プロローグ2

「採用っ!」


「え!」


 俺は驚愕した。それは、俺が聞きたかった言葉ではあったが、予想していた言葉とは違っていたからだ。

 白髪のかつらを俺に突きだした村長は、すっと頭を下げる。


「完っ全に君の言うとおりだわ。すいませんでした!」


「ええー」


 認めんのかい! あまりの驚きに鼻水が出てしまった。


「頑張って下さい。村長」


 フィルスさんは頭を上げると、笑顔で言う。


「えええー。そ、村長?」


「うん、私の代わりに、今日からあなたが村長」


「ええええー」


 どうやら俺は、面接に受かり、就職が決まったようだった。それも――一村民でもアルバイトでもなく、村長として。


「あたしは認めないからねっ! こんな奴が村長なんて! 東京ドーム何個分なんていうアバウトな比較表現ぐらい認めないんだからっ! こんな……こんなっ! 柔らかい唇の……」


 ルピアは俺を指さしながらフィルスさんに怒鳴った。

 その指さし方は尋常ではなく、がすがすと喉仏を何度も的確に刺してくる。


「まあまあ、話を聞く限り、私より適任っぽいよー?」


「フィルスっ! あーもうっ! じゃあ言うわっ! あたしはこいつが嫌いだって言ってんのっ! ちょっとキスが上手いだけじゃないっ!」


 ルピアはわしゃわしゃと髪の毛をかきむしって、思いの丈をぶつける。

 剛速球の言葉に、俺は思わず赤面した。


「上手かったの?」


 フィルスさんは興味津々に聞いた。

 ルピアは耳まで真っ赤にして、変なことを言ってしまったことを後悔していた。


「あの状況で痛くなくて気持ち良かったんだから多分上手いんじゃないの! わかんないけど! 他の比較対象がないからわかんないけどっ!」


 地団駄を踏むルピア。

 他の比較対象がないってことは――ファーストキスだったのか?

 それは悪いことをしたな。


「じゃあもう好きになって、結婚すればいいじゃない。明日」


 けろっとした顔でフィルスさんは言う。

 急な話だなおい。


「あーもう! 話にならんわ! ちょっとあんたっ! じゃあ、一つだけ聞かせて!」


 怒号の連続に、俺は気圧されていた。恐らく、ずっと怒りや苛立ちが溜まっていたんだろう。だが、それをプレイヤー様にぶつけることは出来ず、笑顔で隠し、罠に掛けることで発散してはいたが、それでも感情をぶつけたかった。

