターナショナル・コミュニケーション)』は九九〇点満点の国際試験だ。

 その半分弱、四〇〇点取れば自慢出来るレベルのモノで、俺は二〇〇点しか取れなかった。

 なんて恐ろしいツンデレ力。たしかにツンツンしているなとは思っていたが、ちゃんとツンデレキャラを演じれば、凄いんだろうな。

 ……演じれば、な。

 ただのドSではなかったってことか。

 この村の連中はみんな、それぞれとんでもない技能を持っている。

 だからこそ、たったの三人で運営出来ている訳だ。

 だが、なるほど。それなら確かにオーディションに受かってもおかしくはないか。


「もしかして、マルクくんも才能隠してる?」


 俺はもう、自分の能力の無さに打ちのめされていた。


「いえ……ボクは別に……」


「良かった! 君はそうだと思ってたよ! ありがとう! ありがとうマルクくんっ!」


 仲間がいてくれたことに、それがマルクくんであることに俺は感激して、両手でがっしりと握手をする。


「マルクはIT関係に強いわよ」


 ルピアはストローを口に咥えながら、ぼそりと呟いた。

 今日もオレンジジュースだ。


「そうなのかい? 君も俺を裏切るのかい? 一級クラスを持っているのかいっ!」


 ぎりぎりと握りしめたマルクくんの、苦労を知らない綺麗な手をさらに握る。


「……裏切るつもりはないですけど……持ってます……一級」


 マルクくんは視線をずらし、小さく、申し訳なく言った。

 俺は絶望のあまり、手を離して椅子にもたれ掛かる。背もたれがぎしぎしと揺れた。


「ボクのは……」


「何の奴かは言わなくていいっ!」


 俺は耳を塞いだ。聞きたくなかった。

 他人の自慢話ほど、聞いていて面白くない話はない。


「人型兵器活用能力一級」


 ぼそりと、しかしはっきりと俺に聞こえるよう、ルピアが言う。

 ちくしょーっ! 俺が三級も取れなかった奴だ!

 人型兵器。つまり、ロボットモノの整備から操縦から全部こなせる検定だった。

 あれ? なんでそれを取って、こんなファンタジーゲームの村を選んだんだろう?


「マナトさんは何か二級以上の検定は持ってないんですか?」


 俺を気の毒に思ってか、マルクくんそんなことを聞いてきた。


「まあ、あることはあるけど」


 俺は嫌な予感がしていた。また、またあれを言われてしまうのではないかと不安でならなかった。


「へえ、何の奴?」


「簿記二級」


「…………普通っ!」


 マルクくんは『しまった』と口をすぐに閉じた。


「やっぱり、全然面白くない人間ね」


 ルピアは容赦なくおきまりの台詞を述べた。


「まだ言うそれ~。もういいだろそれ~」


 俺はもう泣きそうだった。


「他には?」


「計算実務二級」


「どんなのか知らないけどきっと普通の奴だっ!」


 マルクくんの叫びに、俺は涙をぐっと拭った。


「で、どんな作品のヒロインになったんだ?」


 これ以上追求されたくなかったので、話を戻す。


「あー、これなんだけど」


 ルピアが台本を取り出し、俺に渡す。表紙にあるタイトルは――

『時々、どきどきシスターズ』

 ………………ギャルゲーかよ!

 それは、恋愛シミュレーションと呼ばれるジャンルの仕事だった。

 そう、俺たちは『ファンタジーの世界の住人』ではない。『ゲームの世界の住人』だ。

 当然、王道ファンタジーRPG以外にも、出演することはある。


「なんだよ。メインパーティじゃねえじゃねえか」


 俺は鼻で笑ってやった。未だカフェオレの匂いが残る鼻で。

 プレイヤー様に動かして頂くメインパーティに比べて、恋愛シミュレーションは『ヒロイン』であってしても、プレイヤー様に動かしては貰えないモノだ。

 プレイヤー様にご操作頂けることと、そうでないことでは、雲泥の差がある。

 まあ、確かにそれでもホームページに載ったりCM出演なんかも出来るかもしれないんだから、凄いことには変わりないが。


「うっさいわね! あたし、戦闘スキルなんて持ってないんだから、しょうがないじゃない!」


「まあまあ、どうせ暇なんだし、みんなでフォローしましょう」


 ぱん、と手を打って、マルクくんが笑顔で言った。


「そうだな。迷惑掛けちゃわないように」


 恋愛シミュレーションゲームに出演するとなると、各村の人間が一堂に会する。

 決まったのなら、ルピア一人に任せるより、村全体でサポートしないと、他の出演者に迷惑が掛かるだろう。


「い、いらないわよ! 一人で出来るもん!」


「そう言わずに。これは、村としてチャンスなんですよ」


「……わかったわよ。明日、設定ドラフトあるから……一緒に連れて行ってやっても……よくってよ?」


 優しく諭されて、すぐに考えを変えた。どうやらルピアは、マルクくんに弱いらしい。

 俺も早く、弱みを握りたいものだ。

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