第15話 とけて繋がるは甘いココア

 私が辺りを見渡したりしていたせいで、部屋は沈黙ちんもくつつまれていた。聞こえてくるのは、目覚まし時計の秒針の進む小さな音と、ココアをすする音、その際に生じるカップと机が触れる音だけだった。

「で、梨奈はくつろいでるけど、何か用事でもあった?」

 涼太はぽつりと小さな声で話しかける。

「特にないよ。さっきも言ったけど黒豆持ってきたついでだから」

 そう答えながらカップに口をつける。

「ふーん。そういや、最近どう?」

「どうって言われても同じ学校、同じクラスで家も近所なんだし、だいたい分かるでしょ。そのうえで何を知りたいのよ?」

「高校楽しい?」

 私は質問の意図いとが理解できずに首をかしげる。

「別に学校は楽しいってもんじゃないでしょ」

 涼太は「そっか……」と言って目を伏せる。私は要領ようりょうない問答もんどうにイラっとする。

「そういう涼太は高校楽しいの?」

「そんなに楽しくないよ。なんというか、何をしてても物足りないというかね……」

「じゃあ、何で部活に入らなかったのよ? 少しは違ったんじゃない?」

「まあ、たしかにそうなんだけどね」

 涼太は真っ直ぐに私のほうを向いて、小さく笑いながらそう言う。私はその顔を見て、無理しているのが分かってしまう。何かを隠そうとしたり、言えない何かがあるときに作り笑いをするのは変わっていない。

 私はカップに入ったココアに目を落とし、ふいに寂しさを感じる。

 高校に入るまでは――陽子がいなくなるまでは、顔を合わせれば笑いあっていたのに――わずかな表情の変化や仕草で何を考えているかもなんとなく分かっていたのに、どうしてもこうも私たちはずれてしまったのだろう。

 私が涼太のことを真っ直ぐに見ていなかったように、涼太も私のことを直視していなかったのかもしれない。それがどうしようもなく寂しくて、悲しくて――。

「ねえ、涼太。涼太は私のことちゃんと見てる?」

 ふとそうらすように言葉にしていた。

「見てるじゃん。今もこうして――」

「違う! そういう意味じゃない!」

 私は思わず声をあらげる。声を荒げるつもりなんて本当はないのに、今は気持ちがあふれてくるのを止められない。

「ねえ、涼太は気付いてる? 私、肌がかなり白くなったんだよ。髪も伸びたんだよ。男子に混じって体を動かすより、クラスの女子と放課後にカフェでお喋りするような普通の女の子になったんだよ」

 涼太は最初驚いたような表情を浮かべていたが、すぐに真面目な顔に戻り、真っ直ぐに私を見つめてくる。

「知ってる」

 涼太は静かに深く答える。私はその様を見て、小さく息を吐く。今の涼太には何を言っても聞いてくれるだろう。

「高校に入ってから、陽子の見えない姿を追いかける涼太を私はずっと見てたんだから……」

 私はついに言ってしまったという後悔を感じながら、気持ちを吐き出したことで少しすっきりした気持ちになる。

 目の前の涼太は黙って私の言葉を受け止めているようだった。そんな涼太に私はさらに続ける。

「ねえ、涼太は私のこと好き?」

 時計の秒針の音が大きく聞こえる。私の心は思いのほか冷静で――。

「ああ、好きだよ」

 そうあっさりと答える涼太の言葉にも驚きはなかった。

「それは友達として、幼馴染として好きってことでしょ?」

「それ以外に何があるんだよ? 俺と梨奈は幼馴染で小さい頃から何をするのもいつも一緒で――それは今も昔もそんなに変わらないだろ?」

 私が軽い口調で尋ねたものだから、涼太がこういう返事をするのは仕方のないことで正しい反応に思えた。逆の立場なら、私も同じように答えていたことだろう。

「それは違うよ、涼太。変わらないものなんてないんだよ。見た目だって変わるし、高校に上がれば周囲の人間も変わるよね。そして……実際、陽子がいなくなっただけで私たちの関係は変わったじゃない?」

 涼太は私の言葉に静かに耳を傾けているようだった。

「ねえ、涼太。もう一度言うけど、私は涼太が好きだよ。もちろん幼馴染……としてじゃなく、涼太が好きだよ」

 私の告白に涼太は顔を赤らめ固まったまま、視線だけをちゅうにさまよわせていた。私はそれがなんだか面白くて、クスッと声に出さず小さく笑ってしまう。

「涼太は私のこと好き?」

 数秒前と同じ質問を私は涼太に投げかける。だが、その答えが意味することは全く変わってくる。涼太は私の顔を真っ直ぐに見つめ、真面目な表情に変わる。そして、ココアに軽く口を付け、

