第十話

 4日ぶりの風呂は憂鬱な気分も一緒に洗い流してくれるようだ。俺は大輝と肩を並べて湯船に浸かっていた。外の脱衣所では洗濯乾燥機が稼働している。俺たちはブレザー以外の衣服を全て放り込み、乾燥までセットして浴室に飛び込んだのだ。


「なぁ、郁斗。地上1階には何があると思う?」

「まぁ、キキはいるような気がするな」

「そうだな。俺ずっと考えてたんだよ」

「何を?」


 大輝は正面を見上げて言った。


「何でキューブマンションって言うのかなって」

「階層や部屋を意味するからマンションなんじゃねぇの?」

「キューブの方は?」

「キューブって箱とか6面体って意味だよな?」

「そう、それ。6面体。郁斗、ルービックキューブって玩具知ってるか?」

「あぁ。3×3の9マスを6面揃えるあの玩具だろ?」

「その玩具からキューブって名付けたんじゃないかと思うんだよ」

「どういうことだ?」

「今回俺たちがさせられてるゲームは5×5の25マスの中だろ? 数学的に言うならx軸が5マスで、y軸も5マス。けど高さのz軸が4マスなんだよ」

「あ、地下1階から4階までってことか?」

「あぁ。だから俺は地上1階にも同じような25マスの部屋があるんじゃないかって気がするんだ。そしてそこが最終ステージ」

「なるほど。出口を出た時に端末に届いたメッセージとも辻褄が合うな」

「だから地下の4フロアを攻略してもまだ終わりじゃない気がするんだ。メッセージでは地上1階を目指せとしか書いてなかったし」


 確かに大輝の言う通りだ。地上1階にも25マスの部屋があるかは憶測の域を出ないが、地上1階を目指せと指示されているだけなので、まだゲームは続くと心構えをしておいた方が良さそうだ。


「郁斗は次にどこの階に行くか決めたのか?」

「あぁ。どうせどの階にも行かなきゃならねぇんなら、一番下から順番に攻略してみようかと思ってる」

「地下とわかってて下に下がるか。人の心理の逆を行くな?」


 大輝が笑って言った。


「それなら俺はB3フロアから行ってみようかな」

「じゃぁ、この先は別行動だな」

「当たり前だろ。郁斗と夜を明かすのもミッションこなすのももう懲り懲りだ」

「おい、それは俺のセリフだ」


 そう言って2人で笑った。俺は普段から大輝とは親しくさせてもらっているが、その俺に対してもクールな大輝がここまで素直に笑顔を見せることは珍しい。しばしの安息に気を許している証拠だろう。

 俺たちは風呂を出るとしばらくの間、休憩室で過ごした。休憩室の冷蔵庫には水とお茶が十分なほど入っていたので持っていたビニール袋に入れて持ち出すことにした。脱衣所の洗面台からは歯ブラシも拝借して通学鞄に入れた。


 4月9日 PM9:00


 俺と大輝は制限時間を1時間残して、俺は南西のエレベーターから、大輝は北東のエレベーターから次のフロアに向かった。スタート部屋に入る前に行き先の階を探索しておきたい気持ちがあったためだ。おそらく地下の4フロアはどの階も同じ条件だとは思うが。

 俺はエレベーターの開閉ボタンを押した。エレベーターの扉はすぐに開いた。中に入ると一切ボタンがなかった。やはり奇妙な造りだ。すると腕の端末が震えた。


『行き先階を指定して下さい』


 と表示されている。更に1FとB1からB4のボタンがある。しかし、1FとB2は薄色になっていて無効ボタンのようだ。俺は『B4』のボタンをタッチした。するとエレベーターが動いたのがわかった。軽い浮遊感を感じるので下りているのがわかる。

 そしてエレベーターが停まると扉が開いた。エレベーターを降り、辺りを見渡すが、元いたB2フロアとまったく何も変わらない。エレベーターの正面にはB2フロア同様、21番の部屋のS扉と思われる扉があり、スタート部屋の表示がある。更に初期配置の貼り紙も。俺はクラス名簿を片手にこのフロアの初期配置を確認してみた。