 俺がプレイヤー様じゃないと分かった今、本性を露わにしたんだ。


「どうぞ」


「あの看板、あれイデミツって読むの?」


「はい」


「あー、やっぱりそうだよねー。ルピアがデコウデコウっていうから私もそれが正しいと思ってたけど、あれやっぱりイデミツだよねー」


 フィルスさんが村長の服を脱ぎながら納得したように頷いた。

 タンクトップ一枚の格好になると大きな胸が強調されて、ほんの少し興奮してしまった。

 一方、ルピアは勘違いしていた恥ずかしさから、両手で顔を隠して部屋の隅にいた。


「………………今回だけだから」


「え?」


「今回だけ! あんたに任せるんだから! 死ねっ!」


 この子ら、純粋なんだな。――というのが、この村へ来て感じた総評だった。

 きっと、誰かのバカみたいな提案を全部受け入れていったんだろう。

 疑うこともなく、否定することもなく、ただただ受け入れていった。

 その結果、この訳の分からない村が誕生したんだ。

 イヤーモニター。通称イアモニを渡され、耳に装着する。


『村長! プレイヤー様がいらっしゃいます! どうしましょう!』


「…………参ったな。……じゃあ、二人とも司令室へ戻って下さい」


「え! まさか……君一人でなんとかしようっていうの?」


「俺に、考えがある。それはとても、浅い考えだけど」


 この物語には、主人公がいる。

 そしてそれは俺じゃない。

 その主人公――プレイヤー様がこれからいらっしゃるのだ。



『プレイヤー様! もういらっしゃいますっ! どうしましょう!』


 一人村長の家に残った俺は、急いで村長の服装に着替えながら、イアモニから報告を聞いていた。

 その声は、少女のような少年のような、女性声優が少年の声をやっているような声だった。おどおどとしていて、とても人が良さそうだ。


「初めまして。俺はマナト。――君、お名前は?」


『あ……初めまして……えっとマルクですけど』 


「………………男ですよね?」


『え? まあ生物学上は……』


「じゃあマルクくん、そのまま……迎え入れていいですよ」


『え! そのままですか?』


「もうそこまで来てるんでしょ?」


『はい……まあ……』


 腑に落ちないようだ。さっきまで用意しろと慌ててルピアとフィルスが指示を出してたんだから、急に用意なしでいいなんて、混乱もするだろう。


『ちょっとあんた! ふざけんじゃないわよっ!』


 イアモニを通して、耳を劈く声。それはマルクくんの声とは正反対で、明らかに少女の、明らかに性格が悪そうな声だった。

 入り口にいた、あの感じの悪いドS系少女、ルピア。


『一人でどうにかしようなんて、ちょっと自惚れが過ぎるんじゃない!』


「俺自身もまだ納得してないところはあるんだが……何が気にくわないんです?」


『あんたがあたしのパンツとか取ってっちゃったせいで! なんのイベントも出来ないじゃない! このまま受け入れて! プレイヤー様がお喜びになるとでも思ってんの!』


「……あの下着、君のだったんだ」


『あっ……べ、別にあたしのだけじゃないんだから! フィルスとかマルクとかみんなの下着もちゃんと入ってて……まあ、あたしのもあるのは確かだけど』


 もごもごと口ごもりながらも、ずらずら述べるのを聞き流しながら――


「とりあえず俺以外の人間を村から出して、何のイベントもないままプレイヤー様を受け入れる。すると、プレイヤー様は、村人も何もいないことを、何かのイベントだと思うさ」


 納得出来ないのであれば、納得出来るまで説明し続けるしかないね。

 まあ、どうせ難癖をつけてくるんだろうけど、もうこれでいくしかないんだ。


『…………ふーん、失敗したら、耳かきを耳に突き刺してやるんだから』


 耳かきを……

 ざくっという音と共に耳から血が吹き出るのを想像し、俺は身震いした。

 だが、意外だった。反対だと言いながら、聞く耳を持ってるじゃないか。普通、反対反対って言う奴に限って、何を言っても反対と騒ぎ立てるモノだ。


「ぜ、全力を尽くします」


 でもちょっと、弱気になってしまった。あいつなら、マジでやりかねん。


『プレイヤー様、ご来村なされました!』


そして、何の準備も行われないまま――収録の本番が来てしまう。

 俺たちの都合で、収録を止める訳にはいかないんだ。


『プレイヤー様、門を抜けました。民家に入らず――一直線に村長の家へ向かっています』


 マルクくんが驚いた様子で小さく報告する。


『どうして……どうして村長の家が分かるの?』


生意気な少女も驚きの声を上げた。


「村長の家は、基本的に一番奥、大きな家になりがちだからな。このプレイヤー様は寄り道をせず、さっさとイベントをこなしたいんだろう」


『マナトさん……でしたっけ?』


「ん?」


『すごいです……もしかして、メインパーティの経験があるんですか?』


 マルクくんの声には、尊敬の念が込められていた。


「いやいや、俺なんかじゃプレイヤー様のお供にはなれないさ」


 俺たちの生き甲斐は『プレイヤー様に楽しんで頂くこと』だ。それが存在意義であり、宿命。

 その中で、プレイヤー様にプレイして頂くこと、あるいはプレイヤー様と共に冒険する『メインパーティ』というのは、みんなの夢だ。

 だが、それは野球選手になるより難しい。

 俺だって、仕事を始めた最初は夢見ていたさ。

 だが、世の中――『顔』である。

 生まれた瞬間から、メインパーティに選ばれる人間と選ばれない人間は決められている。

 俺は努力した。

 必死にしゃかりき頑張った。

 様々な資格を取って、身体を鍛えた。

 宙づりにされた状態から瓶から瓶へ腹筋しながら水を汲んだり、くるみを指で割ったり、畑仕事や服を着る動作や車の窓を拭く動作を拳法に応用するのを意識しながらやったり。

 しかし、ムキムキになってはいけない。

『主人公』になるには――ひょろひょろとした『優男』の方が有利なのだ。

 理由は分からない。

 それは、小さくか弱い存在が強い者を打倒するという構図を求めているからなのか、主人公に選ばれようと身体を鍛えれば鍛えるほど、主人公の座から遠くなるのが我々の世界の掟。ムキムキを主人公にするゲームがないとは言わないが、それ俺の顔では無理。

