第9話 選択した路

 次に電話を掛ける相手は涼太。

 梨奈と違って、普段はあまり電話を掛けない相手だ。特に用事がないときに電話を掛けると、変にドキドキしてしまい何を話していいか分からなくなってしまうのだ。

 現に、今このときも緊張してしまい、見られるわけでもないのに前髪を整えている。すっと押すことができない通話ボタンを勇気をだしてゆっくりとタップする。

 呼び出し音にさえ緊張きんちょうしてしまう。電話がつながると、

「もしもし」

と、おそるおそる小さな声で口にした。

 しかし、この数秒後、涼太が話し始めると先ほどまでの緊張はどこかに行ってしまい、代わりに胸のめ付けられるような苦しさにおそわれることになる。なぜなら、涼太が口にした言葉は、

『急にどうしたの? 今、里帰り中だったよね? 今年はどう? 何か楽しいことあった?』

だった。それはさっきと全くと言っていいほど同じで――。

 驚きつつも返事をしないわけにはいかず、

「えっと……うん。おばあちゃんとか優しいから」

と、咄嗟とっさに答える。しかし、答えた直後で説明不足なうえ、話がみ合ってないことに気付いてうつむいた。

 電話の向こうの涼太も無言で気まずい沈黙が生まれた。その中で、涼太の後ろから何やら人の声や音楽が聞こえることに気付いた。

「なんか電話の後ろの方が少しさわがしいみたいだけれど、今何かしてた?」

『後ろ? ああ、今日は盆踊りなんだよ』

 帰省時期と盆踊りは重なることが多く、今まで行ったことがなかった。そして、ちょっとした確認も込めて、涼太に尋ねる。

「そうなんだ。もしかして、誰かと一緒だったりした?」

『そんなことないよ。俺は楽しむ側でなくて、楽しんでもらう側だから。それでちょうど今、休憩中だったし』

 思わずほっと息がれた。それに少し考えれば分かることで、涼太と梨奈が今、一緒にいるはずはなかった。梨奈との電話のときは今みたいに音が聞こえていなかったし、電話を終えてから五分もっていないのだから――。

「それならいいんだけど……あっ、そうそう。今年のお土産は何がいい? 涼太くんは何か欲しいものある?」

と、お土産のリクエストを同じように尋ねる。涼太は和菓子より洋菓子が好きなのは知っている。洋菓子をリクエストされたら、梨奈のものとは別に買いにいこうと思っていた。

『うーん……洋菓子系のお土産はなんというかありきたりな気がするし、お菓子とか食べ物なら和菓子系がいいかな』

 私の想像していた答えと違うだけならまだしも、また梨奈と同じ答えで――。私の胸は先ほどより強く締め付けられるように痛み出す。

 この痛みは今に始まったことではない。この五年間、梨奈と涼太とずっと一緒に過ごしてきた。ずっと一緒にいたからこそ気付いてしまい、時折どうしようもなく強烈きょうれつに感じてしまう、疎外感そがいかん――。二人の間には入り込む隙間すきまもないのだと痛烈つうれつに思い知らされる、そんな痛み――。

 思わず胸を押さえて痛みにこらえていると、

『陽子ちゃん?』

と、受話器の向こうから不安そうな声が聞こえてくる。

「……あっ、ごめん。和菓子ね。わかった」

『まあ、無理に買うことはないよ。お土産はモノより楽しい土産話の方がいいからね』

 今はそんな気遣きづかわれるような言葉は辛かった。優しい言葉にうっかり胸をときめかせると、さっきまでの胸の痛みを際立きわだたせてしまう。涼太の優しい所が好きなのに、そんな優しさが今は辛かった。

 そして、またしても重たい沈黙が生まれる。その沈黙をやぶるように涼太は、

『そういえば、何か話あったんじゃない?』

と、尋ねてきた。私はしぼり出すように声を出し、本題を切り出すことにした。

「うん、そうだった。ところで……涼太くんはもう進路決めた?」

『地元の公立の高校に行く予定だよ』

 やっぱりという思いから、小さなため息とともに心の声がれた気がした。

「私ね、進路のことで迷っているんだけれども、どうしたらいいと思う?」

『どうって?』

「えっとね、先生からは推薦の話貰っててね、でも、私としては二人と同じ公立の高校にも行きたいと思っててね……それで、どうしたらいいと思う?」

 私は涼太がどんな答えを出すのか予想はついていた。それでも、私は期待する。


「同じ学校に行こう」


 たったその一言を言って欲しくて電話を掛けたのだから――。

 私はそう言われれば誰に何と言われても喜んで同じ学校に行く。本来行くべき高校に比べ、勉強の面で不利になるなら、その分は努力で補えばいいだけだ。梨奈に言われた言葉は忘れてはいない。だけど、私は決断を涼太に――好きな人の選択にゆだねようと思っていた。


 そして、涼太の答えは――――。


 私はその答えを静かに聞いた。涼太は梨奈と同じように自分の将来を引き合いに出しながら、自分の言葉で精一杯、私の背中を押してくれた。

 最後の方は携帯電話を今にも落としてしまいそうなほど手に力が入らず、小さく震えていた。

「……ありがとう。またそっち帰ったら連絡するね」

 私は涼太の話を聞き終えるとそれだけ言い、電話を切った。今にも泣き出してしまいそうな声を聞かれたくなかった。きっと電話を切った指と同じくらい声も震えてしまうだろう。


 どうしようもない孤独感こどくかんを感じながら、私は気持ちをあふれさせる。

 自分の将来のことを考えれば、何が一番いい進路かなんて分かってる。それが涼太と梨奈の行く予定の高校じゃないことも分かっている。それなのに二人と同じ高校に行きたいと思う本当の理由も分かっている。

 それだけじゃない。私が梨奈みたいに涼太とシンクロできないのも分かっている。涼太が一番楽しそうな笑顔を向ける相手が梨奈だということも知っている。そして、梨奈が涼太のことを好きなことも――。

 そんな梨奈に私はきっとかなわない。


 元々二人だったところに一人が加わって三人になった。そして、三人で年を重ね、高校生という一番恋愛に多感になる時期を前に一人は去り、元の二人に戻るのだ。

 そうなれば、二人はきっと――。

 私は大切な二人のそんな幸せを心から祈っている。それと同時に二人のそんな姿を見たくないと心が悲鳴を上げる。

 ならば、見なければいいのだ。だから、いっそのこと――。


 私は炭酸飲料の入ったペットボトルのキャップを開ける。プシュと音を立て勢いよく炭酸が抜ける。

 そして、ペットボトルに耳を当て、はじけて消えていく炭酸の音に私は想いを重ねる――。

 しばらくして、口を付けることなくキャップを閉め、ベンチに置いた。

 公園から家に戻り、玄関まで迎えに出てきた母親に伝える。いつかのように腰辺りの服の布地ぬのじを握りしめながら――。


「お母さん。私、進路決めたよ。私は――――」

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