第32話 透ける影に決意した想い

 約束の時間の少し前に私は待ち合わせ場所に着いた。少しだけ服装に気合いを入れたことに今さら少しだけ後悔をし、強く意識しているのを悟られないか不安になる。なんなら今から帰ってもっと地味な服装に着替えたい。

 服のすそを軽く握りしめ、そんなことを考えつつ、視線だけはしっかり駅の出入口から流れる人波に向ける。涼太を笑顔で出迎えたかったのだ。

 時間は少しずつ経過していく。周囲から聞こえてくる靴の音や話し声が私を孤独にする。涼太は本当に来るのだろうか? そんな不安にさいなまれる。しかし、涼太はいきなり理由も連絡もなく約束をすっぽかすような人間でないことはよく知っている。それでも、誰も私のことを意識的に見ていないし気にはしていないのに、視線を感じ、お前が今独りなのはあの日、孤独を選んだのだからだと責められているようで――ふいに目と耳をふさいでしまいたくなる。

「陽子ちゃん、待った?」

 ふいに声をかけられるまで目の前に涼太がいることに気付かなかった。少しだけ目と意識を離していただけなのに――。笑顔で出迎えるという予定は崩れ、なんて話していいか分からず、のどから声が出てこなかった。

「陽子ちゃん、大丈夫? なんか顔色悪いよ」

「だ、大丈夫だよ。ちょっと暑いからかな。少しだけぼーっとしてただけでもう平気だよ」

 目の前の心配そうな顔を見ながら、その顔から不安そうな要素を消したくて笑顔を作る。「それならいいんだけど」と、涼太は小さく頭をき、下ろす手の動きに合わせて私の視線も下に向かう。足元には大きな鞄と紙袋が置かれていて――。

「なんかすごい荷物だね。なんだか長い旅行した後みたいだね」

 私はいつの間にか自然にくすくすと笑っていた。

「ああ、たしかに。着替えとか入れたのはいいんだけどさ、普通の旅行の時みたいにバスタオルとかそういうのまで入れちゃってさ。そんなの実家に帰るだけなんだから自分で用意する必要も持って帰る必要もないものなのにさ」

 その説明に私はこらえきれずに声を出しながら笑う。そんな私を見ながら涼太も同じように笑う。こんなにも自然に感情が表に出るのはあの二人の前でだけだ。

 私はやっぱり彼が――町谷涼太が好きだ。


 お互いに笑いの波が落ち着いたところで涼太が一息ついてから紙袋を差し出してくる。

「ところで陽子ちゃん。これ言ってたお土産。最近、地元のお菓子屋さんで発売し始めたらしい新作ロールケーキ。一日の数量限定らしくてさ、すぐ売り切れなんだってさ。地元の果物とか使ってるとか聞いてもさ、個人的にはあんまピンとこないんだよなあ」

「そんな曖昧なものをお土産として渡すわけ?」

 紙袋を受け取りながら、くすりと笑う。

「まあ、でも、おいしくて人気らしいよ。ああ、賞味期限は長くないから早めに食べてね」

 涼太はそう言うと、鞄を肩に掛ける。このままだと、涼太はそのまま下宿先に帰ってしまう。私はとっさに、

「ねえ、夕ご飯まだだよね? よかったら一緒に食べよ?」

 と、声を掛けていた。自分でも意外なほどすんなり言葉になっていて、言った後にあれこれ考えてしまい耳まで熱くなる。

「えっと、それはいいけど今から? 荷物あるし食べに行くって言ってもなあ」

 涼太は困ったような表情を浮かべる。

「じゃあ、私の家でどう? 外で食べるよりかは周り気にしなくても大丈夫でしょ?」

「まあ、そうだけどさ。いきなり家に行って迷惑にならない?」

「それは大丈夫だよ」

 流れと勢いに任せて家に誘ってしまった。今日の私はちょっとどうかしている。涼太はちょっと考えているような間のあとに、「わかった。ご馳走になりに行くよ」と返事をする。

