出会いの話(後)
魔法というものがいつからこの世界にあるのか、正確には誰にもわからない。ガーランドの”秘匿の開示”以降はうやむやになったけれど、魔法を使う人々の間で、魔法に関することを記録するのは禁止されていたから、らしい。
それでも、魔法術士という仕事が歴史の中に登場した時期を見るに、とにかく昔からあったようだという事だけはわかる。
そして、魔女はそれよりももっとずっと古くから語られていた存在だ。魔法を使い、毒を使い、呪いを使うもの。人をさらい、人を食い、人とは根本的に異なるもの。そう語り継がれてきた。
魔女が実際に居るのか居ないのか、信じる度合いは人によって違う。
僕はといえば、いわゆる子供向けの教訓めいた作り話なんじゃないか、でも居たら怖いなとか、その程度の信じ方だった。運命とか奇跡とか、どうしようもなくなった時にそういうものを信じるくらいには信じていたと言える。
見覚えのない天井の木目が、薄ぼんやりと視界に入った。黴っぽいような、埃っぽいような匂いが鼻をつく。それでも、固い地面の上ではなく、柔らかなベッドの中にいる事に気付いて僕は安堵した。
悪い夢だった。山で迷って、地割れから落ちて死にかけ、そのうえ魔女に出くわすなんて、いくらなんでも盛りすぎだ。
「魔女なんて居るわけないのに」
半笑いで思わず独り言をいう。それにしてもここは何処だろうと首を傾けて周囲を見渡した瞬間に、魔女と目が合った。ベッドの脇に椅子が置かれていて、そこに腰かけている魔女の、ぎらぎら光る黄金色の眼が僕を見下ろしていた。
フードを外した魔女は灰色の髪をしていた。この国では大半の人が僕のようなブロンドで、あとはブルネット、赤毛が少数。白髪ともまた違う紫がかった灰色の髪は、見たことのない色だった。そして死人のような白い肌。毒々しく浮き上がって見える赤い唇。
すべての特徴が、幼いころに聞いた魔女の外見そのままだ。
僕は生まれて初めて――もしかしたら産声というのはこんな感じだったかもしれないけれど――心の底から恐怖の叫び声を上げて跳ね起き、壁にへばりついた。叫んで、叫んで、息が切れると、もう一度大きく息を吸い込んで悲鳴を上げる。
魔女が目を吊り上げてこちらを睨んでいて、僕は、今度は必死に自分の口を押さえて悲鳴を飲み込んだ。黙らなければ殺されると思ったからだ。
赤い唇がゆっくりと蠢き、言葉を発した。
「お前が野垂れ死ぬのは勝手だが、私のやった事だと思われると迷惑だ」
おや、と僕は不思議に思った。発言の内容こそ不穏だが、普通の声だ。てっきり魔女の声はもっと地の底から響くようなしゃがれた声かと思ったのに、意外にも涼やかだった。
「死ぬならもっと、この家から離れて死ね。動けるなら出て行け」
魔女はやおら立ち上がると、杖をつき、片足を引きずりながら部屋を出ていった。
僕はしばらく呆然としていた。これは一体どういうことなんだろう?言われた言葉の意味はわかるけれども、わかるからこそ、頭がクラクラする。ベッドの脇には僕の荷物と靴が置いてある。肩や腕に、青臭い匂いの湿布が貼られている。手当をされている。身体に、特に痛むところはない。
僕は身支度を整えながら、ひどく困惑していた。
今しがた見たあの存在は、外見は、あきらかに魔女だ。けれど、「人をさらって頭からむしゃむしゃ食べてしまう」などといわれている魔女の伝説と、自分が置かれている境遇が一致しない。
ベッドのある部屋を出ると、魔女はこちらに背を向けて黙々と何かの作業に没頭している。そろそろと出口に向かって歩き出したけれども、僕は一度足を止めた。
「あの……ありがとうございました」
相手が何だろうと、自分が助けられたのは事実だ。ベッドも使わせてもらったのだし、お礼は絶対に言っておかなければならないと思った。でも魔女は振り返りもせず、返事もしない。
仕方なく扉を開いて外に出ようとしたその時。僕は、魔女の手元に視線を向けてしまった。その手に握られているものに気が付いてしまった。
魔法の杖。それは先ほど魔女がついていた杖とはまた違う形をしている。
木を削って作られたものなのだろうけれど、ゆるくカーブして、はっとするほど青い石を抱え込むように丸まっていた。魔女はその、持ち手のあたりに白と黒の糸で編んだ飾り紐を結び付けているところだった。
杖は美しかった。形に無駄なところが何もなくて、装飾は押し付けがましくなくて、でも自然と目を奪われる。
「出て行けと言っただろう」
振り返った魔女に睨みつけられても、僕は杖から目が離せなかった。これまで見た中で最も美しくて、完璧だ。そう思った。
「その杖は、あなたが作っているんですか」
気が付いた時には、そう口にしていた。
「……だったら何だ」
魔女は訝しげな表情で答える。
「杖は、魔法で作るわけじゃない……?」
そこかしこに、木の棒が転がっていた。作業机の上には石で作られたらしいナイフや小槌、木の枝や蔓、そして色とりどりの石。使っているものこそ違うけれど、ここは僕が勤めていた工房によく似ている。ここはきっと、魔女の工房なんだ。
