幕間 ゴールデンウィークに思いを馳せるは鞄の彼

待ち人に思いを馳せるは緑茶

第30話 彼を待ちながら想うこと

 ゴールデンウィークに入り、今年は気候が穏やだったせいか、帰省や旅行で例年以上に道路も電車も込み合っているとテレビのニュースでやっていた。

 世間が浮かれ気分になっているそんなある日、私、桑原くわはら梨奈りなは駅のロータリーにいた。

 何をしているかといえば、幼馴染で恋人でもある町谷まちや涼太りょうたが今日、新幹線で下宿先から帰省してくるので彼を迎えに来たからだった。

 私は高校三年生の受験が終わった二月の下旬から自動車学校に通い始め、この春、無事に免許を取得した。そして、親の車を借り、免許取得以来初めての車の運転をしてここに来た。

 そして、当の涼太は私が迎えに来ていることは知らない。本来ならば、涼太の母親が迎えに行く予定だったのだが、その話を涼太からも涼太の母親からも聞いた私はサプライズを兼ねて、自分が迎えに行くと涼太の母親に提案した。涼太の母親は意味ありげな表情を浮かべながら、「本当に昔から仲いいわね」と笑っていて、私の母親に車を借りる交渉をしたときの母親の反応もまた同様で――。

 そんなこんなで私と涼太の両方の両親の妙な期待と嬉しそうな視線を受けつつ、家を出て、今まさに駅にいるわけだった。


 涼太が乗っているはずの新幹線が到着するまであと二十分くらいだろうか。

 今日は久しぶりに、と言っても涼太が下宿先に行ってから約一ヶ月ぶりに会うわけで、昨日はなかなか寝付けなかったし、今朝も服を何を着て行けばいいのわからなくて、クローゼットをひっくり返した。

 今まで部屋着姿を見られても平気なほど何も意識していなかったくらいなのに、いざ離れてみるといつでも会える距離にいるということはとても大きなことだなのだと再確認させられた。だから、久しぶりの再会を前に緊張しているのだ。

 また、たった一ヶ月ほどなのに会えないというだけで感じる不安や心配は大きくなるばかりで、高校生の時に同じクラスになれなかっただけで感じたストレスとは比にならないものだった。

 そんななか、日中たまにするメールなどのメッセージのやり取りや夜寝る前にしている少しの時間の電話が今は唯一と言っていいほど私と涼太を分かりやすく繋いでいるもので、あとは愛情や信頼という確かにあるけれども目には見えない曖昧で心細くもある線で繋がっている。

 それでも私は、私の選択に後悔はしていない。涼太と一緒に都会にある大学に行き、もう一人の幼馴染で大切な存在である沢井さわい陽子ようこを追いかけるというみちを選ばず、地元に残ると決めたその選択をだ。

 そして、その選択が間違っているかそうでないかは私には分からない。

 それなのに最近は特に不安と疑心ぎしんが心に渦巻いていて、どうにも落ち着かない。部屋の壁にかかっている写真をっているコルクボードが目に入るたび、中学三年生の夏に撮った写真の陽子の表情が胸を締め付ける。周りには涼太と二人で撮った写真もいっぱいも貼っているのにかかわらず、その陽子の写っている写真に目をやってしまう。

 こんなにも陽子のことを意識したり、どうしようもなく不安を感じる理由に思い当たるものがある。

 それは数日前の夜に涼太と電話をしてからのことだと分かっているからだ。



『あー、もしもし。梨奈』

 携帯電話のスピーカーをオンにして、テーブルの上に置きベッドを背にして座り直した。

「もしもし、涼太? 今日も一日お疲れ様」

『うん、そっちもお疲れ様。てかさ、梨奈。聞いてくれよ!』

 いつもならバイトがあった日は疲れた声で今にも眠ってしまいそうな雰囲気なのだが、今日はどうにも興奮しているようで声に張りがある。

「なに? 今日はバイトあったんでしょ? それなのにテンション高いじゃん。何かいいことでもあった?」

『あったも何も、やっと会えたよ! 陽子ちゃんにさ。講義終わって帰ってる最中にたまたま見つけたんだ』

 それは喜ばしい報告なはずなのに胸がチクっと痛むのを感じた。再会を望みながら、どこかでそうならなければいいのにと思っていたからだ。

『でさ、バイト前で時間あんまりなかったんだけど、ちょっと話できてさ、大学で同じ講義を受講したりだとか、時間会えば昼とか一緒に食べようとか約束してさ、また昔みたいに戻れると思うんだ。それでさ、陽子ちゃんを見かけたときは本当に驚いてさ。だって、陽子ちゃん、髪の毛を――』

 涼太が陽子とのことを楽しそうに話すのを返事をしながら聞くしかなかった。涼太の楽しそうな声は久しぶりに聞いた気がしたし、何より涼太が陽子との再会を心から喜んでいるのが伝わってくる。それがとても苦しくて、私の心は突起とっきのついたくさりのようなものでゆっくりと締め付けられてるようだった。

『なあ、梨奈。ちゃんと聞いてる?』

「聞いてるよ。それでどうかした?」

『うん、それがさ、陽子ちゃんに梨奈にも連絡先を教えていいかって聞いたら断られて、理由聞いたら梨奈ならわかるって言ってたけど、俺の知らないところで陽子ちゃんと何かあったの?』

