第十二話

 白紙のルーズリーフと向き合ってどのくらい時間が経っただろうか。俺は床に座り壁にもたれている。手持ちのノートをルーズリーフの下敷きにして、立てた膝に預け、マジック握っている。正面にはマットにお姫様座りをする真子が俺をじっと見据える。

 返事は考えるまでもなく決まっている。しかし、いざ書くとなると緊張して、なんと書いていいのかわからない。完全に臆病風に吹かれている。


「なんでマジックなんて持ってたんだよ」


 俺はこの緊張感に耐えられず言葉で空気を裂いた。


「それたぶん学校の備品なんだよね。いつの間にか鞄に紛れてたみたいで。持ってるなんて思ってなかったから、最初のミッションの時は焦っちゃった。志保ちゃんもマジック持ってないって言ってたから」

「通信機器抜かれた時点で俺たちの手荷物はゲームマスターに把握されてるみたいだからな」

「そういうことか」


 俺はモニターに目を向けた。隣の部屋の3人はミッションが終わったようで画面が暗転している。大輝と木部は並んで壁際に座っている。口が動いているので会話をしているのだろう。

 大輝のミッションは今回のミッションの中で一番酷だ。今日の朝津本が同室になることで、昨晩は俺も大輝も緊張からあまり眠れていない。明らかな睡眠不足だ。休憩室で一度は仮眠を取ろうかという話も出たが、寝坊を恐れて止めたのが仇となった。

 ただ精神力の強い大輝のことだ。木部と協力しながらなんとかミッションは達成してくれるだろう。


「今でも名前で呼んでくれるんだね」


 真子の言葉が俺の意識を自分の部屋に戻した。真子に目を向けると真子は膝を抱える体勢に変えていた。正面にいる俺には真子のスカートの中が見えてしまって目のやり場に困る。


「まぁ。俺は『真子』以外の真子の呼び方を知らないから」

「そっか。嬉しい」


 真子は照れたように膝に頬を押し付けた。


 俺たちは中学3年の時に初めてクラスメイトになった。最初の真子の印象は、小柄で可愛らしく女の子らしい子だな、だった。だからと言ってすぐに異性として意識し始めたわけではない。


 中学3年になってすぐに俺は、高校受験を見据えて親から塾に通よわされた。塾は受験の緊張感から周りの同級生の空気が張り詰めていた。

 そんな空気の中に放り込まれ、まだ右も左もわからない塾の初日、真子が俺を見つけると声を掛けてくれた。真子は俺より1年早くその塾に通っていたのだ。そして塾の仕組みをいろいろと教えてくれた。これには随分と気持ちが救われた。それから真子とは親しくなった。


 学校のクラスはと言うと、真子と同じ太田という苗字の女子生徒がもう1人いた。もう1人の太田と俺は係が一緒で話し掛けることが多かった。真子に対しても塾を通して親しくしていたおかげで話し掛けることが多かった。それである日真子から、紛らわしいから名前で呼んでほしい、と言われたのだ。

 それから真子のことを名前で呼ぶようになった。いつしか真子も俺を名前で呼ぶようになり、徐々に変形して「いっくん」になった。

 そうなると意識し始めるのは早いもので、元々可愛らしいと思っていたことや親しくしていたことも手伝って俺はどんどん真子に魅かれていった。そして卒業前、バレンタインデーの告白である。


「卒業前、いっくんが私を呼び出した時……」

「え……」


 俺はドキッとした。2人の距離感が微妙になったあの出来事。できることなら目を背けてしまいたい出来事。真子の口から今その話題が出ようとしている。


「泣いちゃってごめんね。あれで私達気まずくなったよね」

「真子が謝る必要なんてない。傷つけたのは俺だから。ごめん」


 真子の言葉に俺は慌てて真子を庇った。ずっと謝りたかったのは俺の方だ。


「ううん、違うの。私、高校に入ってすぐの頃、中学の時の同級生の女の子が男の子に告白をしたって聞いたの。けどそれは罰ゲームで、本気にした相手の男の子をすぐに振ったって知って。それで『あぁ、あの時いっくんはどこかでこのことを耳にして、それで私にあんなことを聞いたんだ』って気づいたの。それからずっといっくんと仲直りしたいと思ってて。けど頑張って挨拶くらいはするようにしたけど、それ以上はうまく進まなくて」

「そうだったんだ……」


 真子は真子なりに俺との距離を気にしていて元に戻そうと考えてくれていたのか。ちゃんと言葉にして話してみないとわからないものだ。


「そしたら2年になって同じクラスになって。これは奇跡だって思った。チャンスだって思った。それで意気込んでたんだけど。そしたらこんなゲームに巻き込まれて、あんなミッションが出されて、逆に気持ちが空回りしちゃって。気づいたらあのメッセージをカメラに向けてた。最初のミッションで志保ちゃんに会ったことで、いっくんもここにいる可能性は考えてて。ほら、旧校舎にクラス全員移動してから意識無くしたじゃない? それで」

