幕間 新しい年に想いを寄せ合うは組んだ腕

初詣に彼女を暖めるは甘酒

第16話 変化した関係と感覚

 高校一年生の年末の雪がしんしんと降り続いた日。

 私は幼馴染で百メートルも離れていないところに住んでいる男の子――町谷まちや涼太りょうたと恋人になった。

 ただ、恋人になったからと言って、私と涼太の関係は突然大きく変わることもないと思っていた。幼馴染で言葉にしなくても表情や仕草でお互いの事をなんとなく分かっている――今まで通りのただそれだけの関係。

 それでも恋人という関係になったということは、お互いにとって誰が一番近くにいて、誰と一番長く同じ時間を共有してきたのかということを再認識するには十分過ぎるものだった。

 そして、一番変わったことといえば、涼太とキスをしたことだろうか――。

 私のファーストキスは涼太の部屋で、直前まで飲んでいたココアの風味と甘さを感じるものだった。

 涼太とキスをするのは嬉しいことで、私は幼いころからそうしたいと思っていた。涼太が他の人にかれている間も、私の気持ちは変わることなく涼太に向けられ続けていたのだから――。



 涼太と付き合いだしたことはその日のうちに、お互いの親に知られることになった。


 私が涼太と恋人になった夜。涼太の家から帰ろうと涼太の両親に軽く挨拶あいさつをし、玄関に腰掛けて靴をいていた。そのとき涼太の母親から、

「なんか梨奈りなちゃん、来たときに比べて表情がなんだか明るくなったわね。もしかして、うちの子となんかあった?」

と、察しているようなそうでないような言葉が飛んできた。

「そ、そんなことないですよ。それじゃあ、私はそろそろ」

「そう? 絶対に何かあったと思ったんだけどなー」

「そんなことないですよー」

 私は笑ってやり過ごそうとする。

「でも、梨奈ちゃん。じゃあ、なんであの子のコートを着ているのかしら?」

 涼太の母親のニヤニヤした表情で視線は私の着ているものにそそがれる。それはついさっき涼太の部屋を出る際に、「それじゃあ、寒いだろ」と涼太が着せてくれたもので――。

「それは寒いから借りただけですって」

「本当にそれだけ?」

 どうしてこういうときだけは親というものは察しがいいのだろうか。この場合は自分の親ではないのだが――。

 私はつい数分前のことを思い出して、顔が熱くなるのを感じる。

 涼太はコートを私に着せてくれて、そのままコートの前を合わせながらふいにキスをしてきた。私は驚きつつもそれを受け止め、そのままくちびるから感じる体温や感触に身をゆだねた。

 ふとそんなことを思い返しながら、自分の唇を指で軽くなぞる。まだ信じられないという気持ちがどこかにあった。

 そして、視線を戻すと涼太の母親が先ほどに増して、ニヤニヤとしていて、私はその視線から逃げ出すように、

「それじゃあ、お休みなさい。よいお年を」

と、挨拶をして玄関の戸を開けた。

 外に出ると雪は静かに降り続いていて、吐き出した息は雲のように白んでいた。涼太に借りたコートは暖かく、膝下まですっぽりと包む。それは同時に涼太との身長差を感じさせ、思わずほほほころんだ。涼太にとっては太ももにかかるくらいのたけの長さだが、私にはあまりにも大きくて――小学校五年生くらいまでは私の方が背が高いくらいだったのにと思い出しつつ、涼太は男の子なんだとそんな当たり前のことを改めて感じる。

 ふと二階の涼太の部屋を見上げると、涼太も窓からちょうどこっちを見下ろしていて――。


「好きだよ、涼太」


 そう声には出さずに唇を動かし笑顔を向ける。涼太も同じように私に向かって何か声を出さずに喋りかけ、照れくさそうに笑う。それを見て、今、自分も同じような顔をしているんだろうなと思いながら、頬と耳が熱くなるのを感じる。

 そして、軽く手を振りきびすを返して自分の家に向かって歩き出した。


 雪降る空を見上げながら、今にも踊りだしたくなるほど軽い足取りで家路をゆく。ミュージカルのように本当に踊りだしてしまおうかという衝動を抑えながらゆっくりと歩いた。それでもすぐに着いてしまうほどの距離にある自分の家――。