 まあ、主人公のお供の位置ならば、ムキムキでもいいのだが、俺の夢は主人公だった。

 だから、毎日筋肉量とか体温すら調整して、ささみを食べる量とかも調整して、『最良』の身体作りをしてきた。 


 だが、足りないんだ。

 一〇歳の頃まで、俺は『どんな夢も叶う』と信じていた。

 だが、大人の世界に足を踏み入れると、現実を知る。

 叶わない夢や、敵わない夢が存在すると。

 プレイヤー様の御側に仕えるには、全てのモンスター、キャラを凌駕する『力』が必要。それは、生まれた瞬間から決まる『天賦の才』だということを。


 俺は何でも基礎までは会得出来た。

 剣術能力検定三級。炎術能力検定三級。錬金技能検定三級など。

 それが俺の限界。

 取得した資格の数では、誰よりも多いという自信がある。

 しかし、オーディションで受かったことは一度もない。

 そこで、村人として雇って貰おうと、村々を回っていった。いくつか就職先は決まったモノの、色々あってクビを切られる日々。

 ――夢破れ、この村へとやってきたんだ。


 しみじみと思いに耽っていると、玄関の戸が開いた。

 中へ入ってきたのは、まだ少年と言えるような、若い男の子だ。

 年齢は、一四歳程度だろう。

 ツンツン頭のきりっとした表情の少年だった。

 当然、筋肉はほとんど付いていないひょろっとした体付き。

 その後ろから、清楚な少女、屈強なおっさん、貫禄たっぷりの老人が無言で入ってくる。


「旅のお方……何かご用かの? あいにくこの村にはぁ……なぁんもないのじゃ」


 俺は今にも死んでしまいそうな声でゆったりと喋った。


「マジ? 何かあったんすか?」


 軽いなこいつ! チャラいなこいつ!

 なんて言ってはいけない。

 俺は今、NPC。モブ。村人なのだ。基本的に、『ツッコミ』は許されない。

 まあ、中には許してくれる自由な職場もあるが、九割九分許されない。

 こういうタブーを犯してしまうと、どんどん評判が悪くなって、仕事が回ってこなくなる。

 一人のミスが、村全体を危険に晒してしまうんだ。


「ドラゴンに全てを奪われてしまっての。この村にはもう、ワシしか残っとらん」


 だから、俺は慎重に台詞を進めた。


「なんだって! くっそーっ! なんてヒドいことをーっ! ドラゴンめ! 生かしてはおけない! はらわたをえぐり出してやる!」


 正義感に燃えつつも、どこか地味に恐ろしい言い回しの少年。

 くそ。こんな程度の演技力だったら、俺だって『主人公』やれるぞ。――なんて思うが、無理なモノは無理。

 だって、俺は『主人公顔』じゃないんだから。


「爺さん、安心しな。俺たちがそのドラゴンをボロ雑巾のようにして、はらわたえぐり出してきてやるよ」


 ……はらわたって台詞、流行ってるのかな。

 頼りになりそうな兄貴キャラのムキムキ野郎が笑顔を見せ、俺を安心させたあと、ぞろぞろとやってきた集団はぞろぞろと家を後にする。

 主人公のガキ、暑苦しいローブを纏ったじいさん、逆に肌寒そうな格好のマッチョメン、可愛らしい衣装の少女の順に、一列並んで――

 ……この子……ケツ、デカいな。

 茶髪のストレートロングな髪型をした、少女。

 身長は低めで、胸は平均より少し大きめのDカップといったところか。

 そこまでは良いが、メインヒロインを張るには、お尻が大きすぎる気がするなー。


「ちょっと、先行ってて」


 ん? 急に、少女が笑顔でぼそりと呟いた。

『マナトさん! マズイですっ! そのヒロインの設定は『心を読める』です!』


 …………マジでっ!