『7.藤本勝英、8.渡辺正信、9.鈴木怜奈、12.園部歩美、14.本田瑞希、17.伊藤ひかり、18.高木悠斗、19.遠藤 努』


「真子はここじゃない……」


 B2フロアと同様にど真ん中の13番を除いた8室に2年A組の生徒が配置されていた。しかしこのフロアは既に3人が死んでいる。失格が2人とリタイアが1人。1ターン目に女子4人が固まったのがこのフロアのようだ。あとは他のフロアから来たプレイヤーが何人いるかだ。


 俺は理由があってB2フロアとは逆に右回りで探索を始めた。物置、階段室、エレベーター、浴場、機械室、休憩室とまったく同じ間取りだ。そして1周回って辿り着いた最後の扉。俺が使った南西のエレベーターの東に位置する部屋。その扉には『安置室』と表示がされていた。この部屋を最後にするために探索を右回りにしたのだ。

 俺は一つ息を吐くと扉を開けた。


「うっ……」


 漂う腐敗臭。聞こえる換気扇の機械音。俺は手探りで照明スイッチを探し当て、押した。明るくなった部屋には山なりの3つのビニールシートが並べられていた。推理ドラマで見たことのあるグレーの袋。山の頂上には長辺に沿ってファスナーが走っている。


 俺はドアから一番近いビニールシートに近づいた。そしてファスナーを下ろした。


「うっ……」


 俺は見た瞬間に顔を背けた。そこには変わり果てた悠斗の顔があった。首には赤い帯がある。ネクタイで絞めた痕だろう。ビニールシートは明らかな死体袋だ。俺はもう一度悠斗に向き合うと手を合わせた。そしてファスナーを閉めた。


 俺は隣の死体袋の横に移動した。そしてファスナーを下ろした。現れたのは2日前の朝に死んだ女子、伊藤ひかりだ。新クラスで顔と名前が一致する数少ない女子生徒だ。かなり青白く、これから腐敗が進んでいくのだろうと予想できる。俺は手を合わせ、ファスナーを閉じると次の死体袋に移動した。

 その死体は鈴木怜奈だった。顔を見たことがある程度で名前を覚えるのはこれらだったというのに、皮肉にもゲームを通して覚えてしまった。伊藤同様かなり青白い。


 俺は3人の死体に手を合わせ終えると安置室を後にした。そして真っ直ぐにこのフロアのスタート部屋に向かった。


 俺は扉の前に立つと、腕の端末をセンサーの受信機に近づけた。すると端末に、


『認証しました』


 と表示が出た。時間を確認すると夜の9時28分。そしてゆっくり扉が開いた。

 今までずっと見て来た部屋と同じ作りの部屋。四方に扉とその上に小型カメラとモニター画面。正面の扉に『N』と表示されているので開いたのがS扉で、ここが21番の部屋であることは間違いない。北西角には便器と腰高の仕切り壁。部屋の中央には布団大のマットと毛布。室内には誰もいないようだ。

 俺は室内へ入り辺りを見回した。背後で扉が閉まるのを感じる。4面あるモニターが作動している。そこには黒地に白文字のテロップが表示されていた。


『ここはB4フロアのスタート部屋。ミッション対象外となる部屋である』


 俺はそれを読んで納得した。ミッションの対象にならない部屋があったのはこういうことだったのだ。

 確かに前の部屋を出てから今までかなりの時間を浪費している。それこそ次のターン開始ぎりぎりに入室したらミッションをこなす余裕はない。そうかと言って前のフロアを出たプレイヤーが15分と待たずにこの部屋に入室してくれば、同室確認のアナウンスの時に感知だけはされる。だからミッションの対象外としているのか。


 俺は1人で納得するとペットボトルの入ったビニール袋と通学鞄をマットの上に放った。すると扉が開く静かな音が聞こえた。動いている扉はS扉だ。誰かが外から来る。俺は動いているS扉と対峙した。そして部屋の外で大きな紙袋を両手に下げ、肩に通学鞄を掛けた女子生徒の姿を捉えた。


「いっくん……」


 なんとその女子生徒は真子だった。俺は女子生徒が真子だと認識するなり口を半開きにしたまま固まってしまった。真子は眉尻を下げていた表情をしていたが、俺を呼ぶと顔を崩し、涙を流した。


