第三幕 夏の夜空を見上げて思うは炭酸水

第一部 夜空に伸ばした手が掴みたいのは

第5話 盆踊りはハードな社交場

町谷まちやのとこのりょうちゃん。ちょっとこっちのテント建てるの手伝ってくれるか?」

「はい、わかりました」

 呼ばれた場所でテントの鉄骨を組み立て始める。辺りは鉄骨が当たる甲高かんだかい音や、喋り声でざわついていた。

 今日は住んでる地区の自治会主催で盆踊ぼんおどりがあり、昼過ぎからずっとその準備の手伝いをしている。両親がそれぞれ青年団と婦人会に所属していて、祭りやイベント毎に借り出されるのだ。

 中学生になってからは、手伝いという身分でありながら戦力の頭数あたまかずとしてテントや屋台を何度も設営してきた。だから、自分で言うのもアレだが手際よく作業を進められる。他の大人たちが喋ったりして手を止める間も黙々と手を動かし、汗を流した。

 今は何かしている方が気がまぎれた。というのも、先週末、気合を入れて挑んだ中学最後の部活の大会で早々に敗退してしまい、引退した。部活という打ち込めるものと逃げ道を失い、進路というものと真剣に向き合わなければならない時期が来ていた。

 進路――生まれてからずっと古い街並みを残すこの街で育ち、大げさでなくここに住む人ほぼ全員と顔見知りで――漠然ばくぜんとこの街で大人になり、就職し、結婚して、今と同じように祭りや行事ごとに関わりながら生きていくのだと思っていた。この街がなんだかんだ言っても好きで、離れようとも離れたいとも思わない。悪く言えばこの街にしばられているだけなのかもしれない。

 ただ、眼前がんぜんに迫りくる進路だけはもう決めている。元々勉強ができるというわけではないし、赤点を取るほどひどいというわけでもない。選べるほど選択肢は多くはないが、地元の公立高校に進学しようと思っていた。というより、それ以外の選択肢せんたくしは考えられなかった。

 それはきっと幼馴染の桑原くわはら梨奈りなも同じで――。


「お疲れ様でーす! 婦人会からの差し入れです。本番前に英気えいきやしなってください!」

 まだ明るさが残る夜六時過ぎ、婦人会の一団が大量のおにぎりやいなり寿司を手に差し入れにやってきた。その差し入れに、準備が一段落し、疲れた顔をして談笑したりしていた男達が一斉いっせいむらがった。お茶と共に食べ物が配られ、思い思いに地面に座ったり、立ったまま差し入れに手を付け始める。中には、「もうこのまま一杯ひっかけたい気分だよ」と冗談めかす人もいて、「打ち上げでしこたま飲めるんだから、今はやめとけよ。働かざるもの飲むべからずってね」と返され、どっと湧いたりした。

 俺はというと、差し入れの受け取り競争に出遅れてしまい、大人気ない大人達を後ろから眺めていた。

「あんたも差し入れ食べなさいよ」

と、ふいに梨奈に声を掛けられた。梨奈は不恰好ぶかっこうなおにぎりを二つのせた紙皿とお茶の入った紙コップを持っていた。それを受け取りながら、

「ありがとな。その様子だと梨奈も手伝いに借り出されてたの?」

と、似合わないエプロン姿の梨奈を見ながら尋ねた。

「そうよ。なんか文句ある?」

 梨奈は少し不機嫌ふきげんそうな目を向けながら答える。

「ねえよ。そのへんはお互い様ってもんだろ」

「それもそうね。昼過ぎからずっと差し入れの準備と打ち上げ会場の集会所の掃除そうじやなんかで、もうくたくたよ」

「それはお疲れ様。こっちも半分は手を動かさず口を動かしてた大人達の代わりに準備に走り回って、もうバテバテ。この上、さらに露店ろてんの手伝いまでしろって言われてるんだぜ」

 手に持ったものを落とさないように気をつけながら大げさに肩をすくめてみせる。一瞬の沈黙の後、顔を見合わせてき出す。そのまま並んで座り、受け取った差し入れのおむすびを食べる。塩加減がきつくて、強くにぎったせいか少し固かった。きっとこれを作ったのは――。隣で不安そうな顔を浮かべているのを見れば、誰が作ったか言っているようなものだ。一気いっきに二つともたいらげ、お茶を口にする。食べている間ずっと不安そうにしていた顔は少し笑顔になり、話を再開させる。

「で、涼太りょうたはなんの露店の担当させられるの?」

「飲み物のやつ」

「ああ……それは、ご愁傷様しゅうしょうさま

 梨奈が横でかわいそうな人を見る目で見つめてくる。それも仕方のないことで、中学生未満は飲み物は無料で飲み放題なので群がってくる。そのなかで中学生以上からはしっかりと代金を取らなければならないし、さらにお酒もあるので未成年に売らないように気をつけなければならない。毎年、苦労が絶えないばつゲームのような担当で――。

 去年までは、群がる側だったからこそ惨状さんじょうは理解しているつもりだ。それを上手くさばけるか一抹いちまつの不安を感じ、大きなため息をつく。中には、びんラムネを使ってシャンパンファイトごっこをする悪戯いたずらっ子まで現れる。その主犯格しゅはんかくがかつての自分だったわけで――。

「あっ、そうそう。涼太、今年の夏祭りは誰かと行く予定あるの?」

 梨奈が思い出したかのように尋ねてくる。陽子ようこが引っ越してきてからは、梨奈と陽子と三人でいくのが恒例こうれいで。だけど、去年は男友達で集まって行ったんだっけ――。

「今年はまだなんの話もしてないし、今のところ誰かと行く予定はないね」

「じゃあさ、今年は陽子入れて三人で行かない?」

「わかった」

「それじゃあ、日にち近くなったら時間とかの連絡するね」

 梨奈は笑顔を向けながら、約束だからねと念押しする。そんな梨奈とのやりとりに大人達が生暖かい視線を送ってくるのを感じる。梨奈もその視線を感じたようで、顔を赤らめながらすっと立ち上がり、差し入れを配る手伝いに戻っていった。

 少しの休憩の後、盆踊りの準備はラストスパートを迎える。建てたテントの中に大型のクーラーボックスや鉄板を設置し、飲み物や食材の準備を始める。本部テントには音響機材なんかが持ち込まれ、あわただしさが増していく。

 日が暮れていき、会場はライトで明るく照らしだされた。そして、まばらに人が集まりだしてくる。

 顔馴染みの大人からは「手伝いしてえらいねー」と声を掛けられ、近所に住む小学生達からは「涼太兄ちゃん、飲み物さっさとくれよー」とせっつかれた。その合間を狙ってやってくる同年代の知り合いからは「色々と大変だな。まあ、お疲れ」と気を遣われた。

 しばらくすると、交代するから休んでいいと言われ、クーラーボックスから冷えた炭酸飲料を一本取り出す。そして、会場裏手の人がいない場所に移動して座り込み一息ついた。盆踊りの音楽に混じり、楽しそうな声が反響して聞こえてくる。

 持ってきた炭酸飲料のプルタブを開け、一気に三分の一ほど乾いた喉に流し込む。爽やかな喉越しに今日一日の疲れが取れる気がした。大人にとってのビールはこんな感じなのかなとぼんやり考える。そして、休憩といってもやることがなく夜空を見上げる。

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