 俺たちは、設定に忠実だ。心を読める設定を持ったヒロインは心を読める能力を持っている。


『テキストが表示されてしまいましたよ! 「……この子……ケツ、デカいな」って!』


「人が一番……気にしてることをっ!」


 少女の両手に、光が集まっていく。

 そして放たれたレーザーのような攻撃に、俺は体を壁に打ち付けられ、村長の家は、まるでサザエさんのエンディングのように、大きく揺れた。

 そのあと顔面に二発パンチを入れて、茶髪の少女は村長の家を後にする。

 俺は抵抗しなかった。

 ただの村人である俺が、メインヒロイン様に手を掛けるなど、烏滸がましい。

 バタンと家の戸が強く閉められたと同時に――


「ふう~」


 大の字に倒れた俺は溜めに溜めた溜息を、一気に吐き出した。


『大丈夫ですか?』


 心配そうなマルクくんの声。


「問題ない。手加減はしてなかったみたいだけど」


 熱い。八時間ほど炎天下のビーチに晒した程度に、肌が焼けてしまった。


『ちょっと! 大丈夫なの!』


 耳にきーんとくる高い声。


「今さっき答えたところだけど、大丈夫です」


『あんたの容態なんてどうでもいいわ! むしろ火傷の肌に塩塗り込んで悪化しろ! 今のでプレイヤー様にお喜び頂けるのかってこと! なんのイベントもないじゃない!』


「ドラゴンのせいで、人がいなくなったってイベントになってませんかね?」


『なるほどー。人がいないことを逆手に取ったんですね!』


 マルクくんは俺がやったことの意味を理解してくれたようだ。


「ああ。これで、ドラゴン退治に行ってる間、時間が稼げるはずだ。この村の村人が何人なのかわからないけど、みんなで祭の準備をしましょうか」


『祭?』


「プレイヤー様がイベント終わったーって満足頂けるよう、花火でも上げて盛大にドラゴン退治の労をねぎらおうってこと」


『すごい』


 なんだか照れるな。生まれてこんなに褒められたことなんか――


『すごい普通のイベントだ!』


「それ言うぅ~?」


 マルクくんのまさかの言葉に、俺は腰が砕ける思いだった。


『全然面白くないイベントよね』


 ルピアが追い打ちをかける。


「それ言うそれ~?」


『全然面白くない』


 ルピアは必要もないのに復唱した。


「それ言うぅ~? 二回言うぅ~?」


『じゃあ、早速ドラゴンを北の山に配置しますね』


 というマルクくんの言葉に、俺の顔が強ばった。

 北の……山……


「あああああああっ!」


『きゅ、急に大きい声出さないでよね! ビビったじゃない! 賠償金請求するわ!』


『どうかしたんです?』


「俺、場所言ってない!」


『あっ!』


 マルクくんは気付いたようだ。

 村人の役目は、プレイヤー様に『楽しいおつかい』をして頂くことなのだが、『何が』『どこで』『どうするのか』を提示しなければならない。

 目的の場所をちゃんと提示しなければ、プレイヤー様のストレスになる。

 昨今、ゲームは腐るほどある。

 ストレスがお溜まりになられると、さっさとゲームを辞めて、次のゲームへ行ってしまうのだ。

 この仕事で最も重要なことが、この『プレイヤー様のストレスを溜めない』ということなんだ。

 マズイ。もし北の山が見つからなかったら。違うダンジョンに入ってしまったら。

 プレイヤー様が舌打ちあそばれる!


「マルクくん! 村の入り口まで転送出来るか! 今からでも伝えに行く!」


『だ、ダメですっ! 今からじゃとても追いつけません!』


『裏口へ行きなさい!』


 それはフィルスさんの声だった。

 裏口?


