第七幕 春の桜舞う空を映すはカフェオレ

第27話 期待と憂鬱混じる入学式

 春は出会いと別れの季節だ。

 そう言われるのは、入学式や卒業式、その他にも職場内での異動や転勤など、この時期にはそういう出会いや別れを感じさせる出来事が多いからだろう。

 でも、私にとって出会いと別れを連想する季節は春より夏だった。夏に大切な人達と出会い、初めて本気で恋をして、そして、そんな人たちとの別れを決めたのだから――。




 例年より寒さが厳しい冬だったせいか、春になっても寒さが居残り続けた。そのせいで桜の開花が遅れ、まだ五分咲きといった四月の初め――私は大学の入学式に出席していた。

 着慣れない新品のスーツに足に馴染んでいないパンプス。初めて足を踏み入れた入学式の式典会場になっているキャンパス内にあるホール。

 全てがこれから始まるのだという期待感と不安感を抱きながら、壇上だんじょうで行われている式辞しきじに耳を傾ける。

「新入生の皆さん、御入学まことにおめでとうございます。大学を代表して皆さんを歓迎いたします。また――」

 その始まったばかりの長くなりそうな式辞を聞きながら私の心は違った意味で緊張と期待をしていた。


 私、沢井さわい陽子ようこがこの大学を選んだのには大きな理由が二つあった。一つはこの大学が第一志望で元々行きたい大学だったこと。そして、もう一つは、入試の際、受験生で溢れる試験会場で見間違いかもしれないが見覚えのある横顔を見たことだった。それは初恋の相手で、小学四年生の夏からずっと想い続けている相手の町谷まちや涼太りょうたで――。

 中学三年生の夏に高校への進路を決める際に一度は自分から離れて初恋を諦めることにした。そして、高校二年生の修学旅行でたまたま見かけた彼の姿に、現実と時の流れの残酷さを突きつけられた。

 今の涼太には、桑原くわはら梨奈りなという恋人がいる。梨奈は私にとっても彼にとっても幼馴染で、あの町に住んでいた頃はずっと一緒に過ごしてきた女の子で――。そんな二人の間に私の入り込める隙間は今も昔もなかったし、無理やり入ろうとするほどの強引さや積極さは私にはない。

 それでも、偶然に修学旅行で戻ったあの町で姿を見れたことは嬉しかったし、その一度の偶然が私に甘い期待を抱かせた。

 その期待はどこか図々しいもので、今私の住んでいる地域にふと涼太が旅行か何かで来るかもしれないなど、自分にとって都合のいいありったけのもしもを考えたりもした。

 だからこそ、試験会場の人混みでそれらしい横顔を見かけただけで、もし合格したらこの大学にしようと強く決めたほどだった。


 そして、現在にもどって大学の入学式。

 会場に入る前から辺りを見回したがそれらしい人影は見当たらなかった。新入生だけで軽く数千人。それを学部などで会場や時間は分けられていて、さらにその父兄や関係者などがいる場で、たった一人を見つけるなんて奇跡でも起こらない限り無理な話だった。

 そもそも涼太が本当に受験していて、そして合格していて、さらにはこの大学を選んでいて、入学式の会場も一緒でないとダメで――その何重にもあるハードルを超えなければならない。

 そして、私の知る町谷涼太は勉強が苦手で、高校卒業後には就職をするという選択肢を選ぶような男の子だったはずで――この大学はいわゆる難関私大で、考えれば考えるほど、再会はありえないことに思えてきた。

 そう思うと、途端に期待感は薄れていき、集中力も緊張感もなくなってしまい、入学式が終わるまでの時間をどこか上の空で過ごした。

 入学式が終わると、そのまま今度はオリエンテーション会場に移動することになった。大学での講義の受講の仕方や注意点などがかかれたプリントや冊子、講義内容などがまとめられたシラバスの入った大学名の入った大きめの袋を受け取り、学部ごとに違う大教室に案内される。私は文学部の集められた中で学科別、つまりは私の所属することになる人文社会学科でまとめられた一角に一人で座っていた。辺りを見回すと比率的には女子の割合が多いように見えた。そして、すでにグループのようなものが出来始めていて、携帯電話を取り出し連絡先の交換が始まったりしている。

 私はこういうときにどこのグループにもすっと入ることが出来ない。それは人見知りと言ってしまえばそれまでなのだが、私の本質は昔からずっと変わっていないのだ。

 新しい環境で自分から話しかけたり、友達を作ったりするのは苦手で、元々臆病な私は誰かに話しかけられることを期待して、自分からは動けないでいてしまうのだ。

 だからこそ、あの町で出会った二人は特別で――。

 しばらくすると、大学の職員が壇上で説明を始める。それと同時に、さっきまで今日初めてあった同士、距離感を確かめるように話していた声はなりをひそめ、代わりにページをめくる紙の音と説明する声だけが部屋の中に静かに響く。

 説明が終わると、また部屋中にざわつきが戻ってくる。早々に席を立つ音、これからの親睦しんぼくを深めるためにどこかに行こうと話す声、誰かに電話をしている声――その全てが自分とは無関係で、私は誰とも話すことなく部屋を後にし、広いキャンパスの中を同じように帰る新入生に紛れた。帰り道、周囲の新入生を見回し、再度見知った顔がいないか淡い期待を胸に確認する。そして、知り合いはいるはずもなく期待した熱は少し肌寒い空気に冷やされていく。

 私の大学生活の始まりは孤独感を感じさせ、不安ばかりが募った。そして、慣れない靴で痛い指先を我慢しながら、私は家路についた――。

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