三学期に彼氏を虜にするは卵焼き

第19話 彼氏を虜にするは卵焼き?

 冬休みが終わり三学期が始まると、クラスの話題の中心は俺、町谷まちや涼太りょうたと幼馴染で最近恋人になった桑原くわはら梨奈りなの関係についてだった。

 驚いたという声と納得という声が半々で通常授業が始まるころには、からかわれたり、好奇の視線を向けられることはあっても、どこかクラス公認のカップルという扱いに落ち着いた。それはクラスだけにとどまらず、学校内でも名前は知らないけどよく一緒にいる仲のいいカップルという認識が醸成じょうせいされつつあった。

 それも当然のことで、俺と梨奈は付き合いだしたということを隠さなかったし、以前のように時間が合えば、登下校を一緒にするようになった。

 以前と違うところを挙げるなら、中学校まではそこにもう一人の幼馴染の女の子の沢井さわい陽子ようこがいて――そのころは誰も恋人という線で結ばれるような関係はなく、ただただ大事な友達で幼馴染だったということだろう。



 通常授業が始まって一週間程が過ぎたとある昼休み――。

「なあ、町谷。今日の昼は学食? パン? パンなら一緒に買いに行こうぜ」

 いつものように昼をよく一緒に食べているクラスメイトの男子に声を掛けられた。

「ごめん、今日は弁当」

「えっ? 珍しいな。よかったら、かわいそうな俺におかずを恵んでくれよ」

「悪いけど、それはできない相談だわ」

 笑いながらそう返事をし、机に掛けてある鞄には手をかけず立ち上がる。

「梨奈! どこで食う? 教室? それとも場所変える?」

 俺の言葉でクラスは一瞬時間が止まったのではないかと錯覚するほど、静まりかえり動きを止める。その中で梨奈は鞄を肩に掛けながらすっと立ち上がる。それを見て、クラスメイトは事情を察し、いつもの昼休みの光景に戻っていく。それぞれのグループで机を合わせたり、学食や購買こうばいに行くために教室を出たり――しかし、視線や聞き耳を立てている気配はなんとなく感じる。梨奈もそれは感じているようで、

「とりあえず、教室出ようか」

と、腕を軽く引っ張られるように教室を後にする。教室から出るとクラスはどっと盛り上がりをみせる。廊下でそれを聞き、顔を見合わせて大きなため息をついた。

「で、どうするの涼太?」

「中庭とか屋上……とかは、この時期にはさすがにきついよな。じゃあ、学食?」

「そうよね。暖かくなれば外でってなるのに残念ね」

 校内ではさすがに腕を組んで歩くだとかはしないので、並んで話しながら学食に向かった。

 学食は昼休みということもあり、生徒が多く、自分達と同じように学食で弁当を食べる人も散見さんけんできた。

 空いてるテーブルの一角に向かい合うように席を取り、梨奈を残して学食に設置されてるサーバーから熱いお茶をんで席に戻った。

 梨奈は鞄から弁当箱を取り出し、テーブルの真ん中あたりに広げていた。

 少し大きめの二段のランチボックスで、一つにはおにぎりだけ、もう一つには様々なおかずが詰め込まれていた。

 それを見て思わず声がれ、期待感も高まる。梨奈の母親は料理上手で今まで食べてきたものに美味しくないものなんてなかったと言って過言ではない。特に卵焼きは絶品で――。

「なあなあ、食べていい?」

「いいに決まってるじゃない」

「じゃあ、いただきます」

 俺は手を合わせてそう言い、はしを受け取ると真っ先に卵焼きに手をつける。口の中に甘すぎない程よい甘さと出汁だしの利いた桑原家のいつもの味が広がる。

「やっぱりうまいわあ」

「そう? よかった」

 梨奈は微笑みながら俺が食べる姿を見つめてくる。梨奈の視線を受け流しつつ、おにぎりにも手をつける。程よい塩加減で想像通りの味なのに、不思議といつもよりおいしく感じた。

「なんか全部うまいな」

「そ、そう? それはめすぎじゃない?」

 梨奈は照れたような表情を浮かべながらも嬉しそうに笑う。

「そんなことないよ。やっぱりおばさん、料理うまいよなー」

「えっ? ……今、なんて?」

「だから、おばさんの料理はうまいって――」

 梨奈はムスっとした顔をしてランチボックスのふたを乱暴にかぶせるように置く。

「ちょっと、梨奈! 急に何するんだよ?」

「……れ、……ったの、……し」

 梨奈は目を伏せながら小声でボソっとつぶやく。怒っているのは分かるが、怒っている理由が分からない。そういうときは迂闊うかつに何か喋るよりは黙って梨奈が何か話し出すのを待つ方が賢明なのだと経験上知っている。

