第21話 修学旅行で戻ってきた町で

 修学旅行が始まると、私は予想以上に楽しい時間を過ごしていた。

 それは一言で言えば、観光地に現地の人は行き慣れていないという感覚にきるものだった。

 初めて来たと思えるほどの新鮮さを感じながら、クラスメイトと楽しく観光地を回った。下調べしていたスイーツの店を回ったり、ベタなお土産を買ったりと満喫まんきつした。

 そして、二日目――。

 一日目と違いほとんどが自由時間に割り当てられた日程は私には気が重く、自由時間が始まると各々グループ毎に分かれて散策に出かけていった。

 私を誘ってくれていた二人も最後まで「どうする?」と、気にかけてくれていた。

「私は大丈夫だから。楽しんできて」

 私は携帯電話を持った右手で二人に見えるように小さく手を振って送り出した。それでも、二人は渋々しぶしぶと言った表情で――。

「面白そうなものあったらメールかなんかするから、沢井さんも何かあったら――」

「わかってるよ。ありがとう」

「じゃあ、またあとで合流しようね」

 二人を笑顔で送り出し、姿が見えなくなるとすっーと顔から表情が消えていく。いつの間にか制服の上着のすそを握りしめていた左手から力が抜けていき、しわだけが残った。誰かにつくろう必要も合わせる必要もなくなり、本来の他力本願で人付き合いの得意でない沢井さわい陽子ようこに戻っていく。無理をしているつもりはないが、一人になると疲労感と顔の筋肉にコリのようなものを感じてしまう。

 かつてここに住んでいたときは笑いすぎて顔の筋肉が痛くなることはあったが、今感じているものはそれとは明らかに違った理由からだった。

 私は大きく深呼吸をする。どこか懐かしい味の空気に見覚えしかない周囲の光景――私は誰か知り合いに会う前にこの場を離れたいと思った。

 私は最寄り駅から電車に乗り込み、父親の働いている会社のある最寄り駅まで移動した。ここまで来れば見知った顔と会う可能性はかなり低くなる。私はそのことでほっと胸をで下ろし、一息ついてから父親に電話で連絡する。あらかじめ父親には顔を見せに行くと伝えていた。そして、駅近くの喫茶店で待ち合わせることになった。

 先に一人で喫茶店のテーブル席に座り、コーヒーにのんびりと口をつけながら、クラスメイトや友人からのメールに目を通して、返事を返したりしていた。

 十分ほどすると喫茶店に父親が入ってきて、案内しようとする店員を丁寧に制して、私と向かい合うように座った。

「やあ、陽子。元気かい?」

「うん。もちろん。お父さんは……また少しやつれた? ちゃんとご飯食べてる? お母さんも心配してるよ」

「ははは。ちゃんと食べてるよ。ただやっぱり外食や弁当が多いかな」

 それから、お互いの近況を報告しあったり、母親からの伝言を伝えたりと、久しぶりに父親と顔を合わせてゆっくりと話した。

 そんななか、父親から何気なく切り出された話題に私の心は揺さぶられた。


「せっかくこっちに来たんだから、梨奈りなちゃんや涼太りょうたくんには会っていかなくていいのかい?」


 それは優しい口調で私を気遣きづかった言葉だった。久しぶりに聞いた二人の名前に私の心はさざめいてしまう。私は動揺を悟られないように目線を落として答える。

「二人は今は学校だろうし、会おうと思ってもきっと会えないよ」

「それもそうだな」

 そう言って笑う父親に合わせるように私も笑顔を見せる。いつの間にか作り笑顔が板についてきたと思った。そして、父親はふいに腕時計で時間を確認する。

「ああ、もうこんな時間か。ごめん、陽子。お父さん、そろそろ仕事に戻らないといけないんだ」

「うん。わかった」

「じゃあ、ここの会計は払っておくけど、まだ何か注文するかい?」

「ううん、大丈夫」

「じゃあ、また年末にはそっちに帰るから。お母さんにもお父さんは元気にしてたって伝えてくれよ」

 父親は立ち上がり、私の肩を軽くぽんぽんと叩き、会計を済ませて店を出て行った。私はそれを笑顔で見送った。

 一人残された私は残り半分になったコーヒーをすすりながら、これからどうしようかと思いを巡らせる。

 時間は昼の二時過ぎで自由時間はまだまだある。このまま一人でずっといるわけにもいかず、平日のこの時間なら、あの二人――町谷まちや涼太りょうた桑原くわはら梨奈りなは普通なら学校で授業を受けているはずで会うこともないだろうと思った。それならば、久しぶりに少しだけあの街並みを歩いてみようと思い立った。

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