『そっか! その手があったわ! 裏口へ行け!』


 ルピアも何かを思い出したように叫ぶ。

 俺は急いで立ち上がり、裏口の戸を開けた。

 次の瞬間、びよーんと床が飛び上がった。

 バネ式の仕掛け。人一人吹っ飛ばすには、十分過ぎる勢いだった。


「うわああああああっ!」


 急に空へ放り飛ばされた俺は、叫ぶしかなかった。

 弧を描き、天高く飛び上がった俺は、手足をバタバタとさせる。

 そして――出光の看板の上にある樽に、すっぽりと全身がハマった。

 樽はくるくると回転した後――ドンっ! と大きな音を立てて、まるで大砲が如く、俺を発射する。


「うわああああああっ!」


 今度は、急降下だった。

 一〇一段の階段に沿って斜めに飛び、地面に叩きつけられる。

 その地面は――氷の床。

 つる――――――ん。と氷の床を滑り、さらに加速の付いた俺の体は、べちょっと毒の沼地に突っ込んだ。

 イラっ。イラっ。毒の沼地が俺の体をイラッとする程度に蝕んだあと、水切りの石のように地面をぺん、ぺん、と跳ねて、村の入り口へと戻ってきた。


「だ、大丈夫かジジイっ!」


 ギリギリだった。

 ギリギリメインパーティの方々に追いついた俺は息も絶え絶えに――


「き、北の山のドラゴンを……」


 その言葉だけ残して、がっくりと力尽きた。


『あーっはっはっっは! うひーっひっひっひ』


 この一連のトラップを仕掛けたであろうルピアの高笑いが、耳に響いていた。



 ドラゴン退治を終えたプレイヤー様たちを花火でちゃんともてなし、祭りの後始末も終えると、初日の仕事は完了した。

 ゲームの世界に住む俺たちにも、当然生活はある。

 飯も食べるし、うんこも垂れるし、学校もある。

 村へは出勤しているに過ぎず、生活をするスペースは別のところにあるんだ。

 移動には転送装置を使う。

 村を出て、草原を歩き、村の外れにある崖へと向かう。

 その崖の前に、マンホールのような床がある。

 ここに立って、崖に向かってカードをかざすとあら不思議。

 不思議な青い光に包まれたと思ったら、次の瞬間――自動販売機の前に立っていた。

 今は、魔法を科学する時代。

 昔は魔方陣とやらを書いて、呪文を唱えて行き来していたそうな。

 そんな面倒なことは全てカードの中に含まれているんだが、昔の人たちは苦労したんだろうな。

 ここが、生まれ育った街。『ホーム』と呼ばれている場所だ。

 コンクリートの地面に、電信柱と街灯。

 立ち並ぶ家々に、コンビニの前でたむろする若者。自転車で行き来するガキんちょに、犬を散歩する老夫婦。

 そう、この街は、プレイヤー様の世界となんら変わらない。

 ゲームの世界の住人は、その全てがこの『ホーム』で生まれ、そして『村』へ出勤していく。プレイヤー様が決して訪れることのない場所だ。

 今日は面接だけのつもりだったが、まさかの重労働。精神的にも肉体的にも疲れていた。

 我が家は、どこにでもある一軒家に四人暮らし。

 皆が寝静まっている平日の深夜に、がちゃがちゃ音を立てるのも申し訳ないので、そっと鍵を開けて、そっと中へ入る。


「おかえりなさい! お兄ちゃんっ!」


 どふ。

 突然、タンクトップに短パン姿の人間が飛んできては、俺の下腹部に突っ込んだ。

 妹のまどか。一五歳。もうすぐ高校生になる――ガキンチョだ。

 猫のような自由さと、犬のような人懐っこさを併せ持つ。

 肩を過ぎたぐらいの髪。俺と同じ三白眼だが、くりんとした大きな目で、機嫌が悪そうに見える俺とは違って、明るい印象を与える。身長はフィルスと同じぐらいかな。

 胸は平均ぐらいだろう。ちょっとお尻が大きいのをからかうと、三日は拗ねる。

 こいつの尻をいつも見てるから、ついつい茶髪の少女の尻がデカいとか考えちゃったんだな。気を付けないと。


「た、ただいま……まどか。まだ起きてたのか」


 アメフトのJJワットばりのタックルを受け、俺は咳き込みながら壁に手をやり、倒れまいと体を支えた。