「…………」

「それ、作ったの……私なんだけど」

「ほんとに?」

 梨奈は小さくうなづく。俺は声にならないほどの衝撃を受ける。

「これ本当に全部梨奈が作ったの?」

「全部じゃない。冷凍のやつとかお母さんが作ってくれたのもあるよ。だけど、卵焼きとおにぎりは私が作ったの」

「まじで?」

「どんだけ確認するのよ? そんなに私が料理できたら変?」

 梨奈は顔を上げ、抗議の意味を込めた視線を送ってくる。しかし、取りつくろうだとかお世辞を梨奈に対して言うという機能が欠落している俺は素直に、

「うん、変」

と、即答で返事を返していた。梨奈は口を開けてしばらく固まっていた。そして、ひねり出すように、

「なんで私が料理できると変なのよ?」

と、少しあきれてるような口調で尋ねてくる。

「だって、梨奈じゃん」

「どういうことよ?」

 梨奈はジトっとした目で威圧するように言う。

「いや、だってさ、お前。料理、全然得意じゃなかっただろ?」

「そうだったけど、あんたに食べさせたの今日が初めてなはずなのに、なんで知ってるのよ?」

「いやいや、初めてではないだろ。去年――じゃなくて、中三の夏の盆踊りの準備してる時の差し入れで、俺に渡したおにぎり握ったの梨奈だろ?」

「えっと……あっ……うん……」

「今だから言うけど、あれ――塩加減とか固さとかひどかったんだぞ」

「ううぅ……」

 梨奈はうつむいて、言葉にならない声でうなっている。それを見てさすがに言い過ぎたかなと思ってくる。

「それにしてもあれから料理練習でもしてたの?」

「うん。あのとき、自分で握ったおにぎりを自分でも食べて、それがあまりにもひどかったから、お母さんの手伝いがてら少しずつ……」

「すごいじゃん。おにぎりと卵焼き以外には何が作れるようになった?」

「簡単なのはだいたい一通り……でも、まだお母さんいないとたまに失敗する」

 梨奈の努力が素直にすごいと思った。そして、そんな梨奈に自分は悪いことを言ったなと申し訳ない気持ちが溢れてくる。

「そっか……じゃあ、他にもまた梨奈が作ったもの食べさせてくれよ」

「でも……」

「それは俺が悪かったから……だから、弁当の続きを食べさせてくれよ。お腹空いちゃってさ」

「……うん」

「あっ、卵焼きは俺が全部食べてもいいよな? あんな美味しいもの、梨奈には一切ひときれもやらないからな」

「うんっ!」

 梨奈は笑顔に戻っていき、噴き出すように笑い出す。それに釣られるように俺も笑い返す。しんみりしたりするのは俺と梨奈には合わない。こうやって笑い合っているのが一番しっくりくる。

 それから、梨奈の料理のこれまでの努力や成長について、失敗談をまじえながらの話を聞きながら楽しい昼食の時間を過ごした。

「ごちそうさま」

「いえいえ、お粗末そまつさまです」

「また、たまにでいいから弁当作ってくれよ?」

「いいよ、たまにならね。でも、たまに、でいいの?」

 梨奈は悪戯いたずらっぽく笑いながらそう尋ねてくる。

「ああ、たまにでいいよ。でも……明日も明後日もきっと毎日、そのたまにを期待するだろうけどな」

「じゃあ、明日も明後日も毎日、そのたまにをやってあげようか?」

「いいのか? それじゃあ、お願いしようかな」

「うん、いいよ」

 梨奈は裏表のない真っ直ぐな笑顔を向けてくる。俺はその顔を見て困ってしまう。その笑みは、純粋に嬉しそうで幸せそうで――小さいころからよく見慣れた笑顔のはずなのに今日のその顔は直視できないほど、かわいさと愛おしさを感じてしまう。なんというかずるい。

 そんなことを思ってるのを知られるのはなんだか気恥ずかしいし、隠すつもりはないがどこか負けた気分になる。だから、誤魔化すために、

「卵焼き……だけは、できたら毎回入れてくれよ」

と、口にする。梨奈は鼻を鳴らし、のぞき込むように顔を見てくる。梨奈のことだから俺の気持ちや思っていることは見透かされているのだろう。

 なぜなら梨奈の顔には、もっと素直に喜びなさいよ、と口に出さずとも書いてあるのだから――。




 予鈴のチャイムを聞きながら、俺と梨奈は教室に戻るために並んで歩き出す――。

 横で腕を組みたくてうずうずしてる顔の梨奈を見ながら、いつまでもこうやって梨奈の隣にいたいと思った。

 心の距離というものがあるなら、俺と梨奈の距離は腕なんて組まなくても当たり前のように寄り添っていて触れ合っているのだろう。

 そんな当たり前が当たり前に続いていくのだろうと疑わない俺は、梨奈の隣を梨奈の歩幅に合わせて歩いていく――――。

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