 私は一瞬言葉を失った。

「ううん。なんでもない。私に教えたくない理由は……うん、分かるから大丈夫」

『気になる言い方だな。何したんだよ? 俺でなんとかできるようなことなら代わりに何か伝えたり謝ったりするけど?』

「大丈夫。涼太は気にしなくていいよ」

『そう? まあ、今は深くは聞かないけどさ、何かあるなら何でも言えよ? 俺はお前の彼氏でもあるんだからな』

「うん、本当にありがとう。私、明日早いからそろそろ寝るね。涼太もバイトとかで疲れてるでしょう? 今日はちょっと早いけどこのへんで。おやすみ、涼太」

『あ、ああ。おやすみ、梨奈。またな』

 それを聞いて、私から通話を切る。これ以上話していると私の感情や気持ちが涼太に見抜かれてしまう。ただでさえ、唐突に話を終わらせるように通話を終わらせたのだからもう不審がられているかもしれない。

 そして、改めて陽子の言葉の意図に考えを巡らせる。陽子の気持ちも分かってしまうからこそ、その言葉の意図は私の心に深く深くとげを刺すように突き刺さる。


 陽子は知っているのだ。

 私が昔から涼太のことを好きだったこと、陽子が涼太を好きだったということを私が知っていたということ。そして、私が涼太と付き合いだしたことも――。

 そのうえで、まだ陽子は涼太のことが好きで、あきらめることも前に進むこともできないと思っているのだ。また私とは以前のように仲良くしたいという気持ちはあるが、私と涼太を同時に相手にするにはまだ心に余裕がないのだろう。つまり、頭では理解できるが心情的には私を受け入れることができないということなのだと思う。

 それは仕方のないことで私もこうなるのではないかとどこかで思っていた。

 私の表には出さない後ろ暗い本心を言えば、陽子は涼太と再会したらそれを機に涼太にアプローチを始めるのではないかと疑念していたが、今のところはそういうつもりはないのだろう。


 仮に私が進路を都会にある大学を選んでいれば、涼太と陽子の関係について、あれこれ深く考えて心配したりすることも今よりはなかっただろうし、陽子がもし涼太に何かしらアクションを起こしても止める手立てや、それ以前にアクションを起こさせること自体への抑止よくしになったかもしれない。

 だけど、高校時代の三年間。陽子という存在がいなくなり、涼太との距離感が曖昧あいまいになったけれど結局は陽子がいないことで関係は進展した。陽子があのまま近くにいたら私と涼太の関係は変わっていたかもしれない。

 だから、今度は陽子の番――。涼太と同じ時間を同じ場所で過ごして、私の知らないところで二人だけの時間を作るのだ。そのために私は陽子が受験に失敗して滑り止めの滑り止めの私が受かった女子大に進学しない限りは都会の大学に行かないと決めていた。もちろん私が陽子と同じ大学に行くということにはならなかった。私は地元に残り、こっちの大学に通うことにした。

 高校の三年間と大学の四年間の一年間の差は、私が涼太との関係を進めてしまったことへの私へのペナルティと、その関係ゆえの陽子へのハンディみたいなものだ。それで私は陽子とフェアになったつもりだった。

 これは私の陽子への身勝手な贖罪しょくざいなのだから。


 私が地元に残った理由はそれだけじゃない。そもそもの理由は別のところにある。

 私が地元に、あの古い街並みが残るこの場所に残ったのは、涼太が帰ってくる場所はここなのだと言葉にせずに伝えたかったからだ。

 石畳が敷き詰められた古民家が残る古い町。ここが私と涼太が生まれてからずっと育ってきた場所で、これからもずっとここに居続けることになるだろう場所。

 もっとこの町のことを知りたくて、道の駅でバイトを始めた。売店の仕事を通して、あまり意識していなかった特産品について詳しく知ることができたし、また接客を通して、観光目的のお客からおすすめの場所や名所を尋ねられたりと、地元を深く知り、さらにそれを発信する機会を数多く得た。

 元々私はこの町が好きでこの町以外で暮らす自分の姿というものも想像できなかった。この町を知ってもらい好きになってもらう手伝いやきっかけを与えるこのバイトは私のしょうにもあっていた。

 そういうことを感じていたからこそ、大学は観光系、それも観光振興などの地方から発信する仕事に繋がる学部を選んだ。将来のことを考えた時、まったくと言っていいほどビジョンが浮かんでこなかったが、涼太をここで待つと決めてからはもやの中に光が差し込んだように何をするべきか見えた気がした。


 私はきっと涼太がすぐそばにいないという不安と戦いながら、四年後、涼太がこの町に帰ってくることを信じて、変わらないように見えて少しずつ変わりゆくこの町で変わることのない気持ちを胸に待ち続けるのだ。

 私はこの町で涼太と生きていきたいのだから――。



 閑散かんさんとして人の気配がほとんどしない駅のロータリーで、近くの自動販売機で買ったペットボトルに入った緑茶に口を付ける。少しだけ苦い。ミルクティーにすればよかったかなと少しだけ後悔する。

 そんなことを考えていると、駅の出入り口から人が出てくる。さっき電車がホームに入ってくるような音が聞こえていたから、きっと降車した人達なのだろう。

 そのなかに見慣れた姿の男の子を見つける。着替えなどが入っているであろう大きな鞄を肩にげ、出入口辺りからロータリーの方に、つまりはこちらに視線を向けている。

 そして、私の姿に気づき、驚いたような表情を浮かべ、一息つく。そして、ゆっくりとこっちに向かって歩き出す。

 きっと今、私と彼の両親、特に母親にめられたと心のなかで不平をこぼしていることだろう。

 涼太に対する悪戯いたずらとサプライズはどうやら成功したみたいだ。

 私は目一杯の笑顔を涼太に向ける。涼太は少し困ったような笑顔をこちらに向ける。


 私の心はにわかに浮き立ってくる。これはきっとゴールデンウィークのせいだ。

 なにせ、今年のゴールデンウィークはまだ始まったばかりなのだから――。

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