「でも、おばさんとかいきなり行ったら驚くんじゃない?」

「ああ、それは大丈夫。お母さんは今、お父さんの所に行ってるからそのへんは問題ないよ」

「えっと……逆に問題じゃないかな?」

「なんで?」

 聞き返さなくても理由は察している。彼女持ちの男の子が両親のいない女の子の家にご飯を食べに行く。何もなかったとしてもその話を対外的にすると誤解を招く。

「私と涼太くんの仲なんだから、それくらい大丈夫でしょ」

 これも本心だ。間違いが起きることはまずないし、そういうことはないという信頼関係もできている。

「まあ、そうだけどさ……」

「じゃあ、いいよね。さすがに一人でご飯食べるのはちょっと寂しいからね」

「それはわかるかも。下宿始めて、ご飯を一人で食べるのは味気ないなってのは感じること多かったからね」

「うん。それで、何か食べたいものある? 帰りにスーパー寄れば何でも作れるよ」

「陽子ちゃんが作るの? なんか悪いな」

「気にしないで。料理作るの好きだし、家族以外に作るのは滅多にないことだから、気合い入れてなんでも作るよ」

 涼太は首を捻って考え出す。考えながら涼太は「梨奈相手なら卵焼きだけを確定させて、あとはお任せにするんだけどな……」と、ぼそりと口にする。聞かないふりもできたが、言葉が胸に刺さって、痛みだす。

 細かいところで梨奈の姿が透けて見える。今の言葉もそうだけど、お土産のチョイスにも些細なところで梨奈を感じてしまう。

 胸が苦しくなってくる。梨奈に負けているのに負けたくないと思ってしまう。料理の腕は昔から私の方が上だった。お菓子もおにぎりもまともに作れなかった梨奈が、涼太の言葉によると今はそれなりにできるっぽいが、手伝いでそれ以外でもずっとやってきた私とは経験の差があると思っている。

「ねえ、梨奈が普段作ってくれないような涼太くんの好物って何? それ作ってあげるよ」

「そういうことなら、明太子とか魚卵を使った料理かな。ほら、俺は好きだけど梨奈は嫌いだから」

「決まりだね。じゃあ、今日は明太子尽くしにしようか?」

 私は無理に作った笑顔でそう言うと、涼太は「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうね。よろしく」と、はにかんだような笑顔を向けてくる。

 並んで歩きながら涼太から帰省した時の話を聞く。梨奈に駅で車で出迎えられて驚かされたこと、観光客が多くて、地元に帰ってきたはずなのにゆっくりできなかったことなど、色々話していた。そんな数日の土産話の隣にはずっと梨奈がいて、話の中にもたびたび名前が上がる。私はそれを聞きたくないような、それでも梨奈が元気で幸せに暮らしているのが嬉しいような不思議な気持ちになる。

 家の近くのスーパーで明太子とその他に料理に必要な食材を買い物カゴにいれ、飲み物にも手を伸ばす。そして、涼太が好きだった炭酸飲料もカゴに入れる。レジで涼太もお金を出そうとしてくれたが、今回は私が誘ったのだからと私が払うことにした。涼太は「作ってもらうだけでもあれなのに、材料費まで陽子ちゃん持ちだなんてなんか悪いな」とこぼしていたが、「じゃあ、別の機会に涼太くんに何かおごってもらうよ。なんなら涼太くんの手料理でもいいのよ」と笑うと、「まあ、何か機会があれば次は俺が払うよ」とまだに落ちないような顔をしながらも納得してくれた。買ったものをレジ袋に詰めると涼太がそれを無言でさっと手に取る。

「涼太くんは他に荷物あるし、そんなに量買ってないんだから持たなくていいよ」

「いやいや、それでもこれくらいは持たないと男としてさすがにまずいでしょ」

 涼太がそう真面目な顔で言うものだから私は思わず噴き出す。涼太も私のそんな顔を見て、笑顔を見せる。

「こう見えても、俺、スポーツやってたし、それなりに力とか体力には自信あるんだ」

「知ってるよ。……じゃあ、お願い」

 そうやって、私たちは笑顔で歩き出す。

 こうやって並んで歩いたり、一緒に買い物したりだとかしてると周りから見ると恋人同士に見えるのだろうか? そう見えようが見えまいが、私は今この時間を大切にしたいと思った。



 陽が遠くに沈み、空には夜の気配が濃くなってくる。

 大きな鞄を肩から提げ、隣を同じペースで歩く好きな男の子。私は歩きながら腕を上げ一つ大きな伸びをし、そのまま空を見上げる。

 相変わらず星は見えにくい都会の空に、それでも輝いているであろう星に手を伸ばす。

 そして、もう子供じゃない私は、星に手が届かないことを知っていて、ゆっくりと伸ばした手をおろすことにした――――。

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