第三部 夜空に花火が舞う日に降り注ぐは

第10話 再び炭酸水の降った日

「せーーのっ!!」

 その声と共に、晴れた夏の夕闇ゆうやみまる空から炭酸水が降ってきた。そして、降ってきた雨ではないそれは下を歩く男の子に降りかかり――さらには、上から女の子の笑い声が聞こえてきた。



 夏祭りの日。涼太りょうた梨奈りなの家に向かうため待ち合わせの時間の五分前に家を出た。事前に梨奈から夕方六時に梨奈の家に集合と伝えられていて、暑さ残る夕暮れの石畳いしだたみの道をゆっくり歩いた。それでも一分足らずで着いてしまう通いなれた家の玄関を開け、

「こんばんわー!」

と、声を響かせる。くつごうとした矢先、居間いまから顔をのぞかせた梨奈の母親が、

「いらっしゃい、涼太くん。悪いんだけど、庭の方から縁側えんがわに回ってくれる?」

と言われる。昔からそうやって回った先の縁側でスイカを食べたり、庭でバーベキューをしたりしていたので、涼太は何かあるのかなくらいにしか思わず、

「わかりましたー」

と、疑うことなく玄関から出て庭のほうに回る。

 そして、涼太が庭に足をみ入れると、「せーーのっ!!」という言葉と共に炭酸水が瞬間的な大粒おおつぶ豪雨ごううとなって、晴れた夏の夕闇染まる空から降りそそいだ。

 涼太は突然とつぜんの豪雨に打たれ、全身から甘いにおいをただよわせることになった。何が起こったのか理解できず、降ってきた先を見上げると二階にある梨奈の部屋から、涼太の方を指差しながら声を上げて笑う梨奈と、対照的に申し訳なさそうな表情を浮かべながら顔の前でごめんねのポーズをしている陽子ようこがいた。

「おい、梨奈! いきなり何すんだよっ!」

 涼太は本気で怒っているわけではなく、身に覚えのない理不尽な仕打ちに対しての抗議こうぎのつもりで声を張り上げた。

「ごめん、ごめん。とりあえずこれ以上は何もする気はないから、安心して縁側に回ってよ」

 しかし、梨奈は悪びれる様子もなく涼太を縁側に誘導ゆうどうする。

「はあ? 意味わからないんだけど」

「まあ、いいから、いいから」

 涼太は憮然ぶせんとした表情で縁側に回る。縁側では梨奈の母親がタオルを片手に待っていた。

「ごめんね、涼太くん。とりあえず、簡単に体をいて上がってくれる?」

 涼太はそんな梨奈の母親の対応を見て、何かしらめられていることに気付く。

「わかりました。それで……俺はこれから何をさせられるんですか?」

「まあまあ、まずはシャワー浴びないとね。そのまま甘い匂い漂わせながら、ベタベタのままでも我慢できるなら、無理にとは言わないけど」

 梨奈の母親はやわらかい笑顔と共に他に選択肢せんたくしはないのよと、あんに圧力をかけてくる。涼太は言われるがままに従うしかなかった。

「服はちゃんとこっちで洗濯せんたくするし、着替えもこっちで用意するから安心して」

 梨奈の母親にうながされるまま、お風呂場に行き、脱衣所だついじょで服を脱いで浴室よくしつに。シャワーを浴びていると、

「着替えは置いておくからこれに着替えてねー。脱いだものはそのままでかまわないから」

と、梨奈の母親が脱衣所に入ってきて声を掛けていった。涼太はさっと頭と体を洗い、脱衣所でタオルで体を拭きながら着替えに目をやる。用意されていたのは黒の甚平じんべいだった。

 涼太は甚平を着たことがなく戸惑うが、内側と外側のひもを見て着方を推測すいそくして適当に着る。そして、ズボンのウエストもさることながら全てのサイズが自分にぴったり過ぎて――。

 頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら居間に戻ると、浴衣ゆかた姿の梨奈と陽子がいた。梨奈は黄色い浴衣を着て珍しく可愛らしいヘアピンをしていて、陽子は白い浴衣を着て長い髪をサイドでまとめていた。

 涼太は状況の整理が追いつかず、居間との境目さかいめあたりで立ちつくしていると、

「どうよ? 似合う?」

と、梨奈が笑顔でそでをヒラヒラさせながら聞いてくる。陽子は梨奈の隣で恥ずかしそうに目をせていた。

「ああ、似合ってる、似合ってる」

 梨奈は「そうでしょ、そうでしょ」と陽子に抱きつきながら、自慢げな表情を浮かべる。

「じゃあ、みんなそろったところだし、写真でも撮っちゃう?」

 梨奈の母親がそう言いながら、いつの間にか用意していたデジカメを構える。

「ここで撮るのもあれだし、外で撮りましょう」

 梨奈の母親に促され、梨奈は陽子に抱きついたまま玄関の方に移動する。

「涼太も早く来なさいよ!」

「ああ、わかってるって……って、俺の靴、縁側に置きっぱなしなんだけど」

「まあ、いいからいいから」

 玄関まで来て、涼太は違和感を覚える。炭酸水をかけられる前に玄関に入ったときに比べて明らかに靴が増えていた。女性物の下駄げた二足と男性物の下駄が一足――涼太はあまりにも手際のよすぎる展開に小さく笑う。玄関脇には、巾着きんちゃくとかごバッグが置かれていて、それを陽子と梨奈がそれぞれ手に取り、外に出て行く。

 玄関から出てすぐのところで、涼太の右側から梨奈が腕に無邪気に抱きつき、涼太は思わず驚きの声を上げる。それと同時に反対側から陽子が涼太の上着の袖のはしを小さくつまむ。

 その瞬間に、写真を撮るためのフラッシュがたかれる。

「「えっ!?」」

 梨奈と涼太は同時に声をあげ、その光源こうげんの方に目をやる。

「撮っちゃった」

 梨奈の母親がデジカメを顔の前からずらし笑顔を覗かせる。

「お母さん! 今のなし! もう一枚!」

「あら、そう? じゃあ、もう一枚撮るわよ。はい、チーズっ!」

 その声に合わせて、涼太は真っ直ぐにカメラの方に向き、梨奈は涼太の右腕に左腕を回し右手でピースサインをする。陽子は両手を体の前で組み、目を少し泳がせた――。

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