第14話 雪降る日に向かい合った二人

 新年が目前にせまったある日。その日は朝から雪がしんしんと降り続いていた。

 夕方に母から頼まれて、おせちに向けて母が仕込んでいた黒豆を涼太の家におすそ分けするために私が持っていくことになった。

 一歩外に出ると冷たい空気に思わず身震いする。すぐ近くなのだからと厚着をしなかった数分前の自分をうらんだ。

 夕食どきという頃合ころあいなのに、天気と季節柄、空は吸い込まれそうなほど真っ暗で、雪の降り注ぐ小さな音しか聞こえないほど静かだった。その中でれてくる家のあかり街灯がいとうの灯がどこかあたたかく感じられた。

 私はころばないように気をつけながら小走りで通いなれた道を急ぐ。高校に入ってから行き辛くなり、遠のいていた百メートルも離れていない幼馴染の家――。

 私は幼馴染の家の前で一つ深呼吸をして、いつものように呼び鈴をならすわけでもなく玄関の扉を開ける。聞きなれたその引き戸の音に合わせるかのように、

「こんばんわー!」

と、声を響かせる。その声に涼太の母親が台所から顔を覗かせる。

「あら、梨奈ちゃん。どうしたの?」

 玄関先で上がることもなく、立ち止まっている私に涼太の母親は近づいてくる。

「おばさん、お母さんから今年も黒豆のおすそ分けです」

 私は黒豆の入ったタッパを涼太の母親に手渡す。

「あらあら、ありがとう。お母さんにもお礼を言っておいてくれる?」

「わかりました。では、私はこれで」

「もう帰るの? 久しぶりに来たんだし少し上がっていかない?」

 私は少し困ってしまう。涼太とは高校に入ってから少しぎくしゃくしているが、涼太の家族とはそういうわけではないのだ。本当はすぐに帰ってしまいたいところだったが、引き止められたからには無碍むげにするわけにもいかず、

「じゃあ、お言葉に甘えて、少しだけ……」

と、私は笑顔で返事をする。それは今までの積み重ねでつちかわれた条件反射みたいなものなのかもしれない。

 私は靴を脱いで家に上がり、廊下ろうかを進み、居間で酒を飲みながらテレビを見ている涼太の父親に挨拶あいさつをする。私は居間の向かいの台所に通され、うながされるまま椅子に腰掛けた。

 涼太の母親は黒豆の入ったタッパを冷蔵庫に入れ、水を入れたヤカンを火にかけ始める。

 そして、私と向き合うように座り、じっと私の方を見つめてくる。

「なんですか? おばさん」

 私はなんだか真っ直ぐに視線を返すことができず目をせる。以前なら、同じことをされても何も考えずに見つめ返すこともできたかもしれない。

「いやね、久しぶりにしっかりと梨奈ちゃんの顔を見た気がするなーと思ってね」

 涼太の母親は優しい声色でこぼすようにつぶやいた。涼太の母親が言うように、面と向かいあうのは久しぶりだった。こうして涼太の家を訪ねることすら減ってしまい、高校生になってからは片手で数えるほどしか来ていない。

「それにしても、梨奈ちゃんは高校生になって綺麗になったよね」

「そんなことないですよ」

 私は突然のめ言葉に驚きを隠せなかった。

「ううん。本当に綺麗になったわよ。大人っぽくもなったし……正直モテるでしょ?」

 涼太の母親は悪戯いたずらっぽい顔を向ける。私はそれを全力で否定する。そういう浮いた話とは本当に無縁むえんなのだから――。

 そのとき、ヤカンの中の水が沸騰ふっとうし始め、注ぎ口の笛が甲高い音をかなでる。涼太の母親は立ち上がり、コンロの火を止める。

「梨奈ちゃんもココアでいい?」

 私は「はい」と返事をする。涼太の母親はカップを二つ用意して、その二つにココアの粉をいれ、お湯を注ぎ、スプーンでかき混ぜかしていく。

 私はその様子をぼんやり眺めていた。私用のカップがまだあることが嬉しかった。そして、涼太の少し子供っぽいカップも相変わらずで――。

「じゃあ、どうぞ。あとそれ涼太に届けてもらえるかしら? そろそろ勉強の息抜きも必要な頃合だと思うし」

「えっと……おばさん?」

「お願いね、梨奈ちゃん。私は夕飯の支度したくがまだ残ってるから」

 涼太の母親はそう言うとカップを私に渡し、背中を押すように台所から出るように笑顔で促した。私は一つため息をつき、階段につまづかないように注意しながら二階の涼太の部屋を目指した。



 部屋の前で立ち止まり、深呼吸をする。そして、以前と変わらぬ調子で足で軽くノックをする。

「ねえ、涼太。今、両手ふさがってるの。開けて?」

 久しぶりの感じに鼓動こどうが早まるのを感じる。板張りの廊下は冷たいのに、なんだか耳が熱い気がする。

 部屋の中で人の気配が扉に近づいてくるのを感じる。そして、ゆっくりと扉が開かれ、困惑の表情の涼太が姿を現した。私は視線を合わさないようにするりと部屋の中に入り、部屋の真ん中辺りにあるテーブルにココアの入ったカップを置いて、そのまま座った。

「急にどうしたんだよ、梨奈」

「黒豆のおすそ分けに来たら、おばさんに飲み物持って行くように頼まれたのよ」

 涼太はぼさぼさの髪をきながら、私と向き合うようにテーブルの前に腰を下ろす。私は久しぶりの涼太の部屋をゆっくりと見渡す。そこは見覚えがあるのに、どこか知らない部屋のように思えた。

 壁に貼ってあった野球選手のポスターがなくなっていた。漫画や漫画雑誌であふれていた本棚は参考書や小説がめる割合が増えていた。

 さらに勉強をしている気配の全くなかった勉強机は、ノートや教科書が整然せいぜんと並べられていて――それは私の知っている涼太の机ではなかった。

 そして、勉強机のはしには、私たちが三人で写った最後の写真になった去年の夏祭りの日に撮った写真――そこに写る陽子は涼太の上着の袖の端を恥ずかしそうにつまんでいて――ただ表情はどこか暗く、もしかすると陽子はこのときにはすでに私たちとは離れて行くことを決心していたのかもしれない。

 写真を撮った日のことは昨日のことのようにを思い出せるのに、それはもう遠い昔のことのようにも感じられて――私は胸の奥がチクリと痛むのを感じた。陽子のことを考えるといつもそうだ。そして、涼太のことを考えても――。

 私は視線を正面に座る涼太に戻す。久しぶりにまじまじと正面から顔を見た気がした。目つきは少し前よりけわしくなったかもしれない。ふと目が合い、とっさに私は視線を下げる。

 ココアの入った涼太専用の少し子供っぽいカップ。それを持つ指にはペンだこができていて――中学のときまでは野球のバットの素振りで出来たマメが硬くなったと自慢していたのに――私はよく見ればすぐに気付ける、そんな小さな涼太の変化に気付かないほど、彼と離れていたんだと実感する。

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