「ああ、好きだよ」

と、先ほどと変わらぬ調子で同じ答えを口にする。私は身構えていた分、拍子抜けする。

「ねえ、意味分かってる?」

「分かってる。ちゃんと分かってる」

「でもさ、涼太は陽子のことが好きだったんじゃないの?」

「好きだったよ。確かに、俺は陽子ちゃんが好きだった。でも、今では正直それも分からなくなったんだ……」

 涼太は作り笑いの奥に苦しそうな表情を浮かべる。私はそんな表情をする涼太を初めて見た。だから、何と声をかけていいか、どう話を切り出せばいいか分からなかった。

「俺さ、今だから言うけど陽子ちゃんに告白しようと思ってたんだよ。でも、告白する前に離れちゃったから、気持ちの整理がつけれなかったんだと思う。だから、見えない姿を追いかけてガラにもなく一生懸命勉強して、陽子ちゃんが見ていた世界を見ようと背伸びをしようとしてたのかもしれない」

 私は涼太からそういう話を聞くのは初めてで、ただ黙って涼太の話に耳を傾ける。

「あと、あれだ。この際だからついでに白状すると、俺の初恋は梨奈、お前だったんだぜ」

「えっ?」

 私は突然のことでどうリアクションしていいか分からず、涼太の目を見たまま固まる。顔が尋常じんじょうじゃないくらい熱い。今、私は顔から耳の先まで真っ赤にしているのだろう。

「なんていうかさ、気取らないところや、昔から俺に頼られるといいところを見せようと頑張っているのを見るのが好きだったんだよ。俺が困ってるといつも胸を叩いて『大丈夫』って、強がったりする姿がなんだか頼もしくて、とても安心できて――」

 涼太は笑いながらそう言う。そして、私の反応を見て楽しむかのように話を続ける。

「それにな……今も昔も真っ直ぐに言葉や気持ちをぶつけてくるし、本当に梨奈は変わってないよな」

「さっき変わらないものはないって、話したばかりなのに変わらないってふざけてるの?」

 私はわざとらしくすねてみせる。それがポーズで実際はすねてなんていないということは、涼太にはバレバレで焦る素振りも見せない。

「変わるものばっかりじゃないってことだよ。でも、変わってないと思ったのにいつの間にか変わっていくんだよな……」

「はあ? 言ってる意味がわからないんだけど」

「言葉の通りだよ。梨奈はどんどんかわいらしくなっていくし、高校に入ってからはずっと女の子らしくなったよ。俺ら男子に混じって、休み時間や掃除そうじの時に野球だとかして馬鹿ばかしてたなんて、今じゃあ誰も信じないだろうな」

 涼太はさっきからずっとにやけている。私は驚くことの連続で頭の中で整理が追いつかない。

「それに梨奈は知らないかもしれないけど、クラスの男子の間でお前はけっこう人気あるんだぜ。中学のときも中三の三学期が始まったあたりだったかな、梨奈のこと見違えたって言う話、よく聞いたし、高校でもそういう話題けっこうでるんだぜ」

「それは嘘でしょ。だって、人気があるなら誰かそういうことを私に言ってきてもおかしくないじゃない?」

「本当だって。で、誰も言えなかったのは、たぶん俺のせい」

「それが何で涼太のせいなのよ?」

「それは俺とお前の関係がずっと疑われてたからだよ。さっきも言ったけど、中三の三学期あたりから、何回も梨奈と付き合ってるのかとか聞かれてたし、高校でもそれは一緒でさ。どういうわけか、否定しても付き合ってると勘違いされたりしてたわけよ。まあ、でもそれが本当になるのもいいかもな」

「なんでよ?」

「なんというかさ、梨奈が誰かと付き合っている姿を見たくないんだよ」

 涼太は相変わらず笑っていて――私は嬉しさや困惑など感情が交じり合い、何故だか無性むしょうに泣きたくなってくる。私は、涙をこらえながら、

「じゃ……じゃあ、私と付き合うってことでいいの?」

と、少し震える声でそう尋ねる。

「さっきからそう言ってたつもりだけど?」

 涼太はいつの間にか真剣な表情になっていて――それはなんかとてもずるい。

「バカッ!」

 私はそう言いながら涼太に抱きつく。そして、仕返しとばかりに涼太の胸を軽く叩く。涼太の腕の中で顔を上げ視線が合うと、私たちは小さく笑いあった。

 行き違いやすれ違いによってまっていたものはゆっくりとけていき、今まで悩んでいたこと全てが無意味だったのではないかとさえ思えてくる。

 子供のころからいつも一緒にいるのが当たり前で、言葉に出さなくても気持ちがつながっているようなそんな感覚――ずれてしまったものが綺麗にカチ、カチッとはまっていく。

 今、私がしたいことはきっと涼太のしたいことと同じなのだと、確信が持てる。



 そして私と涼太は、ココアの風味ただよう甘いファーストキスをした――――。







 今まで繋がることのなかった三つの点は一つが欠けて、初めて繋がった。

 窓の外に目をやると雪は降り続いていた。それは繋がった二つに対する祝福なのか、欠けたもう一つの心情を表しているのか――見上げた空は暗く、静かに全てを包み込むように世界を白一色に染めていく――。

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