世界はオレノモノ
酢屋
第1話
田舎で見上げた夜空には、数え切れないほどの星が輝いていた。まるで自分の存在を知ってほしいと言わんばかりに。明るく輝く星や、ひっそりと輝く星。人間の世界と同じように、星の世界でも自己主張の強さは千差万別だった。
しかし、オレが今、暮らしている大都会の上に広がる夜空には、自己主張をしている星は驚くほど少ない。いや、驚くほどのことではない。星空は田舎でも大都会でも同じなんだ。ただ、人間の営みの中で、そのほとんどがかき消されているだけなんだ。
人間は誰かに自分の存在を分かってほしい、自分をもっと認めてほしい、そう思う生き物だ。そんな自己主張が大きなうねりとなって、人間は集まり、その入り組んだ欲求が街を形作っていく。そんな欲求の前に、名も知られていない星のことなど誰も気にするはずがない。
当たり前だ。自己主張しても気づいてもらえない星が、この世界にはありふれているんだ。でも、人間の強すぎる自己主張に負けず、真っ暗な空に自分の存在を主張し続ける星もある。大都会の中で、一体どれだけの人間が彼らの主張に気づいているだろうか。人間は生きることに必死で、他人の主張など自分の生活に関わりのない、邪魔なものくらいにしか思っていない。それでも人間の自己主張に勝って、自分の存在を確かに主張する大都会の星空にオレはえらく共感するのだ。
田舎で特に刺激もなく過ごしていたオレは、思春期を迎えた頃から平凡な日常にイライラしていた。両親は田舎によくいるタイプの温厚な人種だった。親父は役場の戸籍課勤務で、用もないのに毎日やって来るじじぃやばばぁの話相手で給料をもらっているようなものだった。お袋は近所の道の駅でパートをしていた。近くで採れた野菜を愛想良く客に売って、買い物に来た近所の顔なじみと世間話をするのが日課だった。一人いる7歳年上の姉貴も隣町のアスパラガス農家に嫁いで、収穫時期には朝から夕方まで土にまみれていた。
田舎生活に馴染んだ家族とオレはまさに対照的だった。このまま田舎で平凡に生きて一生を終えるのか、そんな漠然と迫り来る現実に身を任せることなんてオレにはできなかった。
「せっかくこの世に生まれたんだ、どうせやるなら頂点を目指してやる」
田舎しか知らなかった高校生のオレの中にジリジリと燃える野望が駆け巡ったのは当然のことのように思えた。根拠はなかったけど、自信はあった。
高校を卒業すると、大都会の大学へ入学して経営学を専攻した。テレビにはよく知らない会社の社長がタレントのように出ていた。そんな連中がどのくらいヤリ手なのかは分からなかったが、タレント気取りの社長にできて、オレにできないはずがないという自負があった。根拠のない自信はオレの背中を強く押して、それに応えるように縁もゆかりもない大都会にやって来た。弱肉強食の世界でライバルを蹴落として成り上がって行った奴らが、日本中から集まるこの大都会に。
築50年、6畳一間で風呂なし、家賃4万のぼろアパート。唯一、オレが統治者として君臨することができる空間だ。時間の経過を感じさせる、薄茶色に変色した扉を開くと、そこには統治者を受け入れてくれるささやかな空間が広がっていた。
ただ、この絶対空間の要のはずの壁は有って無いようなもので、薄い板1枚で区切られた隣の部屋とは、お互いの生活リズムを簡単に把握できてしまうほどだった。
一つしかない窓は隣のぼろアパートと密着して並んでいるので、その機能を満足に発揮してくれない。だから、天井からぶら下がる頼りない裸電球は、この絶対空間を照らす太陽のようなものだった。湿気が体にまとわりつく大都会の夏も、刺さるような痛みすら感じる寒風に身をすくめる冬も、統治者としてのオレの威光を保つくらい、神々しく輝いていた。
一つしかない窓は隣のぼろアパートと密着して並んでいるので、その機能を満足に発揮してくれない。だから、天井からぶら下がる頼りない裸電球は、この絶対空間を照らす太陽のようなものだった。湿気が体にまとわりつく大都会の夏も、刺さるような痛みすら感じる寒風に身をすくめる冬も、統治者としてのオレの威光を保つくらい、神々しく輝いていた。
大都会に出て来たまでは良かった。両親も「アンタの好きなことをやりなさい」と平凡ながらも送り出してくれた。姉貴だけはオレが見ず知らずの大都会でやっていけるか、最後まで心配していた。7歳も離れているから仕方ない。今でも週に1回は電話をかけて来るが、そのたびに同じ内容の話を聞いたふりをしてやり過ごしていた。
毎日、約10分自転車をこいで大学へ向かう。途中に通る商店街は店を開ける支度に忙しそうで、道路を掃き掃除するおばさんを交わしながら自転車を走らせる。商店街を抜けると片道2車線の広い通りに出る。通りに沿って左折してしばらく進むと大学がある。自転車で並走するこの大通りは通勤通学の時間だけあって、どの車線もひっきりなしに車が走っている。バスにはぎゅうぎゅうに詰め込まれた乗客が慣れたように携帯や単行本に視線を落としている。都市再開発が進んでいるからだろうか、トラックやダンプカーが編隊を組んで現場に向かって行く。オレが越して来た頃から変わらない朝の風景だ。
経営学部の講義では、経営学者アルフレッド・チャンドラーが残した「組織は戦略に従う」という言葉をよく耳にする。組織と戦略の両方を意識しなければ、経営者としては不合格らしい。その点については何の疑念もない。
組織は強力なリーダーシップの下に統率が取られ、抜け目のない戦略に従って事業を拡大させ、会社を成長させる、それが経営者だ。強力なリーダーシップは大学で勉強すれば身につくような、陳腐な能力ではない。生まれ持った才能だ。オレにその才能があるのかどうかは分からない。ただ、経験に裏打ちされた自信は周囲の人間を引き付ける大きな武器になるはずだ。オレにはまだその経験が足りない。何でも良いんだ、とにかく一度自信を付けなくては。
世界はオレノモノ 酢屋 @daichan
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