「うん! ご飯にする? カレー温めるから、その間にお風呂にする? それとも、私と遊ぶ?」


 満面の笑みで、まどかは問いかけてくる。


「新婚かっ。シャワーは浴びてきたから、カレー頼むよ」


「はーい」


 ………………………………

 返事をしたにも拘わらず、ぎゅっと抱きしめたままで、何にもしようとしない。


「いや、動けよ」


「連れてってー。甲子園まで連れてってー」


 いやいやとかぶりを振って、おかしなダダをこねる。


「南ちゃんかお前は」


 がっしりと腰に腕を回されたまま、ずるずると引きずりながらリビングへと向かう。

 さすがにダイニングに着くと、まどかは手を離してキッチンへと向かった。

 全く、こいつの考えだけは読めん。

 キッチンとダイニングは向かい合わせになっていて、ダイニングテーブルに着きながらまどかのしていることが全て見える。


「父さんと母さんは?」


 俺はケータイでニュースや友人のブログなどをチェックしながら、ぼんやりと質問する。

 おっと、マルクくんやフィルスさんにお疲れ様でしたってメールをし忘れていた。ルピアには……別にいいや。


「もう寝た。だって、もうすぐ深夜三時だよ?」


「お前も明日学校だろう? なんで起きてるんだよ」


「誰かが起きてないと、お兄ちゃんご飯食べないでしょ? だめだよー。ちゃんと食べなきゃ」


「……そりゃあ、すまんね」


「ということで、サラダも作っちゃいます」


「……別にカレーだけでいいけど」


「ダメっ! キャベツ半玉は食べなきゃ!」


「へいへい」


「で、面接、どうだったの?」


 トントンと包丁の音が小気味よく聞こえてくる。


「んー、まあ、なんとかなったよ」


 俺は冷蔵庫から麦茶を出してきて、コップに注ぎながら料理が来るのを待っていた。


「そう。今度の職場は長く続くといいねー」


 学生の頃、友達に「お前は可愛い妹がいていいなー」なんてよく言われたが、俺にとって妹なんてモノは、『小さい母さん』に過ぎない。


「まあ、上手くやっていけそうな気がするよ。美人もいるし」


 目を閉じれば、頭の中に笑顔のフィルスさんが浮かぶ。

 村長役でおじいさんの格好をしていても、可愛い女子だとわかったし、カツラを取ったときに、爽やかな風が吹いたような気がするし。何よりキラキラと輝いていた。

 可愛かったなー。フィルスさんは。

 ぶりーん。キッチンから妙な音が聞こえてきた。


「なんだ今の『ぶりーん』みたいな音」


 キッチンへ顔を向け、俺はびくっと体を強ばらせた。

 今、妹の全身から、迸る魔力の胎動。

 めらめらと燃え上がる炎のような、熱い魔力。


「……お兄ちゃん、ごめんね。千切りにしてたんだけど……なんだか……粉々になっちゃった」


 まどかが笑顔でそう言いながら、爪の合間に食い込んだキャベツを掻きだして洗っていた。


「え! なんでキャベツ握りつぶしてんだよっ!」


「……付き合ったり、しないよね?」


 まどかは、その大きな瞳を俺にぶつけた。

 ぎろり、と睨み付けるような瞳だ。


「え! 怖っ! 何その顔!」


 俺の言葉に、まどかははっと我に返り、ぱんと頬を打つ。


「え? 顔怖かった? あっははは、私、寝た方がいいね。疲れてるみたい」


「そうだな。さっさと寝ろ」


「お兄ちゃん……一緒に寝る?」


 まどかは料理をテーブルに並べて、小さく言う。


「いや、お前のベッドも俺のベッドも二人で寝るには狭いだろ」


 妙なからかい方をしてくるのを軽くあしらいながら、サラダにマヨネーズをぶっかける。

 キャベツは千切りというより、粉々だった。粉薬かってぐらいの粉末具合だ。

 急にイラッとしたのか、ただ力加減を間違ったのか。

 俺は何度もセクハラが原因で解雇されてきた。

 美人がいたから、またセクハラをして解雇されると思われているんだろう。

 自分の意思でやった訳じゃなく、全て事故だってのに。――全く。

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