 玄関を開けると、夕食のいい匂いがただよってくる。私は「ただいまー」と声を響かせ、靴を脱いでいると、台所から母親がやってきて、

「おかえりー。黒豆持って行くだけだったのに随分長居したのね」

と、心配というよりどこか楽しげな声で私に声をかける。

「うん。ちょっとおばさんや涼太と話してたから」

「そうなの? それはいいけど、それだけ?」

 私は一瞬固まる。さっきも思ったが親というのはどうしてこうも――。

「それだけだよ。他に何があるって言うの?」

「はいはい、そうね。とにかく、ご飯にしましょうか」

 母親はふふふと笑いながら、台所に戻っていく。私はその背中をため息混じりに見つめ、二階の自分の部屋に行き、涼太から借りたコートをハンガーに掛けた。そして、ハンガーに掛かったコートを見つめながら、再度涼太とキスをしたんだなと思い返し、顔が熱くなった。

 一階に戻り、洗面所で手を洗ってから台所に足を踏み入れると、ニコニコした表情の母が私に尋ねてきた。

「ねえ、梨奈。それで涼太くんとはどうすることになったのかしら?」

 私は誤魔化せる気も隠す気もないので、渋々ながら付き合うことになったとだけ報告する。母親は歓迎ムードという風で、目を輝かせながら色々質問を重ねるがそれには答えず、笑ってその場をやり過ごした。父親は父親で横で落ち着かない様子で聞き耳を立てているようで――。

 どこか落ち着かない空気のまま夕食を終え、追求と視線から逃げるように自分の部屋に戻った。

 部屋に戻ると、ベッドに投げるように置いていた携帯電話に着信があったことを知らせるために小さく光が点滅していた。着信履歴を確認するとそれは涼太からで、私はそのまますぐに電話を折り返した。

 二回のコールの後、涼太は電話に出た。

『もしもし、梨奈』

「あ、もしもし。涼太? どうしたの?」

『なんかもう母さんに梨奈と付き合いだしたのばれた』

「そうなの? というかさ、こっちもばれたよ」

『まじで?』

 私と涼太は電話越しに驚きを共有しつつ、笑い合う。

「なんか嬉しいとか、そういうのが顔に出てたのかな?」

『そうかもな。なんか母さんに、き物が落ちたようなすっきりした顔してるじゃない、なんて言われてさ……』

「こっちは帰ってきて顔見た瞬間から何か察したって感じで……私って、そんなに顔や態度に出てるのかな?」

『うん。梨奈はすぐ顔や態度に出るよ』

「あんたにだけは言われたくないわよ」

 私たちは再度笑い合う。見えないはずの涼太の笑顔が脳裏のうりに浮かんで、すぐそばで話しているような感覚になる。

『まあ、それで本題なんだけどさ……』

 涼太が呼吸を整えるように間を取るので、私も釣られるように姿勢を思わず正して身構える。

初詣はつもうでなんだけど、二人だけで行かない?』

「いいよ」

『はあ……よかったー』

「なんでほっとしたような感じになってるのよ? 毎年一緒に行ってるじゃない」

 そこまで言って私はハッとする。確かに毎年一緒に行っていたが、今年まではもう一人の幼馴染の沢井さわい陽子ようこも一緒だった。三人で近くの神社に行き、お参りをしておみくじをひいて――。

 ただ、陽子は今はこの町にはいない――。

 陽子が引っ越して来る以前はどちらかの親が必ず一緒に行っていたので、二人だけで初詣に行くのは、思い返せば初めてのことになる。

 なんだか涼太と二人きりで初詣に行くということが特別なことに思えてきて、不思議と今から緊張してくる。それは数秒前の涼太のようで――私はそれがおかしくて笑い出してしまう。

『急にどうした、梨奈?』

「なんでもない、なんでもない。初詣、楽しみにしてる」

『うん。で、二年参りにする? 元旦の昼くらいにのんびり行く?』

「元旦の昼過ぎくらいからでいいんじゃない?」

『わかった。じゃあ、またな』

「うん……」

 今までなら電話が終わるということに何も感じなかったが、今はなんだか少し物悲しい気持ちになる。もう少しだけ涼太とのつながりを感じていたい――。

「好きだよ、涼太」

 こぼすように呟いていた。

『それ……帰り際にも見上げて言ってたよな?』

「ばれてた? でも、それは涼太もよね?」

『やっぱこっちもばれてたか――』

 またしても私たちは笑い合う。こうやって笑い合う関係こそが、私と涼太の正常な関係なんだと実感する。

『俺も好きだよ、梨奈。じゃあ、おやすみ』

「うん、おやすみ」

 電話は切れても、涼太の声が耳の奥にまだ残っている。今まで聞き飽きるほど聞いてきたはずの声なのに、私を好きだと言う好きな人の声は特別な響きをしていた――。

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