「魔法の杖は魔法では作れない。余計な色がつく」
魔女はいかにも鬱陶しそうに溜息をついて答えた。
余計な色とは何だろう。でも僕にとってそんな事は重要じゃなかった。重要なのは前半部分だ。魔法の杖は魔法では作れない、と言った。確かに言った。
「教えてください。その、魔法の杖の作り方」
「何を言ってる?」
魔女が驚くのも無理はない。言った僕自身でさえ、この突拍子もない申し出に自分で驚いているのだから。
「魔法で作れないものなら、きっとこの先も無くなったりしない」
「何を言ってる。何故、お前が杖を作る」
「作りたいんです。僕は、こんな風に美しいものを作る仕事がしたい」
魔女は押し黙った。返答を迷っているのだろうか。それとも、単に頭のおかしなやつにこれ以上付き合うべきかどうかと迷っているのだろうか。
やがて、ふん、と鼻を鳴らして魔女は肩をすくめた。
「教える気はない。ここじゃないどこかで、勝手に作っていればいい。趣味で作る分にはそれで……」
「それじゃダメなんです!」
僕は思わず割り込むように叫んでいた。魔女の顔が歪み、奇異を見る目になる。こうなったらもう、言うだけ言ってみるしかない。
「何も学ばないで好きなように作っても、きっと家族とか友達とか近所の人とか、身内はみんな褒めてくれると思う……けど」
僕がまだ実家のある村に住んでいた頃。楽器を弾ける、という人が何人も居た。絵を描けるという人も居た。どの人も人を楽しませる技術を持っていて、それは十分に素晴らしいことのはずだった。
「そこそこのものを作って満足して。あとは毎日色々やることがあって、そのうち忘れて……ああ、昔はそんな事もやったね、って」
細工師になるのを夢見た時、最初は家族にひどく反対された。何もそんな不安定な道を選ばなくてもいいだろうとか、うまく行かなかったらその時どうするんだと、さんざん言われたのを覚えている。
「それでもいいはずなのに。普通に幸せに暮らせれば、それでいいのに。僕には……それが、我慢できない。それだけで終わりたくないんです」
僕は甘いのかもしれない。世間のことも、仕事のことも全然わかっていなくて、馬鹿な選択をしているのかもしれない。それでも。
「僕は、自分が美しいと思うものが作りたい。自分が納得できるものを作って、誰かの心を震わせるような仕事がしたい。他に、理由が必要ですか!」
沈黙が続いた。僕は魔女を相手に好き放題言いたい事を言って、もう何も怖いものはないという気持ちになっていた。これでも断られるならもう仕方がない。
突然魔女は立ち上がって、ぐいと僕の頭を掴んで顔を寄せた。
金色の瞳に間近で顔を覗きこまれて、目を逸らしたかったけれど、我慢した。
「……目が開いているわけではないな」
わけのわからない事を言う。もちろん、僕は目を開けて物を見ている。魔女は僕の頭を離して、再び背を向けた。
「魔法の杖の作り方は、魔法と一緒に覚えるものだ。お前に魔法の才能はない。資格がないと言ってもいい」
「そんな」
やっぱり、ここでも魔法が必要なのか。その言葉を出されてしまうと、もうどうすることもできない。僕の夢は魔法に阻まれる運命なんだろうか。
「魔法を覚えずに魔法の杖だけ作るなんて、聞いた事も無い。うまくいくかどうか誰にもわからない……私にもわからない」
魔女は先ほどの美しい杖を手に取った。
「だから、うまくいかなくても責任は取らない」
僕は魔女の言葉を何度も頭の中で反芻して、ようやくその意味を理解した。心臓がどくどくと高鳴った。魔女の持ち上げた杖が僕の前に突きつけられ、飾り紐が揺れる。
「これと同じものを作れるようになるまでだ。それ以上は教えない」
「……十分です!」
「お前に教える時間を取られれば、私の仕事が滞る。雑用はこなしてもらうぞ」
「もちろんです!」
僕は大きな声で、嬉々として返事をした。工房に勤めている時も、一番下っ端だったので何かと雑用はやらされていた。炊事、洗濯、掃除なんかお手の物だ。
「それと。お前の名は?」
「ラストです。ラスト・グレイソン」
魔女は少し思案顔になり、耳にかかった髪を指でよけた。
「魔女は本当の名を人には教えない。私の仮の名は”アイーダ”としよう」
「……アイーダ」
「誰が呼び捨てにしていいと言った!?」
「いえっ、今のは確認しただけです!」
アイーダ。普通の名前だ。魔女の名前というのはもっと異常に長ったらしかったり、発音できないような名前じゃないかと思っていた。
「魔女に弟子入りして魔法の杖を作るなんて、お前の人生は確実にめちゃくちゃになるぞ。覚悟しておくんだな」
アイーダ先生はとんでもなく意地の悪そうなニヤニヤ笑いを浮かべた。さっきから気が付いていたが、この魔女は結構表情が豊かだ。
「覚悟します。アイーダ先生」
これが、先生と僕の出会いの話だ。
こうして僕は、魔法の杖の作り方を学び始めることになった。
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