「そっか。メッセージを見たのはついさっきだけど、今でも好きでいてくれてるのを知ってすごく嬉しかった」

「良かった」


 俺はマジックのキャップを取った。そして徐にルーズリーフに筆記を始めた。


 書き終えると俺は立ち上がり、カメラの前に立った。そして一度振り返って真子を見た。


「一回しか見せないからな。ミッション達成したら画面が暗転しちゃうから見逃すなよ」

「それ、ゲーム初日の自分に言い聞かせてるの?」


 真子がクスクスと笑う。しっかり揚げ足を取られてしまった。俺は意を決してカメラに自分の文字を映した。


『一生俺についてこい。どうぞよろしくお願いします』


「ぷっ」


 え……。真子が噴出した? そうかと思っていると真子が声を出して笑いだした。


「あの、えっと……。やっぱ罰ゲームなの?」

「ごめん、ごめん。違うよ。一生って書いてあるから」

「変だった?」

「それってプロポーズなの?」

「あ、いや。そこまで考えてたわけでは……。けど気持ちはそのくらい大きいかなって」

「ふーん。それに物言いが上からなのか下からなのかもよくわかんない」


 俺は恥ずかしくなって頭をぽりぽり掻いた。


「それで?」

「え?」

「その大きい気持ちってどんな気持ちなの?」

「う……、それは……」

「私は中学の時、いっくんのこと好きって気持ちを言ったんだけどなぁ。いっくんの口から直接そういうの聞いてないなぁ。なのに一生ついてくのはなぁ。男らしく言ってほしいなぁ」


 真子はそう言うと立てた膝に片頬を乗せ、流し目で俺を見てきた。可愛い。けど小悪魔だ。

 俺は恥ずかしくなり目が泳ぐ。部屋をぐるぐると見回す。俺たちの部屋のモニターはもう暗転している。真子は俺から視線を外そうとはしない。逃げ場がない。俺は意を決した。


「ま、ま、ま、真子」

「はい」


 真子は笑顔のまま顔を上げた。


「お、俺、真子のことが、好きだ」


 言った。言ってやった。真子は無言で少し俯いた。何か言ってくれ。間が持たない。すると、


「ぐすんっ」

「え……?」


 再び俺を見た真子は顔をぐちゃぐちゃにして泣きっ面になっていた。俺は真子に寄って床に膝をついた。すると真子はすかさず俺の腕を取った。


「うわぁーん」


 真子が声をあげて泣き出した。大泣きだ。泣いたり、笑ったり、照れたり、小悪魔になったり、女ってこんなに忙しい生き物なのか。


 俺は真子の隣に座り直し、しばらく頭を撫でていると真子が落ち着いた。そして言った。


「2年越しの初恋が実ったよ」

「2年!?」


 俺は驚いて声を上げた。


「そうだよ。私中学の時陸上部だったじゃない?」

「うん」

「サッカー部が隣で練習してて、私の中ではいっくんってすごく目立ってたんだよね。1年の時からずっと。いつもがむしゃらで、怪我しないかって心配になるほど」


 そんな時から見てくれていたのか。まったく気づかなかった。


「そしたら中3で塾とクラスが同じになって、仲良くなれて。すぐに好きになっちゃった」


 そうだったのか。俺も中学3年の途中から意識はするようになったが、真子のことが好きだとはっきり自覚したのは告白をされた後だ。

 確かに真子は俺の勉強を見てくれたり、部活で生傷の絶えない俺に何かと世話を焼いた。部活で俺が傷を作ると俺の休憩時間に陸上部を抜けて傷の手当てをしてくれた。絆創膏やガーゼはいつからか常備するようになったほどだ。


「変わらないよね、いっくん」

「え、何が?」

「私を心配させること」

「それは中学の時の話だろ? 高校に入ってからはやっとわだかまりが解けたばかりじゃん」

「バカ。私がどれだけ心配したと思ってるの?」


 真子は睨むように俺を見た。心当たりがない。


「この3日間で失神したり、脱落問題出されたり、骨折したり」


 このゲームのことを言っているのかよ。と言うか、骨折したのは俺ではなく津本だ。まぁ、確かに危うく頭蓋骨を骨折するとこだったが。けどこれで合点がいった。再会した時の真子の泣き様、あれは心配の現れだったのか。


「これからは私の目が届くから無茶させないんだから」


 いや、無茶をさせているのはミッションであり、ゲームマスターなのだが。


「あの……、目が届くって、ずっと一緒に行動するつもり?」

「そうだよ。ダメ?」


 いや、彼氏になった立場としてここは意見をしなくてはだめだ。確かに傍で真子を守れるという考えもできるが、リスクが大きい。


「だって、一緒にいたらミッションあるんだぞ? 稀に有利なミッションもあるけど、ほとんどがリスクを伴うミッションだぞ?」

「わかってるよ」

「元気と木部の時みたいなミッションが出たら真子できるのかよ?」

「いっくんとならできるよ」


 え……。なんですと?

 俺の口から言葉が出ないでいると真子が恥ずかしそうに補足をした。


「服で隠せば何とかなるよね。あ、けど私経験ないからあいちゃんみたいに上には乗れないかな」

「お、俺も経験ないけど、その時は頑張ります」


 って、受け入れてどうするんだ、俺。


「ありがとう。頼りにしてます」


 真子が照れ笑いを向けた。やっぱり可愛い。


「本当はファーストキスもいっくんのために大事にとっておいたんだけどなぁ。まさか相手が女の子になるなんて。ミッションだから仕方ないけど。いっくん以外の男の子よりは女の子で良かったと思う反面、こうして気持ちが結ばれるならやっぱりいっくんが良かったな」


 動揺する。どうしよう。完全に俺は恋愛ヘタレだ。こんな時なんて言ってあげたらいいのかわからない。


「今からいっくんが私のファーストキスやり直してくれる?」


 あ、だめだ、この言葉。止まらない。

 俺は真子の肩を抱き寄せ真子にキスをした。

 少しして真子を離すとお互いに見つめ合った。そして真子が言った。


「エッチもしよっか?」


 え? えーーー!

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