「うわぁーん」


 扉が開ききるなり真子は俺の胸に泣きながら飛び込んできた。床に真子の通学鞄と持っていた紙袋が鈍い音を立てて落ちた。


「真子……」


 一度真子の名前を呼ぶと真子はより強く俺を抱きしめた。俺は反射的に真子の背中に腕を回した。俺の鼻の下にある真子の頭からシャンプーの匂いが漂う。真子も出口を通り、風呂に入ったのだとわかる。その匂いを感じていると正面に見えるS扉がゆっくりと閉まった。


「真子、一緒の部屋になれるなんて……」


 そう言うと真子は俺の身体から離れた。しかし手は俺の腰に添えたままだ。真子のブラウスは皺だらけだ。洗濯はできたが、アイロンはなかったためだろう。俺のシャツも同じだ。


「瀬古君が教えてくれたの。B4フロアに向かったって」

「え、大輝が?」

「いっくん初期配置はB2フロアだったんでしょ? 私、初期配置がB3フロアだったの。そこをこのターンで志保ちゃんと一緒に出られて。それでさっきB3フロアの休憩室に志保ちゃんと一緒にいたら瀬古君が来て、いっくんの次の行き先を教えてくれたの。同じターンで出口を通ってて良かった」


 真子は俺の目を見て話を進めてくれた。つぶらな瞳にセミロングの髪。風呂上がりなのに肌や髪にそれほど手入れができない環境なのはわかる。それでも、こんなに可愛かったのか、と思ってしまう。


「そうだったんだ」

「瀬古君にB3フロアの出口の部屋を教えてあげたら、瀬古君がB2フロアの出口の部屋を教えてくれて、志保ちゃんはそこに向かった」

「え、じゃぁ真子もそっちに行ってた方が良かったんじゃ? 俺このフロアの出口の部屋知らないよ?」

「いいの。私はいっくんに会いたくてここに来たから」

「真子……」


 真子は俺の身体から手を離した。そして床に散らばった荷物をまとめ始めた。通学鞄は閉めていたので中身は散乱していないが、紙袋の中身は散乱している。すべてペットボトルだ。しかも大量の。支給されたお茶や水のペットボトルをすべて取っておいたのだろう。ラベルを剥がした物もある。透明なので中は水のようだ。これだけの重さがあれば床に落ちた時鈍い音を立てたのにも納得できる。俺も手伝いながら真子に聞いた。


「こんなに水持って来たの?」

「ん? あぁ、ラベル剥がした奴は水道水。ラベルが残ってる奴は飲用水かお茶だよ。紙袋も流し台の下にあったからたくさん持ってきちゃった」

「水道水まで持って来たの?」

「そりゃぁ……。だってここ手洗い場ないし」


 真子は散らばったペットボトルをまとめながら答えた。確かにそうだ。そこまで考えていなかった。ペットボトルに水道水があれば便器の上で手を洗うこともできる。


 4月9日 PM10:00 第9ターン


 ペットボトルを集め終えて荷物を部屋の隅にまとめ、一息ついた頃だった。


『ジリリリリッ』

『10時の移動ターンの時間です。今から15分以内に移動する扉を選択して下さい』


 警報音とアナウンスが流れた。今までは狭い部屋の中で8時間を過ごして来たのでかなりのストレスだったが、今回は風呂や休憩室で過ごせて充実していた。このアナウンスが懐かしくも感じる。

 そして真子もいる。けどミッションのリスクを考えると別に行動をした方がいいのだろう。ささやかな時間だったが、すごく幸福感に包まれた一時だった。元気な真子の姿が見られただけで俺は満足だ。


「真子はどっちを選ぶ?」


 ここは西南角部屋なので選択肢はN扉かE扉しかない。


「うーん……、いっくんが先に決めなよ」

「じゃぁ」


 俺はE扉を選択した。どうせ考えてもわからないので適当だ。


「ほほぅ、東ですか、旦那。それでは私も」

「え……」


 俺の操作を横目で見ていた真子はそう言うと迷わず『E』のボタンをタッチした。


「ちょ、真子? ミッションするの?」

「そういうことになっちゃうね」


 真子は小悪魔のような笑みを浮かべて言った。


「それより私はいっくんにたくさん言いたいこと、聞きたいことがあるの」


 それだけ言うと真子はそっぽを向いてしまった。


 そして15分が経過しゆっくりと扉が開いた。

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