第28話 再会はシャボン玉と共に

「私、ゴールデンウィークには地元に帰る予定なんだ」

「なになに? もう家が恋しくなったの?」

「違う違う。地元の友達と遊ぼうって話してるのよ。でね――」

「あっ、そういえばさ、今度ウチのサークルで飲み会あるんだけど時間あったら来る? なんかさ新入生はタダらしいよ」

「えー、でもなあ……飲み会に乗じて変なこと考える人もいるのがねえ」

「ああ……なんか新入生の女子には念入りに友達を誘ってくるようにって言ってたのはそういうのもあるのかな?」

「あるに決まってるじゃない。もしかしてそんなこと考えもしなかったの? 私、姉が同じ大学にいるんだけどさ――」



 入学して、もうすぐ一ヶ月が経とうとしていた。

 目前にゴールデンウィークが迫り、周囲はその予定で話が盛り上がっているようだった。またサークルや部活の勧誘もピークに比べて一段落し、サークルの情報交換もしているようだった。

 私は必修ひっしゅう科目の講義で席が近くなった同じ学科の女子に話しかけられ、たまに一緒に行動するようになった。そして、今は前の講義が早く終わり、次の講義までの時間潰しにキャンパス内のフリースペースでお喋り中。私からは話すことがないので黙って会話の行方を追っていた。

「それで、沢井さんはどうするの?」

 ふいに話を振られて、話半分だった私は焦る。ゴールデンウィークの話題だっけ、それともサークルの話だったかなと何を話そうか困惑する。しかし、どちらも話すような内容はなくて、

「えっと……なんだっけ?」

 と、曖昧あいまいな返事をする。そんな私の反応が面白かったのか一緒にいた子達は笑い出す。

「あんた大丈夫? しっかりしなさいよ」

「ほんと真面目そうなのに抜けてるよね、沢井さんは。えっと、これから私たち、そろそろ次の講義の教室に移動するけど沢井さんは?」

 近くの時計を確認するとそろそろ五限が始まる時間で――。

「私は今日はもう講義ないから帰るよ」

「いいなあ。じゃあ、また明日ね」

「うん。またね」

 私は手を振りながら見送る。一人残された私は一つ大きく息を吐いて、鞄を肩に掛けて立ち上がる。

 真っ直ぐ道沿いに最短距離でキャンパスを出ようとすると、まだサークル勧誘のために声を掛けられる心配があった。そして、今の夕方のこの時間帯は帰る新入生を狙った勧誘のゴールデンタイムでもあり、そこを人波を掻き分けて進むというのは人が多いところが苦手な私には苦痛でしかないものだった。だから、落ち着く頃合まで時間潰しがてらキャンパス内を散歩することにした。

 まだどこに何があるか把握はあくしきれていないキャンパス内を行くあてもなく歩いていると、芝の敷き詰められた広い場所に出た。そこにいる人たちは青々とした芝の上で足を伸ばして、談笑したりとなごやかな空気が流れているように見えた。

 そんななか、そんな雰囲気とは打って変わり、芝の中心の方では大声で笑いながら騒いでいるグループがいた。そのグループの中の数人がシャボン玉を飛ばして遊んでいて、それを見る人もシャボン玉の行方を目で追っているようだった。

 私は足を止め、なんとなくシャボン玉の行方を見上げる。シャボン玉がはじけるのに合わせるかのように懐かしい記憶が頭の中でよみがり、七色にゆがむシャボン玉の液膜えきまくに映し出されるようだった。

 シャボン玉に映る自分は何歳だろうか? まだ年齢が二桁になるかならないかくらいだったはずだ。あのころは私を含めて、三人はまだ幼かった。

 こんなことを思い出すのも、あのシャボン玉を飛ばして遊んだときもちょうど今と同じ少し陽が傾きだした時間帯だったからかもしれない。

 なんとなく目で追っていたシャボン玉が割れたため、視線を下ろすとシャボン玉で遊んでいるグループを挟んで向こう側に、同じように足を止めシャボン玉を見上げていた人と目が合った。目が合った時間は一瞬のはずなのに時間が止まったかのような気さえした。

 次の瞬間、私は思わず走り出していた。目が合ったその人は、「待って! 陽子ちゃんっ!」と名前を呼びながら追いかけてきた。

 百メートルも走らないうちに、腕を後ろから掴まれ私は観念して足を止めた。最初から逃げ切れる自信はなかった。だって、私はどちらかというと運動は苦手で、その人は私と違って運動が得意で中学のときは野球部に所属していて――。

 私とその人は腕を掴まれた状態で一時停止してかのように静止してしまい、その光景に周囲からは好奇こうきの視線が向けられたり、関わり合いにならないようにと視線をらされたりと反応はまちまちで、それらが痛いほど伝わってくる。

 私の心臓はバクバクと大きな音を立てていた。それはきっと走ったからだけではない。整わない息と、落ち着かない鼓動。私は息を整えようと何度も大きく息を吸ったり吐いたりする。

 息は整って気持ちは落ち着いてきたが、どうしても振り返ることはできずにいた。腕を掴まれているため逃げることもできないので、私はどうしようもできないまま時間の流れに身を任すことしかできないでいた。

「……陽子ちゃん。久しぶり」

 直接顔を合わせての再会は三年ぶりだというのに、腕を掴んだその人、涼太は――幼馴染で私の初恋の相手でもある町谷涼太は、昔と変わらない調子でそう言った。まるで連休明けに学校で会って、久しぶりと声を掛けるかのように――。

「やっと……やっと君に会えた」

 彼の声は少し震えているように思えた。そして、私の腕を掴む手に力が入る。

「い、痛いよ……もう逃げないから……手、離して?」

「あっ、ごめん……」

 涼太はゆっくりと手を離す。私はゆっくりと彼の方に向き直る。正面からまじまじと見上げるように顔を見つめる。たった三年見なかっただけで、顔つきは随分大人っぽくなった。身長も伸びたのか見上げる角度が高くなったように思える。

 とても懐かしいような、少しだけ他人のような気もする不思議な感覚だった。それなのに、私と話す時に会話に詰まると視線を逸らしながら困ったような表情ではにかむ癖は全く変わっていなくて――。

「久しぶりだね、涼太くん」

 私は自然に口にしていた。いつの間にか服のすそを握っていた手から力が抜ける。

「うん。それにしても、陽子ちゃんは随分と雰囲気変わったね。髪……のせいかな」

 私は涼太の言葉に合わせるように自分の髪の毛先に触れる。

「似合ってない……かな?」

「そんなことないっ! 今くらいの長さもよく似合ってる」

「ほんとに? じゃあ、前の長かった時と今くらいだとどっちがよかった?」

「えっと……俺には選べないよ。本当にどっちもよく似合っているから――」

 涼太は露骨ろこつに困ったような表情を浮かべる。それが面白くて、おかしくて。私は思わず噴き出してしまった。突然笑い出した私を見ながら涼太も困ったように笑う。

「ねえ、こんなとこで立ち話もなんだから、どこかでゆっくり話さない?」

 涼太はその提案に腕時計で時間を確認して、「うん。いいよ」と、乗ってきた。

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